83 分岐の結末

『貰った!』


 至近距離で組みあったままヴィクティムは相手の頭部を掴む。リサはそれを見て快哉を叫んだ。その状態からの打撃では相手に大した痛痒も与えられないだろう。だがヴィクティムには、その掌にはたった一つだけだが武装がある。この戦いで一度も見せてこなかったそれはここに来て隠し玉として機能する。


『エーテルダガー!!』


 エーテルダガー。敵を鹵獲する事を考えると使う事の少なくなっていた武装だが、その威力は一級品だ。それがこの至近距離ならば尚の事。掌らエーテルで構成された刀身が伸びる。それはそのままASIDの頭部を――貫かなかった。


『な、に……?』


 愕然とした誠の声が通信機越しに届く。顔面と掌の間に生じたわずかな隙間。そこを埋め尽くすように何重ものエーテルによる障壁が作り出されている。それに阻まれてヴィクティムのエーテルダガーは相手の表皮にすら突き刺さっていない。そのただ一点を保護するための障壁はこの攻撃が読まれていた事を告げている。だが有り得ない。これまでに誠がこの攻撃パターンを見せた事は無い。見せたのは――たったの一度。最早はるか前の事となった初陣の時である。その現場にいたリサも思い当る事があった。


「まさか……あの時逃がした奴のデータを……!?」


 大したことではないと捨て置いた当時の小さな失態だった。それはまるで蝶の羽ばたきが台風を呼ぶかのようにこの瞬間に牙を剥いた。

 エーテルの過負荷に耐えかねてヴィクティムの左マニュピュレータが崩壊する。その衝撃で体勢が大きくグラつく。肉弾戦を挑んでいる今致命的な隙となる。

 それを後方からリサも見ていた。それを援護すべくスナイパーライフルを構え――。


「ウェイン隊長!」


 部下からの警告で己の危機に気付く。横合いから飛びかかってくる一体のASID。当然だ。今まさにASIDの包囲網を突破しようとしているのだあら足を止めればそうなる。

 気付くのは十分に早かった。今ならば狙撃出来る間合いだ。だが、それを撃ったらヴィクティムへの援護は確実に間に合わない。せめてここに無傷の機体を駆るバディが一人でもいたら。だがそれを望むのは無意味な事だ。ここにはいない。それが全て。

 自分か、誠か。決断に要する時間は一秒にも満たない。その僅かな時間でリサの口元がつり上がった。何を迷っていたのだろうか。答えは最初から決まっている。

 もう誰かを見送るのは嫌なのだ。自分だけが生き残るのは嫌なのだ。ここで選択を与えられたのは幸運だった。成す術もなく生き残ることになっていたらきっと自分で自分を殺したくなっただろうから。


「必ず後ろにはボクが守る。そう言いましたね。誠君」


 いつかそう約束したのだ。どれだけ走ったとしてもすぐ後ろにいて守り続けると。今こそその誓約を守る時だ。その誓いを守れない様ならばリサ・ウェインと言う人間に生きている価値など無い。


 出撃前の提案を思い出す。嬉しかった。照れくさくてふざけてしまったけど本当は飛び上がるほどに嬉しかった。女として男に必要とされる喜びがあれ程の物だとは知らなかった。あの時の自分はどんな顔をしていただろうか。きっと幸せそうな顔をしていたに違いない。そう信じている。だから、それでいい。彼に残す最後の顔としてはきっと上出来だから。


 心残りがあるとしたらそれは――余りに嬉しすぎて自分の思いを伝え損ねてしまったことだろうか。通信回線は開けない。彼に自分の最期を見せたくはない。だからそれを伝えた時に彼がどんな顔をしてくれるのか。それを見る事が出来ないのは残念だ。

 彼の手の感触も、抱きしめてくれた時の安心感も。欲しいと思った物は最後の最後に駆け込みで全て与えてくれた。本音を言えばこの戦いを無事に戦い抜いて、彼と共に過ごす生活と言うのも体験してみたかった。そう言えば彼から何かを提案してくれたのはあれが初めてだった気がする。


 想像してみる。まずは部屋を探す必要がある。何時までもあの屋敷を使う訳にも行かないだろうし……単純に新居を選ぶという事をしてみたいというのもある。それならば景色のいいところが良い。保養区画の家などどうだろうか。普通ならば借りる事など出来ないが、誠とリサには今までの功績がある。ほとんど誇っていないのだ。こんな時くらいその雷名を使ってもばちは当たらないだろう。


 そうして部屋を借りたら次は役割分担だ。残念ながら家事能力はリサよりも誠の方が高い。これまではリサは男性役、エスコート側だった。しかし誠と暮らすのならばそう言う訳にも行かないだろう。少しは自分にだって女性らしいところがあると思ってほしいのだ。先輩としては情けない限りだがミリアに習うのもいいかもしれない。

 そうやって二人で日々のいろいろな事を決めて行って。お互いにやるべきことが、特に誠にはそれが多いので一緒にいられる時間は少ないだろうが、それでも彼だけの時間を自分が独占できると言うのは素敵な事だ。


 それで、もしもそう言う生活を続けて彼との子供を授かることが出来たら――それは何て幸福な事だろう。二人きりだった家族が三人に増えるのだ。きっとエスコート役を続けて、代償行為的な恋愛では得られなかった充足だろう。


 そんなありえたかもしれない未来を想像して、それでも未練を感じさせずにリサはスナイパーライフルを構えた。


 組みあっている相手への狙撃など本来は無謀だ。どう動くか想像が出来ない以上、援護すべき相手を討ち抜く可能性もある。だが今のリサには数秒後の両者の立ち位置が手に取るように分かった。きっと誠ならそうする。そんな信頼がある。風も戦場の様子も関係が無い。脳裏に描かれた弾道線はあらゆるコンピューターを超えて完璧なシミュレーションによって生まれた物だ。


 ああ、と時間が止まった様にさえ感じられる世界の中でリサは息を漏らす。もっと遠くても良いのに。もっと厳しくても良いのに。きっと今ならばどんな条件でも狙撃を成功させられる。そこに彼がいるのならば――。


 引き金が引かれた。発射時の着弾地点にはヴィクティムのコクピットがあった。それが着弾するまでの二秒間で入れ替わり、クイーンの頭部がそこに来る。ハーモニアスが扱うスナイパーライフルでは頭部を撃ち抜くことは敵わないが、片眼には深々と弾丸が突き刺さり苦悶の声をあげて後方に飛びずさった。


 その光景を見て、リサは微笑みを浮かべた。これで彼は大丈夫だと。自分の弾丸は彼を救う事が出来たと。愛しい男はこれからも生き続けられると。


「愛しています。誠君」


 ◆ ◆ ◆


 止めの一撃を防がれて隙だらけになったヴィクティムを救ったのは地上からの狙撃だった。ピンポイントでの頭部への一射。そんな真似が出来るのは一人しかいない。


「助かった、リ……サ?」


 礼を言うべく一瞬リサの機体の方を向いた誠の視界に飛び込んできたのは今まさにリサ機に飛びかかろうとしているASIDの姿。コマ送りの様に大口を開けたASIDがリサ機の胸部に齧りつき、その歯を機体に食いこませていくのが見えた。大きく歪んだ胸部装甲。咄嗟に隣の機体がそのASIDを即座に排除したが、リサのハーモニアスはピクリとも動かない。

 

 更にASIDが殺到しようとするが、その群れの中に空白地帯が生じる。――ノマスカス。浮遊都市の中でもヴィクティムに次ぐ希少性を誇る機体が遅ればせながら戦場に到達したのだ。撤退するハーモニアス部隊を援護しながら、大破したリサ機の両手足を切り落として胴体部だけにする。それを一機のハーモニアスに託して玲愛は機体をそこに留めた。

 

 ここから先は一機たりとも通さない。殿を自ら買って出た少女は長刀を構えてASIDを威嚇する。

 

 その姿を見て誠は一応の冷静さを取り戻す。大丈夫だと自分に言い聞かせるようにして破裂しそうな心臓の鼓動を落ち着かせようとする。死ぬはずがない。こんなところで終わりになってはいけないと。

 三年前の失態。それが今になって響くというのは予想もしていなかった。

 

《再度提言する。降伏せよ。我に争う意思は無い。汝らが従属することで無用な争いは回避できる》


 優位を確信しているのか。ご丁寧にも再びの降伏勧告が来た。答えるのはヴィクティムだ。

 

《解答する。従属を求めている時点で我々の見解が同意に至る事は有り得ない。数百年単位の引き籠りは世間を知るべきであると助言する》


 ああ、きっとこれは優美香から影響を受けたな、と皮肉に満ちたヴィクティムの言葉を誠はおかしな気分になりながら聞く。心臓の鼓動が平常時のリズムに戻ってきた。パニックを回避できたことで現状の把握も捗る。

 

 左手はもう武装を持つことも出来ない。幸いなのはリサが打ち込んでくれた弾丸で相手の視界は半分になっているという事。そしてもう一つは、その状態でも使う事が出来る武装が残っているという事だ。

 

「ディストリオンコア!」


 呼び出されたディストリオンコアが左腕に接続される。マニュピュレーターが無くとも接続に問題は無い。エーテルが充填される。AEMの残弾は片手で足りる程しかない。だが当たれば相手を確実に仕留められる。両腕に長物を装備したヴィクティムの姿は左右対称となりどこか神々しさがある。――尤も、その姿を見てそんな感想を漏らす事の出来る存在はこの戦場にいないが。

 

 無造作に相手の胴体を狙ったディストリオンコアの一射。それは難無く相手のレイピアで止められるが、弾丸はダミーだ。単なる実体弾を止めるためにクイーンはレイピアを使用した。それはつまり、そこにレイピアが来るように誘導したという事。間髪入れずにトーチャーペネトゥレイトがレイピアを襲う。それを防ごうとクイーンが同種の空間兵装を持つ左腕で防ぐ。

 だが今度はヴィクティムも相手にされるがままではない。むしろ逆に相手を振り回すかのように大きく腕を振るう。片腕だけで自分と同じサイズの巨躯を振り回す姿は異様な光景だ。溜まらずクイーンはトーチャーペネトゥレイトから手を離す。距離が開いた瞬間を好機と見たか。ヴィクティムがディストリオンコア――マッハ30のレールガンを連射する。弾丸にエーテルコーティングが無くとも、一点に受ければクイーンのエーテルコーティングを突破し得る攻撃だ。直撃コースはレイピアで止め、更には回避行動をとらざるを得ない。

 その回避運動の最中でも翼からのエーテルバルカンでヴィクティムを牽制してきた。

 やはりやりにくいと誠は感じる。一つの行動が次につながっている。ただ我武者羅に攻撃して来るのではなく、目的意識を持った戦闘。それはこれまでのASIDには無かったものだ。

 

 だが、逆にそれが狙い目となる。向こうには明確な目的がある。それを読めれば相手の行動は理解しやすい物になる。

 

 クイーンの目的。それは最初に口を開いた時点で発していた。

 伴侶――ヴィクティムその物を求めている。果たしてASIDの求愛と言うのがどのような物かは知らないが、確実な事が一つ。流石のASIDも死体を、破壊されたヴィクティムを求めようとはしないだろうという事。

 

 相手はこちらに致命打を与えられない。それは誠たちにとっては明るさと暗さを併せ持つ情報だ。相手はこちらを撃墜しようとしていない。にも拘らず互角かやや不利と言う戦況。それだけの差がある事を示しているのだ。

 

 出力は今となってはヴィクティムが上。武装に関しても同じ事が言えるだろう。パイロットの心理状態的には誠もミリアも悪くはない。やや動きの硬い誠をミリアがフォローする形ではあるが常以上の連携を見せている。

 だが押し切れない。先ほどの頭部へのエーテルダガーを読まれた事と言い、相手はこちらを研究してきている。

 

 ディストリオンコアの砲撃を掻い潜ってクイーンがレイピアを突きだす。それをヴィクティムは上体を逸らして回避する。そのまま宙で一回転。爪先で相手の胴を蹴りあげる。

 そのタイミングに合わせて本体改修時に取り付けられた爪先からのエーテルダガーを発振させる。これまでのヴィクティムには無かった装備。奇襲タイミングとしては完璧だったが、それさえも躱された。

 読まれていたのだろうか、と誠は思案する。外観からも何かあるというのは推測できただろう。頭の片隅で注意していれば避ける事は難しくない。

 

 ハーモニアスの狙撃でダメージを与えられたことを考えても、クイーンの装甲防御自体はさほどではない。両手の特殊武装が攻防を兼ね備えている分、本体はそれなりだ。何故そんな歪な形態となったのか誠には理解できないが、そこにこそ付け込む隙があると感じられる。言い換えればそこ以外に勝機を見出すことが出来ない。

 一瞬でいい。相手の動きを止めることが出来れば――。

 

 その思考を浮かべた瞬間、ミリアから一つの方策が示された。それを検討。誠は賛意を表する。対してヴィクティムは反対の意思を伝えてくる。それも頑強な。決して認めないという頑なさはある意味では仕方のない事だ。ヴィクティムとしては許容できる選択ではないだろう。むしろ、誠としてはそんな提案をミリアがしてきたことに驚いていた。

 

 一か八か。十分に勝算があると誠は考えているが、実際どうなるかは分からない。下手をしたらその瞬間に撃墜されるかもしれない。それでもやるしかない。モードトリプルシックスは既に限界に近い。常以上に誠とミリアの思考はシンクロしている。後数分で嘗てと同じ自己の境界線が消えるかRERを強制停止させるしかないだろう。

 

 時間がない。

 

 行くぞ、と声に出さずとも意思は伝わった。ヴィクティムが前に出る。クイーンもそれに合わせて前に。レイピアをトーチャーペネトゥレイトで牽制する。僅かな挙動で相手は攻め手を変えた。空間を支配し、掴み取る左手。それこそがミリアが待ち望んでいた行動だった。

 真っ直ぐに突き出される腕。ヴィクティムはそれを防ぐためにトーチャーペネトゥレイトを――合わせない。無防備なまま前進する。胸部の増加装甲に触れ、ヴィクティム本来の装甲すら消え去って行く。

 誠の目の前からスクリーンが消えた。すぐ数十センチ先に全てを飲み込もうとする闇がある。ほんの僅かの所に死が存在する。

 あと少しクイーンが前に出ればヴィクティムは中枢ユニットを貫かれて撃墜される。

 

 そのあと少しを、クイーンは恐れた。踏み込むどころか両手を下げて後ろに退こうとする。

 余りに大きすぎる隙。それを逃す程誠もミリアも惰弱ではない。

 

「そこだぁっ!」


 胸部装甲の隙間から突風が吹きつける。気圧差で耳が痛む。それに負けないように誠は叫んだ。トーチャーペネトゥレイトの穂先の回転速度が急上昇していく。ヴィクティムの残存エーテルがそれに反比例するように減少する。元々大喰いの武装だ。RERのリミッターを外していてもそう長くは持たない。だが今こそが勝負所。出し惜しみはしない。

 

「抉り取れええええええ!」


 ミリアの気迫の叫び。後ろに下げられたクイーンの左手にトーチャーペネトゥレイトが突き刺さる。左手の力場とトーチャーペネトゥレイトの穂先が拮抗。だが一瞬の事だった。出力の上がったトーチャーペネトゥレイトの前にクイーンの左手は破壊されていく。

 それを押し留めようとクイーンがレイピアをヴィクティムの右腕に突き立てようとする。それに先んじてディストリオンコアが砲口を鈍く光らせる。超至近距離からの砲撃。外す余地はない。ここぞとばかりに虎の子のAEM弾を開封。必殺の魔弾がクイーンに向けて放たれる。

 それをレイピアが間一髪で防いだ。防がざるを得なかった。それは先ほどの焼き直しの様。違いは一つ。既にクイーンからは盾たる左手は失われているという事。

 

 回転数を増大させるトーチャーペネトゥレイトが制止したAEM弾毎クイーンのレイピアを絡め取る。空間の歪曲に巻き込まれたレイピアをクイーンは廃棄し、距離を取ろうとした。ヴィクティムはこの機を逃さずに止めを刺そうとする。

 

 だがそれは叶わない。

 

 誠にもミリアにもヴィクティムにも、クイーンにも想定外の事象が発生したのだ。

 

 AEM弾とトーチャーペネトゥレイトの穂先。その接触点に"穴"が開いた。虚空に浮かぶ穴。それはあたかもブラックホールの様に貪欲に周囲を吸い込もうと大口を開け――。

 

《ぐ……》

「くそっ……」


 ヴィクティムとクイーンを瞬く間に飲み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る