逆襲

 僕には過ぎた存在の岩尾希さんとのデートから数日後の事。

「今日はどうしても行かなければならない所があるので、ここで失礼します!」

 悲しそうな顔をして僕に深々と頭を下げ、希さんはプリーツスカートをヒラヒラさせて駆け去った。ついジッと彼女の奇麗な脚を見てしまったのだが、人の心の声を聞き取れる希さんに知られるとまずいと思い、目を背けて歩き出した。どうしても行かなければならない所ってどこだろう? いつもの彼女なら、

「一緒に行きましょう!」

 そう主張して僕を無理矢理にでも行かせようとするのだが、今日はそんな素振りは全く見せなかった。そうなると、逆に気になってしまう。本当にどこに行ったのだろう? あれこれ推測しようとしたその時だった。

「久しぶりだな、小俣」

 背後で声が聞こえた。この声は? 誰だっけ? そう思ってしまいそうなくらいしばらくぶりに聞く声だ。僕は項垂れそうになるのを堪え、声の主を見た。

「何だよ、その顔は? 俺がしばらく不登校になったのはお前のせいなんだからな。その礼はたっぷりさせてもらうぞ」

 そう言って僕を睨みつけたのは、転校した日から長い間僕を虐めていた連中の影のボス的存在であった町田昇だ。不登校になる前に比べて、太ったのだろうか? 顔がふっくらした気がする。そして、あの時彼の取り巻きとして存在していた向日木薫や倉持仁、そして三木嘉隆の姿はない。町田一人だ。何となく悲哀を感じてしまうのは失礼だろうか?

「僕は君に何もしていないよ。言いがかりはやめてくれよ」

 僕は町田を睨み返して言った。町田はまさか僕が反論するとは思わなかったのか、目を見開いて驚いている。

「よくもそんな事が言えたな、小俣? お前なんか、ゲロ吐きの意気地なしのくせに!」

 町田は弛んだほっぺたをプルプルと震わせて怒りを露にした。でも、全然迫力がないので、怖くない。

「君こそ、取り巻きがいないのにまだそんな事を言って僕に絡むつもり?」

 その言葉に町田の顔色が変わった。怒りの感情が消え、目が潤んで来ている。

「う、うるせえ!」

 彼は捨て台詞のように叫ぶと、僕を押し退けて、下校時だというのに学校への坂道を駆け上がって行った。

「鬱陶しいなあ……」

 僕は溜息を吐き、町田とは逆方向に歩き出した。でも、ずっと学校に来ていなかった町田が、何故今日になって姿を見せたのだろう? 理由があるのだろうか? また向日木達を束ねて僕を虐めるつもりなのだろうか? 

「小俣君、大丈夫?」

 通りかかったクラスメートの男子が声をかけてくれた。僕は微笑んで、

「大丈夫。もう負けないから」

 心の底からそう思って言った。向日木達は町田が不登校の間、僕に近づく事すらなかった。連中も、一年前に虐めが原因で自殺した後藤学君が町田に取り憑いてその顔を自分の顔に変えてしまったのを目撃している。それが切っ掛けで向日木達は僕を恐れるようになり、連中の方が逃げるようになったくらいだから、町田がいくら呼びかけても彼らは言う事を聞かないだろう。それにしても、町田の執念深さにはびっくりした。何を考えているのだろうか?


 家に着く寸前、携帯がなった。この着メロは希さんだ。僕は何だろうと思って携帯を取り出した。

「先輩、今日はごめんなさい。また今晩お邪魔していいですか?」

 希さんはいきなりそんな事を言い出した。

「それは構わないけど、今度は玄関から入って来てね」

 この前みたいに浴槽に突然出現されると心臓に悪いからね。希さんはクスクス笑って、

「はい。今度はちゃんと玄関から服を着たままで入りますよ」

 その返しに僕は赤面してしまった。周囲を見回し、慌てて玄関に駆け込む。

「お帰り」

 ちょうど玄関にいた母が僕の慌てた様子を見て笑いながら言った。僕は母に目だけで合図すると靴を脱ぎ、そのまま階段を駆け上がった。

「今日は兄に会いに行っていたんです。あ、兄って言っても、本当の兄の方ですよ。それで、今日はどうしても外せない日だったので……。だから許してください、先輩」

「許すも許さないも、僕はそこまで希さんを束縛するつもりはないから、謝らなくてもいいよ」

 大袈裟だなと思いながら、僕は苦笑いして応じた。

「優しいんですね、先輩って。だから大好き!」

 また顔が火照って来る。彼女、感情の起伏が激しいから大変だ。

「もう先輩のお宅のすぐそばまで来てますから、あと五分くらいで着けます」

 テンション高めの声で希さんが告げた。

「わかった。待ってるから」

「はい!」

 通話を終え、僕はスウェットの上下に着替えると階下に降りて、母に希さんが来る事を告げた。


 希さんは本当に五分後に来た。正確無比とはこの事だろう。彼女は右手にケーキの詰め合わせの箱を携えていた。僕と違って気が利くのだ。ああ、自己嫌悪に陥りそうだ。

 希さんは居間で母を交えて歓談した後、僕の部屋には行かずに帰る事になった。

「先輩」

 玄関の門扉まで出た時、希さんが真顔で振り返った。僕はその眼差しにビクッとしてしまった。

「な、何?」

「明日、ちょっと問題が起こりますけど、絶対に私が先輩を守りますから、心配しないでください」

 希さんはそれだけ言うと、スッと消えてしまった。テレポートしたのだ。でも希さん、そんな言われた方されると、気になって眠れなくなりそうだよ……。

 

 眠い。

 昨夜の心配通り、僕は希さんが残した謎の言葉が気になり、あまり眠れなかった。うつらうつらした頃には窓の外で戯れる雀の声が聞こえて来ていた。

「どうしたの、目が真っ赤よ?」

 母が尋ねたが、

「ちょっと寝るのが遅かったんだよ」

 ほとんど寝ていないとは言えずに誤魔化し、素早く朝食をすませ、身支度をして家を出た。まだ朝だというのに日差しをきつく感じてしまう。

「おはようございます、先輩」

 希さんがいつも通りのテンションで現れた。僕は彼女の可愛い声すら辛いほどだ。

「どうしたんですか、先輩? 何だか顔色が悪いですけど?」

 希さんが俯いた僕の顔を覗き込む。彼女に隠し事はできない。

「眠れなかったんですか?」

 何故か申し訳なさそうに僕を見ている。

「私が昨日余計な事を言ったせいですね。ごめんなさい」

 希さんはすぐに全てを理解して頭を下げた。

「希さんのせいじゃないよ。僕が気にし過ぎなんだ」

「ありがとうございます、先輩」

 恥ずかしい事に、僕は学校まで希さんに手を貸してもらって歩いた。同級生や先生方に見られ、顔から火が出そうだったけど、自分が悪いのだから仕方がない。


「大丈夫ですか、先輩?」

 玄関が違う希さんは下駄箱に寄りかかって立つ僕を心配そうに見ていたが、

「もう大丈夫だよ。ありがとう、希さん」

「何かあったらすぐに駆けつけますから」

 希さんは悲しそうな目でそう言い残すと、スカートをヒラヒラさせて走り去った。何かあったら? どういう意味?

「朝からお熱いな、ゲロ男」

 その時また町田の声が聞こえた。しつこい奴だ。僕は更に頭痛がしそうになるのを堪えて奴を見た。

「お前なんか、屋上でゲロ吐いてるのがお似合いなんだよ」

 町田はいきなり僕を突き飛ばして来た。

「わ!」

 僕はもたれかかっていた下駄箱からずり落ちるようにコンクリートの床に倒れてしまった。寝不足でなければこんな事にはならない。周囲にクラスメートが集まって来たので、町田は舌打ちして駆け去った。

「大丈夫か?」

 驚いた事に向日木が助け起こしてくれたので、僕は目を見開いてしまった。

「あいつとはもう縁を切ったんだ。だから、仲間だとか思わないでくれよな」

 向日木は不安そうな顔でそう言い、そばにいた倉持と三木に目配せすると廊下を歩いて行く。結局、町田は誰も味方にできなかったようだ。

「ありがとう……」

 僕は向日木達に礼を言った。すると彼らはホッとした顔で振り返り、また歩き出した。


 その後、町田は姿を現さず、授業は終わった。僕は休み時間に小刻みに仮眠を取り、午後には随分身体が楽になっていた。

「先輩!」

 いつものように希さんがお弁当箱を持って昼食のお誘いに来る。もうあまりにも見慣れた光景なので、誰もからかったりしなくなった。僕は希さんと共に屋上へ行った。

「待ってたよ、ゲロ男」

 しかし、今日は楽しいランチタイムとはいきそうもない状況になった。町田が金属バットを担いで待ち構えていたのだ。

「いつもここでその姉ちゃんとイチャイチャしてるのは調査済みさ、ゲロ男。その姉ちゃんの弁当を食うのは俺だ。お前はコンクリートでも舐めてな!」

 町田がいきなりバットを振り上げて殴りかかって来た。僕は咄嗟に希さんを庇うように抱きしめた。

「え?」

 ところがいつになってもバットは僕の身体に当たらなかった。どういうことだと思って振り返ると、自分の手を見つめて震えている町田の姿があった。奴は何も持っていなかった。

「しつこい男ね! いい加減にしないともっと怖い事が起こるわよ!」

 希さんが僕を押し退けるようにして町田に怒鳴った。彼女を見ると、町田の金属バットを持っていた。えええ? どういう事? あ、そうか、希さんが超能力で奴からバットを奪い取ったんだ。

「ひ、ひ、ひィ!」

 町田は顔を引きつらせて尻餅を突いた。町田の前にまた後藤学君の霊が現れたのだ。僕も仰天した。

「虐めは許さない。一生を懸けてその罪をあがないなさい!」

 希さんの迫力満点の顔と声に僕もビビッてしまった。町田は恐怖のあまりそのまま失神し、おまけに失禁もしてしまった。

「あれ?」

 町田から視線を移すと後藤君の霊はいなくなっていた。そして僕はある仮定に行き着いた。

「希さん、これは一体……?」

 希さんはまた悲しそうな顔になった。そしてゆっくりと口を開く。

「先輩の想像通りです。後藤学は私の実の兄で、私は町田に復讐するためにこの学校に入学しました」

 想像した通りだったとは言え、衝撃的だ。僕はカラカラに渇いた口を只パクパクさせるのが精一杯だった。

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