真白(ましろ)

赤橋にて

 この季節になると彼女のことを思い出す。この木と同じ名前をした彼女のことを。この花のように満開の笑顔をした彼女のことを。そして、この花びらのように散ってしまった彼女のことを。


 時間は三月から四月に変わったばかりで、街灯とさほど多くもない車のヘッドライトだけが周囲を照らし出していた。俺はバイト終わりの疲れた身体で自転車を押して歩いている。なぜ自転車に乗っていないかといえば、答えは簡単で登り坂だったからだ。ようやく坂を登りきると長い鉄橋が見えてきた。この街を真っ二つにしている川を渡るための鉄橋で、街の人はその色から「赤橋」と呼んでいる。その赤橋に差し掛かった時、俺は対向車のヘッドライトに照らされた彼女を見つけたんだ。

「嘘だろ…」

 押していた自転車を放り出して俺は走った。彼女が鉄橋の欄干を乗り越えようとしていたからだ。あまりにも突然の光景で、どうしたのかはよく覚えていない。ただ、彼女が鉄橋から飛び降りるのをどうにか阻止できたことだけは確かなようだった。

「はあはあはあ……何してんの!?」

 俺は息を切らしながら思わず叫んでしまった。

「飛び降りようとしてたんですけど」

 まるでコンビニに行くかのような気軽さで彼女は答えた。俺は何か違和感を覚えたが、その違和感が何かを考えている余裕はなかった。

 彼女はよく見ると可愛かった。黒い髪は肩口で切り揃えられていて、大きな目と小さな鼻がどこか小動物を連想させる。年齢は17歳ぐらいだろうか。少なくとも成人しているようには見えなかった。

 こんな状況でも可愛いとか考えている自分に驚きと情けなさを感じながら、俺は当たり前のことを口にした。

「こんなとこから飛び降りたら死んじゃうよ!」

「死のうとしてるんですけど」

 彼女は「見ればわかるでしょ?」と不思議そうな顔をして俺を見ていた。

 ダメだ。頭がついてこない。何を言えばいいのかわからない。当然だ。目の前で自殺しようとしている赤の他人とのコミュニケーションなんて考えたこともなかったのだから。

 どうにかして止めないとと必死になって(この状況では縁起でもない言葉だ)考え出した言葉は、自分でも思ってもいない言葉だった。

「君——お腹空いてない?」

 彼女はさらに不思議そうな顔をしたが、ゆっくりと自分のお腹を見て、ゆっくりと顔を上げて俺を見た。

「空いてます」

「そこのファミレス行こう。奢るよ」

 彼女はやはり不思議そうな顔をしていたが、少し考えるような仕草をして、何やら納得したような顔になって言った。

「わかりました」

「じゃあ自転車取ってくるからちょっと待ってて」

 とりあえず目の前での自殺は回避できたようだ。だが問題が解決したわけじゃない。ファミレスに行ってから何をどうしていいのか一つも考えは浮かばなかった。自転車を取ってきた俺は、心臓が早鐘を打つという言葉を実感しながら「じゃあ行こうか」と動揺を悟られないよう自然に笑ったつもりだったが、おそらくバレバレだっただろう。

 ファミレスに向かって歩き始めると、彼女は俺の隣ではなく、その半歩後ろをついてきた。ずっと黙って歩いていたが、突然、彼女が言った。

「ナンパされたのは初めてです」

「——ッ!違うよ!」

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