84 花畑

 そこは異様な空間だった。

 上下感覚が失われる。

 距離感が掴めない。

 

 まるで話に聞く宇宙の様だったが、明確に違う点が一つ。

 

 周囲はまるで濁流の様に流れている。

 

 ヴィクティムもクイーンもその流れの中に巻き込まれていた。その開始点と思しき穴は徐々に遠ざかっていく。そこからは他にも巻き込まれたのだろう。引きはがされた大地の様な物さえ存在している。

 

「何だ、ここは!」


 困惑が誠の口から漏れる。この空間に入った瞬間、モードトリプルシックスは限界時間を迎えた。トーチャーペネトゥレイトもディストリオンコアも使用できない。デッドウェイトとなった二つの武装を亜空間に仕舞い込もうとしたが、何時も通りには行かない。切り離した状態のまま、自機の側で浮遊する。亜空間へのアクセスが不能になっている事に気付いた。

 一体何故? その疑問を深く考える余裕も無い。

 

 この理解不能な状況になってもクイーンはこちらへの戦意を衰えさせていない。クイーンの左半身は半壊している。少なくとも左手からはフレームが露出しているほどの損傷だ。右腕からもレイピアが失われている以上、手持ちの武装は存在しない。翼からエーテルバルカンを撒き散らしながら接近してくる。

 それに誠も応戦する。コクピットの亀裂から隻眼となったクイーンと視線が合う。機械の眼だというのにそこから明確な憎悪を感じた。己が半壊させられたことにではない。ヴィクティムとの逢瀬を邪魔しようとする存在への憎悪。それを真っ向から浴びて一瞬怯む。それを振り切るように叫ぶ。

 

「お前さえいなければ!」


 亜空間を開けない以上、ヴィクティムの武装は固定武装に限定される。右掌からエーテルダガーを展開して相手のエーテルバルカンを弾く。

 

《非常補修用ジェル展開。硬化》


 コクピットの裂け目を瞬時に硬化するジェルで応急的に塞ぐ。新造前のヴィクティムにも搭載されていた装備だが、使うのは初めてだった。あくまで主たる防御はエーテルコーティングに依存しているだけなので、突破されたら無いも同然の壁だ。それでも流れ弾一発で終了という事は避けられる。

 

 互いに散らばるエーテルバルカンでは致命打は与えられない。必然接近戦に活路を見出すしかない。

 

 ヴィクティムのエーテルダガーによる打突をクイーンは自身の指先で抑え込む。エーテルコーティングを集中させてエーテルダガーにも耐える硬度に鍛え上げている。

 そこから見える物は一つ。クイーンも追い詰められているという事だ。右手は左手の様な武装ではないし、それ以外の武装も無いのだろう。それ故に機体本体を使っての格闘戦。エーテルダガーと言う武装を持っているヴィクティムの方が有利になる。

 更にそこからの機体を大きく捻っての左足蹴り。人体では不可能な関節の曲げ方で足先のエーテルダガーをクイーンの側頭部に叩き込む。だがそれは読まれていた――と言うよりもずっと警戒していたのだろう。再びの多層エーテルコーティング。このまま継続すれば先の左手の様に過負荷でヴィクティムの脚部が持たない。

 そこでヴィクティムは止まらない。エーテルレビテーターの浮力を調整。更に機体を捻り右足のエーテルダガーがクイーンを襲う。クイーンが警戒していたというのならば、ミリアも再びの防御を予想していた。殆ど逆立ちしたような姿勢だが、遅滞なく叩き込まれた蹴りは左足のエーテルダガーと合わせてクイーンに叩きつけられる。

 遂にクイーンのエーテルコーティングが押し負けた。エーテルダガーの切っ先がクイーンの頭部を貫く。その寸前にクイーンの翼が肩越しに前面に伸びてくる。鋼鉄の翼。そこに刃の煌めきを認める。

 鋏の様に翼が交差する。その内にあったヴィクティムの足が切り落とされる。右足がふくらはぎの辺りから。左足は太ももから。経路が途切れた結果、エーテルダガーは消失する。

 そこで止まらない。残った右足でクイーンの翼を蹴る。それ自体は相手に何の痛撃も与えないが、その勢いで姿勢を立て直す。エーテルダガーを一瞬消し、クイーンの拘束から逃れる。そして再展開。機体の回転に合わせてクイーンの翼を両断する。爆発。

 

 その爆風に押し出されて両機が距離を取る。両者の間を大地の欠片が通り過ぎていく。

 

《機体損傷大。これ以上の損傷は危険です》

「武装も、もう碌に残っていない」


 両者ともに満身創痍だった。無傷の部分など存在しない。お互いに残された武装は少ない。きっと次の一撃が決着となる。それ以上は限界だった。

 

「でもまだ戦える」


 まだあと一撃。それだけは戦う事が出来る。だがきっと――。

 

「すまん、ミリア。最後まで付き合ってくれ」


 ここがどんな空間なのか。誠には分からない。恐らく、ここにいる誰もが知らない。それでもここから戻れる可能性があるならば、クイーンが再び浮遊都市を襲う可能性がある以上、ここで倒すしかない。次に今回の戦闘データを持ち帰って対応されたクイーンに、きっと人類は対抗できない。

 だから、もう引くことはできない。

 

「ううん。大丈夫」


 今がモードトリプルシックスでなくてよかったとミリアは切に思う。今頭に浮かんだ醜い思考を知られずに済んだ。誠が誰を選んだのか知っている。自分が選ばれなかったことを知っている。きっと浮遊都市に戻ったら、今度こそ諦めないといけないだろう。

 ミリアはそれが嫌だった。そしてここから帰れないとなれば、少なくとも終わりを迎えるまで二人でいられる。そんな想いを抱いてしまった。

 その妄想を振り払うように横に振る。雫を真似た三つ編みが肩を叩いた。

 

「私は最後まで一緒に戦う」

「頼もしいよ」


 次が最後。クイーンもそれを悟ったのだろう。戦闘開始から閉ざしていた口を三度開いた。

 

《我は懇願する。我が手を。我と共に歩んでほしい。我が伴侶よ》


 それは真摯な言葉だったと言える。語彙が豊富という訳ではないのだろう。それでもそこには確かにヴィクティムを想う色だけが込められていた。

 だがクイーンは単純にして絶対の真理を知らなかった。恋愛を望むのならば、相手の同意が必要であるという事を。

 

《拒否する。当機は人類守護の為の存在。人類へ害を為した時点で決して道が交わる事はない》


 分かっていた事だった。決して分かり合えることはないという事を再確認し、それが開戦の合図となった。

 

 ヴィクティムはエーテルダガーを展開。クイーンも右手を構えた。

 

 クイーンが前に出る。誠は相手の一挙一動を見逃さないように集中する。相手の攻撃は右手。その僅かな変化を捉えようと――。

 

「左!」


 ミリアの警告。クイーンの攻撃は左手。フレームの露出した半壊状態の腕で殴りかかってくる。その攻撃の起点はフレーム。折れて飛び出たフレームにエーテルを纏わせて武装として来た。ヴィクティムの右腕の内側に滑り込むようにクイーンの左腕が潜り込む。肩関節に突き刺さったフレームはヴィクティムの右腕の動きを封じ込めてしまった。

 クイーンの右腕がヴィクティムの右目に突き刺さる。その圧に耐えかねてヴィクティムの頭部が首関節から吹き飛ぶ。右腕はクイーンの脇に抱え込まれて完全に動かせない。首を吹き飛ばした勢いのままヴィクティムとクイーンがぶつかる。

 

 勝負は付いた。

 

「俺たちの、勝ちだ」


 残されたヴィクティムの左手。それをクイーンの側頭部に叩きつける。そして最後の武装、エーテルバルカンの全力射撃。

 エーテルの弾丸が装甲を失ったクイーンの頭部を襲う。装甲が無ければエーテルコーティングも役に立たない。何にも遮られず、無数の弾丸が突き刺さる。そしてエーテルバルカンの砲塔が限界を迎えた時には。

 

《あ、あぁぁあああ……》


 クイーンが縋るように手を伸ばす。ヴィクティムとの距離が離れていく。徐々に流されて、そして頭部が爆散した。エーテルリアクターの反応が消える。

 

《クイーンの機能停止を確認。我々の、勝利です》


 ◆ ◆ ◆

 

「やっぱ、ダメか……」


 最初に吸い込まれたと思しき地点。親指で隠せてしまえそうな程小さくなってしまった穴からこの空間を脱出しようとしていたが、上手くいっていない。流れに逆らう様にするが、自分が進んでいるのかも分からない。脚部を失ったのが痛い。機体が万全な状態ならばまだ可能性が持てたのにと誠は歯噛みする。

 

 加速を止めて機体を投げ出すようにする。努めて明るい声を出す様にして誠は言った。

 

「まあとりあえずお疲れ様だな。クイーンは倒した。それが出来ただけでも良しとしよう」

「そう、ですね」

《当機の優先順位第二位を達成できた事は喜ばしい事です》


 そういえばそうだった、と誠は口元を緩ませる。それを最初に聞いたのはあの地下施設で目覚めてすぐの頃だ。もう四年も近くも前になる。


「まあ流石に次は無いだろう」

《可能性としては再び宇宙から飛来するかですが、確率的に低いと言えるでしょう》


 機体が軽く振動した。何事かと思えば、ヴィクティムが引きはがされた大地の一つに着地――と言って良いのか微妙だが――した事による衝撃だった。他のヴィクティムの部品も同じように相対的にみると落ちてくる。

 ヴィクティムが大地に横たわった瞬間に、何も生えていない不毛の地面に植物が芽生えてくる。まるで録画の早回しを見ているかのようだった。一瞬のうちに色とりどりの花が咲く土地へと変わる。

 

「おいおい……都市の緑化計画が三年ろくな成果も無かったんだぞ……? 何でこんな急激に」


 今目の前で起きている現象が理解できない。いや、と誠は思い直す。ディストリオンコア、と言うよりもAEM弾の注意にあった言葉を思い出したのだ。

 

「惑星に命中すれば惑星のエーテルを消し去る……それがどんな意味だか分からなかったが、こういう事か?」


 エーテルが枯渇した土地では植物は育たない。つまり、現在の地球はエーテルがほぼ枯渇しているという事になる。そうだとしたらこのまま再開拓を続けても成果を上げるのは難しいだろう。

 

「せめて通信でも出来ればな……」


 リサの安否だけでも確認したいと誠は思った。

 帰りたい。その為の努力を怠るつもりはない。それでも無理な物は無理だ。少なくともあの穴から帰還することは現状のヴィクティムでは不可能だろうと結論付けた。この空間がどこまで続いているのか。終わりはあるのか。考えるべきことは多い。


「……ねえ、誠さん」

「うん?」

「ちょっと、外に出てみませんか?」


 その提案には流石に面食らった。この訳の分からない空間に出ようとは。思っていた以上に神経が太いな、と誠は呆れるやら感心するやらである。

 

「危険だろう。そもそも空気があるかだって……」

《人間が生きていくのには問題がないと推測》

「そもそもここに入った当初はコクピットに穴、空いてましたよ」


 そういえばそうだったなと誠は思う。三十分も前ではないが、その間に流れた時間が余りに濃密過ぎて忘れていた。

 だからと言って余分なリスクを犯すのもどうかと思っているとミリアがおずおずと切り出してきた。

 

「その、花冠を作って欲しくて」

「ま、いいか」


 どうせやれる事はない。戦いも終わった。この空間は訳が分からないが、直近の対応は不要に思える。

 

 コクピットから降りると意外な程空気がおいしく感じられた。本当に戦いが終わったのだと思うと僅かだが気が緩む。

 

「花冠な……上手く作れるかな……」

 

 とぼやきながらも誠は手際よく摘み取った花を編んでいく。ミリアはそれを見ながら同じ物を作ろうとする。

 穏やかな時間だった。文字通り、他に何もない世界。そこでただ黙々と誠は花冠を作る。

 

「出来た」

「私も出来ました」


 二人してお互いの成果を見せ合う。真似をされながら作ったはずなのに、誠の物よりもミリアの作った花冠の方が出来が良かった。作りはやや粗いが、色合いや花の組み合わせのセンスが良い。意外な才能を見た気分だった。

 

「ありがとうございます。誠さん。大切にします」


 そう言いながらミリアは自分の作った花冠を誠に渡す。困惑した表情を浮かべる誠にミリアは微笑んだ。

 

「お返しです。大切にしてくださいね?」


 そう言われては付き返すことも出来ない。こんな状況でプレゼント交換をしている自分に苦笑したくなるが、それを堪える。

 

「さて、コクピットに戻ろう。安全そうだけど万が一がある」

「はい……そうですね」


 コクピットに戻って改めて先ほどまでいた地面を見ると花畑は尚も広がっていた。誠たちからは確認できないが、地面の裏にさえ花が咲いていた。

 

《計算完了。実行可能です》

「ヴィクティム?」


 景色に目を奪われていた誠はヴィクティムの突然の言葉に目を瞬かせる。だがミリアにはそれが何を意味するのか分かっていたのだろう。躊躇いは一瞬。明瞭な声で告げた。

 

「やって。ヴィクティム」

《了解。申し訳ございませんミリア》

「待て何をする気だ」


 詰問するように声が荒くなった瞬間、誠とミリアのシートを遮るようにシャッターが下りた。

 

「な、これは……」


 微かな振動。僅かに感じる浮遊感。コクピットブロックを切り離されたのだと理解した。

 

「何をする気だ、ヴィクティム!」

《……現状の空間からの脱出が可能との解析結果が出ました》


 それは誠にとっては待ち望んだ報告の筈だった。だが何故だか今はそれが死刑宣告に等しい程不吉に感じる。

 

《時間がありません。即時実行します》

「何故俺には何も言わなかった!?」


 そこである。そんな重要事をヴィクティムが実行直前まで秘匿していた意味が分からない。

 

『ごめんなさい。私が口止めしました。きっと言ったら誠さんは実行を許可しないと思ったから』

「ミリア……!」


 通信機越しに対面した自身のバディであった少女は泣きそうな顔をしていた。

 

『ディストリオンコアを使ってコクピットブロックだけ射出します。元々ディストリオンコアにはそのための機能が備わっていました。問題は強度と距離』

《コクピットブロック内を時間凍結し、ディストリオンコアのレールにプラズマ化するまでの電力を込めればこの空間から脱出できるだけの加速度が確保できると計算しました。賭ける価値があるプランと判断》


 二人は淡々と脱出計画を告げる。なるほど確かに。話を聞けば行けそうな気もする。だが。

 

「レールをプラズマ化って……第二射はどうするんだ」


 ディストリオンコアを使い捨てる方策。それではまるで。

 

『第二射はありません……ここから脱出できるのは誠さんだけです』


 誠一人だけがここから帰る事が出来る。その言葉に誠はコクピットの外壁に拳を叩きつけた。

 

「ふざけるな! 今すぐに俺を戻せ!」

《申し訳ございません。マイドライバー。当機の最優先事項はドライバー誠の生存。故に、その命令は受諾できません》

『お願いします。誠さん。生き延びてください。わがままだっていうのは分かってます。きっと貴方は一人だけ逃げ延びるのを良しとしない。でも……私は誠さんを見捨てて一人で生き延びるなんてことはしたくない』


 一際大きい振動。コクピットブロックがディストリオンコアに装着されたのだと分かった。皮肉にもこの程度の距離ならばRERの駆動には問題が無いらしい。弾丸とはけた違いのサイズのコクピットブロックを打ち出す為、機体が耐えられないまでの電力で加速させようとしている。


《時間凍結開始》

『勝手に決めてごめんなさい』


 何時ぞやと同じだった。意識が薄れる。泣きそうな顔をしたミリアの姿が見えなくなる。叩きつけた拳の痛みが消える。

 

『本当に、大好きでした』


 低い唸りをあげていた外部の音が聞こえなくなった。

 

 最後に残った嗅覚。そこに残っていた匂いは花の香りだった。

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