先祖
僕は小俣学。高校二年。転校した学校で酷い虐めに遭い、挫けそうになっていた。そんな時、虐めの黒幕の町田昇に自殺に追い込まれた後藤学君の霊が現れ、虐めっ子達を恐怖に陥れた。
町田はそれ以来不登校になり、実行部隊の中心だった向日木薫と倉持仁達も、何故か僕を見ると顔を引きつらせて逃げるようになった。よくわからないのだが、後藤君の霊を僕が呼び出したと思われているらしい。そんな力を持っていたら、もっと早く虐めをやめさせていたと思うのだが、結果的に良かったので、何も言う事はない。
そして何よりその虐めが切っ掛けで、一年の岩尾希さんと付き合う事になったのが嬉しかった。最初はからかわれているのかと思ったが、毎日のように僕の家まで迎えに来てくれて、母ともすっかり仲良くなっているので、どうやら本当に付き合っているのだと実感している。
「絶対に逃げられないようにね」
母が耳元で囁く。僕は苦笑いして、
「行って来ます」
と応じ、希さんと並んで歩き出す。
「先輩のお母様って、奇麗ですよね」
希さんは小首を傾げて微笑む。
「そうかなあ。普通だと思うけど」
自分の母親が誉められるのは何とも居心地が悪い。お尻の辺りがむずむずしてしまう。
「そんな事ないですよ。女優の、ええと誰だっけ……」
希さんは空を仰いで一生懸命思い出そうとしている。そんな仕草もとても可愛いので、思わず見とれてしまう。
「もう、先輩も考えてくださいよ」
希さんが不意にこちらを見たので、ずっと見つめていたのを気づかれてはまずいと思い、俯いた。
「あはは、ごめん」
母は何年か前に、近所の人に女優の誰誰によく似ていると言われた事がある。確か、宝塚出身の人だ。でも、それはちょっと大袈裟だ。確かに母は奇麗だけど、あの女優ほどではない。もちろん、母本人にはそんな事、絶対に言えないけど。それに母自身も似ていると思っている節があるし。
「そう言えば、先輩のお父様には一度もお会いした事がないですけど、お忙しい方なんですか?」
希さんは女優の名前を思い出せなかったのか、話題を変えて来た。
「親父の仕事は僕にもよくわからないんだけど、大きな橋とかの建設をしているらしいよ」
「そうなんですか! すごいですね! 先輩も将来はそういう仕事をされるつもりですか?」
希さんの話は飛躍し過ぎだ。まだ僕は進学する大学の学部すら考えた事がないのだから。それに理系の父と比較すると、僕は理科や数学が苦手だから、同じ業種には進めないと思う。
「そこまでは考えていないけど、違う道を進むと思うよ」
僕は希さんがジッと見ているので恥ずかしくなり、火照る顔を背けて応じた。
「そうなんですか。お父様、残念でしょうね」
希さんの方が残念そうだ。僕は苦笑いするしかない。
「親父は今は山梨県に単身赴任してるんだ。大きなトンネルを掘っているんだって」
「トンネルですか! すごいなあ、どんなところなんだろう?」
女の子の希さんがどうしてそこまで建設工事に興味津々なのか不思議だ。
「山奥の何もないようなところだって言ってたよ」
それでも希さんがとても嬉しそうな顔をしているので、僕は話を合わせた。
「寂しいんじゃないですか、お父様?」
今度は悲しそうな顔で僕を見つめる。目がウルウルしていて、とてつもなく可愛い。
「母は時々現場近くまで着替えや日用品を届けに行っているよ。それにご先祖様のいた辺りだから、親父は親父でいろいろと散策しているみたいだよ」
「ご先祖様? 小俣先輩のご先祖様って、山梨にいたんですか?」
今度は感動の眼差しで僕を見ている希さん。どんな顔をしても可愛いので、鼓動が高鳴って来た。
「うん。元々は栃木県の足利市辺りが発祥らしいんだ」
「そうなんですか」
希さんはさっきよりも食いついている。もしかして、最近流行の「歴女」だろうか?
「源氏の家系の一つの足利氏の支族だったみたいだよ」
僕は大した一族じゃないよと言うつもりで説明したのだが、
「わあ、わあ、源氏の流れを汲むって、すごいじゃないですか、先輩! 今で言えば、超エリート一族ですよ!」
希さんのテンションが上がり、声が大きくなった。そして周りを歩いている人達が一斉に僕らを見たのがわかった。
「希さん、声が大きいよ」
クスクス笑われているのもわかったので、僕は小声で彼女に告げた。
「ごめんなさい」
希さんもようやくそこがたくさんの人が行き交う通りだという事を思い出したようだ。
「あ、そんなに落ち込まないでよ」
悲しそうに俯く希さんを見て、僕はドキッとしてしまった。
「先輩って、優しいんですね」
希さんは落ち込んだのがポーズだったのではないかと勘繰ってしまうくらいの笑顔で僕を見上げる。
「そ、そうかな?」
可愛い子にそんな台詞を言われたら、本当に舞い上がってしまいそうだ。つくづく単純な僕だ。
更に小俣家の歴史を語ろうとした時、学校に到着した。
「続きは帰りにしてください」
希さんは手を振りながら駆け去った。相変わらずスカートの下から見える脚が奇麗だ。
最近の僕は学校に来るのが楽しみになっている。もちろん、希さんと登下校できるのもそうだが、クラスの皆がやっと普通に声をかけてくれるようになったからだ。どうやら、向日木や倉持の目を気にして僕に話しかけられなかったらしい。最初は皆で虐めていると思っていたんだけど、僕に味方すると自分まで虐めの標的にされるからどうしてもできなかったと言われた。事情がわかれば、僕には何も
「小俣君、一年生に彼女がいるんだって?」
そんな話も気軽に出来るようになった。だから本当に嬉しかった。
楽しいと時間が過ぎるのも早いもので、今までならまだ終わらないと思った一日があっと言う間に過ぎていく。希さんと校庭の花壇の前で落ち合って下校した。
「続き、お願いします」
目を輝かせて言う希さんを見ていると、やっぱり「歴女」なのだろうかと思ってしまう。僕は微笑んで、
「僕の先祖は今の栃木県の足利市にあった
「そうなんですか」
希さんは大きな目をクリクリ動かして相槌を打つ。好反応で話し甲斐がある。
「ところが、四代目の当主である
「たかみつとよしひろってどういう字を書くんですか?」
希さんがメモ帳を鞄から取り出して尋ねる。僕はそれを受け取って、二人の兄弟の名前を書いた。
「お兄さんは足利尊氏から一字をもらったのでしょうか?」
希さんから鋭い質問が飛ぶ。
「ごめん、それはわからない」
申し訳ない事この上ない。僕から話を振っておいて、質問に答えられないのだから。
「それから、どうして義弘は甲斐に移り住んだのでしょうか? 誰か知っている人とかいたのでしょうか?」
更に「歴女」確定の希さんの質問は続く。
「それもわからない、ごめん……」
何だか段々居た堪れなくなって来た。すると僕の表情を見た希さんが、
「調子に乗ってしまいました。ごめんなさい」
と立ち止まって頭を下げた。僕は驚いて希さんを見て、
「そんな、謝らないでよ。小俣の子孫なのに何も知らない僕が悪いんだからさ」
「ありがとうございます、先輩」
潤んだ瞳で見つめられて、僕の心臓は壊れそうなくらい速く動いた。
そういう訳で、僕の先祖の話はそこで終わりになった。あまり暑かったので、コンビニで棒アイスを買い、食べながら歩いた。
「希、何て事をしているんだ、はしたない」
背後から声がした。隣にいる希さんの顔が険しくなった。彼女のそんな顔を一度も見た事がない僕は驚いてしまった。声の主を見ようと振り返ると、そこには長身の男の人が立っていた。僕より年上なのははっきりしているが、何歳なのかわからないくらいその顔は感情を伴っていない。まるで能面のようだ。
「君か、希が付き合っているという男は?」
その能面が僕を見下ろす。そう、まさしく見下ろされた。いや、
「あ、はい。小俣学です。よろしくお願いします」
僕が頭を下げて挨拶すると、
「いいんです、先輩、この人に挨拶なんてしなくても!」
希さんはそう言うと、僕の腕を掴み、駆け出した。その拍子に手に持っていたアイスがボトンと地面に落ちた。希さんのアイスも同じ運命を辿った。
「希、待ちなさい! 話は終わっていないぞ!」
能面の人が後ろで怒鳴る。しかし、希さんは足を止めるつもりはないようだ。そして、能面の人も追いかけてくるつもりはない。一体誰なんだ?
「ごめんなさい、先輩、驚かせてしまって」
希さんは路地を曲がったところでようやく止まってくれた。
「誰なの?」
僕は荒くなった呼吸を整えながら尋ねた。すると希さんはまた険しい顔になり、
「兄です」
とだけ応えた。
「お兄さん?」
意外な答えに僕は仰天してしまった。お兄さんに対する希さんの態度はちょっと問題だ。どんな事情があるのかわからないけど、まずいんじゃないかな? 確かにあの人も
「もうその話はおしまいです、先輩。もう一回、アイス買いましょ?」
小首を傾げて可愛く微笑む希さんとお兄さんと会った時の希さんがどうしても同じ人とは思えない。只、人にはそれぞれ他人には言いたくない事がある。僕だって虐められている事は誰にも相談できなかった。だから、それ以上彼女を詮索するつもりはない。
「こっちにコンビニありますよ、先輩」
嬉しそうに僕の手を取り、歩き出す希さん。君はどっちが本当の君なの? そう尋ねたかった。
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