第27話 違和感と安らぎ

 二人が共存し始めて一ヶ月が経った。

 その間、二人のやりとりは最初と何ら変わりがなかった。


 食事は一日二回。何も言わなくともリガルナが投げ寄越してくる。アレアにしてみれば、栄養面はともかく食事を毎日のように摂れるだけでもありがたいと思っていた。


 今後も今のこの状況と変わらず、ただ黙々とした生活が続くものだとばかり思っていたが、この日は少し状況が変わっていた。


 いつも通り、アレアが目覚めた頃にはリガルナは既におらず、食料か何かを調達しに出かけている。

 残されたアレアはリガルナの気配がない事を確認すると小さく溜息をつき、いつものように洞窟の外にある小さな岩の上に座り込んでぼんやりとしていた。


「……」


 吹く風が心地よく、暖かい。きっと今日の天気は晴天なのだろう。遠くから聞こえてくる鳥の鳴き声がとても楽しそうで、こうしているだけで心が穏やかな気持ちになる。


 ここへ来てこんな時間を過ごせるようになるとは思わなかった。向こうがこちらに必要以上に近寄る事もなければ離れる事も無い。その距離感が今はとても心地よかった。

 ただやはり気になるのは、リガルナの人を拒絶する理由が分からないことだ。


「……どうしてあの人は、あんなに人を拒絶するんだろう」


 並々ならない事情があるのは、あの態度とこんな山奥に一人で住んでいるという事で理解できるのだが……。


 アレアは柔らかな風に吹かれながら、近くにいればいるだけ相手を知りたいと思う自分の気持ちに向き合っていた。





 ふと、リガルナは山道の途中で足を止めた。

 暖かく柔らかい風が、彼の赤く長い髪をさらっていく。朽葉が空に舞い上がり、遠くへと流れて行く中、リガルナの視線はある一点を見つめていた。そこは、最初アレアを見つけた場所だった。


「……」


 太陽の光に反射してキラリと光る何か。

 近づいて落ち葉を掻き分けてみれば、それは小さな金色のボタンだった。


 いかにも高価な、それこそ貴族の衣服に付いていたのであろうそのボタン。朽葉の中に埋もれ土にまみれていたがその輝きは健在だった。古ぼけてはいるものの、まだここに来てそんなに日が経っているようにも見えない。


 リガルナはボタンを拾い上げると、一度周りを見回した。


 誰か人間が入り込んできたのかと思ったリガルナは注意深く辺りを見回すも、それらしい痕跡も気配も感じられない。


「……あいつのか」


 それを手に握り締めたまま山道の朽葉を踏みしめて洞窟へ戻る間、リガルナはアレアが来てから今日までの事を思い返していた。


 彼女が来てから一ヶ月。そう言えば、この所不快な夢を見なくなった。

 夢を見る度に憤りを感じ、人々を手にかけてきていたと言うのに、その夢を見なくなった事でよく眠れるようにもなり、人を殺める気も起きなくなった。


 それもこれも、あの少女が自分の傍にいるようになってからだ。

 リガルナはふと足を止め、ギュッとボタンを握り締める。


 風に流される自分の髪を見つめながら、穏やかな気持ちでいる自分にこの上ない違和感と安心感を感じていた。


 もう絶対に味わう事など出来ないと思って背を向けてきた物に、今包まれている。そしてこの時間は彼女がここにいる限り続いていく物なのかもしれない。


 そう思うと、途端に不安な気持ちも膨らんできた。


 目の見えない彼女が、ずっと自分の傍に居続けるかどうかの保証など無い。何より、この先もずっとリガルナは自分の正体を隠し続けていかなければならないのだ。その後ろめたさや罪悪感が襲い来る。


 そうだ。「赤き魔物」がどんな人物で、どんな事をしてきたのか。

 彼女もそれを知らない訳が無いはず。そして遅かれ早かれ、いつか自分の正体がバレる日が来るだろう……。


 バレたら殺せばいい。


 最初は安易にそんな事を考えていたのに、今はそれが出来る自信がない。


「……俺は、バカだな」


 自嘲するように口の端を引き上げて笑った。


 いつまでも浸っていたいこの安心感と、いつか正体がバレるかもしれない不安感が隣り合わせなのは、これからもずっとどうやってもついて回るに違いない。


 何気なく、リガルナはボタンを握り締めている手を見つめた。

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