16 聖女、移植する
アーヴィング・モアは大聖堂から程近い路上で、缶コーヒーを飲んでいた。わざとゆっくりと飲みながら、空の月を見ている。
聖女アンナが大聖堂から出てきて、モアを見やると大股で近づいてきた。
「監視屋、何をしている」
「月を見てるんすよ。酒があればもっとよかった、月を肴にすんのが最高だ。ひょっとして聖女様は、オレのために気をきかせて酒を持ってきてくれたんすかね」
「金輪際そんなことはあり得ない。お前は酒ではなく毒薬でも飲め」
「浮世の喧騒とストレスという毒を常に飲み続けてますよ、オレは。いやオレ以外も」
そう言いつつも、この男、ストレスとは無縁に見えた。融解させられても、アンナがどれだけ罵倒しても、暖簾に腕押しといった具合だ。仕事にも熱心には見えず、こんなので監視役にはなるまい。ひょっとするとフォーマルハウト特務部隊の窓際族で、厄介払いに大聖堂送りにされたのか、とアンナは思ったが、考えてみるとあの部隊じたいが手間ひまかけて作った改造戦士を遊ばせておく閑職だ。なぜこいつらに給料を払っているのか疑問だが、鬱陶しく監視されるよりはましなのは事実だった。
「ときにモア、貴様も魔導師の端くれなのだろう」
「うん、いかにも端くれですが」
「どんな魔法を使うか教えろ。貴様が聖堂内で暮らす以上、把握しておかなければな」
「オレのは、パンダに変身する魔法ですよ」
「くだらん冗談はいいから正直に答えろ」
「聖女の前で嘘などつきませんよ」
アンナは困惑と疑惑も露に詰問する。「本当なのか? そんな馬鹿げた魔法があるとでも?」
「オレが望んで得たわけじゃないんですけど」
「じゃあ証拠に見せてみろ、そのパンダに変身とやらを」
「いやあ、さすがにこういった白昼にすべきことじゃないんすね」
なら夜になるのをまってからしろ、と命じてもモアはなんだかんだ理由をつけて変身しようとしない。
アンナはそんな姿勢に苛立ち、再び殺傷しようと思ったが、不意に、この男こそが現代社会の象徴のようだという考えに至った。
昨今の労働者には誇りも熱意もなく、ゾンビのように疲れた顔でさまようか、あるいはすべてが冗談であると言わんばかりのおどけた、しかし卑屈な笑みを浮かべているだけである。彼らは何も信じてはいない。神の真の大敵はフォーマルハウトではなく、すべてを信じない怠惰な群衆である。
そして、眼前にいるパンダに変身するという魔導師こそがその代表に思えたのだ。
この男を百回殺すのはあまりに簡単だが、それでは帝国の衰滅に拍車をかけるだけである。ならば、このたわけた男を改心させることが、自分の使命ではなかろうか。
そう思ったアンナは、言葉によりまずはモアを諭そうとした。
「なあいいか、お前の使命は私の監視であろう。それはきちんと成されているのだろうな?」
「成されてないっすよ。毎日『異常なし』です。夏休みの絵日記の天気みたく、ただ何か書いとけばいいじゃないすか。聖女様もそのほうが都合いいでしょう」
「とんだ給料泥棒だな。お前はそれでいいと思っているのか? ただ使命を果たさず生きていくのでは、死人と同じではないか。なぜわざわざお前を財閥が復活させたのか、まるで意味がないだろう」
「人生に意味などありませんよ、聖女様。だけどそれを認めちまうと、生きていくのが嫌になるから皆、自家製のたいそうな何かを自分で用意するんですよ。つまり意味ってのは絶望に対する処方薬です。オレは絶望しないからそれが必要ない。それだけの話でしょう」
「一丁前の口を利くな。だが、処方薬か。ひとつ思いついたぞ。こちらへ来い」
アンナはモアを連れて大聖堂へ戻り、マーガレットを呼び出した。
「お呼びですか聖女様! さてはその無礼な男に制裁を加えればよいのですね!」
聖堂騎士は四角四面に言うが、アンナはそれを制する。
「違う。マーガレット、お前はとても優秀な騎士だが、いささか堅苦しいところがある。一方このモアはかなり怠惰だ。爪の垢を煎じて飲ませるという言葉があるが、今からお前の真面目さをモアに移植し、逆にモアの怠惰、もとい、柔軟な部分をお前に移植する。そうすればちょうどいい塩梅になるだろう」
「この男に見習うべき点があるとは思えませぬが、聖女様がそうせよと申すなら致しましょう。それで、具体的に何を?」
「簡単だ。脳髄の一部を交換する。すぐに終わるだろう」
マーガレットとモアを椅子に固定すると、両者の頭部に穴を開け、スコップで脳を取り出し、モアのぶんを少なめ、マーガレットのぶんを多めにもう一方へと移し変えた。施術が終わるとすぐに効果は現れた。
「マーガレット、気分はどうだ」
「良いと思いますよ、たぶん。聖女様に感謝、そして疲れたので帰宅いたします。オーラム」
「よかろう。おい、監視屋、どうだ。使命を果たす気になったか?」
「なりました。オレはフォーマルハウトの名にかけて、聖女様を監視するという崇高な役割を果たす所存っす」
「上出来だ。笹を食わせてやろう」
「パンダに変化するからと言って、笹を常食しているわけではないので、できればアルコールが欲しいな」
「なら、仕事が終わったらジョーンズとともに酒場へ連れて行ってやろう。そうだ、ベナティアのやつに支払わせよう。やつは羽振りがいいからな。うかつに人の肴に何かを塗布しないように両手を拘束した上でだが……」
万事はうまくいったように思えたが、マーガレットはそれから三日間、無断欠勤をした。モアの脳髄が少量でも強力に効果を発揮したのは明らかであった。自宅を訪れたアンナが何をしていたのか、と尋問するとマーガレットは、「月を見て酒を飲んでおりました、これぞ人生の真髄、宇宙との融和であります」と、モアのように一丁前の言葉を、ろれつの回らない口で述べた。
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