80 星空

『本日、セクター8からの調査報告により、新たな植樹可能地域が発見された事が判明しました』

「ふんふんふーんっと」


 ラジオから流れてくるニュースをBGMに、彼女は上機嫌で料理の支度をしている。片手には松葉杖。器用にも基本片手で効率的に調理を進めている。

 

『現時点で地上の緑化は目標の30%の達成ですが、行政府では次期計画である保有動物の再野生化試験の前倒し実行が審議されています』


 屈んだ際に髪が頬にかかる。右手に握っていた包丁を置き、耳元までかき上げる。髪同士が擦れて微かな金属質の音を立てた。彼女の髪色は青。そしてところどころ混ざる様に銀色が入っている。よくよく見ると、彼女の右手も、顔の右半分もどことなく人工的な作りを感じさせる。

 

『次に、セクター防衛計画の続報です。ハーモニアスの第二次生産ロットが昨日各セクターへと配備が開始されました。あくまで配備はASID再襲撃に備えた物であり、軍事力による弾圧を行うためではないと繰り返し行政府は発表しており、現状セクター外周に配備される予定となっております』


 そのニュースを聞いて少女は小さく息を吐く。

 

「そもそも軍事力による弾圧、何てやるんだったらハイロベートで十分だって何で気付かないんだろう」


 ジェネラルタイプ相手だと影が薄いが、人間を相手にするのならばハイロベートは十分すぎる武力である。

 

『一週間後の終戦記念式典を前に、これまでの三年間にあった出来事を纏める特別番組の放送が予定されております』


 ラジオの言葉に少女は――ルカは短く息を吐いた。もうそんなになるのかという思いが半分。まだそれだけにしかならないのかと言う思いが半分。

 

 三年。それはそのまま自分が今の身体になってから、と言う意味でもあった。手のひらを握りしめる。耳を凝らしてそこにある、と意識しなければ分からない程小さなモーター音が耳に届いた。今のルカの身体はその半分が機械仕掛けだ。ASID化によって金属に置き換えられた肉体。優美香も懸命の努力を続けたが、有機体に戻すのは不可能だと結論付けざるを得なかった。

 もっとも、ルカとしては然程気にしていない。文字通り命があるだけマシと言う状況だった事は理解している。それに、一番肝心の部分は生身なので問題ない。生殖機能が残っていればいい、と言い切った時の優美香の顔は中々味があったとルカは思い出し笑う。

 

 笑みの残滓を顔に張り付けたまま、手早く弁当箱――と言うよりも重箱に作ったおかずを詰めていく。彩のある食材はこの三年で農業用に作られた地上居住区――セクターが増えたおかげだった。単純な面積が増えたおかげで食糧事情は大きく改善されている。今は人の手から離れた環境で自生可能かどうかの試験中だった。


「よし、出来た」


 力作である。完成した弁当を見つめてルカは満足げに頷く。今日これだけ気合いの入った弁当を作ったのは当然理由がある。

 

「さてと……私も支度しなくちゃ」


 ASIDとの戦いが終わって三年。その三年間人類は自身の生存領域の拡張に費やしてきた。それはこれまで空に逃れざるを得なかった鬱憤を晴らすかのようでだった。結果として浮遊都市一つだったころと比べると飛躍的に居住可能区域は増えた。尤も、まだ塵に汚染されている地上に直接済むのではなく、浮遊都市の居住区画を流用したドームに住んでいる。

 

 問題は多い。ASIDによって破壊され尽くした環境をかつての姿に戻すのは不可能ではないかとさえ言われている。

 それでも人は生きていた。たくましくこの時代を生き抜こうとしていた。

 

 必然、生存圏が広がったという事は単純な面積も増えたという事である。それぞれのセクターを行き来するだけでもそれなりの日数がかかる。そして万が一に備え各地へ防衛戦力を派遣する必要がある。

 

 誠たちはそうした流動の中にいる。必然、浮遊都市の中に籠っていた三年前と比較すると会う機会は激減していた。今回も全員が揃うのは約一年振りの事だった。

 

「いや、全員じゃないか……」


 かつてした約束。もう一度お茶会を。その願いはもう果たすことが出来ない。正直に言えばルカはあの約束が守られるとは思っていなかった。だがそれは欠けるのは自分か姉であるという理由であって、自分たちが生き残って雫が居なくなるというのは考えてすらいなかった。

 

「よし、準備オッケー」


 髪を纏めて鏡でおかしなところが無いか確認する。これだけ気合いを入れているのは言うまでも無く誠の為である。たまにしか会えないのだ。数少ないアピールタイムは重要だった。

 

「それじゃあ行ってきます」


 一人暮らしになっても癖でつい言ってしまう言葉を置いて、ルカは一歩外に踏み出した。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「玲愛……待って。ちょっと待ってってば」

「何、ミリア?」


 出かけようとする玲愛をミリアは必死で止めた。それに対して何故止めるのか分からないという表情を隠そうともしない玲愛。どうした物かとミリアは悩む。

 

 ――ミリアが誠たちの住む屋敷を出て一人暮らしを始めたのは二年前の事だ。ついでに言うと玲愛とルームシェアをするようになったのも二年前だ。

 

「その格好はまずいよ……」

「どうして? ミリアも好きでしょ?」

「確かに好きだけど……」


 どう言葉を尽くせばこのデカデカとデフォルメされたクマがプリントされたシャツを着ることを諦めてくれるのか。そしてそれを自分に着せる事を諦めてくれるのか。

 

「えっと……そうだ、今日は肌寒いからそれ一枚だと辛くないかな?」

「確かに。もう一枚着よう」


 どこからともなく取り出したもう一枚のクマシャツにミリアはめまいがする。何時の間にそんなに何枚も買い込んだのか。そしてそれをもう一枚着るのか。言いたいことは色々とあった。取りあえず言葉での説得は無理と悟ったミリアは実力行使に出る。

 

「兎に角、こっちとそれからこっちと……これに着替えて」

「何故……ミリアも何時もは喜んできているのに」

「着てるけど! 確かに着てるけど!」


 それはあくまで部屋着なのだ。可愛いしお気に入りではあるけど外出時に着る勇気はない。それ以前に何より、好きな人に会いに行くというのにクマシャツは無い。残念だがそれだけはない。

 

「良いから! 兎に角きーがーえーてー」

「むう、ミリアは我儘」


 言いながらも玲愛は渋々、本当に渋々と着替える。そんなに気に入っていたのかとミリアは驚きを隠せない。


 三年前はヴィクティムの専属ドライバーだったミリアも、今はハーモニアスに乗って玲愛と共に各地のセクターを行ったり来たりしている。ASIDの襲撃と言う脅威が去ってから、ヴィクティムの運用にも大きく制限が掛けられることになった。平時には手に余る力だ。その判断はミリアも妥当だと思っている。


 結局、何をするか迷った挙句、玲愛に誘われてフレーム乗りに転向することになったのだ。他の選択肢もあった。それでもミリアは戦いに関わる事を選んだ。その理由は自問しても明確な答えは出ない。ただ、やりたいと思ったからやる。それだけだった。

 

 三年前と比すると大分伸びた髪。太い三つ編みを編んで背に流す姿は今はいない誰かを強く意識しているのは明らかだった。忘れられない。忘れるつもりも無い。彼女から与えられた言葉は今もミリアの中に息づいて自分を励ましてくれる。

 

「そういえば」


 ふと思い出したように玲愛は口を開く。よくよく見ればインナーにクマシャツを着ているが、もうミリアも諦めた。脱ぎでもしない限りは分からないだろうから気にしない。

 

「今日優美香は来るの?」

「優美香お姉ちゃんは……来るのかな? 体調とか大丈夫なのかな?」


 最後にあったのは何時だったかと首を捻る。詳しくは知らないが、そろそろ外出しても大丈夫なのではないだろうか。

 

「楽しみ」

「うん、楽しみだね」


 優美香と――正確には優美香が連れてくるもう一人と会えることを楽しみにしながら二人は仲良く連れたって部屋を出た。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 バイロンの家は実の所かなり由緒正しい。浮遊都市において――どころか、それ以前の西暦まで遡ったとしても六百年の血筋の連なりと言うのはそれだけで希少だ。浮遊都市黎明から続き、何より最初期のASID戦役に参加していたと伝えられている様な家だ。親戚付き合いがあるという、浮遊都市では滅多にない経験が出来る家でもあった。

 

 それ故に跡継ぎが望まれていた。同時に絶望もしていた。何しろ本家の跡取り娘は機械に傾倒しすぎていた。それこそ都市内で噂になる程に。バイロン家は機械と寄り添って生きてきたと言ってもいい一族だが、恋愛対象が機械になるほどではない。

 なるほど確かに。今代のバイロンは血が濃い。濃すぎるが故に道を踏み外していると親戚筋では囁かれていた。親戚付き合いを悉く断っていた優美香にはそんな声は届いていなかったが。

 兎も角、優美香の興味の対象は機械だけだった。ヴィクティムと出会ってからはそれが顕著だと言える。もう絶対無理だから分家筋を養子に入れて……と母親や叔母が画策し始めたのはクイーンを倒して半年ほどの事。無理も無い。

 

 そんなある日の事だ。突然優美香は

 

「ちょっと作りたいものがあるからしばらく会えない」


 と言った旨のメッセージを残して失踪した。当初は気にしていなかったリサをはじめとする面々も、連絡が耐えて一月が過ぎた辺りで流石におかしいと心配し始めた。作業に熱中すると周りが見えなくなるのは何時もの事だった。それ故に熱中しすぎて寝食を忘れてぶっ倒れているのではないかと言う不安に思い当ったのだ。尚、誠は平然としていた。

 

 散々心配をかけた優美香が次に皆の前に姿を現したのは、メッセージから大凡一年後の事だった。少し、白くなって腕には丸々とした赤子を抱えていた。

 

 リサは問うた。

「……それ、誰?」

 と。

 優美香は答えた。

「私の子供だけど?」


 その時のリサの様子は筆舌に尽くしがたい物があった。有り得ない物を見たという様に口をあんぐりと開けている様は到底見れた顔ではなかった。

 ミリアは暢気にかわいいねーと言って嬉しそうに微笑んでいた。ミリアとルームシェアの相談に来ていた玲愛は布教用に持っていたクマのぬいぐるみを赤子に与えて満足げな顔をしていた。

 誠は特に驚くことも無く、だが何とも言えない顔をして赤子を見つめていた。

 実と名付けられた赤子は、知らない人たちの前にいきなり連れてこられてビビって泣いていた。

 

 その後精力的に働いた優美香の活躍によってルカの蘇生措置が完了し、皆で集まったタイミングで、良く子供を作る気になったと聞けばどこかバツが悪そうに答えた。

 

「ASIDとの戦いも終わったし、まあダーリンとは絶対無理だし、妥協しておこうかなって」


 妥協の下りで誠が何とも言い難い渋い顔をしていたがそれに気付いた者はいない。

 さて、そんな優美香の子育てだが――大半の予想を裏切らず真っ当な物では無かった。兎に角何でもかんでも機械で済ませようとしたのだ。全自動おむつ替え&ミルク与え機は誠とミリアが断固拒否した。限りなく彼の牧場で見た光景に近い物があったとなればそれも致し方ない事であろう。

 そんな風に時折軌道修正されながら優美香は実を育てていくのだった。

 

「んっしょっと。また重くなったなーお前ー」


 実を抱きかかえるとずっしりとした重量感が優美香の腕にかかる。機械の部品にはもっと重い物もあるが、そういうのとは別の次元で重い様に感じた。この頃は歩けるようになったからか、ちょこちょこと後ろをついてくるのが可愛らしい。流石に自宅にある作業場には入れられないので、扉の前で抱きかかえて反対に向かせると面白がって繰り返してくる。しばらく遊んでいるのも楽しいが、済ませないといけない仕事があった。

 

「はい。ここで待っててね」

《……優美香嬢。当機を託児所代わりにするのは止めて頂きたい》


 つい先日帰還したばかりのヴィクティムは、楽しげな実に操縦席などを涎まみれにされて微妙に嫌そうな声を出した。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 雑然とした室内を見て、リサはいい加減にそろそろ掃除をするべきかと眉根を寄せた。

 ここ一年程は殆ど帰ることも無く、都市外で活動していたのだから整理をする時間は無かった。そして帰ってくるたびに大量の荷物を置いてまた出かけるという事を繰り返してきたのだ。整頓されている方がおかしい。

 

「……片付けないといけませんね」

「だなあ。問題は俺たちで片付けが出来るかどうかだけど」


 背後で荷物を漁っていた誠が視線を上げずに答えた。一応彼がこの屋敷の主の筈だが、自分で管理しようという気はないらしい。

 

 嘗てこの屋敷には誠、リサ、ルカ、ミリアが住んでいた。度々雫と優美香も訪れにぎやかと言ってもいい空間だった。だが今ここを訪れるのは誠とリサだけだ。住人達はそれぞれの職場に合わせて部屋を変え、住む者がいなくなった屋敷を尋ねる者もいない。必然、閑散とした空気が漂う場所となった。

 

「やっぱり、ルカに手伝ってもらうか?」

「うっ、いえその。ボクとしては大見得を切った手前、ルカを頼りにするのは姉としての威厳が……」

「家事関係で威厳は既に皆無じゃねえかなあ……」


 容赦のない指摘にリサは己の胸を抑える。そもそも、本日の予定として、かつてこの屋敷に集まっていたメンバーと久しぶりに会うという物がある。そうなれば自然な流れとしてこの屋敷に足を延ばす可能性は大いにある。つまりはそうなった時点で威厳など一瞬で消し飛ぶのは確定だ。

 

「誠君! 今から掃除しましょう! 掃除!」

「今からってもう無理だろ……諦めろよ」

「むしろ誠君の諦めが早いですよ! もっと粘りましょう! やればできます!」

「限度があるって」


 分かっている。リサも分かっているのだ。この一年間に渡る荷物――資料の山を片付けるには到底一日では足りないという事を。それでも少しくらい体裁を整えておきたい、と言うのが彼女の本音だった。


「せめて一部屋に押し込むとか」

「それやって後でどこにやったのか分からなくなって苦労するのは俺たちな気がするんだけど気のせいか?」

「うぐ……」


 リサはどうにかならないかとしばし唸り……諦めた。誠の言うとおり、最終的に困るのは自分たちだと認めざるを得なかったのだ。

 

「それよりも半年前の回収データってどこにやったっけ?」

「えっと確か……二階のどこかの段ボールに突っ込んだ記憶はあるんですが」


 屋敷を資料地獄に叩き込んだ二人の仕事は――外界調査だ。次期セクター建造場所の選定、旧時代施設の調査。主に後者の内容を中心に活動をしている。そうした中で失われていた多くの情報――例えば六百年前の戦いの結末などを誠は知る事が出来た。

 

 冠木華。その人物像は定かではないが、どんな戦歴を歩んで来たかの把握。彼女が乗っていたヴィクティムがどうなったのか。

 

 黙々と資料を探している誠の横顔をリサはそっと盗み見る。表面上は特に気にしている様には見えなかった。だが、決定的な情報を入手した時以来、悩むような表情をすることが増えた様に思える。

 

 都市呼称、ドッペル。ヴィクティムと酷似し、ASIDと敵対していた個体。その素体となったのは六百年前に華と誠が乗っていたヴィクティム。その機体である可能性が高いという事。そして、おそらくはそのヴィクティムのAI部分は撃破されるまで稼働していたという事だ。

 ドッペルのRERを動かしていたのは、通常のASIDと旧時代ヴィクティムのAIが出力していた生エーテルだ。旧時代ヴィクティムは無機物の域を超えて、ASIDに近しい生命体の域に達していたらしい。

 その最後のデータも残されていた。クイーンによって胸部ブロックを貫かれ、取り込まれる姿。パイロットがどうなったのか。言うまでも無い事だった。

 

 今日の集まりが少しでも誠の気を晴らせばいいと思う。自分一人の力で誠の悩みを解決させられなかったのは残念だとは思うけれども。

 

「まあ……急ぎでもないし明日でいいか」

「ええ。それよりもボク達も支度をしないと。さっきルカからそろそろ支度をしないと間に合わないというメールが来ましたよ」


 そんなメールが来るという事はリサの行動と思考はルカに完全に把握されている証だ。幸いと言うべきか、リサはその事には気付いていないようだが。逆に誠は気付いて何とも言えない表情を浮かべている。


「相変わらずしっかりしているな……それじゃあ俺たちも行こうか。一番近いのに遅刻したじゃ恰好が付かない」


 ◆ ◆ ◆

 

 花の香りがした。

 広がる花畑。その景色に誠は感慨深いもの感じずにはいられない。

 

 浮遊都市アーク。現第一セクターと呼ばれる人類最後の拠点は今はその翼を休めていた。六百年の旅路を終えて漸く長い休息と取る事を許されたのだ。居住区を覆っていたドームは開け放たれている。そうしても問題ない位に周囲の塵濃度は低下していた。吹き付ける風が、降り注ぐ雨が。数百年ぶりの自然が浮遊都市に与えられていた。

 

 その一角には以前ASIDの襲撃によって焼き払われた箇所がある。森林保護区。植物の保全を目的とした区画には複数種の樹木と草花が植えられていた。浮遊都市の住人は誰も寄り付かないそこはミリアの唯一の退避場所だった。そして誠とミリアが出会った場所でもある。それ故に、灰となってしまったことに悲しみを覚えたし、その後中々復旧しない事にも落胆した。

 

 それが今、記憶を超える姿で蘇っている。森の奥深くにひっそりとあった花畑は、空を遮られることなく陽の明かりの下にいる。それは何となく、今のミリアを連想させて誠は嬉しくなる。

 

 花畑から少し離れた位置にリサと手分けしてシートを広げる。見るとちらほらと同じように花見――と言うには誠としては疑問が残るが、実際として花を見ているのだから花見なのだろうと納得している――をしている団体が見えた。その様な余裕があるのも全てはASIDとの戦いが終わったからだ。そんな光景を見るたびに誠は戦ってきた甲斐があるとしみじみと思う。

 

 後は人口増加計画への再三再四の協力要請が無ければ完璧なのだが、と誰にも気付かれないように溜息を吐く。

 そんなことを考えていると続々と参加予定の人間が集まってきた。久しぶりの挨拶を交わす。

 ちなみに一番の人気者は実だ。代わる代わる抱きかかえられて可愛がられている。その光景を横目に見つつ、シートの上に座り込んだ誠は優美香に話しかける。

 

「ハーモニアスの生産状況ってどうなってるんだ?」

「まあ順調だよ。五年もすればハイロベートから完全に刷新できると思う。まあ現状過剰な戦力だけどね」

「万が一への備えは必要だからな。単純な作業重機としてもハイロベート以上なんだろう?」


 重機であるという建前は重要だ。実際問題としてハイロベートでは細かな作業に適していないという問題があった。その点ハーモニアスならばかなり細かな作業まで行える。実質的なヴィクティム量産機である事を考えれば当然の性能だった。――反面、ASIDが居なくなった今の地球でそんな過剰戦力が必要なのかと言う意見も多い。


「本当にASIDが停止したのか。何ていうのは実際の所私らには分からないからね」

「ああ。俺だって偶に夢に見る。いきなり動き出してまた戦いが始まるのを」


 クイーンがいないのならばそんなことは起こりえない。分かっているのだがその不安はどうしても消えない。

 

「ま、考え過ぎるとキリがないからね。それはさておき」


 そこで優美香は話題を切り替える。隣に座る誠の顔を覗きこむようにして。その表情、仕草。誠にとってもはや過去になってしまった人物を想起させる仕草だった。データで確認をしたわけではないが、自分の妹の血縁であるという事は誠の中で九割方確信している。

 

「りさちーとは最近どうなのかな?」

「……別に、何も」


 返事に一瞬詰まった。それを好機と見たのか。優美香がニマニマしながら追及する。

 

「えーだって聞いたよ? るかちーからの告白に遂に返事をしたって。それはつまりそういう事なのかと思ったんだけど」

「いや、それはずっと保留にしているのは申し訳ないと思ったからで」

「ほうほう」


 しどろもどろになって弁明する誠を優美香は面白そうに眺める。三年。それだけの期間は誠の中で感情の整理を付ける為に必要な物だったのだろう。初めて会った時の顔に戻ってきたかと優美香は僅かに安堵する。別に機械に傾倒しているとは言っても全ての人間に興味が無いわけではないのだ。

 

「これは雑談なんだけど。上空を覆っていた塵の膜が薄れているのには気が付いていた?」

「ん? ああ。まあな」


 話題の転換にあからさまな程ホッとした表情を浮かべる誠に、優美香はもう少しからかいたいという欲求が首をもたげたが一先ず抑える。

 

「今日あたり膜に完全な裂け目が出るっていうのは?」

「そうなのか?」

「うん。ラジオとかだと結構やってると思うけど」


 どうも誠は知らなかったようで感心したような顔をしている。優美香としてはここからが本題だ。

 

「つまり、六百年ぶりに空を見れるわけ」

「俺は何回か見てるけどな」


 身もふたもない事を言う誠の脇腹に肘を入れながら優美香は何事も無かったかのように話を続ける。

 

「六百年ぶりの星空の下での告白。ロマンチックじゃない? どうよ、このプラン」

「お前からまともな女子っぽい発言が出てきて凄く驚いている」


 肘が的確に誠の脇腹を抉る。二度目でガードしていたにも関わらずそれを擦り抜けてきた。その事に誠は驚愕を隠せない。取りあえず痛みをこらえながら苦情を口にする。

 

「二度連続で同じ個所は止めろ……!」

「あーら。アークのエースドライバーともあろうお方が情けない事」


 芝居がかった口調でそういうと優美香は自分の子供の方に近寄って行った。悶えた後、優美香の言葉を思い出して空を見上げる。言われてみると塵の膜がこれまで以上に薄くなっているのを感じる。そのままぼんやりと見上げていると誰かが隣に座る気配がした。

 

「何か見えますか?」

「んー今は何も……ってリサか」


 隣に座っている相手がリサだと気付いた誠は僅かに身を固くする。その感情の動きに気付いたリサは少しだけ目を伏せ、意を決したように面を上げた。

 

「誠君。ここしばらく思っていましたが……何か悩みでもあるんですか?」

「へ、悩み?」


 予想していなかった問い掛けに誠は間の抜けた返事をしてしまう。悩み。無論人並にある。だがそれは本当に人並の物で、改めて誰かに喧伝するような類の物でもない。

 

「いや、別に取り立てては」

「嘘です。というか、誠君の場合問題ないと言っても大問題を抱えているのは過去の事例から証明済みです。さあ、キリキリ吐いてください。ボクが相談に乗ってあげます」


 断定であった。そして悲しい事にそれを否定する言葉を誠は持っていない。実際過去に抱え込んでいたのだから。本当に、悩みは無いのだ。悩みは無い。ただ――一つだけ気になっている事があるのだ。

 

「……今回で、当面のセクター開発予定地も決まったし、旧時代のデータも最低限は集まった。ここからは俺たちもきっとセクター防衛の方に回されることになるだろう」

「ええ。そうですね。現状の人口増加曲線的に、これ以上のセクター増設は資源面でも無駄が多くなりますし。旧時代の情報収集と言う点ももっと余裕が出来てからになりますから。もしかして、もう少し調べたかったですか?」


 それなら――と続けようとしたリサの問い掛けに誠は首を横に振る。

 

「いや、調査が終了することに異論はない。異論はないんだが……」


 チラリとリサの方を見る。以前の調査で旧時代ヴィクティムの末路を知った事で、誠は悟らざるを得なかった。浮遊都市は、これ以上の情報を必要としないだろうと。

 

「あーその、何だ」

「何ですか? ボクじゃ相談相手にならないというのなら、今日は大勢来ていますし……」

「いや、違う。リサにしか答えられない事だ」


 腰を浮かせかけたリサの腕を掴んで引き留める。ほんの少し、誠の頬が赤い。それでもしばし誠は躊躇うように視線を逸らしていたが、漸く腹を括ったのか。真っ直ぐにリサの眼を見る。

 

「次の任務に移ったらリサはどうするんだ?」

「どうする、と言われましても……」


 セクター防衛となれば恐らく対象のセクターに住むことになるだろう。任地を選ぶことが出来ない以上それは仕方のない事だ。そう、仕方のない事とリサは自分に言い聞かせる。

 その逡巡を見抜いたわけではないだろうが、誠は畳み掛ける様に口を動かす。

 

「このままじゃ駄目か?」

「この、まま?」


 誠が何を言わんとしているのか。それを確かめる様にリサは言葉を反芻する。

 

「このまま、屋敷に暮らすという訳にはいかないか?」


 心臓が鼓動を速める。誠の言葉に、その裏に隠された意味を察しようとして、同時に自己否定して。違う、そんな訳がないと。期待すれば裏切られた時に辛くなるからと予防線を何重にも張る。

 

「いや、違う。そうじゃなくて……」


 ほら、やっぱりと。期待しすぎてはいけないと自戒したところで。

 

「このまま、一緒に屋敷で暮らして欲しい」


 再び心臓が跳ね上がる。これだけ緊張したのは余りリサの記憶には無い。それこそ初陣の時だろうか。

 

「ボクがセクター勤務になったらそうは行かない、と言うのは分かっているんですよね?」

「ああ」

「……勤務地を同一セクターにするためには、どうしないといけないというのも分かっているんですよね?」

「もちろんだ」


 当然ではあるが、複数のセクターがある以上、各業種でそれぞれに任地が割り振られる。そうなった時に同一世帯で別セクターとなれば生活に支障が出るため、例外的に同一セクターへの配属が成されるのだ。

 つまり、誠のこの要請は――。

 

「結婚してほしい」


 プロポーズの言葉に他ならなかった。

 

 リサの頭の中に様々な言葉が翻った。何を言えば良いのか。何かを言わなくてはいけない。多数の言葉が混在して、行き場を求めて。最終的に出力された言葉は。

 

「ま、前向きに検討させていただきます……」


 と言う、リサ的にはリテイクを希望したくなるような言葉だった。恥ずかしさの余り顔を伏せる。

 対照的に誠は喜色を浮かべる。流石に歓声をあげる様な真似はしないが傍から見ても嬉しさが溢れている。堪えきれないとばかりにリサを抱きしめる。一瞬リサは身を固くしたが、すぐに身体の力を抜いて誠の背におずおずと手を回す。専ら抱きしめられるというのは初めての体験でどうしていいのか分からなかったのだ。そんな所でさえ今の誠には愛おしく感じる。

 

 これからきっと楽しい日々が続く。そう思った誠を祝福するかのように、塵の膜に切れ目が生じた。

 六百年ぶりの夜空。

 

 そこには。

 

 二つ(・・)の月が輝いていた。

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