Memory 4/2 :地下の追憶

夢を見た。

火災の夢。

どこかで見たような夢だ。

もしかしたらこれは、

記憶の一部かもしれない。

ただ、この時の私は知る由もなかった。


この大火災が、全ての始まりであったことに______。































 ■AM7:00



誰だ、日記を小説風にしようなどと考えたバカは。

私だ。

「……めんどい」

もうやめてやろうかと思ったけれど、ただでさえ記憶能力がない私がやろうと思ったことをすぐやめてしまうと何も残らなくなってしまうので、それだけは避けようとおもった。

「はあ〜」

朝______。

あれから適当に過ごしていたら次の日を迎えていた。目覚まし時計もかけずに寝ちゃったけど、ここの学生寮は方角にも気を遣っているらしく、カーテンの隙間から漏れる日の光で目が覚めた。もう目覚まし時計もいらないな。

昨日はなんだかんだ早く寝たから、こんなに気持ちのいい朝は久しぶりだ。ということで、ラノベっぽい朝を迎えてみよう。

カーテンを開け、小窓を開ける。

スーっと、気持ちのいい風が室内の空気を転換する。うん。早起きはいいものだね。

 テレビをつける。朝のニュースが始まった。

顔を洗い、歯を磨き、髪の毛を整える。

食パンを2枚トーストに入れ、その間に着替える。

冷たい牛乳を入れたコップ、そしてお皿をテーブルに並べたところで食パンが焼けた。

バターをつけて、テレビを観ながら食べる。

牛乳を一杯。

「ふぅ〜……」

とても優雅な朝だった。

さて、今日は私の転校初日だ。

テレビを消しカバンを手に取り、玄関へと向かう。

「さあ、今日も1日頑張ろう」

勢いよくドアを開けた。



(しかく)えーえむはちじ。



勢いよくドアを開けた。

勢いよくドアを開けて、ラノベ的にはもう学校にいる気分だ。

だが。

「………………」

「どうも〜」

「……えっと……」

私の玄関前に、男子がいた。

「……ここは確か、女子寮だったはずじゃ……」

はずじゃ……。

「初めまして、アイちゃん。迎えに来たよ」

「…………」


そんなラブコメは求めてない!!



■AM8:05



「アイちゃんアイちゃん、歩くスピード早過ぎない?」

「……」

「そんなに早く歩くと会話も出来ないじゃないか」

「…………」

「ところで僕と君って同じクラスらしいね。まあ一つしかクラスがないから当然だけどね」

「………………」

「そういえば君、昨日遅刻したらしいじゃないか。先生困ってたよ。なに、道に迷ったの?」

 スタ。歩みを止める。

「おっと」

「アンタ、さっきからなんなの?」

「だから、アイちゃんを迎えに来たって言ってるじゃないか」

「誰もそんなこと頼んでないし。ていうかなんで私の名前知ってるの?」

「事前に誰が転校してくるか知らせが来るんだよ」

「…………」

 どうしよう。どうしたら撒いてくれるか。

「ていうか、なんでアンタなの? あの先生に言われたとか?」

「違うよ。本当はユウが行きたかったらしいんだけど、残念ながら今日は日直らしくてさ」

 ん? ユウが行きたかった? 私はこの時初めて男の子の顔をちゃんと見た。なんだ、なかなかのイケメンじゃないか。いやいやそんなことはともかく。

「アンタ、ユウ様の知り合いなの?」

「? ユウ様??」

「あ、いや、こっちの話」

 心底不思議な顔をされた。いや、怪訝か。まあ無理もない。男子生徒が歩き始めたので、私もそれに合わせて歩く。

「で、ユウどうだった? ちゃんと案内できてた?」

「……うん、案内はしてくれたんだけど、なんか不思議な子だった」

 不思議な子? と聞き返してきた。

「あの子、いろんな属性持ってるんだね」

 男の子の顔がだんだんと曇ってきた。あれ、この人知らない?

「……それはどういう……?」

「普段は普通かもしれないけど、時々棒読み口調になったり、ツンデレになったり、はたまたツンツンになったり、メイド口調になったり……」

 男の子ははぁ~、とため息。

「あいつ、どんだけコミュ障なんだよ……」

「いやあれはコミュ障って次元じゃ……」

「いや、あの喋り方はたぶん僕が原因だ」

「え?」

 そうなの?

「本当は普通のコミュ障な子なんだけど、だからこそ初めての子と仲良くなる方法を本とかで学べって言ったんだ。ただ、その選んだ本が……」

 もしかして……。

「……小説……とか?」

「そうかもしれない」

 なるほど。どうりで。

「そこまで来るとさすがに僕も心配だから後で止めるように言っておくよ」

「うん、お願い」

 あのままツンデレになったりツンツンになったりしたら相手するこっちが疲れそう。

「さて、君はここだろ?」

 いつの間にか職員室に着いていた。さりげなく誘導してくれていたらしい。

「じゃあ僕はここで。後でね」

「うん。ありがとね」

 最初は変態かと思ったけど、本当はいい人なのかもしれない。

 そういえば名前を聞いていなかった。

「あ、あの……」

 ……行ってしまった。まあいいや。後で聞こう。



 ■AM8:25



 職員室。広い広い職員室。

 三枝先生が待ち構えていた。

「やあ、今日もギリギリだね」

「いやあ、朝早く起きれたんですけどね」

 なんでかなあ。

「ま、とりあえず教室に行こうか」

 はい、と答え教室へ向かう。

 そうそう、と先生が言う。


「さっきの男子生徒には、注意した方がいいよ」


 と、顔をこちらに向けずにそう言った。なんだ、一緒に来たの気付いてたのか。

「大丈夫ですよ。そんなことわかってます」

 最初ほど変態度は下がってきたけど、まだまだ要注意人物だ。

「そうか、ならよかった」

「…………」

 ただ、それが一教師の言葉だと思うと、少し嫌な気持ちになった。



 ■AM8:30



 どうやらこの学園は学園ごとに棟分け、つまり校舎分けされているらしい。南・小学棟、東・中学棟、西・高校棟、北・大学棟。そして学年も階が分けられている。1年・1階、2年・2階、3年・3階と。小学棟では1・2年が1階、3・4年が2階、となっていて、大学棟には当然だが学年の教室というものはなく、講義室が設けられている。実験室や音楽室などは各学園棟のどこかに配置されている。

 なるほど、やっぱり抽選なんだな。

 この学校にはクラスがない。それは単純にそんなに人数がいないからだ。確かさっきの男の子もそんなふうなことを言っていたような。


 西、高校棟、3階、3年教室。

 そして私は今、その教室のドアの前にいる。先生は先に教室に入って諸連絡をしている。私にも聞かせてくれればいいのに。

「よし、それじゃ転校生、入ってきて」

 お、呼ばれた。やっと座れる。

 ドアをガラガラと開き、教壇に向かって歩く。教室を見渡すと……、やはり見慣れた顔が……。ユウ様と要注意男子生徒。

 突然、ユウ様が立ち上がる。私を指さし。

「あーーーーー!! あなた昨日のイチゴパンツ!!」

 …………は!?!?

 空気が固まる。

 これはもしかして……。要注意男子生徒に顔を向ける。

 呆気顔→あっ→テヘペロ。

 ……あいつーーーーー! 止めさせるの忘れてたな!

 しかもなんだよ! イチゴパンツネタかよ! それ普通男子が言うセリフだし! ていうかイチゴパンツ穿いてなかったし!

「……えっとー」

 ほら先生も困ってる。この固まった空気はアカン。こうなったら、笑いを取るためにボケで返すしかあるまい。くらえ。

「違う。昨日穿いてたのはピンクパンツだよ」

 ………………………………。あれ、しくった?

 変な空気が、さらに変な空気になった。



 ■AM8:45



「あははははははははははははははは!!」

「…………」

「いやあ、はは! まさかそう来るとは思わなかったよ!」

「………………」

「で、ほんとに穿いてたの昨日? ピンクパンツ?」

「……………………」

「あーどうなんだろうなあ。……ちなみに今日は?」

「うるさい!!」

 ガッ!

「いた!」

 一発殴ってやった。

「なんでアンタ、ユウ様に言ってくれなかったのよ」

「いや、言おうとしたよ? 言う気満々だったんだけど、ほら、ユウにあいさつして、小話してたらなんか盛り上がっちゃって……忘れちゃった」

 ……コイツ!

 やっぱり要注意人物だ。抜け目がないのか抜けてるのか都合のいい人だこの人。先生の言う通り注意しておこう。

 それにしても、……しくった。どう反応されるかなんてあまり気にしてなかったけどそれにしてもしくった。心なしか男どもの視線がエロい気がする。

 それに加え……、まさかこの二人の隣とは……。

「ごめんね、アイちゃん。あたしが変なこと言うばっかりに……」

「いいよいいよ、ユウ様は悪くない。悪いのは私だし」

 そしてこの男!

 ユウ様が顔を赤くする。

「も、もうユウ様はやめて!」

 あ、いいの?

「あたしのことは、もう普通にユウでいいからね」

「わかった。よろしくね、ユウちゃん」

「んで僕は……」

「アンタはいい」

「なぜ!?」

「あたしが紹介するよ。コイツの名前はエッチよ」

「エイチです!」

「よろしくね、エッチ」

「よろしく!」

 エッチで通った。

 でもまあ、よかった。

 正直転校するってわかった時は友達できるか不安だったけど、教室に来る前に友達ができたし。これでやっと落ち着ける。



 ■PM12:00



 驚いたことに、この学園の午前と午後では授業は3時間ずつらしい。しかも高校3年生でも6時間目まである日は週に2日という。……大丈夫かこの学園……。急に進路が心配になった。とりあえず他の人の意見を聞いてみよう。

「ねえユウちゃん、もう進路とか考えてる?」

 急な質問にこちらに振り返る。

「どうしたの、急に?」

「いや、この学園のカリキュラムでまともに就職とか進学できるのかなって」

 大学までこの学園にいるなら話は別かもしれないが、ここには一定期間しかいられないと言っていた。ということはもとの学校にいずれ戻るということ。そうすればこの時期はもう受験勉強期間だ。まあ私は勉強する気はさらさらないけど。でもちょっと将来は心配したりする。

「それは心配ないよ。この学園って、勉強よりも進路に重点を置いてるの。基本は最終学年になってから決められるんだけど、もしもう就職するって決めてるなら、学校の授業がなくなって職場体験になったり、それに関する授業を大学棟の講義室で学べたりできるんだ」

「へえ~」

 結構最先端な学園だったりするのか。

「そういう学園は今まで例がなかったから、それで抽選をして。つまり任意であたしたちを実験としてどっちの方が将来有望か見るんだよ」

「なるほど」

 私の場合は覚えてないから任意とか関係なくなってるけど。まあ当時の私が決めたことなんだろう。

 ただそうなってくると……。

「先生の数がいっぱい必要じゃない?」

「それは問題ないらしいね。意外とここって簡単に就職できるらしいし、技術がなくても就職してから技術を身に着ける時間が与えられるみたいなの。ここの卒業生でもここに就職して先生になった人もけっこういるんだよ」

 そうなんだ。どうりで若い先生が多いはずだ。

「で、ここの卒業生の主な就職先がここ、この学園の商店街、スイートピーモール!」

……ネーミング……。

 そもそも私たちがなぜここに向かったかと言えば、今日の授業が午前中で終わったため、午後の時間に学園内を案内してもらおうと思ったのだ。ただまあ、校舎内のだいたいの配置はわかったし、音楽室とか実験室とか案内されてもねえ、ということでここ地下商店街、スイートピーモールに来たのだった。この学園の地下全域を使った商店街。めちゃくちゃ広い。本屋、CDショップ、服屋、スーパー、ゲームショップにゲームセンター、スポーツショップなどなど……、なんでもある。

「……すごいな」

「ここでだいたい物揃っちゃうんだよね。だからわざわざ都会まで行かなくてもいいし」

 本屋に寄ってみた。中を見ると本当にいろんな本がぎっしり並んでいる。中には中古本屋の本店にしかないような本まで。たしかにここまで品ぞろえがあると十分だな。

 他の店にも廻ろうと歩き始めた。

 もしかしたら、もしかしたらだけど、ここら辺廻ってたら自分の趣味がわかるかもしれない、そう思った。

 すると、どこからか音楽が流れているのに気づく。その方向に目を向けると、そこは楽器屋だった。

 楽器屋……。

 ふと、吸いつけられるように、その楽器屋に、足を運んでいた。

 店にはピアノ、ギター、ベース、バイオリン、ドラム、フルート、タンバリン、リコーダー……、やはりここにもなんでもあるようだ……。

 BGMに流れてくるのはバイオリンの演奏……。

 どこかで……、聴いたような………………、懐かしい………………………。

 …………………………………………。

「……ごめん、ユウちゃん……」

「アイちゃん? どうしたの?」

「ちょっと気分悪い……。どっか座るとこない……?」



 ■PM12:40



「……ここって、カフェもあるのね」

「そうだよ。ファミレスもいくつかあるよ」

 本当になんでもあるようだ。それにここのカフェはけっこうオシャレ。BGMにはジャズが流れていて、客も大学棟の教授なんかが来ている。私たちの方が場違いのようだ。

「アイちゃん、気分は? もう大丈夫なの?」

「まあ、なんとかね……」

「そっか。よかった」

 ただ、なんだろうか、さっきのアレは。単なる体調の問題ではなかった気がする。言うなれば本能的に、脳がそう指令を出したような……。

「……ねえ、アイちゃん。さっきの話の続きなんだけど」

 ユウちゃんの言葉に思考が遮られた。ま、それは後で考えよう。

「なに? ファミレスの話?」

「いや……、それはもう完結してる」

 少し照れくさそうにしながら言った。

「あたしのね、将来の夢の話なんだけど」

 ああ、進路の話ね。だいぶ戻ったな。最初じゃん。

「実はね、保育士になりたいんだ」

 へえ、保育士か。

「そうなんだ。いいんじゃない? ユウちゃんけっこう面倒見よさそうだしね」

「えへへ。給料は低いって言われてるんだけど、子ども大好きだし、やってみたいんだ」

「……そっか」

 正直、あこがれた。保育士にではない。夢を持つこと自体に。夢を持つということは、持つきっかけがあったということだ。過去の記憶があいまいな私にはきっかけがない。正確にいうときっかけすらも忘れてしまっている。当然何になりたくてどうしたいのか分からない。夢がないのだ。究極を言うと、私は人生という暇をつぶしている。

 まあ、私の悲観人生はともかく。

「でもさ、それじゃあなんでまだ普通に授業受けてるの?」

 さっきの話からすれば、保育士になるための講義が大学棟で受けられるのに。

「……まあ、そうなんだけど」

 ユウちゃんは顔を赤らめた。おやおや。

「その、みんなともう少し、一緒にいたくて……」

………………。なんだ、このかわいい生き物! レ〇の気持ちが今ならわかる!

「そ、そっか。でもあれだよ? 出遅れちゃダメだからね」

 この子ならやりかねない……。

「……ねえ、アイちゃん」

「うん?」

 また急に切り出すユウちゃん。

「……エイチのこと、どう思う?」

「エイチ? うーん、そうだなあ……」

 あんま好きじゃないなあ、と言おうとしたが。

「あたしね、エイチのことが好きなんだ」

「………………」

 いきなり爆弾発言きたーーー!

 毎回だよね! 毎回急に来るよね!

 そうか。そういうことか。ユウちゃんがコミュ障と言われるゆえん。良くも悪くもマイペースなのだ。これじゃあなぁ……。

「……そっか。そうなんだ。イケメンだもんね、エイチ」

 思ったこと口に出さないでよかった~。あやうくユウちゃんを絶望させるとこだった。まあ、その顔も見てみたいが。

「うん! エイチはね、イケメンなとこだけじゃなくて、本当はすっごく優しいんだよ!」

 優しい、か。確かに優しいと思う瞬間はある。けれど、どうにも私とは相性が合わない。でもユウちゃんなら確かにエイチと相性が合うかもしれない。サディスティックなエイチと、正直者のユウちゃん。

「ねえ、アイちゃんは好きな人とかいるの?」

「私?」

 いない。というか、知らない。私はそのまんまの意味で自分のことが一番わかってないからなあ。

 だが、口が勝手に動く。

「私もエイチが好きかな」

 私にもS心があるらしい。ついからかってしまったのだが。

「そっか。じゃあアイちゃんと私は恋仲だね!」

 え? 恋敵じゃなくて? それじゃ複雑な関係になっちゃうよユウちゃん。

「ごめん、今の冗談。私に好きな人はいないよ」

「え? そうなの? せっかくコイバナできると思ってたのに……」

 あからさまにしゅんとしてるユウちゃん。同じ人に恋してるってわかってる者同士でコイバナは難しいと思うなあユウちゃん。

 …………。

 素直だな、と思った。

 なんだかユウちゃんと話してると、相手の顔色気にして話し合わせるのがバカみたいに思ってしまう。まあそれも時と場合によるかもしれないけど。少なくともユウちゃんに対してはそんなのいらないな。

 ちょっと話してみよう。

「ユウちゃんが大事な話をしてくれたから、私も大事な話しちゃおうかな」

「え? どんな話!? 性癖とか!?」

 するか!

 ところどころの下ネタ発言はたぶん小説とかからだな。ちゃんと意味わかってるのだろうか。

「ちょっと重い話になっちゃうんだけど、私ね、実は記憶障害なんだ」

「記憶障害? 記憶障害ってあの、物覚えが悪い人?」

「そんなバカっぽい性質じゃなくてね、一度はちゃんと覚えるの。でもね、そこから過去の記憶がなくなっていくんだよ。どんな記憶も」

 だから定期テストは毎回公開処刑を浴びる。

「えー! じゃああたしとの出会いも忘れてる!?」

「もうきれいさっぱり」

「やあああ!!」

「うそ、ごめん。さすがに昨日の記憶は覚えてるよ」

「よかった~」

「はは」

 昨日の記憶はある。だけど、昨日はその前の記憶を覚えていなかった。なにも。ちょっと深刻になってきたかなあ。

「でもね、大丈夫だよ! あたしにも障害があるから」

 それどっちも大丈夫じゃないパティーンじゃん。

「そうなの? どこ?」

「アイちゃんと違って中じゃなくて外なんだけど、あたし足にケガしてるの」

「ケガ?」

 ユウちゃんの足を覗いてみるが、そんなふうには見えない。普通に歩いてたし。

「歩くことは普通にできるんだけど、走れなくなっちゃったんだ」

「………………」

 一瞬、ほんの一瞬だが、ユウちゃんがとても悲しそうな顔をしていた。

 走れなくなる。聞くだけだったらそれでも普通に生活ができそうだし、私のに比べたらそうでもないとどうしても思ってしまう。でもそれは偏見だ。実際に走れなくなるということがどれだけの恐怖かは本人にしかわからない。何かの危機に迫ったとき走れないということは、場合によっては記憶障害よりも致命的で、恐怖なのだ。

「………大変だったね」

「え……?」

 …………あれ、私は何を言ってるんだろう? そんなことわかりっこないのに。

「いや、何でもない。ごめんね、知ったかぶっちゃって」

 しかし、そんな私を彼女は笑顔で返してくれた。

「ううん! ありがとう! うれしいよ!」

「うれしいって、それはさすがに言いすぎでしょ」

「ううん、うれしい! アイちゃんがあたしのこと本当に心配してくれたの、すっごく伝わるよ!」

「…………そう?」

 同情、だろうか。症状は違うが、同じ”障害を持つ”という点では同情かもしれない。

 私は同情という言葉は嫌いだった。障害を持つ苦しさが分からない者に同情なんてされたくなかった。

「じゃあさ、ユウちゃん」

 ただ、だからこそ彼女になら、同情されてもいいと思った。

「これからは協力し合おうよ」

「協力?」

「ユウちゃんが走らないといけない時は、私が代わりに走ってあげる。だから私が覚えなきゃいけない時は、ユウちゃんが覚えてね」

「えええ…………。あたし覚えてられるかな……」

「ユウちゃんおととい何したか覚えてる?」

「え……、うん、まあそりゃあ」

「じゃあ大丈夫。十分だよ」

「よかった! それならできそう!」

「でしょ?」

「でもテストの問題は覚えてても教えてあげないけどね」

「……まじ?」

「それが本命!?」

「じゃあだったらユウちゃんが遅刻しそうになった時も代わりに走ってあげない」

「ええ~~~! ……ってそれ意味ないじゃん!」

「えへへ、バレた?」

 この時、ユウちゃんともっと仲良くなりたいと、本当にそう思った。



 ■PM4:00



 カフェを出たころにはもう夕方になっていた。そろそろ帰ろう。その前に一言。

「ユウちゃん、そういえばエイチには告白したの?」

「うん……。フラれちゃった」

「え? まじ?」

 アイツそんな薄情だったの?

「どして?」

「うーん、なんかよく分からないけど、いつも近くにいすぎて恋人として見れないって」

「なにそれ」

 次会ったらぶん殴ってやろう。

「でも、いつか振り向いてもらえるように勉強してるよ!」

「…………なにで?」

「本で」

「何の本?」

「ライトノベル」

 やっぱり……。ユウちゃんそりゃまずいよ。

「今度いい本教えてあげるよ。そっち読んでみて」

「ほんと!? ありがとう!」

「じゃあまた明日ね」

「うん! バイバイ!」


 ………………。

 今日の一日も、日記に書いておこう。


 ユウ 身体障害 足 走れない



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