第5話 謎多き風紀委員

 顔を上げると、周りに学食で昼食を取っていた者達もやって来たようで、軽く100人は越えていた。蜂蜜を塗ったら集まってきた虫達のようである。


 廊下を完全に塞いでしまっているから、通れずに立ち止まっている者もいるのだろうが、皆興奮して歓声を上げている。そのおかげで、軽く英雄にでもなった気分だ。


「静まりなさい!」


 凛とした廊下中に響く女声に、集まった野次馬共は、端によって道を開ける。


 群衆の間を通り抜けて来たのは、恐ろしい程に高身長の女子だった。180cmはあると推測される。おそらく3年生だろう、そうでなければおかしい。


 それ程の高身長にツリ目となればかなりの威圧感があり、思わず後退りしてしまう。それに、美人ではあるが人形のように冷たい無表情で迫られると、一種の恐怖を感じる。


「状況説明を端的にお願いします」


「あー、これはですね......」


 彼女の淡々としたありきたりな質問に、ありのままを言うべきか、それとも被害者面して黙っておくべきか迷ってしまう。当然、目撃者は多数いる訳だから後者は全くの無意味であるが、それに気付くまで時間がかかった。


 とはいえ、彼女が今見ているのは倒れた先輩と、その近くで立っている俺であるから、伝え方次第では誤解されても仕方が無い。


「私があの男に暴行されていたのを、この人が助けてくれたのよ」


 どう伝えるべきか思い悩んでいた俺を、三崎さんはフォローしてくれたようだ。俺は、こんな時でも冷静に頭が働く彼女を素直に尊敬した。重大な事態に直面したときに、俺は頭が真っ白になってしまうのだ。


「ご説明ありがとうございます。この件は、一度風紀委員会で預からせて頂きます」


 そう言うと、彼女は不良先輩の襟を掴み、いつの間にか現れた屈強な男二人組に渡した。彼らはそれを担いで何処かへ運んで行く、行先は保健室だろう。


 その様を見送った漆黒色の髪をした高身長の先輩は、こちらに向き直った。顔には、先程とは打って変わって笑みが浮かんでおり、そこには、人形のような美しさだけが残っていた。


 彼女は、漆のように光沢のある綺麗な髪をしているのに、肩に付かない程度に短く切っている。焦点を全身に当てると、小顔だからか、単に背が高いからか、少なく数えても八頭身はあることが見て取れた。


 また、何よりも特筆すべきなのはその胸である。一見そこまで強調されていないように見えるが、良く見ると頂点付近には全く皺がないのだ。


 これは、はち切れんばかりに外に出ることを主張する胸を、制服という名の鎧で無理矢理にも押さえつけようとした結果である。


 つまり、彼女を相当豊満な胸の持ち主だと判断しても問題無いだろう。


「取り敢えず、君達に事情聴取をしたいから放課後に生徒会室に来てくれないか?」


 先の敬語は仕事用だと言わんばかりの口調の変わりようで、一転して親しみやすい印象になった。


「ええ、勿論ですと言いたい所ではありますが、放課後はちょっと......」


 三崎さんは、そう途中で言いかけて横目で俺を見る。


「君もなのか?」


 先輩が覗き込むように、首を傾げて腰を屈めた。中途半端に上半身を傾けた為に、ちょうど胸が目の前に来てしまっている。


 放課後に用事なんて無かった筈だが、三崎さんが物凄い形相で睨み付けてきたので、取り敢えず彼女に合わせておくことにした。


「ああ、そういえば俺達、神咲先生からも呼ばれているんですよ。放課後に話があるらしくて」


 俺の返答を聞いた先輩は、今度は三崎さんに視線を移す。


「すみません、先輩。そういうことなので、また後日改めてお願いします」


 先輩は、胸を寄せるように腕を組み、目を閉じて考え込むような動作をした。どうすべきか悩んでいるようだ。


 もしここで、彼女に嘘だと思われて神咲先生に確認を取られた場合、方法次第ではバレてしまうだろう。


 しかし、それは杞憂だったようだ。先輩は目を開くと、満面の笑みを浮かべた。


「まあ、私にはこれから仕事がある。君達も昼食を取っていないのなら、今すぐに取ることをお薦めするよ。後20分くらいで授業が始まるからな」


 セリフを言い終わる前に踵を返した先輩は、また別の風紀部員らしき大男を二人連れて去って行った。


 その様はボディガードを雇っているかのようで、まさに重役といった感じである。もし本当にそうならば、嘘がバレた時にどうなるのだろうか......


「夜縫君、考え事をしているところ悪いのだけれど、そろそろ急がないと本当に危険だわ。空腹に耐えながら受ける午後の授業は地獄並みよ」


「ああ、そうだった。悪い、急がないとな」


 そう言って思考を切り替え、既に食堂に向かって走り出していた三崎さんの背中を追いかける。


 俺達は集まった人混みの間を縫うようにして受付まで駆け抜けた。


 俺は生姜焼き定食を注文したが、三崎さんは売店で少量のサンドウィッチを購入した。ダイエット中なのか、少食なのかは分からないが、彼女のサンドウィッチはたったの二切れである。


「それだけで足りるのか?」


「......」


 彼女は俺の問いに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。やがて、肩を大袈裟なくらいに落として溜息を吐く。


「私にはあの人混みの中に入っていって食事をする勇気は無いわ」


 三崎さんは、サンドウィッチの封を開けながら、目だけを前方に向ける。俺もつられるように前を見ると、昼休み終了前だというのに、食堂には多くの生徒が行き交っていた。20個程の4人席のテーブルが並んでいるが、その全てが誰かに利用されている。この状況だと、テーブルが空くまで待つか、2人以下で食事をしている人に頼んで相席になるしか方法は無い。


 三崎さんはこうなることを予想して、学食以外で食べられるものを買ったのだろう。彼女の先読み能力が優れていたというよりも、単純に俺の考えが浅はかだったようだ。


「もし遅れても適当に誤魔化しておくから、授業に参加だけはするのよ。次の教科の先生は色々と面倒な人だから」


「努力するよ」


 そう短く答えて、生姜焼き定食が出来上がるのを待った。五分前には食べ終わりたい所である。


 隣では、三崎さんがチキンとキャベツが挟まったサンドウィッチを片手に持っており、それを口に運ぶ際に邪魔になると思ったのだろう。もう片方の手で長く垂れた髪を掻き上げ、反対側に寄せた。


 その時顕になった、日焼けを知らない透き通るように白くて美しいうなじを見て、不覚にも心臓の鼓動が速まるのを感じる。


 今思えば、そもそも彼女の美貌は学園一といっても過言では無い程なのだ。加えて、彼女の身体は流麗な曲線を描いており、艶かしさがそこにはあった。


「下卑た目で私を見ないでくれる?食べ物が喉を通らないわ」


 俺の心情を読み取ったかのような三崎さんの発言に、精一杯平静を装って答える。


「いや、そんな目で見た覚えは無い」


「すぐに否定する所が怪しいわね。普通なら、突然こんなことを言われれば戸惑ってしまうものよ。思い当たる節が有るのなら別だけれど」


 彼女の意見に反論を試みようと思ったが、生姜焼き定食が出来たようなので諦めることにした。昼食が乗ったプレートを受け取り、


「ランチタイムが訪れたようだから、俺はここで失礼させてもらうよ」


 と満面の笑みで三崎さんに別れの言葉を告げる。何か言って来るものだと予想していたが、彼女は「そう」と短く呟いただけだった。


 そして彼女は、首だけをこちらに向けて意地らしく微笑み、サンドウィッチが入っていた袋をゴミ箱に捨てる。時計を見て時間を確認すると、おそらく教室に帰って行った。


 彼女の背中が人混みに紛れて完全に見えなくなった頃、緊張が緩んで肩の力が抜けたせいか、大きな溜息が漏れ出た。


「何か調子狂うなあ」

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