第5話 すゝめ
広い平原の真ん中に一本のきれいに舗装された道がはしっている。その道のわきに一軒の茶屋が建っていた。茶屋は茅葺き屋根の木造でできていた。
そこの茶屋で一人の男と一人の女が椅子に座ってお茶をすすっていた。
店から男が出てくると、女の横に座った。
「あんたら二人はずっと旅をしているのかね」
あご髭を蓄え、エプロンを着たほりが深い顔をした中年の男が言う。
「はい」
隣に座っている、長く艶やかな髪を一本に束ねた若い女が答える。
男はしげしげと初老の男と若い女を眺める。そして、
「あんた、若いんだからさ、わざわざ旅なんかしないで普通の家庭でも持とうとは思わないの。あんたくらいの年だったら、そりゃあ色んな事をしたいと思うのは分かる。でもね、結局普通が一番っていうのが分かるから。いい、普通の生活を送りたくても送れないなんてことはよくあるんだよ。でもね君のように旅もできるような余裕があるなら、どっかいい所でいい人を見つけてね、幸せの家庭を気づくのが一番いいんだよ」
と男はうんうんとうなづきながら言い、エプロンのポケットから煙草とマッチを取り出す。煙草に火をつけ、ふーっと煙を吐く。女性は煙たそうに顔をしかめる。隣の椅子に座っている初老の男性は茶柱の数を数えている。男は続けて、
「俺はこの仕事をしているから、色んな人を見てきた。でもね、旅人はみんなどこか大切なものが欠けていたんだ。俺は長い間ずっと何が欠けているのかを考えて、最近それが何なのか分かったんだよ。いいか、君たちは「普通」が幸せだということに気づけないんだ。君たちは何かを探し続けて旅をしているみたいだけど、その探し物は普通の幸せなんだよ。君たちの中には「普通」なんてくだらないなんていうやつもいる。でもね、私から言うとね旅の方がもっとくだらないと思うよ。刹那的な出会いと享楽に興じ続ける、そんなことより普通の生活を続ける方が旅するなんかより大変で素晴らしいことなんだよ」
男はいっきに話すと、一度息を吐いた。
一瞬の間ができる。
雲はゆっくりと流れていき、暖かい日差しが辺りを包んでいる。
男は再び口を開くと、
「君はどっかの国とかでいいなと思った相手とかはいなかったのかい」
と言った。
「いえ、そういうことは考えたことないです」
女性は団子を頬張りながら、くぐもった声で答える。
「一緒に旅している方とは、ちょっと年が離れすぎているね。うん、これを機会にそういうことを意識したほうがいいよ。それでどっかでいいなと思う相手がいたら、腰を落ち着けることを考えなさい。君は若いし容姿もいいんだから、普通の生活をしようとしたらすぐにできるよ。おじさんもね、君の年くらいに今のかみさんと結婚したんだよ。そりゃあ、普通の生活ってのは時には退屈になることもあるよ。けれどもね、あいつと一緒にゆっくりとお茶とかを飲んでるときとかは、ああ幸せだなぁってしみじみと感じられるよ。君はどんな時に幸せを感じるんだ」
「え、幸せ?今団子を食べているとき」
男は煙草を持っていないほうの手で指をぱちんと鳴らすと、
「ほら、そういうことに幸せを感じている。いいかい、やはり君は普通の生活を送るべきなんだよ。次の目的地とかでいい人を探しなさい。いいね!」
はぁ、と女性が困惑した表情でうなづく。
男が持っている煙草から灰がポトリと落ちる。男は立ち上がり灰を踏み潰すと、
「ちょっとしゃべりすぎちゃったな。そろそろ仕事に戻らないと、かみさんにどやされちまうや。君のような若い子が間違った道に進もうとしてたから、ついお節介を焼いちゃったんだよ。分かってくれるかな。まあ君が普通の生活に戻れることを願ってね、お代は負けてあげるよ。じゃあ、気を付けてね」
と言うと、手を振りながら店の中に戻っていった。
二人は立ち上がり、ご馳走様と言うと茶屋を後にした。
茶屋から少し離れると、
「ねえ、旅をすることが私にとっての普通なのに、何であの人は私が家庭を持つことにこだわっていたのか分かる?」
女は腕を組み、首を傾げながら隣を歩く男に話しかける。
「ふむ、我々の普通と彼の普通は我々とは異なる。大切なのは普通が何なのかではなく、自分にとっての普通が満足できるかではないかと吾輩は思う」
へぇ、と女は感心したようにうなづく。
そして、
「たまには良い事言うね」
と言い、にかっと笑って男の腰をばんと叩いた。
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