幻想

 妙な切っ掛けで付き合うようになった一年生の美少女、岩尾希さん。今、彼女と屋上で弁当を食べ終え、希さんがお兄さんの事を語りだしたところだ。僕は思わず飲み込みそうになった唾を我慢して希さんをじっと見た。

「私があの兄を受け入れられないのには別の理由があるんです」

 希さんの意味深長な言葉に僕は恥ずかしいくらい興味津々の顔をしていたかも知れない。実の兄妹ではないと聞かされたせいだろう。いけない妄想をするのを抑制するのが難しい。悲しそうな顔で目を伏せていた希さんが不意に僕を見つめ返した。思わずその吸い込まれそうな美しい瞳に赤面し、今度は僕が俯いてしまう。

「実は、兄はこの世界の住人ではないのです」

 希さんが突拍子もない事を言ったので、僕はえっと思って彼女を見た。間近に希さんの怖いくらいに可愛い顔があったので、また顔が火照って来る。もしかして彼女はふざけているのだろうか? そうも思ったのだが、その目はいささかの揺るぎもなく僕を見ている。冗談のつもりにしても、あまりに真っ直ぐな視線だ。僕の方が耐えられなくなりそうである。

「先輩、私の話を信じていませんね?」

 希さんは半目になってそう言った。僕は心臓が口から飛び出そうなくらい動揺してしまう。

「あ、いや、そんなつもりは全然……」

 大袈裟に身振り手振りを交えて言い訳をしようとしたが、希さんはクスッと笑って、

「慌てないでくださいよ、先輩。私、別に先輩を責めている訳ではないので」

 その笑顔が可愛くて、鼻の下を伸ばしてしまった気がする。もう少しで確かめそうになった。

「信じられないのが当たり前ですよ。そんな話、小説や映画の中にしかあり得ないはずですもの」

 希さんの笑顔が少し自虐的に見えたのは僕の思い過ごしだろうか?

「兄は私達の世界とは別の時空に存在する地球の住人なんです。そこには私も存在していて、兄と本当の兄妹として生活しているそうです」

 希さんの話は僕の許容量を超えて来た。これ以上話について行く自信がなくなって来る。所謂いわゆる、もう一つの地球というSFにありがちな話だ。僕は意を決して質問してみる。

「お兄さんはどうやってそこから来たの?」

 すると希さんは大真面目な顔のままで、

「魔法を使って来たそうです」

 あれ? 魔法? SF設定じゃないの? そっち系の話?

「兄はその世界では上級魔法使いで、一般的な魔法使いにはできない転移の魔法を使えるのだそうです」

 希さんのファンタジックな話は続く。

「兄は私の両親を魔法で洗脳して、自分を本当の息子と信じ込ませています。そして私に結婚して欲しいと迫って来ているのです」

「えええ!?」

 あまりのど真ん中展開に僕は大声を出してしまった。誰もいない屋上だから、何のリアクションもない。希さんは吐き気を催したような顔になり、

「兄は元の世界でもそこにいる私と結婚したかったらしいのですが、近親婚は厳罰に処せられるので諦め、別の時空に存在する私を見つけ、やって来たのです。それが私が兄を受け入れられない理由です」

 希さんの嫌悪の表情はとても演技とは思えない。話は突飛だが、あのお兄さんに迫られているのは本当なのかも知れない。そのまま話すのが嫌なので、異世界から来た別人だという設定にしたのだろう。

「ですから、兄から私を守ってください、先輩」

 希さんは僕の右手を包み込むように両手で握り、潤んだ目で見つめる。いくら僕が臆病で喧嘩が弱くても、女の子にここまで言われて逃げる事はできない。あれ、待てよ? お兄さんは上級魔法使いだよね? だとすると、全然勝ち目がないよ。でも、それは作り話だろう。だけど、長身のお兄さんにチビの僕が勝てる気がしない。あれ? 長身のお兄さん? 何だ、この違和感は?

「希、こんなところにいたのか。探したぞ」

 頭の上で声がした。聞き覚えがある声だ。僕は硬直しかかった首を動かし、声の主を見上げた。

「また君か、小俣君。妹に近づかないでくれたまえ」

 そこには予想通りお兄さんがいた。しかも空中に浮かんでいる。黒のマントを身に纏い、金色のロッドを右手に持っている。頭にはつばの広い黒の帽子を被っており、誰が見ても魔法使いに見える装いだ。

「まずはその汚らわしい手を妹から放せ、下郎!」

 お兄さんは目を吊り上げて叫ぶとロッドを振り上げた。

雷撃サンダーアタック!」

 振り下ろされたロッドの先から稲妻が飛び出す。

「危ない、先輩!」

 希さんが僕を突き飛ばした。稲妻がその直後そこに落ち、敷いてあったレジャーシートが炎を上げて燃え尽きてしまった。僕はそれを唖然として見ていたが、

「希、来なさい。新しい世界で私の子を産むのだ」

 お兄さんが屋上に降りて来て、僕を突き飛ばした拍子に尻餅を突いた希さんに手を差し伸べていた。いけない、また彼女のスカートの中を見てしまった……。

「嫌よ!」

 希さんはその手を跳ね除け、僕に駆け寄った。

「先輩!」

 希さんは立ち上がりかけた僕に抱きついて来た。僕はよろけそうになったが、何とか踏ん張って彼女を受け止めた。

「希さん」

 涙目の希さんの顔を見ると、現実とは思えない状態がやはり現実なのだと思えて来る。

「離れろ、貴様! 私の妻となる希に触れるな!」

 お兄さんは逆上していた。顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている。

「魔法を使うには精神の集中が必要なんです。今なら大丈夫です。先輩、兄からあのロッドを取り上げてください」

 希さんが耳元で囁く。僕は恍惚としかけたが、今はそれどころではないと気を取り直し、

「わかった!」

 そう応じて、取り乱して叫んでいるお兄さんに向かった。これも愛のなせる業なのだろうか? いつもの僕なら絶対にできない行動だ。

「うおお!」

 僕は無我夢中でお兄さんに突進した。

「な、何をする、下郎め!」

 お兄さんは僕の突進に驚き、ロッドを振り回している。魔法を使うという発想も浮かばない程気が動転しているようだ。僕はロッドにしがみつこうとしたが、かわされてしまい、その向こうにあったお兄さんのマントを掴んだ。

「放せ、下郎! 無礼な!」

 抵抗空しく僕はお兄さんに突き飛ばされ、コンクリートの床に腰を強く打ちつけた。

「くう……」

 泣きそうなくらいの激痛が走ったが、希さんの手前、涙は見せられない。ふと見ると、お兄さんはマントを落としていて、その下に着ていた黒いタキシードが見えていた。

「あれ?」

 僕は右手にマントを留めていたと思われるピンを持っていた。これが取れたので、マントが落ちたようだ。もう一度と思い、立ち上がろうとしたが、経験した事がない程の腰の痛みがそれを阻む。それ以上起き上がれない。

「くそう、覚えていろ、下郎!」

 何故かお兄さんはそう捨て台詞を吐き、煙幕と共に消えてしまった。

(どういう事?)

 意味がわからない僕は希さんを見た。

「先輩、ありがとうございます。マントを外されたので、あいつは攻撃魔法を使えなくなったのです」

 希さんが僕を助け起こしながら教えてくれた。

「そのピンがあいつの力の源だったようですね」

 希さんは僕が握りしめているピンを覗き込んで言った。

「そうなんだ……」

 ホッとしたと同時に、疲れが襲って来た。

「先輩?」

 不思議そうな顔の希さんを見たのを最後に僕は意識を失ってしまった。


 どれくらいの時間が経ったのだろうか?

「先輩、起きてください。先輩」

 希さんに身体を揺すられ、僕はゆっくりと目を開けた。何故か彼女の顔が真上にあり、後頭部に心地いい感触が伝わって来る。柔らかくて温かい。何だろう?

「良かった。先輩ったら私が話し始めたらすぐに熟睡しちゃうから、つまらなかったですよ、もう」

 希さんは口を尖らせ、ねたような口調で言った。え? 僕は状況がわからず、周囲を見た。右には屋上の床が見える。左には希さんの制服……。ええ!?

「わ!」

 僕はようやく自分が希さんに膝枕されているのに気づき、慌てて飛び起きた。さっきの柔らかい感触は希さんの太腿だったのか……。思い出すだけで顔が熱くなる。鼻血は出ていないようだけど。

「何ですか、そのリアクションは? 私の膝枕、そんなに嫌ですか?」

 希さんは更に口を尖らせた。可愛過ぎて気絶してしまいそうだ。

「ち、違うよ! そうじゃないって! 知らないうちにこうなっていたから、ちょっと驚いたんだよ」

 僕は嫌な汗が全身から噴き出すのを感じながら必死に言い訳した。

「それならいいですけど」

 希さんはまだ不満そうな顔をしているが、それ以上食い下がるつもりはないようだ。僕は胸を撫で下ろし、先程の仰天する事態を思い出した。

「そう言えば、あれからどれくらい時間が経ったの? お兄さんはどうしたのかな?」

 僕は希さんを見て尋ねた。すると希さんはキョトンとして、

「どうしたんですか、先輩? 兄がどうしたのかなって何の事ですか?」

「へ?」

 今度はこれでもかというくらい間の抜けた顔をしてしまった。

「変な先輩」

 希さんが首を傾げて言った時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

「授業に遅れちゃいますよ、先輩」

 希さんはレジャーシートを畳みながら言った。それはさっき燃えたはずでは……。そういう事か。夢を見ていたんだ。ようやく合点がいった。僕は苦笑いして、たくさん掻いた嫌な汗を拭こうとポケットに手を入れた。

「あれ?」

 ポケットの中にはハンカチ以外に何かが入っていた。金属製の細長いものだ。取り出してみると、それは魔法使いだと言われた希さんのお兄さんが着けていたマントを留めるピンだった。

(どういう事?)

 ますますわからなくなった。どう考えても説明がつかないのだ。

「先輩、どうしたんですか?」

 希さんが振り返って僕を見ている。僕は慌ててピンをポケットにしまうと、

「ああ、何でもないよ。行こうか」

 希さんを促して屋上から出た。それにしても、これはどういう事だろう? 夢なのか、現実なのかわからない。今夜は眠れなくなりそうだ。

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