第3話 最初の授業
まだ授業は始まっていないが、他の生徒達の視線が痛い。
三崎さんも俺と同じような目に遭う訳か。何だか悪いことをしてしまった気がする。
しかし、それは杞憂だった。鐘の音に背中を押されながら列の後方へ歩いていると、周囲でどよめきが上がる。後ろに顔を向けると、三崎さんがグラウンドへと続く階段を降りている姿が見えた。おそらく、彼女の美貌に魅了されているのだろう。遠目からでも、日本人離れした顔立ちとスタイルに目を奪われてしまう。
三崎さんは、列の最後尾まで来ると俺の隣に並ぶ。そして、今も尚注がれ続ける視線を尻目に、彼女は小さく微笑んだ。
「どうして貴方まで私を見ているの? もしかして見とれちゃったかしら」
「いや......『俺が遅れて来たら三崎さんのようにはならないなあ』と思っちゃったりしてた」
彼女は俺の反応にただ目を細め、「そう」と言って再度微笑んだ。
前を見ると、皆は、いつの間にか朝礼台に立っている先生に今度は目を奪われていた。先生はアロハシャツのようなものに身を包み、サングラスをかけている。
日本人かどうかは知らないが、平均よりもやや高めの身長で、顎髭を生やしている。衣服からはみ出ている2本の腕と脚には、凹凸を感じさせるはち切れんばかりの筋肉があり、それでいて、統率が取れている。その筋肉の美しさは、「鍛え抜かれた」というよりも、「持ち主に呼応して成長した」といった方が相応しく思える程のものだった。
それだけの筋肉を持っているというのに......
「まあ、取り敢えず二人一組になれ。話はそれからだ」
と、言葉に覇気が全く感じられない。これでは、ただの筋肉質なおっさんだ。
あろうことか、目の前に生徒がいることを忘れているかのような声量で欠伸をし、砂が散らばっているであろう朝礼台の上に横たわった。さらに、生徒の活動を見守る気も無く、目を閉じて完全に就寝するつもりのようだ。
ただの主観だが、魔導学園の先生共は、総じてやる気が無いように思える。校長先生については良く分からないが、モニターを使った放送で入学式の校長挨拶を済ませるくらいだから、同じようなものだろう。神崎先生は言うまでもない。
「まあ、とりあえずよろしく」
「こちらこそ、宜しくお願いするわ」
そう短いやり取りをして、整列を始める。早くペアを作った者達から二列に並んでいく。俺達は、前から丁度二十番目程に位置している。
「洗練されたような早さだな。いつの間にか長蛇の列ができている」
「当たり前でしょう。皆朝早くから必死でペア作りに励んでいたのよ」
少なくとも俺にはそうは見えなかったのだが、初日からご苦労なこった。でも、もし本当にそうなら、俺の隣の美少女が誘われない筈が無く、男子はともかく、女子からも多くの誘いを受けていただろうに。
まあ、別にそこまで深入りする気は無い訳で、下手に地雷を踏んでご臨終するのは避けたい。
「それじゃあ、新入生は320人だから......81番目のペアから前に来い」
相も変わらずやる気ゼロの先生は、遂にアイマスクを着け始めた。サングラスの上にアイマスクを重ねている。サングラスを外すことさえ面倒臭く思っているのだろうか。
背後を見ると、女子の二人組を筆頭に、160人が足並みを揃えてやって来る。通り過ぎたペアには、異性同士のものは比較的多く、中には、残り物同士で組んだような空気のペアもあった。
「今回の授業ではペアでの活動は無いが、今後自由に変更してくれて構わないぞ。ただこの四列になってくれれば良いから」
先生は生徒が整列し終えたのを見ると、アイマスク&サングラスを外す。太陽の光に照らされた目は綺麗なまでの茶色に光っていた。
ものの数十秒間だけの為にアイマスクを着けるという行為は、面倒臭い行為そのものじゃないのだろうか。
「良し......じゃあ、結界!」
先生の掛け声と共に、地面から茶色の魔法陣が出現した。グラウンド全体を飲み干せる程の大きさにまで達している。
「これは、大き過ぎないか」
「そうね、ここまでの規模を展開できるのは相当な魔導士である証ね」
見かけによらず、魔法の熟練度は高いらしい。魔法に精通していなくても、これがかなりのレベルだということは分かる。
淡々と感想を述べている間に、土の壁が上空へ向かって成長していく。やがて、太陽が見えなくなると、土の壁は崩壊し、新たな半透明のドームが現れる。薄い茶色で、境界線らしき場所の空間は歪んで見えている。
「これがいわゆる『魔法』と呼ばれるものだ。俺は直接発動させたが、まだ慣れていない内は魔具を使う」
そう言って、どこからか杖のようなものを取り出す。見た目は真っ黒で、おそらくかなりの強度だと思われる。先生が指で弾くと、甲高い金属音が反響した。
「一般的には杖だな。『魔力』を一点に集めやすいし、軽量だから扱いやすい」
突然『魔力』という単語が出てきて、俺は狼狽える。少し説明を端折り過ぎな気もするが、誰も気に止めていない。
先生は先程取り出した杖を地面に向け、再度魔法陣を出現させる。今度は、ピラミッドが魔法陣に吸い込まれて行く。
「今のは、『結界』というやつで、魔法の基礎中の基礎だ。最初にこれが出来なければ、魔導士としては役に立たん」
結界が張れないと戦闘は出来ない訳か。大抵の魔法は掠りでもしたらバッドエンドだから、おそらく結界が無いと禄に近付けないのだろう。
「で、ここからが本題だ」
唐突に真面目な顔になったまだ名も知らぬ先生は、手を叩いて、乾いた破裂音を響かせる。
「今からお前ら全員に杖を配る。性能に差は無いから、安心しろ」
すると、何処からか現れた助手らしき人物が、大量の杖を台に乗せてやって来た。杖はどれも姿形は一緒で、実際に手で持ってみると吸い込まれるような感覚があった。
「思っていたよりも手に馴染むな、吸盤みたいに吸い付いて来る」
「そうね、何だか気持ち悪いわ」
俺は、予想外の感覚に不快感を覚えながらも、初めて『魔具』に接したことで好奇心を抑えられず、杖を振ったり叩いたりしてみる。ずっしりとした重みがあって、構成物質は金属系のもので間違いない筈だが、見たことが無いものだった。
「全員に杖が行き渡った所で早速結界を張ってもらう。やり方は簡単。杖に神経を集中させて、自らを完全に覆う魔力の流れを意識し、自分の魔法適正に合った属性に関わる物体を想像して具現化させるだけだ。後は勝手にできる。じゃあ、始め!」
唐突に面倒臭くなったのか、早口で説明を終えると、今回はアイマスクだけを掛けて仰向けに倒れ込む。腕を組んで「もう話すことは無い」とでも言いそうな様子である。
こんな具合だから、当然生徒達は困惑する。最初は小言ばかりであったが、段々とざわめきが強くなっていく。
生徒達のざわめきが最高潮に達した頃、ある一筋の雷が列の前方で落ちた。強い光を発しながら少女の周りを電流が走り、やがて黄色の結界に変化する。
白髪の小柄な子は、静まり返った生徒達を睨みつける。そして大きく肩を落とし、小さく溜息を吐く。
「こんなこと、造作もない」
少女はそう呟くと、パートナーの長身の女性を見た。髪は黒色で日本人らしい見た目だが、おそらく俺よりも背が高い。
「その通りでございます」
長身の方が杖を掲げると、赤色の魔法陣が生成され、火柱が彼女を包む。しばらくして火が消えると、赤色の結界が彼女の体を覆っていた。
呆気に取られて見ていた生徒達は、これを皮切りに歓声を上げる。彼女達に扇動されてやる気を見せ、次々と魔法陣が生成されていく。
「へえ、まさに鶴の一声だな」
「それより、私達も負けてられないわ」
隣を見ると、杖を前に向けた三崎さんの足元には青色の魔法陣ができていた。そこから出た水柱は、彼女を包見始める。
普通ならすぐに消えて結界が発生するのだが、
「長過ぎる」
いくら待ってもその兆候が現れない。持続時間が長いということはそれだけ魔力が多いことに繋がり、魔力量は単純に魔導士の力のものさしになりうる。ということは、間違いなく彼女は魔導士の中でも上位に入るだろう。
そんな思考を張り巡らせていると、やっと水柱が消える。現れた彼女を覆っている結界は藍色で、他のものと比べて濃い色をしていた。
「こんなものかしらね」
髪をなびかせて、微笑む彼女の姿に思わず拍手をしてしまう。こちらに向き直った三崎さんは、手を差し出した。
「さあ、次はあなたの番よ」
俺は小さく頷き、杖を前に向けて神経を集中させる。確か俺の魔法適正は、風属性でBだった筈......そうなると、想像するならば、
「鎌鼬か」
そう呟き、魔力の流れを意識して鎌鼬が俺を包む光景を想像した。緑色の魔法陣が生成され、笛のように甲高い音を上げながら、強風が俺の周りを吹き始める。すぐに吹き終えた風の跡には、薄い緑色の結界が残っていた。
持続時間は短かったが、どうやら上手くいったらしい。隣では、三崎さんがもう今日何度目か分からない微笑みを浮かべている。
周りを見ると、既に半数を越える生徒が結界に覆われている。
「夜縫君、私達は今日のノルマを達成したことだし、有意義な情報交換でもしましょうか」
「ん? ああ、良いけど......俺は君の役に立つ程の情報なんて持っていないが」
「いや、貴方は持っている筈よ」
自信あり気な彼女の言葉に、俺は首を傾げる。魔法関連の情報は一般知識レベルしか無い。それ以外なら多少はあるが、役に立つとは思えない。
「そうね......例えば、『あの時神崎先生と何を話していたのか?』とかね」
まるで、彼氏が他の女と話していた所を偶然見てしまった彼女が、嫉妬して詳細を聞き出そうとしているようだ。実際はそんなことなど全く無く、三崎さんは笑顔を崩さない。
ここで、本当のことを話してしまっても何ら問題は無いだろう。彼女が、わざわざ誰かに告げ口をする筈が無い。
しかし、ここで馬鹿正直に真実を伝えるのは愚行だろう。
「じゃあ、君は何を話していたと思う?」
質問に質問で返すという横暴に、三崎さんは困惑した様子で眉を潜める。
俺は、彼女の質問に強烈な違和感を覚えていた。
あの時、俺と三崎さんは確かに会っていた。しかし、実際はすれ違ったというだけで、それ以上の何物でもない。
ならば普通は、『試験を受けずに帰った男』に興味を持ったとしても、「何を話していたのか」などというピンポイントな質問をぶつけないだろう。その前に、「何故帰ろうとしていたのか」もしくは「何をしていたのか」を聞く必要がある。
三崎さんは、明らかに、俺が神崎先生と別の何かを話していたことを知っている。もしくは、何を話していたのかをだ。彼女が何らかの手段を用いて神崎先生から聞き出したか......或いは、先生自身が自発的に話したかだろう。
まあ、後者ならば、俺は神崎先生に嵌められた形になる訳だが。
「まさか、そんな返しをされるとは思ってもいなかったわ」
彼女は依然として困った表情をしているが、その話し方は淡々としていた。さほど動揺はしていないらしい。
「......このまま白を切っても良かったのだけど、私がしたいのは『情報交換』だから、こちらから話させてもらうわ」
何か焦っているようにも見られる彼女の態度に、俺は少しだけ罪悪感を覚えた。怒ってはいないだろうが、苛立ちの感情が混ざっているのは確かだろう。
「まず、貴方も知っている神崎先生は私の姉よ。姓は違うけれど、同じ血が流れているわ」
衝撃の事実だが、思い出してみれば似てないことも無い......のだろうか。兎に角、彼女もこの状況で嘘は吐かないだろうから、別に疑問に思う必要は無い。本当ならば神崎先生の嫌がらせの対象は三崎さんだろう。妹も知人なのだから。
「だから、親戚間の事情ということで姉を脅迫して、企んでいる計画に関する情報を全て吐き出してもらったわ」
『いやいや、あなたってそういうキャラでしたっけ? もっとお淑やかで清楚なイメージがあったのですが』と言いたい所ではあるが、話を中断させると何をされるか分からないので、心の奥底に沈めておくことにした。
「この情報の真偽を確かめる為にも、貴方が神崎先生から受けた依頼について詳しく教えて欲しいわ。こちらも貴方の質問にはできるだけ答える所存よ」
「期待する程の情報は持っていないが」
「どうでもいいから早く知っていることを全て話しなさい」
苛立ちを隠せずに、口調が乱れ始めている。俺としては、何故そこまで焦っているのか聞きたいが、これ以上彼女を刺激したくない為、素直にありのままを話すことにした。
「簡潔にまとめると、帰れと言われた」
「......え? たったのそれだけ?」
「それだけだ」
三崎さんは口を開いたまま、呆然と立ち尽くしていた。最早、何も声に出ないといった様子である。
まあ、当然と言えば当然だろう。今までの話の経緯から察するに、彼女は俺から有益な情報を聞き出す為に俺に近付いた筈である。それなのに、入手した情報は何の役にも立たないものだったのだから、今までの苦労が全くの無駄に終わってしまう訳だ。
しかし、実際は『まだ知らない』というだけで、これから知る予定ではある。
「まあ、俺は今日中に神崎先生から説明させるつもりだ。他にも聞きたいことが山程あるからな」
特に、俺が三次試験をサボったという噂が流れている訳をだ。彼女が約束を守ればの話ではあるが......。
そうして話を一段落つけた所で、一時間目の授業の終わりを告げる鐘がグラウンド中に響き渡った。
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