第4話 街路樹の蝶の君

 巨大なクスの木に蝶の君はいた。

 等身大の紫の蝶に乗って、宙に浮いている。美しい整った顔立ちをしている。どこか物憂げな表情がぐっと魅力的に見えた。

 ぼくが近づくと、蝶はひらひらと地上のすぐ上を浮かぶように降りてきた。

「あなたが蝶の君か。ぼくは規格外だ。未完都市を抜け出してきた空想科学小説家志望だ」

「誰かしら。あなたに会う予定はないのだけど」

 蝶の君はじっとぼくを見つめて答えた。

 ぼくは、心臓がどきどきしてきた。もし、この美しい女性がぼくの読者だったら、どうしよう。

 ひょっとしたら、彼女はぼくの大ファンで、ぼくの魅力にまいってしまうかもしれない。これは素敵な出会いがあったものだと、ぼくは嬉しくなった。ぼくを唯一の読者に会わせようとしたのは、神名のりなのか、D5001なのか、悪魔アモンなのかはわからないけど、とても素敵なときめきをぼくは感じた。

 怖い。

 彼女から、ぼくの小説の感想を聞くのが怖い。

 面白いわけがないじゃないか。ぼくは自覚している。ぼくに管理コンピュータより面白い小説を書くことなどできなかったことを。どきどきと心臓が脈打つ。

 ぼくは、少しでも価値のある空想科学小説を書けただろうか。

「あの、ぼくは夢野修理っていうんだ。きみはぼくの空想科学小説を読んだことがあるかい? ひょっとして、ぼくのたった一人の読者は、きみではないのかい?」

 ぼくが勇気を振り絞って聞いてみると、蝶の君は、困ったように悲しげな目をした。

「あなたが夢野修理なのね。あなたのことは知っているわ。わたしは、管理コンピュータに抵抗する人たちを観察しているから。あなたのたった一人の読者も知っているわ」

 ぼくは、心が躍った。たった一人の読者に会える。それがこんな素敵な女性だったなんて、なんて運がいいんだ。ひょっとして、彼女はぼくの空想科学小説を読んで、管理コンピュータの作品より面白いことに驚いて、ぼくの、ぼくのことが好きなのかもしれない。

「きみがぼくのたった一人の読者ですか」

 蝶がひらひらと舞った。ぼくは慎重に答えを待つ。蝶の君はためらわない。蝶の君が答える。

「いいえ。あなたの読者はおっさんよ。おっさん。四十を超えたおじさんよ。デブでハゲかかっているわ」

 う。う、うわああん。悪魔アモンのバカ野郎。何が、蝶の君がぼくの読者かもしれないだよ。わかりもしないのに、適当なことをいうな。

 ああ、悪魔アモンは、わからないことをわからないまま処理するプログラムだった。

 短い夢だった。


「ぼくは未完都市を追放される規格外なんだ。もうおしまいだ」

 ぼくが悲嘆にくれていると、蝶の君が助言してくれた。

「あなたは魔王ベルフェゴールの力を借りるといいかもしれないわ。魔王ベルフェゴールはことばの悪魔よ。管理コンピュータと人をつなぐインターフェースであることばは完全ではないわ。ことばを伝達する時に、必ず意味のズレを生む。魔王ベルフェゴールはその意味のズレを補正するプログラムよ」

「魔王ベルフェゴールが管理コンピュータに勝つというのか? そんなことはありえないだろう。いったいどうやって、どうするんだ」

 蝶の君は、にこっと笑顔を見せた。

「あなたは、規格外として追放されることになっている。だけど、魔王ベルフェゴールは、管理コンピュータの規格更新に介入し、プログラム・ノアと戦うわ。もし、魔王ベルフェゴールが勝てば、未完都市はまったく姿の異なる異界になるわ。魔王ベルフェゴールの勝利を見届けなさい」

「管理コンピュータの規格更新を打ち破ったらどうなるんだ」

「未完都市そのものが消えてなくなるわ」

 な。そんなことになったら、世界の終わりみたいなものじゃないか。いったい何を考えているんだ、蝶の君は。

「未完都市が滅んでもいいの、蝶の君?」

「それはどうかしら。答えられないわね」

 蝶の君はきっぱりと質問を断ったので、ぼくはたじろいでしまった。

 ぼくにとっていちばん大事なことは、蝶の君がぼくに好意を寄せているかどうかだ。蝶の君はぼくのことをどう思っているだろうか。長いこと引きこもっていたから、女性はおろか、他人に会うのも珍しい。管理コンピュータ以外と話したことがあまりない。

 ぼくは、蝶の君という女性にどう思われるのだろうか。

「あなたには大事なことがあるわ。あなたの一番気にかけている大切な人がいったいあなたのことをどう思っているのかを確認しなければならないわ」

「な、なぜ、それがバレてたんですか」

 ぼくは蝶の君のことばに動揺する。蝶の君はぼくより遥かに世間慣れしていて、話し上手だ。

 彼女がぼくのことをどう思っているのか。

「あなたのいちばん大切な人」

「ええ、その人のことが気になっています」

 ぼくは答えた。蝶の君は返答する。

「それはおっさんね」

 あれ。なんで、そうなるんだろう。なぜ、ここでおっさんが。

「はあ」

 ぼくは生返事を返す。

「あなたはおっさんがあなたの小説を読んだその感想が聞きたいはずよ」

 それはそうだ。だが、それよりも、ぼくは蝶の君にどう思われているかを聞きたい。

「しかし、きみはぼくの心を完全には読めていないですよ。ぼくが気にかけているのはそんなことではないです」

「いいえ、あなたはおっさんのことで頭がいっぱいのはずよ。寝ても覚めてもおっさんのことを考えているのよ」

 そうなのだろうか。

 激しく疑問を感じるのだが。

「おっさんの居場所は、魔王ベルフェゴールが知っているわ。行きなさい、文字の城へ」

 蝶の君はそう告げると空高く飛びあがって行ってしまった。

 ああ、蝶の君。

 きみは、ぼくをどう思っていたんだ。

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