81 月の真実

 それは、明白な誠の失態だった。

 

 誠だけだったのだ。それがおかしいと気付けるのは。

 

 誠しかいなかったのだ。その異常を気に留められたのは。

 

 ここは地球。誠が生まれた時代から六百年が過ぎた世界。

 

 ならば。

 

 ならば。

 

 ならば月が二つ存在するはずなど無いという事に。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 大小二つの月。一つは親指の陰に隠れる程小さい。そしてもう一つは、手の平でも覆え無い程に巨大な物。

 

 それを見て、焦燥も露わに立ち上がった誠を周囲は不審な目で見る。

 

「誠君? どうしましたか」

「……違う」


 呻きの様な声が誠の唇の端から漏れた。

 

「あれは、何だ?」


 その声に応える様に、月が――割れた。そこから生まれ落ちた何かを知覚するよりも早く。瞬間起きた事象は三つ。

 

「ぐっ!?」

「あっ……」


 頭の中で歓喜の声を挙げる何かに誠は立っている事が出来ず膝を付く。

 ルカは何かを堪える様に両腕で自身を掻き抱いた。

 そして、どこかから聞こえてくる金属質な鳴き声。それも一つや二つではない。一斉に響き渡るそれはまさしく産声。この星に再誕したASID。その全てが一斉に上げた声だ。

 

「この声は……まさか!」

「…………」

「ルカ? どうしたの、ルカ!」

「誠さん! しっかりしてください!」


 実を抱きながら己の最悪の想像に青ざめる優美香。

 無言で意識を切り替えている玲愛。

 変調を来したルカと誠に寄り添うリサとミリア。

 

 その声にこたえる余力は誠には無い。彼女が来た、彼女が来た、彼女が来たと大歓喜する何かに意識を持っていかれまいと堪えるので手一杯だ。一体何が、と考える事さえ出来ない。

 

 真っ直ぐに、落下してきた何か。浮遊都市を狙っているとしか思えない軌道で急接近し、居住区の直上で、静止した。その挙動はエーテルレビテーターに因る物だと優美香は即座に判断した。

 つまり、それだけの出力を持つ存在。

 

 人型であった。鈍い金色に輝く装甲。胴部はマネキンめいた不自然な細さ。手足は胴に比して太目ではあるが曲線を多用しており単調な形状である事を避けている。背中からは一対の翼。そこから漏れているのは赤いエーテルの燐光。そして頭部。まるで三角帽を被ったかのような形状。つばの下からスリット上の目が赤く輝いている。

 

 その姿を見た瞬間、誠は理解した。させられた。

 

 クイーンだ。

 

 理屈など分からない。確かに三年前倒した。だがそれでも暴力的なまでに訴えかけてくる。あれこそが頂点。あれこそが原点。

 この地球上のASID全てを統べ、全ての母たる存在。

 

《あ……あ……か、こ……》


 一瞬、何が起きているのか理解できなかった。頭上から響く音の羅列。音である。鳴き声ではない。明瞭な音として発せられていたそれは徐々に繋がりはじめ意味を持つ。

 

《勧告する。服従せよ。臣従せよ。我が意思に追従せよ》

「喋った……」


 苦しむ誠とルカを医療区画に連れて行こうとしていたリサは呆然と空を見上げてそう呟くことしかできない。

 ASIDが意思を持って言葉を用いている。それは今地球上に存在する人類全てに等しく衝撃を与えた。これまで意思疎通の欠片も見いだせなかったのに、何故今になってと皆が感じていた。

 

《我が番を引き渡すべし。我が巣を認めるべし。さすれば我は貴様らの繁殖を許容する》

「来て、ヴィクティム!」


 ミリアの呼び声に応えて無人状態のヴィクティムが花畑の中心に膝立ちで現れる。既に状況を把握していたのだろう。すぐさま手を伸ばして誠とミリアを自身のコクピットブロックに招く。

 

「りさちーこっち! 私が乗ってきた車がある!」

「分かりました! ルカ、歩けますか?」

「ダメ……機械はダメ……!」


 そううわ言のように言うルカの右半身。金属部品に置き換わった肉体が波打っている。置き換えられたナノマシンが活性化していた。このまま時間が経てば再びルカの肉体はASIDへの変貌を始めることになる。

 

「っ!」

「アディソン先生の所に行こう! あそこなら時間凍結の機材がある」

「分かりました!」


 一方誠もヴィクティムのコクピット内に入ると漸く落ち着くことが出来た。脳裏に響く声は薄れていく。

 

「ヴィクティム。あいつは――何なんだ」


 自分の中では答えが出ているがそれでも聞かずにはいられなかった。故に、ヴィクティムの答えにも疑問こそ在れど驚きはない。

 

《推定。状況から九十九パーセントの確率でクイーンと思われます》

「何で……? 倒した筈じゃ……」


 そのはずだった。だが誠はその時既に一つの可能性に思い至っていた。

 

「確かに俺たちは三年前クイーンを倒した。だけど、覚えているか? あの罠に使われていた個体を」


 あれも、クイーンだったと言葉にせずただ意識だけをミリアに伝達する。後ろで息を呑む気配を感じた。

 

「どういう生態かは知らないが、あいつらは世代交代するんだ。だからあそこにいるのは俺たちが倒したクイーンの後継か――」

《或いは我々が撃滅したクイーンの祖先である。……解析完了。塵の膜の発生原理が判明しました》


 一見それは今の状況には関係ないと思われた。だがヴィクティムが態々全く無関係の事象をこのタイミングで言い出すとは思えない。無言で先を促す。

 

《塵の膜は地球全域を覆う巨大なエーテルフィールドによって押し留められていたと判明。そしてそのエーテルフィールドは、あの個体のエーテルを完全に遮断――つまり、地球への侵入を防いでいた物だと思われます》

「そんな物を……クイーンが?」


 一体何故、と言う思いを込めて呟くとヴィクティムは否定する。

 

《いいえ。そのフィールドを維持していたのはドッペルです。ドッペル――旧時代に存在した当機の同型機は、ASIDと化して尚、クイーンの侵入を防ぐために己の機能を使用していました》


 例え維持する物が居なくなったとしても数年は持つほどの強固な結界。本当に最後の最後までこの星を守っていた。そして翻って現状は。

 

「つまり、俺たちがドッペルを撃破したからあいつは入れるようになったって訳か」

《肯定。同時に否定。結果論としてはそうなりますが、どの道地上にいたクイーン撃破時点でやはりドッペルは停止していたと思われます》


 ヴィクティムが頭部を上に向ける。同時に、クイーンも頭部を下に向けた。両機のカメラアイから発せられた視線が絡み合う。

 

《我が伴侶に告げる。我が手を取れ。不完全な生命体への隷属を止めよ。この星は我らが楽園である》

《当機はヴィクティム。対クイーン用に建造された機体である。当機の存在目的は人の為にある。故に、その要請は当機にとって検討するにも値しない下策である》


 ヴィクティムが外部スピーカーからそう告げる。無機質な声音なのは双方同様。だが、ヴィクティムの音声からは明確な苛立ちを感じることが出来た。不快、そう形容して間違いないだろう。

 

《状況分析。人の言葉を解し、発する様ですが相互理解は不可能と推測。故に、変わらず撃滅が最優先目標と認識》

「優美香とは好みが似ているみたいだけどな」


 モテモテじゃないかと軽口を叩く誠だが、言葉ほどに余裕は無い。ちらりと見た真クイーンの出力はヴィクティムを確実に上回っている。そしてあれがクイーンだというのならば、これまでのASIDが収集してきた全ての情報を持っていると考えるのが妥当だった。

 ドッペルの時以上に厳しい戦いとなるのは確実だった。

 

 だがヴィクティムも三年間変わらずにいたわけではない。全損した通常型の筐体。残された部品で作り上げたオービットパッケージの筐体。それらに続く第三の形態。ハーモニアスの生産体制が整ってから、ラインの優良部品を流用しながら作り上げたコアユニット以外は完全浮遊都市製の新型。

 通常型をベースにオービットパッケージの機構を内蔵させた高機動型とでも言える素体。そこに過剰なまでの追加装甲と武装を取り付けた形態。RERの出力が無ければ動かすことも出来ない完全武装。

 

 互いに相手の能力は未知数。状況はヴィクティムの側に不利だった。

 クイーンが存在するという事は、停止していた各地のASIDも再起動している。流石にセクター周辺のASIDは全て回収、破壊されているが離れればそうでもない。その全てが一斉に浮遊都市に向かっているとすると量産されたハーモニアスだけでは長時間は支えきれない。クイーンが浮遊都市を狙う前に、ASIDが辿り着く前に倒さなくてはいけないという時間制限。

 

 何時もの事だと誠は猛る。終わらないのかと絶望しかける。まだ戦わないといけないのかとも思う。漸く得られた安寧をこうも容易く奪われてしまうのか。それでも戦いを止めるわけには行かない。逃げるわけにもいかない。

 

「何度だって来い! もう俺はお前らに二度と奪わせない!」


 沢山の物を奪われた。沢山の物を失った。これ以上何一つだってASIDに与える気など無い。

 

「私が何時だってお前たちを滅ぼしてやる!」


 ミリアも静かに闘志を燃やしている。怒っていると言ってもいい。平和だったのだ。皆がようやく終わった戦いに安堵していたのだ。それを再び崩そうとする存在に対して寛容になれるはずもない。

 

 その二人の宣戦布告に対してクイーンは。

 

《状況理解。我が伴侶が『ヒト』の為にあるというのならば、我は『ヒト』を滅ぼそう。我が伴侶を見つけ出すための飼育場はもう不要である》


 決して相容れぬ存在。互いにそれを認識したところで、ヴィクティムが動き出す。

 

 制動状態から加速。遮られる物は何もない。真っ直ぐ突き進む。

 

 肩から懐に飛び込んでいく。体当たりをするように機体をぶつけると、強引に自機の推力でクイーンを押し動かす。ここでは浮遊都市が近すぎる。クイーンは何も気にせずに攻撃できるだろうが、ヴィクティムはそうもいかない。

 

 クイーンもそれに抵抗する気はないのだろう。ヴィクティムに導かれるがまま、場所を移動する。浮遊都市から十全に離れたと確信したところで、ヴィクティムは相手の腹を蹴って密着状態から離れる。悠然とした様。そこからは明確な知性と理性を感じる。ただ本能のまま襲ってきたこれまでとは違うと認めざるを得なかった。

 

 様子見は不要。オービットパッケージから引き継いだ二丁のヴィクターレイに搭載されたハーモニックレイザーを振動させる。クイーンのカメラアイが確かにそれを捉えた。

 

 左手に保持したヴィクターレイを振るう。その動作の最中で刀身が伸びた。ワイヤーのみで繋がれた伸縮刃。これまでの戦闘経験と、学習によって導き出された太刀筋から変化した鞭の様な軌道は目で見て避ける事は不可能だ。誠もミリアもこれまでASIDを撃破する際にもっとも確率の高かった戦法を脳裏に浮かべ、ヴィクティムを含めた最小単位での議決を行い、即座にそれを肉体に反映させるというプロセスを経て攻撃を行う。

 

 相手がこちらの情報を持っているというのがこの場に限って利点となる。途中までは過去に見せた動き。そこからの切り替え。一瞬で変わる攻撃は本能で学習した相手では避けられない。

 

 本能だけならば。

 

 クイーンが身を屈める。胴を逸らす。足を振り上げてつま先で伸縮刃の中途を突く。それだけで一本はクイーンから大きくそれた虚空を貫く。だがまだ終わらない。逸らされた一本も、まだ勢いが死んだわけではない。背後から回り込んで先端が背中を狙う。そしてまだ右手のヴィクターレイが残っている。二方向からの曲線攻撃。

 

 人が振るう鞭でさえ、先端速度は音速を超えるのだ。弾丸と見紛うほどの速度で迫る剣先をクイーンはまるで落ち葉を抓むが如き容易さで指と指の間に挟んだ。振動波は全て受け流されている。そのまましっかりと掴み直されてヴィクティム毎引き寄せられる。

 その挙動を察知した瞬間にヴィクターレイのエーテルカノン部が光を放つ。狙いを付ける必要はない。相手は今も剣の先にいるのだから。だがその直撃を受けてもクイーンは小揺るぎもしない。溜めは皆無とは言え、並のジェネラルタイプならば一瞬で蒸発するだけのエーテル出力だったにも関わらず。相手の動きを遮る事叶わず、武装越しにヴィクティムが引き寄せられる。

 

 相手の動きに乗る事を厭ってヴィクティムが武装を手放す。ヴィクターレイだけがクイーンに引き寄せられるが、それを無駄にするようなことはしない。ヴィクティムの腕部装甲がスライドして砲身が顔を出す。エーテルバルカンから撒き散らされるエーテル弾頭がヴィクターレイを貫いて爆散させる。閃光。それを目晦ましにヴィクティムは更なる武装を亜空間から取り出す。

 

 今の攻防で、相手が本能だけで動いていない。思考しているという事が理解できた。こちらの動きを予測する。それは今まで以上に戦闘が困難になる事を意味しているが、同時にプラス要素もある。予想を裏切る事が出来れば相手に与える衝撃はより大きい物となる。

 

 故に、次の一手は距離を取るのではなく――前進。

 

「メルティング!」

「インパクター!」


 二人で叫びながら巨大なガントレットを装着したヴィクティムがクイーンに殴りかかる。超高温による一撃。打撃と熱の二重攻撃にクイーンが僅かに押し負けた。だが蒸発までには至らない。両腕で押し返そうと掴んでいるが、その表面が僅かに赤くなっている程度だった。コロナの温度――200万度を浴びても装甲が形状を維持しているのはエーテルコーティングの恩恵以外の何者でもない。

 

「全開放!」


 その熱量を一気に解き放つ。メルティングインパクターのボルトが緩み、装甲が展開して強制排熱を行う。膨張した空気による爆発で視界が閉ざされた。これならば多少なりともダメージが、と誠が考えた瞬間。背筋が凍る様な悪寒。否、事実としてヴィクティムのコクピット内の気温が一瞬で震えるほどに低下していた。

 閉ざされていたはずの視界が明瞭になる。それは膨張していた空気が一瞬で冷やされた結果だと理解する余裕は無かった。

 

 一瞬前には無手だったクイーンの手には、透き通るほどに美しい一振りの剣が握られていた。形状はレイピア。

 それを右手に携え、ゆるりと持ち上げる。それまでの緩慢な動作が嘘のような鋭さの突きはまるで閃光の様。

 避け切れる物ではなかった。メルティングインパクターの手甲にその切っ先が触れる。どれだけの破壊があるかと誠は身構えるが、予想に反して衝撃は無い。

 メルティングインパクターの強度が相手の攻撃を上回ったのだろうかと推測。相手の武装の間合いに留まる愚を犯さずに距離を取ろうとしたところで気が付く。

 まるでそこに縫いとめられたかのように、腕が動かせない。切っ先が触れている箇所で空間が固定されたかのようだった。対応策を考えるよりも早くクイーンが動く。相手にとってこれは予定の一つ。想定された流れの内だった。

 左手が淡く輝く。そこには今度こそ明確な破壊の気配を感じて更に誠は焦る。あれに捕まれてはいけないという予感。

 しかし対処するには余りに距離が近すぎて、そして時間が足りなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る