第3話高速揚陸艇

 東ティーモル第一次派遣隊の姿を見た。

 彼らの上陸風景を見て慄然とした思いに駆られた。

 何故、このように重要なことに自分が係わってきたのか理由も解らず、慄然としたのである。


 高揚陸艇が東ティモルの海岸に上陸する映像をインターネットで見た。高速揚陸艇とは要はホーバークラフトで海面や陸上を浮いて走行することも出来る船である。

 二十数名の隊員を乗せることができるはずである。おもに上陸作戦に使用されるはずである。これ以上、関心のある者は、朝雲新聞社が発刊する装備年鑑で概略のことを知ることが出来るはずである。

 五年前の平成十一年の夏のことである。

 山形の神町で勤務していた時ことである。

北海道で転地訓練が実施された。

 私は釧路港に民間の船で渡航して来る部隊の誘導などを実施する連絡員の役割を命ぜられていた。

 釧路港に上陸し、北海道に渡航して来る部隊を迎えるのである。

 無事に全員が上陸をはたした。

 その後は、この高速揚陸艇で帯広の砂浜で上陸訓練をすることになっていた。釧路港は、その時の緊急事態発生時の予備港として利用する段取りになっていた。

 釧路に来て以来、テレビで気象情報を確認することが毎日の日課となっていた。

 高速揚陸艇を使った上陸訓練が行われる二日前に気に掛かることが起きていた。

 寒冷前線の中心のヘソの部分が上陸訓練予定地付近に重なっているのである。

 冬ならこのような天気図の時は、遠く四国や九州まで大荒れする予報図であった。

 上陸訓練が終わるまで、釧路港に待機をしていた方が良いと考え、作戦所に連絡をした。

 「取り敢えず予定どおり帰って来い。その後、判断すると言う」と指示であった。

 権限のある者の指示だと思った。

 ところが作戦所に帰ると、自分の抱いた印象とは全く異なる状況になっていた。

 そこに控える多くの者たちの考えは、避難港の準備は必要ないということだった。

 一ランク上の上司に直訴しようかとも考えた。だが高速揚陸艇の性能を承知している訳ではない。天気の荒れ具合を具体的に言える訳ではない。作戦所には天気図を専門的に分析する者もいる。彼の意見は天気は荒れないと言う判断だった。自分の判断に迷いが生じた。

 それにしても納得できない出来事だった。

 大事を取るべきではないだろうか。だが周囲は誰も不安を感じている様子はない。

 一夜、開けた。

 訓練を実施する予定の海岸の波は静かで予定どおり高速揚陸艇を使っての訓練を開始するということであった。

 訓練を開始して、しばらくした頃である。帯広から離れた演習場でも天気が急変した頃である。

 波が強くなったと作戦所に連絡が入ってきたのである。

 それでも何とか無事に上陸訓練は進行しているようだった。

 とにかく無事を祈るしかない。

 午後四時を過ぎた頃である。

 上陸訓練の最後の便の時である。

 二十名の近い隊員を乗せた高速揚陸艇が故障してしまった。そして母船と海岸の中間付近で動かなくなり、立往生してしまったというのである。浪はかなり荒くなっていた。

 夏とは言え、雲が低く垂れ下がっているせいで薄暗くなりかけていた。

 このような緊急の事態に備えて、釧路港に高速揚陸艇を曳航し、港で隊員を回収するための避難港を定めていた。そして、その際の連絡調整の役を担うのが、自分の役目だったはずである。ところが釧路で待機をしているはずの私は釧路には残らず作戦所に戻っていた。

 作戦所に戻っても、釧路港への再配置を強く主張したはずである。

 釧路に待機しておれば支援を調整し、入港準備等の処置ができた筈であった。

 「上司に電話をしようか」と確認した時、それまで調整をしていた相手は首を横に振ったが、明確な返事を避けていたのを思い出した。すべて彼を通じて連絡をされていると思ったが、間違っていたようである。

 その時は、彼の態度にすでに話している。今更、上司に話しても無駄だと理解したのである。

 自分を作戦所に呼び戻す指示を出した者が存在したと信じていたが、それもあやふやなことに気付いた。

 プレハブ造りの薄い床を踏み、後悔した。

 その後、釈然としない気持ちで昨夜一晩を過ごしたのである。

 暗くなっても、事態は好転しなかった。

 海の風と雨が止まないと言う。

 「何か欲しい物はないか」という無線での問い掛けに対し、「何も要らないから替わってくれ」と船内から返答があったと言う話が伝わった。

 碇も効かず陸上の戦車を碇代わりに使っていると言う。

 海岸でかがり火を焚き、天気の回復を見守っているということだった。

 悪いことしか思い付かなかった。

 まるでかがり火が盆の迎え火のように脳裏に焼き付いた。考えつくあらゆる手段を尽くしてのことであろう。

 風と雨の中で、思い責任を背負い立ち尽くす老将軍の姿を思い浮かべた。

 厳しいが冷酷な人ではない。

 理由はどうであれ、釧路から撤去した自分は彼の退路を断ち、彼の選択の余地を奪ってしまったのである。

 撤去した自分を責めるべきか、自分を引き戻した作戦所の者たちを責めるべきか。判然としない気持ちを抱きながら、プレハブの薄い床を踏みしめながら、船に取り残されたまま荒波に弄ばれる者たちの無事を祈るしかなかった。

 打つ手もなく、時間だけが過ぎていくようである。嵐が静まるのを待つしかないように思えた。

 十時を過ぎた頃に全員が救助されたと言う報が届いた。

 周囲の者が私の顔色を伺うように思えたのは、錯覚だったろうか。

 釧路に連絡員を配置すべきだと主張し続けた私が、この災難を喜んでいたととでも疑っているように思えた。

 万が一のことが起きた場合の重要性さえ認識していないように思えた。


 とにかく、あの時、万が一のことが起きていたら、この高速揚陸艇も忌まわしい物として封印されていたに違いない。

 あの八甲田山の雪中に消えた兵士たちの物語のように歴史に残ったやも知れない。

 後日、自分の意見が上司に伝えられなかった理由を知った時、がくぜんとした。

 車が一台不足していたと言うのである。そのために引き上げざる得なかったと言うのである。ことの軽重が同じテーブルで話し合われた形跡はなかった。

 そのように説明されても釈然としない気がした。

 ほかに理由があったような気がしたのである。

 その一年後、九州に帰り、Tの姿を見た時、閃きを感じた。

 北海道で、このホバークラフトの遭難事案に巻き込まれかけていた時期は、遠く離れた九州の地でTが昇任した時期に重なっていたのである。


 Nに着任して、一年も経ない六月のことである。

 その頃である。

 「今度は一体、何をしたのですか」と言う福岡の勤務地からの突然の電話に始まった。

 福岡でも不始末をした覚えはない。

 彼は私が心を許し、信頼していた部下であった。一番の理解者でもあり、頼りにしていた男であった。彼がいなければ仕事は頓挫していたに違いない。

 悪意から、このような電話を寄越すはずはない。

 「何かあったのか」

 素直な気持ちだった。

 何が起きたのか理解できなかった。

 「何をのんびりし構えているのですか。こちらでは大変な噂になっている。一年も経たない内に、大きなヘマをやらかしたにちがいないと。だから転属だと。一体、何をしたんですか」

 大騒ぎしそうな連中の顔が目に浮かんだ。

 阿保の三馬鹿トリオである。

 咄嗟の思い付きで柵の中からと言う小説が掲載されることになったせいではないかと言い繕った。

 「どうして知った」

 転属の話は自分自身も知らなかった。

 「松岡から電話があった。彼の後任にどうかと調整が入っている」と。

 松岡という男は、前の勤務地での私の前任者であった。彼も信用できる男であった。

 「でも福岡に近くなりますね。歓迎しますよ」と彼は話題を変えた。

 自分の転属の話を始めて知った。

 すべて寝耳に水の話だった。半信半疑のまま耳を傾けていた。どのような経緯で、そのような調整がなされているのか不満が募った。

 事実かどうか確かめる必要がある。

 落ち着かず、熟睡できない日が続いた。

 もしこの話が事実なら、前任地で騒ぎになっているのは事実であろう。

 しばらくして松岡に電話をした。

 「そんな話はありました」と彼は応えた。

 「上級司令部から、そのようなリストが届いて調整があったようです。でも人事の担当者が今日、方面に行って断る筈ですよ。理由は仕事の内容から、こちらで勤務している者の方がいいだろうと言うことです。いきなり来た者が着いたら苦労するだろうと言うことです」

 彼は感情を交えず、淡々と応えた。その後で何があったのかと聞いた。

 「思い当たることはないのです。普通、同じ仕事を二年間は続けることができると思いますよね。仕事もうまく行っているはずです。周囲にトラブルも起きていないはずである。それにしても、本人の意思や都合も聞かずに、いきなり、そんなリストが回すものですかね」

 「そちらから上申をしなければ、普通はそんなことはないでしょうね」

 「自分がここに着任する一年前に、ある隊員が自殺する事件が起きていたのですが、前の隊長の指導が原因だと噂が立っているのです。ところが、その人が今年の四月にある町の町長に当選した。そんなことも関係するのですかね」

 今でも、その男がやって来ると蜘蛛の巣を散らすように、ほとんど者が姿を消す。

 彼の当選を喜んだ者は自分の知るかぎり一名しかいない。

 彼が当選した時、彼だけは両手を上げて喜んでいた。

 「三分の二の票を集めて、圧倒的多数で当選ですよ」と。

 しかし、他には誰も喜んでいる様子はなかった。

 平成の大合併を控えた地域での立候補で買ったのであるがが、。彼が掲げた公約があまりにも自分勝手な者に思えたのである。

 一 合併に際しては新しい町の中心を自  分の町に誘致する。

 二 町の商店街の隆盛を図る。

 三 老人を大切にする。

 対抗する元町長は、これまでの合併事業に関する実績を訴えているようだった。

 離れていても耳に入る激しい選挙戦を繰り広げていた。

 この町の三分の二の住民が、この公約に賭けて彼に投票したのである。

 彼と同郷の隊員が心配して漏らした言葉が、すべての危惧を集約していた。

 「困った。周辺の町の者が、今後、自分の町の住民をどのように思うだろうか」と。

 町長としてうまく行けば、自分にも影響があるかも知れない。うまく行かねば自衛隊出身者の評判を落とすことになる。悩ましい問題に発展せねばいいがといいがと危惧していた。それだけではない筈である。丁度、有明海の対岸の漁民たちが埋め立てが海苔養殖に致命的な影響を及ぼしていると、水門を解放し有明海への影響を探るための再調査を求めている係争の地域でもあった。

 当選した直後、「ますます威張って来るぞ。今度は町長様だ。相手候補の評判が、よっぽど悪かったに違いない」と陰口を叩く者もいた。

 彼と会ったはNに来て二ヶ月ほど経った頃である。記念行事の席だった。世間並みの社交辞令かと思った。彼に敬意を表して、酒を注ぎに行った。

 その時である。

 「何処に行っても、いつまでも有名人だな。いい加減なことをしたら制服を脱がせてやる」と彼は面と向かって私に言った。

 彼の言葉に目眩を感じるほどの衝撃を受けた。そのようなことを言われる筋はない。

 彼に敵意を抱いたこともなかった。

 耳を疑い、もう一度、確認した。

 その時、福岡での騒動の一因が彼にあったのではないかと直感した。

 福岡市の勤務地に着任したのは一年前の八月のことであるが、この勤務地で自殺者が出たのは七月の末にちかい頃だったはずである。自分が九州に帰る数日前のことである。

 その三ヶ月後に、彼は昇任をして退職をしているが、後始末に随分時間を要したようである。

 彼が昇任し、退職したのは十一月のはずである。

 禿鷹が福岡市に務める自分の身内を頼もうと言い出した時期に一致するが、その時期に、彼は、今回の統一選挙で町長になった男を知っているかと確認をしてきたのである。

 特段気にも掛けず知っていると応えた。

 部下の自殺と彼の関係を示す疑いが晴れるのを待っていたのであろう。そしてそれが晴れて彼が昇任をするのを待っていたのである。

 先述したとおり、その時期を境に禿鷹は敵意を露わにし業務の妨害行為を始めたのである。

 政治に関心を抱いている訳ではないが、否応なし巻き込まれているのではなかろうか。

 自殺をした彼の部下に対し、彼が直前に、どのようなことを怒鳴ったのか、扉の向側の話を知る由はない。ただ、その時を知る周囲の者の話では、洩れ聞こえる怒鳴り声は特に激しかったと言う。これまでも自制を失った行為は数多くあった。その被害に遭った者は彼一人でない。そのたびに多くの者は戸惑い、彼から遠ざかっていったようである。

 すでに彼が定年後に出身地の町長を狙っているという野望は周囲に知れ渡っていた。彼が職を離れる直前に自殺している。自殺をした男はその野望に水をさそうとしたのではなかろうか。

 憮然と立ち尽くす自分の前に、その時、ある男が私に駆け寄ってきた。そして庇うように遠ざけながら言った。

 「死ぬな。君が生きておれば誰も死なずに済む」と言い残すと、彼は逃げるように去って行った。彼も、その男の昔の部下であり、彼の次級者でもあった。

 この時、言葉で私は自殺をした男は彼に追い詰められたのだと言う噂を他の者と同様に信じるようになった。

 彼には二度と近づくまいと思った。そして、小説の整理を始めたのである。

 自殺に追い込んだと言う男に特別昇任と言う処遇を上申するかどうかも揉めたらしい。

 その時、彼の直下の部下が書類を作成し、昇任を上申したと言うのである。その上申書を起案した男が圧力に屈したことを反省し、仕方がなかったと呟くのを耳にしたことがある。

 一年前の出来事であるが、よく新たなる事件が起きず、無事で過ごせなと言うのが素直な印象だった。頑張ったなと心から褒めてやりたかった。

 彼は町長に立候補する前の一年間を県内の有数の食料品会社に籍を置いていた。そして立候補に際し、支援を得ていたことも噂を耳にした。見返りなしで支援をするとは思えない。投資した資金を回収のためのしわ寄せを受けるのは避ける必要があった。

 隊員に食事を供給する立場である。とにかく自分たちの仕事を全うするしかないのである。


 福岡の前任地からの知らせは無視は出来なかった。自分を支援し信頼してくれた隊員を窮地に追い込むことにもなりかねない。

 翌週の月曜日に出かけた。

 堅く固まっている雰囲気だった。

 防衛庁の情報公開で組織ぐるみで個人情報を記載したリストを作り、閲覧をしていたと言うニュースのせいだろうか。

 「今日は何ですか」

 自分がこの勤務地を立ち去る際に、「やっと出ていくのか」と豪語した男である。

 彼とは、それ以前も二、三度の衝突があった。

 丁度、一月の冬の連休間の当直で帰省先から風邪を抱えて帰って来た時のことである。微熱と悪寒を感じ、厚着のコートを脱ぐのをためらっていた私を見咎めて吐いた言葉である。

 こんな粗末でがさつな男が大手を振っているようでは何をしているか疑われても仕様がないと感じた。阿保の三馬鹿トリオと揶揄していた連中に近い一人であった。

 「追い出してやる」と露骨に言っていた。

 彼の上目遣いの目付きは卑屈であった。

 「庁舎を見に来ただけだ」と冷たくあしらった。

 雌鳥は、周囲の口を塞ぐように奇妙な気勢を上げている。周囲の者は苦笑している。

 自らの保身のために口止めなどと言う姑息なことをしても、後味の悪い傷は残る。

 禿鷹は言葉の一つも出ない。

 頑なな奇妙な雰囲気は彼らが今回の人事に関わったことを疑わせた。


 「勝手な詮索や憶測が飛び交っているのでないか」と言う質問した。

 「済んでしまったことです。厭なことは忘れましょう」と彼は言った。

 「勝手に喧嘩を仕掛けきて、都合が悪くなったから一方的に止めようと言っても、それでは済ませることができない」とひそかに呟いていた。


 人事の担当者を問い詰めていた。先の四月の統一地方選で、ある男が町長に当選した時に両手を上げて喜んだ唯一の男である。

 「どういうつもりだ。個人の都合や仕事の都合を聞いた上で転属の調整をするものではないのか」

 彼が起案をしたに違いない。そして私の名前が不用品として引取先を探すリストに掲載をされたのである。

 彼が私のポストを狙い私を追い出し、その後釜に座ろうと考えて謀略を巡らしたと言う噂も広がっていた。

 彼は福岡に電話をしているはずである。三月にNの勤務地から福岡に一名、転属することになっていた。二月、三月と言えば、福岡では完成した新庁舎への引っ越しで大変な時期に重なってたはずである。自分には関係ない出来事であるはずだった。自分は不用品としてリストに掲載するように働き掛けたのは自分以外の周囲の者たちであった。私を恨みをに思うなど、とんでもない逆恨みである。


 「今回は黙っておく訳にいかないぞ」と私は宣言をした。

 異和感を感じた。

 彼との意見の相違が決定的になったのは二月の始め頃だった。八月の定期異動で部隊から放出する者を上申をする時期と重なっている。糖尿病で食事療法している隊員を調理現場の事務所に配置することで口論になったのである。

 糖尿病で食事療法をしている者を事務とは言え、事務室に配置することに対する苦情に対してである。

 彼は誰が来たって同じだと無責任なことを言った。

 「本人も希望している」

 誰が来たって同じだと言う彼の発言は担当者として職務放棄をする言葉としか思えなかった。

 一人一人が職務遂行する上で重要な立場であることを理解しているようには見えなかった。

 七年近く吸うのを止めていた煙草を吸い始めるようになった。

 あれから四ヶ月が過ぎていた。

 二ヶ月後の八月には、さらし者のように台上に引き上げられるのである。転属が噂されるようになって慌ただしく身辺の整理を始めた。

 「今回は口を閉ざして耐えるつもりはない」と心の中で念じ続けた。

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