第6話 その言葉は呪いとなったのか
荒野に開かれた町の一軒の酒場は普段から旅人や傭兵などが集まり騒いでいる。しかし、今夜の盛り上がりかたはいつもと違った熱狂的なものであった。
酒場の中は広い石造りとなっており、オレンジ色のランプが室内を照らしている。丸机と椅子が乱雑に並べられ、大勢の人間が木製のジョッキに並々に注がれた茶色の液体を手にして立っている。彼らはカウンター近くのある二人の男を中心に集まっていた。皆が皆、興奮の色を隠せない様子であった。
「我らが英雄の活躍を祝して、――乾杯!!」
二人の近くにいた派手な赤色のチョッキを着た男が顔を真っ赤に上気させながら叫ぶ。辺りから乾杯と相次いで叫びが上がる。
今宵の主役である二人は杯を一気に飲み干し、杯を空にすると茶色のフロックコートを着た男が
「お前ら、今日はこの俺の奢りだ! 店の酒を空にしちまうぞ!! 」
と叫んだ。
それを聞き、彼らは、ウェルテル! ウェルテル! と叫ぶ。そして次々と酒場の奥から次々と色とりどりの料理と並々に注がれたエールが送られてくる。コールを浴び嬉しそうにその男――ウェルテルと呼ばれた茶髪の男は送られてきたエールを飲み干していく。
彼がエールを飲み干す度にいいぞ、と叫ぶ声が聞こえる。
大量の料理と酒はどんどん運ばれ、宴はヒートアップする。露出した服装を身にまとった踊り子達が店に入ってくる。大事なところを小さな生地で隠し、肌が見える薄い布をまとった彼女達は扇情的な踊りを踊り始める。男達は興奮で声を上げる。
――踊り子が踊り、――ジョッキとジョッキがぶつかり泡沫は弾け、――英雄は叫び、――屈強な男達が歌う。
「お前がこの町に来てもう二年になるのか、」
ウェルテルが顔を真っ赤にしてレザーのチョッキを着た相棒に向かって言う。
「ああ、確かにそれくらいになるな。こんな長居をすることになるとは思わなかったよ」
男は茶色の瞳を細めながらつぶやく。
「いいところだろ」
ウェルテルがニッと笑いながら言う。
「そうだな。ここまで気持ちのいい町は初めてだ。傭兵も自分の仕事に誇りを持っている」
「まあ、それしかここには産業といえるものがないからな」
「だからこそ、いつまでもここに居たくなる」
「はは、いつまでもいればいいんだよ。」
ウェルテルは男の背中をバンと叩き、立ち上がると近くにいた踊り子の手を取り、露出している腰に手を回し踊り始めた。
――夜は更けていく。
主役であった男は酒場をこっそりと抜け出す。月明かりに照らされた夜の街を男が歩いていく。喧騒が遠のいていき、彼は古びた教会の前まで歩いた。教会には垂れた白百合の花がぽつぽつと咲いていた。
垂れた白百合の花の近くに薄茶色のカーディガンを羽織った一人の女性が静かに佇んでいた。風が吹き彼女の長く艶やかな赤い髪がそよそよとなびく。その女性は男の姿を見ると右手を顔の横で軽く振り、
「――ビリー、こっちよ」
と男に静かに声を掛ける。ビリーと呼ばれた男は小走りで女性の元へ駆け寄る。
「すまない、中々抜け出す機会がなかった」
ビリーは申し訳なさそうに後ろに髪を寝かしつけた頭をかく。
「いつものことじゃない――それに今日は月が綺麗だったし飽きなかったわ」
女性は二コリと笑う。そして女性とビリーは抱擁を交わす。女性の赤い髪がビリーの耳元をなでる。
「……本当に良かった。私今回こそは――もしかしたらって思って、心配で心配で仕方がなかったんだから」
女性はビリーの背中に回した手の力をギュッと強め、かすれた声で言った。
「アリス……毎度心配を掛けてしまってすまない。――君が俺にくれたコイツが助けてくれたよ」
ビリーは腰のホルスターにある回転式拳銃を叩きながら言う。
「良かった……でも私本当はあなたに危ない仕事をしてほしくないの。それなのにウェルテルがいつも危ない仕事をあなたに持ち掛ける」
「ウェルテルはいつも退屈でなく、刺激的で俺にぴったりな仕事を用意してくれる。それに彼が報酬が良い仕事を持ってくるのは」
ビリーが最後まで言う前にアリスと呼ばれた女性はビリーの身体を押し、抱擁を解いた。そして、
「分かってるわ! あなた達が病弱な私のために危ない仕事をしてくれて、そのお金で薬を買ってくれていることは……感謝している、でも私は――あなたと少しでも長くいたいの……短くてもいい少しでもあなたと……」
と言い、そのままビリーの胸に顔を埋め肩を震わせる。ビリーの服を掴むアリスの手は小刻みに震えている。ビリーはアリスを優しく抱き、柔らかな赤髪を撫でる。ビリーは目をつむる。少しの間思案した後、彼は決意を決め、目を開く。
「アリス、ずっと考えていたことがある。聞いてくれるかな」
顔を上げたアリスの目には一杯の涙が溜まっていた。アリスが無言でビリーを見つめる。
「そのだな、西にある空気の綺麗な街で――俺と一緒に暮らしてくれないか。傭兵も辞めて、落ち着いた職に就く……だからもう悲しい顔はしないでくれるか」
ビリーが言うと、アリスは目を大きく見開く。大粒の涙が赤く上気した頬を伝う。
「ビリー――ありがとう」
満面の笑みを浮かべアリスは答える。
そして二人は無言で見つめ合う。二人の瞳は熱を帯びる。
――月明りに照らされた影が―つとなる。
ビリーは宿に戻ると、そのまま幸せそうな表情でベッドに突っ伏した。
月と雲が重なる。
フロックコートを来た男が宿に忍び込む。そして男は迷うことなくビリーの部屋の前に立つ。そして音もなくドアを開ける。
月が再び顔を出し、室内を月明かりが照らす。
室内には回転式拳銃をドアに向け構えたビリーが立っていた。ビリーは月明かりに照らされた男の顔を見て安堵の表情を浮かべ、回転式拳銃を下げる。
「ウェルテルか、驚かさないでくれ。こんな夜更けにどうした、酔っぱらって家が分からなくなったか」
ビリーが軽口を叩くが、ウェルテルは口を開かない。
「どうした、気分でも悪いのか。そうだ、お前の酔いも吹っ飛ぶ話をしよう。明日話そうと思っていたんだが」
「アリスと西の街に行くのだろ」
ウェルテルが口を開くが、その声は抑揚のない無感情なものであった。
「そうだが……何で知っているんだ?」
ビリーは怪訝な表情を浮かべる。
「さっき、アリスに会ったんだよ。それでお前と一緒に西の街で住むと嬉しそうに言っていたよ」
「なら、話が早い。ウェルテル、一緒に行かないか? お前となら傭兵以外の仕事でもうまくできると思うんだ。俺とお前なら何でもうまくいく」
「――ああ、そうだな。俺もそう思っていた」
「なら一緒に来てくれるのか」
ビリーは両手を広げ、嬉しそうに言う。ウェルテルはコートのポケットから単発式拳銃を構える。
「いや――行くのはビリーお前一人だ」
ウェルテルは抑揚のない声で言った。その眼には燃え滾るような感情が見て取れた。ビリーは後ずさる。
「ウェルテル、いったい……これは何の冗談だ」
「冗談なんかじゃない、行くのはお前一人だ」
そう言ったウェルテルの手に力がこもる。そして、憎悪の感情をむき出しにして叫ぶ。
「お前が……お前が来なければ――アイツは俺のものになったはずなんだ! あの日お前が来て、俺はお前に声を掛けた。あれがそもそもの間違いだった! 声なんかかけずにいつも通り流れ者が仕事をこなして町を出ていく姿を眺めていれば良かったんだ! お前にコンビを組もうか何て声を掛けなければ良かったんだよ! そうしなければアリスとお前が会うことなんかなかったんだ!」
「ウェルテル――お前アリスのことが」
「黙れ! 俺は幼いころからずっとアリスを見ていたんだ。アリスが熱を出すたび看病しにも行った。お前なんかよりもずっと……ずっとアイツと一緒にいたんだ! だから、すぐに分かったんだよ……アリスがお前に惹かれていくのを、俺に見せたことがないような笑顔でお前の名前を呼ぶアリスの顔を!」
ウェルテルの悲痛な叫びが室内に響く。おそらく宿に他の客がいれば何事かと出てきていただろう。
「お前、気づいていなかっただろう。何で遠出する危険な仕事を引き受けていたのか。お前からアリスを遠ざけ、あわよくば仕事で死んでくれることを願っていたんだよ!」
「ウェルテル、お前……」
「そんな目で俺を見るな! 分かっている、分かっているんだよ! 本当はお前たちの幸せを願うべきなんだってことくらいは! だけど、だけど、この気持ちは収まらないんだよ! だから……行くのは――お前だけだ」
ウェルテルは涙を流しながら、引きつった笑みを浮かべる。そしてゆっくりと拳銃を自分のこめかみに押し付ける。
「よせ、ウェルテル!」
ビリーが回転式拳銃を上げ、ウェルテルの握られた単発式拳銃を撃ち落とそうとする。
「いい旅を続けろよ、"相棒"」
銃声がほぼ同時に二度響き渡る。
――月明かりの中立っていたのはビリーだけであった。
行くのは――俺だけ、そうつぶやくとはっとしたビリーは一目散に宿から出ていった。
朝日が昇り、赤黒い染みをつけた茶色のフロックコートを着た男が町を去っていく。
――教会に咲いていた白百合の花は垂れ落ちていた。
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