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それからは、休み時間も登下校も、順次と純は二人で並んで歩いていた。何が楽しいのか、たえずさざめくように笑いあっていて、まぁ、順次が報われたようなので良かったと淳は思う。
なぜあの短歌であったのか、分からないままなのが、少しだけトゲになって指先に残るようだったけれど。それもそのうち消えてしまう、軽い類のものだった。
ときおり、順次と純が家の近くを通り抜ける。一度家を通り過ぎ、純を送ってから引き返してくる律儀な順次とは、スーパーの夕方タイムセールに行かされたときに出くわした。
荷物は半分持ってもらって、ぼんやりと帰る。
順次は、小テストと純の話をする。部活の話、友達に借りた漫画の話。最近見た動画の話。純と、映画を観に行く話。
へえ、とか、ふうん、とか、良かったなとか、よその庭木の枝先を眺めながら相槌を打つ。
家に帰ると、自分の部屋で一人、ぽつぽつと、気になる短歌や俳句をノートの端に記録する。
乾いた俳句の音、肌に触れるような短歌の音。
部活で同級生たちに、地元の句会はどうか、とか、他校では句の選手権とかに出場しているらしいが交流試合とかやってはどうかとか、楽しげに誘われたけれど、気を遣わなくていいからとすべて断った。まだ、自分で、ぼんやりと親しんでみたかった。……自分が感じていることが的はずれだとか、そういうことを指摘されたらがっかりするかもしれないし。
がっかり?
淳は机に伏せたまま目を閉じる。うっかり眠ってしまい、深夜に起きて、水を飲んでいたら順次に出くわした。台所、低い声でぼそぼそと話をする。
近いようで遠い、お互いに敵ではないことを表明する会話、会話、会話。
その日は母親が、買い出しを淳に頼んできた。いつもより重たいものが多い。順次と二人で運ばないと難しそうだった。学校に着いてから指示を受けたので、やむなく順次に連絡を入れる。こまめな順次は、すぐにOKの返信を投げてきた。部活はそろそろある中間テストに向けて休みに入る。放課後に教室で待ち合わせた。
授業の後、教師に資料移動の手伝いをさせられて、少し遅くなってしまった。
敦はできるだけ走らないよう、けれどできるだけ急いで、順次のいる教室に向かう。
教室たちには数人の居残りがいて、女子も男子も、楽しげに喋っていた。中間テストに向けて単語帳をめくる奴はほとんどいない。
最後の教室に、順次がいた。机で突っ伏して寝ているようだ。
「悪い、遅くなっ、」
掛けようとした声が、途中で止まる。
順次の近く、女子が一人、順次のほうを向いて座っていた。
黒髪、振り向いた目が、まっすぐに敦を貫いた。
「あぁ、君が、敦くん」
「……順次の彼女さん、ですよね」
「純。順次くんから、ときどき聞いてるよ。俳句が好きな、家の手伝いとかもちゃんとする、しっかりした従兄弟くん」
あいつそんなこと言ったのか。
敦が無意識に眉間に力を入れていたのだろう、純が自分の眉間を指さして、そんな顔しないでよと微笑んだ。
「順次くん、敦くんのこと大事なんだよ」
「何かそれ変な感じがするんですけど」
「殴り合いの喧嘩とか、したことないでしょ? うちは兄がいるけど、ほんと加減しないから、ジャムの残りをどっちが多くパンに塗るかどうかですごくもめる。順次くんも敦くんも、そんなことしないんでしょ」
「そこまで激しいことはないですね」
ふうん、と、知ったように純が頷く。
「ねえ座ったら? 順次くん、私が迎えに来たときもう寝てたの。これだともうしばらく起きないんじゃないかな。朝練とかで意外と疲れてるんだと思う」
「順次が?」
順次は、すーすーと、静かに息を繰り返している。あれだけ大声で、あれだけ元気よく自転車を漕いで出かけ、部活に出て彼女と遊んで帰ってくる、力のあふれた順次が、疲れる?
「……まぁそうかも、しれませんね。俺んちに泊まってるけど、やっぱ、従兄弟んちでも、気は遣うんだろうな」
「他人行儀なんだね」
他人行儀?
何について言われたのか、分からなくて、敦は黙る。
しばらくの間、日差しが机を焼くだけで、何の変化も起こらなかった。
「ねぇ。音楽の方が、好きなんじゃないの? 部活とかじゃやらないんだ?」
淳のヘッドフォンを見やって、純が言った。
「俺、音感ないんで」
取り繕うのも面倒で、淳は音楽の成績を口に出す。純が目を丸くする。化粧気の少なく見える横顔だった。あれには手間がかかっているのだ……母親が放り出していた女性雑誌の表紙の文言から推測して、敦は理解している。
純が続ける。
「音楽、好きなのに?」
さすがに、無音のヘッドフォンをつけているとは言い出しづらい。音楽を聴いているていで答えを探す。
楽しいだけで部活を続けてる人もいるけれど、自分は、聞くのはそこそこ普通に楽しくても、それ以外の、何かしらの、理由がなかった。
音楽をやる理由がない。やらない理由ならたくさんあるのに。
ふうん、と彼女は指先で机をなぞる。
「俳句の、何がよかったの?」
「女々しくないから」
「音楽や短歌は女々しい?」
「うーん……」
傾いた日差しが、ゆっくりと教室の壁をなぞる。
順次は起きない。
ぼんやりとした順次の寝顔を見ていると、別に、黙っていなくてもいいような気がしてきた。
「俳句は、さ。中学校の教科書で見たんだけど。古池や蛙飛びこむ水の音。カエルが池に飛びこむだけなんだけど、それから池を見ると思い出す。耳の底に残ってるっていうか。あぁ、ほんとだなぁって思ったりする」
風景の、あれにも、これにも。かすかな旋律が残っている。
そんな気がする。
純がぽつりと声を落とした。
「そうなんだ……君ならよかったのに」
「え?」
「私が短歌を好きなのはね、耳に残るから。俳句より、胸の底をうがつ気がする。逢ひ見てののちの心にくらぶれば……」
言葉の選び方が、幾分奔放で、敦の思考がふわふわする。何を言われているのか、どう尋ねたら理解できるだろうか。
「あの……」
話そうとした敦から視線を振り切って、純は、机に伏せたままの彼氏の肩を叩いた。
「ねえ起きてよ、帰ろ!」
順次を揺さぶって、彼女は起こす。
絶対、起きてるし聞かれてる。敦はそう思うのに、順次は眠たそうに伸びをして、あれっ淳も来てたのか、と大きな声を出した。
逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
「参ったな……」
教科書に載った百人一首を、芯を出さないペン先でなぞる。純はあの後も、ときどき短歌を口に出して、順次と敦を翻弄した。
そのどれもが恋歌ばかりで、敦の、自分の知っている景色とは重ならない。
ペン先の銀色に、小さく、小さく、自分が映り込む。
眉根に皺を寄せた顔。
肺から息を吐き出して、机に突っ伏した。
何でこんなに、面倒くさいことばかりあるのだろう。
俺が適当だからか。順次が大らかすぎるのか。彼女が、少し変なんだろうか。
一人で考えるには、限界があった。
でも、順次に言うのも変な気がする。
部活は居心地がいいけれど、こんなことを相談するのは気がひける。
従兄弟の彼女が短歌で話しかけてくるとか。
「まぁ、いいか」
別に、敦は、純と無理に会話する必要はないのだ。彼女は順次の彼女であって、たまたま順次の従兄弟である敦に、日常会話を投げているだけ。
それで、いい。
俳句や短歌、詩の抜き書きの中から、純の呟いた短歌を消しゴムで消した。
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