第3話 恵まれた男
深い緑色に一本の青い線が走っている。鳥が空を舞い、多くの動物が住む豊かな森の中を川が通っている。その川沿いに整備された石の小道を二人の男女が歩いている。
白シャツを着た若い女性は片手にジャケット、背中にリュック(コップなどが横にぶら下がっている)と丸めた毛布を背負っている。
そして左腰に刀(号は「防人」)をぶらさげ、一つに束ねた髪を揺らしながら歩いている。
フロックコートにウエストコートを着用し、共生地のパンツを履いている紳士的な男性の方も同じようにリュックと毛布を背負っている。
そして右腰には回転式拳銃M1848(彼は「ハニー」と呼んでいる),肩にボルトアクション式のライフルM1903を掛けている。
「今日は素晴らしい天気だ。こんな気持ちの良い日は久しぶりだとは思わないかね、ケイ」
「ええ、ビリーあなたのたばこ臭ささえなければ文句はないわ」
ケイと呼ばれた女性は答える。
「最近は吸ってないではないか」
ビリーと呼ばれた初老近くの男性は白くなった眉をひそめ、大げさに肩をすくめた。
「ビリー、あなたの服ににおいが染みついてるのよ」
ケイは鼻をつまむ仕草をし、その整った顔をしかめる。ビリーは袖の匂いを嗅ぎ、首をかしげる。
「そんなにたばこ臭いかね。君は鼻が良すぎる」
「あなたの鼻が悪すぎるのよ」
「はは、それは確かなことだ」
ビリーは苦笑いを浮かべた。そうして二人が歩いていると、川のせせらぎとは別に遠くからごうごうとした水音が聞こえてくる。
「もうすぐ大きな滝が見えるはずだ」
滝が近くなり、水の勢いが強くなっていきごうごうとした水音も大きくなっていく。そして、川のの中央にうっすらと黒い影が立っていることが二人には見えた。
「ん、あれ…人、?」
そうつぶやくと、ケイは目を細め遠くのそれを見つめる。
「人が川の中に立っておるな」
ビリーが単眼鏡を覗きながら言う。
「何してるのかしら、変な人じゃないといいけど」
「君に言われたくはないのでは」
「そんなに滝から飛び下りたいの?」
ケイは目を細め、にっこりとほほ笑む。そして「防人」の柄に手を置き殺気だたせている。ビリーは冷や汗を浮かべながらケイと目を合わせず、川の真ん中に立っている人間に視線を向け続ける。二人が少し歩くと、どうやら立っているのは若い男性のようであった。
「おーっと、どうやら川にいるのは若い男性のようですな。おーいそこの御仁何をなされている」
ビリーが走って川岸まで行くと、男はとても驚いた表情を浮かべ
「く、来るな!落ちるぞ!」と叫んだ。
「自殺希望者?」
ビリーに追いついたケイが聞く。
「そうみたいであるな」
「お、お前ら!お、おお、俺は今から死ぬんだ!だから、邪魔するんじゃねえ!」
男は二人を指さし、そしてあっちに行けという仕草をした。
「お邪魔しました」
ケイはぺこりと一礼し、男に背を向け歩き始める。
「うむ、よい旅を」
ビリーは手を振り、ケイの後を歩いていく。
「お前ら!ちょっと待てよ!おい、待てって言っているだろう!」
男に呼び止められ、二人は振り返る。
「お前ら、どうして死ぬのかとか聞かないのか!?普通死のうとしている奴がいたら理由を聞くだろ!?」
男が叫ぶと、ビリーはにやつき始めた。
「ケイ、少しだけ面白そうな話が聞けそうじゃないか」
ビリーが男には聞こえないような大きさでケイに話しかける。
「そう?ただのかまってちゃんに見えるだけだけど。相手にするなら任せるわ」
「そうか、なら吾輩が少し彼の話し相手になってやろう。君はしばらく待っていてくれたまえ」
そしてビリーは再び川岸まで歩いていく。川は日差しを反射して男の顔を照らす。
「私はビリーと言う。そこにいるケイと一緒に旅をしている。君の名は?」
「名前だって、これから死ぬのに名前何て教える必要なんてないじゃないか」
男は自嘲気味にそう答える。
「ふむ、ではジョンと呼ばせてもらおう、ジョン、君は何故死のうとしているのかね」
「勝手に名前を付けるな!」
「これから死ぬのだから、名前何て関係ないのではないかね」
「う。じゃあジョンでいい。俺は絶望したからだ!この世の全てに!社会に!だから死んで、この希望も何もない社会から旅立つのさ」
男は興奮した様子で答える。
「なぜ絶望したのかね?それを吾輩に教えてはくれないだろうか」
「いいぜ、俺は裏切られたんだ。上司に、仲間に、恋人にさえも!仕事はちゃんとやっていたし、仲間との酒付き合いにも手伝った。恋人のわがままだって文句も言わずに聞いてきたんだ!なのに、なのに!急にあいつらを俺を見捨てやがったんだ!」
「ふむ、面白くないかもしれんな」
ビリーはぼそっとつぶやき、白髪の頭をかいた。
「その悲しい悲しい裏切りの出来事を聞かせてくれないかね」
「いいだろう、俺はある商隊で働いていたんだ。雇い主の言うことはちゃんと守っていたし、遅刻もしないでまじめに働いていたんだ。ある日、俺とサボり癖はあるのに何故か雇い主のお気に入りなクソ野郎と一緒に商品の整理をしたんだ。そして次の日高値の品物が盗まれたことが判明したんだ。そうしたら、あろうことか俺が盗んだと決めつけやがってそのまま首しやがったんだぞ!」
「良くある話だ」
ビリーはぼそっと呟き、髭をもて遊び始める。ケイは川岸の芝生に座り込み、野草を口に入れ顔をしかめていた。
「では仲間の裏切りは?」
「俺が首になった後、誰も酒に付き合わなくなった。そればかりか、仕事を紹介してくれと頼んでも誰もやりたがらないような仕事しか紹介しないんだ。絶対心の中で見下してやがるんだ!」
「本当に仕事がないだけでしょ」
「つまらんな」
二人は男に聞こえないようにぼそっと呟いた。ビリーは胸ポケットから煙草を取り出し口にくわえた。川岸から非難の視線を送るケイに気づきながらも、ビリーは煙草に火をつける。
男は興奮で顔が紅潮し、汗を額に浮かべながら続けて、
「最後に俺の恋人にいたっては、理不尽に首され、仕事も見つからずあえいでいる俺を見捨てて出ていったんだ。そりゃあたまにイラついてあたることもあったけど、そんな時こそ力を合わせて乗り越えるもんだろ!昔からずっと一緒にいたんだ!だから苦しみを分かち合ってくれると思った!それが恋人なんだから、愛なんだから!ああ、なのになんでなんで。…何て世の中は残酷なんだ!」
と一気に言い切り両手で頭を抱えて、顔を歪めうめいている。
ビリーは煙草を吸い、ゆったりと流れる雲を見ながらふぅと煙を吐く。煙が渦を巻きながら宙を漂う。
「ふむ、それは悲しいことだったな。旅出を引き留めてしまって申し訳なかった。では良い旅を」
ビリーは男に背を向けて歩き始める。ケイも口に加えていた野草を吐き出し、ビリーの後を追う。
「おい、感想はそれだけかよ。行っちまうのかよ、行かないでくれよ、見捨てないでくれよお…」
男は泣きじゃくり始めたが、二人は歩める速度を緩めることなくまた元の道を進んでいく。
二人が男の元を去り、二人の男性と一人の女性が走ってきた。三人とも汗だくで、息が大分上がっていた。
筋肉質で精悍な顔つきをした男性が深刻そうな声で二人に話しかけてきた。
「おい、あんたら。いかにも情けなさそうな男をどっかで見なかったか?」
「情けないって、さっきの川の真ん中にいた男のことかな」
「うむ、その男以外は特に見てはおらんな」
「「「ありがとうございます」」」
三人は二人に礼をすると、急いで川の方向に走っていった。
ケイは三人の後姿を見ると、少しばかり頬を緩めた。
「いい友達がいるじゃない」
「お主にもいい相棒がいるではないか」
「煙草さえ吸わなければましなんだけどね」
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