76 聖櫃の女王
時は遡る。
約三週間前。ヴィクティムがドッペルを撃破した前後。
常識を超えた二機の戦いを遠くから眺めているASIDがいた。ウサギの耳の様なアンテナ。他のASIDとは明確に異なる吊り上った三日月の様な笑み。
都市呼称マーチヘア。三月兎の名を冠されたジェネラルタイプ。旧時代の機体、ハーモニアスを奪って新生した特異な個体だ。
今その個体は手元で何かを玩んでいる。指先でつまむように、様々な角度から眺める姿はどことなくユーモラスな姿だ。――それが人間の臓器であることを除けば。
この直前に命を奪った相手。山上雫の子宮。それを隅々まで、丹念に眺めていた。そこから何かを読み取ろうとするかのように。事実、ハーモニアスから受け継いだセンサは逃すことなくあらゆる情報をマーチヘアに与えていた。それらの情報を得て更に笑みを深くしたように見える。
そうして、離れた場所で激闘が終わった。一機が落ち、もう一機も後を追うように落ちていく。今ならば襲えば容易く倒せただろうが、内情を知らないマーチヘアはまだその場に留まる。ヴィクティムが見えなくなり、感知範囲から逃れたのを確信した後、動き出した。
地面を這いずる様にして集めて回る。それは爆散したドッペルの残骸。より正確に言うのならば欠片だ。最早後数分ともたないエーテルの残滓。だが、そこにはまだドッペルのRERを動かしていた何かが残っていた。
次々と取り込んでいく。ハーモニアスの人型にウサギ型を混ぜて。更にそこにドッペルを混ぜる。RERの残骸を取り込んで、己のエーテルリアクターと合わせて、新たな動力炉を作り出していく。
RERを動かしていた何かは最早抵抗も出来ない。成すすべなく取り込まれただ動力炉を動かす一部となる。
エーテルの出力が上がった。笑みを浮かべた顔のまま、次なる目的地へと向かう。――先ほどまでヴィクティムとドッペルが暴れ回り、ほぼ殲滅したASIDの群れ。その残骸を全て取り込むために。それが終わったら次はこの惑星の中で最も強いASIDを。
クイーンを食らう為にマーチヘアはネストを針路に定めた。
雫の子宮を奪ったのは効率良くクイーンからクイーンの証たるASIDを生み出す鋼鉄の子宮を奪うため。浮遊都市に降り立ってから以降。全ての行動はクイーンの座を奪う為に行動していた。
この個体が何故そんな欲求に取りつかれたのか。本来ならばクイーンに服従すべき同一群れの個体が反旗を翻す。実の所、有り得ない話ではない。
それは至極単純な話。次代のクイーン。次なる群れを率いるべき個体だけは例外だ。更にそれが外に目を向けず、親の群れを奪おうとするのがイレギュラー。
そして親殺しを遂げて、次なる目的は己を脅かす存在の排除。彼女は己を殺しかけた相手の事を忘れてなどいなかった。人類の抹殺。己の外敵の駆除。生物として至極当然の思考で彼女は動いている。
その第一手として自滅を前提とした敵の脚を奪う作戦。浮遊都市のエーテルレビテータを刺し違えてでも破壊するために送り込んだジェネラルタイプ。
六百年の停滞を崩し、互いの滅亡を賭けた戦いを開始した。
◆ ◆ ◆
「ASID群、速度変わらず! 浮遊都市に接近中です!」
「後方にいるのはクイーンじゃないのか!?」
「ヴィクティムはどうした!」
浮遊都市の司令室は混乱の坩堝に叩き落されていた。
かつて無い程の苦境。繰り返し繰り返し襲ってくるASIDに翼を奪われたアーク。それを守り、擦り減っていく戦力。ヴィクティムを敵の中核へ切り込ませる乾坤一擲の策も今の状況を見れば失敗に終わったのだと分かる。
残った事実は最強の札を欠いた状態でクイーンを迎え撃つというこれ以上無い程に絶望的な状況だけ。
「……都市住民に避難命令を。全守備隊は出撃準備。防衛戦を展開します」
一瞬だけ瞑目した司令官は気を取り直すと指示を繰り出す。今はまさしく一瞬が千金に値する。
数だけを見れば戦力比は三倍程度と言ったところか。全アシッドフレームを動員すれば浮遊都市の現在の戦力は三百を超える。
だが、そのほぼすべてがハイロベート。ジェネラルタイプ相手には単独で抗する事が出来ない機体だ。クイーンの相手など言うまでもない。
現状で勝つためにはクイーンを倒すしかない。ヴィクティム抜きでそれを成せる可能性があるのは。
「嘉納玲愛に連絡を。彼女にはクイーンを討ってもらいます」
浮遊都市最強のエース。唯一浮遊都市が建造したジェネラルタイプベースのアシッドフレーム、ノマスカスを駆る彼女以外にはありえなかった。
それでも性能差は如何ともしがたい。クイーンと一対一に持ち込めたとしても勝率は一割あれば良い方だろう。それを高いと見るか低いと見るか。少なくとも全財産を賭けるには躊躇する確率だろう。
更にはその周囲を固める千近いASID。八割は通常型。だが残り二割は出力から見るとジェネラルタイプであろう事は間違いない。ノマスカスの勝率を少しでも上げるためには無傷で、消耗させずにそこまで送り届ける必要がある。
唯一人類側にとって味方するのは、地の利。墜落してから彼女たちもただ無策に過ごしていた訳ではない。
「敵戦闘集団! ポイントαに到達!」
「慌てるな。もっと惹きつけて……起爆!」
ディスプレイに表示される地域。そこにASIDを示す光点が入り込んでいく。十分な数が入り込んだと判断したところで合図が下される。起爆スイッチが一斉に押し込まれた。その結果は絶大だ。
地面が抉れ隆起する。地面に埋め込まれたエーテル爆雷複数基が一斉に起爆した事による爆発は地形すらも変えてしまった。
人工的に作られた崖。底で残骸となるASID。その上を進む無数のASID。
「敵の一割を撃破……しかしほとんどが通常型! ジェネラルタイプは依然侵攻を継続!」
「やはり、広範囲に拡散したエーテル爆雷では効果は薄いか……」
元々、このエーテル爆雷による地雷原は複数からの侵攻を食い留める為の物だった。その為一区画毎の個数は多いとは言えないし、エーテル爆雷自体も威力よりも範囲を優先している。通常型を消し飛ばすだけの威力はあるが、ジェネラルタイプ相手には僅かでも損傷を負わせることが出来れば御の字と言ったところだろう。
「都市中枢ブロック以外は捨てても構わない。防衛機構を全て稼働させなさい。守備隊は敵中央を突破。クイーンまでの道を切り開きます」
司令官の言葉に司令室が一瞬静まり返る。通常型でジェネラルタイプの中央を突破する。それは敵を蹴散らすというよりも、無理やり体を押し込んで隙間を開けると言った方が良いだろう。――押し込んだ身体がその後どうなるのかは言うまでもない。
「ここが人類の滅亡。その分水嶺です。総員命を賭けなさい」
一方でクイーンを討てと命じられた玲愛は冷静に計算していた。
相手はクイーンタイプASID。この地表上で最強の存在だ。浮遊都市にいる玲愛はそれが簒奪者だという事など知らない。ただ彼女の持つ知識で相手を推し量る。
力量は未知数。残っている記憶など大半が六百年も前の話だ。参考とするには古すぎる。従って、玲愛は仮想敵としてヴィクティムを想定する。
形状も違う。恐らくは武装も違う。ただ一点。その出力から生じる強固なエーテルコーティング。それを如何に破るかが勝負だ。
どれだけ戦いが進化しても結局は盾と矛の勝負。矛が盾を貫く以外に勝利は有り得ない。敵の攻撃は全て避ける。それがまず勝利の為の前提条件。その上で、いかにして相手の盾を砕くか。分け目となるのはそこだ。
珍しいことに、玲愛は確信を持てないでいた。これまでどんな相手でも切ってきた。ハイロベートに乗っていたころからジェネラルタイプ相手でも押し負けたりしかなった。ここまで生き抜いて、勝ち抜いてきた自負がある。
それでも、クイーンを貫くというビジョンが見えてこない。相手が強大だからだろうか。未知の相手だからだろうか。戦いに臨む前にこんな気持ちになる事は初めてで玲愛自身が戸惑いを感じる。
勝つ。そう言い切れない相手。初めての体験。それが玲愛には――堪らなく楽しい。
自分の全霊を以てしても滅ぼせないかもしれない相手。そんな相手がいることに感謝しか感じない。この一戦が人類の存亡を賭けている事などどうでもいい。ただ戦える。全力で戦っても消し飛ばない相手がいる。玲愛は常の無表情を崩して笑みを作る。
それは傍から見れば狂気以外の何者でもないだろう。
嘉納玲愛の致命的な歪み。圧倒的な戦力を持ちながら、ASIDの鹵獲数が圧倒的に少ない理由。それはこの嗜好とも言える一つの欲求にある。
敵を斬りたい。
強い敵を斬りたい。
その為ならば何を犠牲にしても構わない。
玲愛が適性検査を受けた段階で、その歪みを自覚していなかったのは人類にとっては幸いだったのだろう。幾ら適性があろうと、そんな異常者をアシッドフレームに乗せることは無かっただろう。だが、もしも玲愛が居なかったら浮遊都市はヴィクティムが来訪する以前にあった幾つかの苦境を乗り越えられなかったかもしれない。
そしてその嗜好はここに至るまで隠し通している。玲愛自身常識を知らない訳ではないのだ。知っていて無視はするが。
「ご注文通りもっとカツカツのビンビンにチューニングしておいたよ。それはもう羽で撫でるかの様な繊細さが必要だけど……」
「問題ない。感謝」
あー疲れた、などとぼやきながら肩を揉む優美香に玲愛は短く礼を言う。実際、前日に頼んだ調整がもう完了しているとは思わなかった。後は自分との感覚合わせだが、まあ大丈夫だろうと玲愛は楽観する。本来ならば、そんなに気楽に考えて良い物ではないのだが、玲愛の場合は特別である。機体の反応速度向上は如何に自分の反応速度に追いつかせるかと言う点に尽きる。脳で考え、腕を動かし、機体を動かす。そのタイムラグが短くなっているのならば、どんなに緻密な操作が必要だろうと玲愛は実現できる。
一種の異能である。
例えば、ヴィクティムを動かすときに誠は殆どそれを意識していない。己の肉体。その延長の様な感覚で動かしているのだ。
一方で、一度誠がハイロベートに乗った時の感想はこれである。
「マジックアームで操り人形を操っているような感覚だった」
誠の場合、ハイロベート乗りとしては下の上が良いところなので極端な例ではあるが、概ねこれはハイロベート乗りが抱えている不満と言えた。自分と機体の間にワンクッションある様に感じるのだ。そんな状態で正確に刃を立てることが求められる刀剣が発展する筈も無く鈍器のような長刀を用いていたというのがある。
玲愛はその状態で正確に刃筋を立てて引いて斬る事が出来た。ハイロベートでそれだけのことが出来たのである。
ノマスカスはハイロベートよりも操縦系が発展している。その感覚はむしろヴィクティムに近い。生卵を割らずにつまむことさえ出来るのだからその精密操作は異常と言えよう。
つまるところ玲愛はどんな機体であっても自分の身体の様に操る事が出来る。リサもそれに近いことが出来るが玲愛程ではない。
それこそが玲愛の力の根源と言えた。
ASIDに限りなく近い性質。一歩間違えてASID化した日には最強の個体となる事は疑いようも無く確定している。
「……まあこれは独り言みたいなものだけど。ヴィクティムがここに到着するまでにかかる時間は少なく見積もっても二時間はかかると思う」
その予想は大多数の人間の物よりもはるかに短い。大半は後半日か下手をしたら丸一日はかかると見ていた。その短さは優美香のとある仕込みが影響している。それを使ってもまだ絶望的な程の時間。今の状況で二時間は余りにも長すぎる。
「そんでもってあいつらが浮遊都市を蹂躙するのにかかる時間は多分三十分もいらない。だから」
時間を稼いで、と優美香は言おうとしたのだがそこで初めて玲愛の浮かべている表情に気が付いた。気が付いてどこか納得の様な声を出した。普段私が浮かべている笑みってこれかあ、と言う様な声音。
「まあ、やれそうなら殲滅しちゃって」
どこか投げやりに、だが半分くらいは本気でそういうと至極真面目な調子で返事が返ってきた。
「そのつもり」
不時着してからはアシッドフレームが出撃するゲートはほぼ固定となってしまった。側面に備えられたそこから浮遊都市が所有する全アシッドフレームが姿を見せる。その数三百飛んで八。
『目標敵陣最後方、クイーンタイプASID』
その前に立ちはだかるは多様な種のASID。総数九百七十三。
『総員。命を賭けろ。……出撃!』
絶望的な状況の中、人類の命運を賭けた戦いが始まる。
理想的な流れとしては、敵陣の中央を横断し、速攻でクイーンを落とす事だ。
一言で済まされた横断すると言う行為と、速攻と言うのが何よりも困難である事を除けば最上の方法と言える。
その困難を前に舌なめずりしかねない表情で戦意を滾らせるのは玲愛だ。今回の作戦では玲愛とノマスカスはクイーンに打ち込むための矢。それ以外の雑兵に消耗させるわけには行かない。
玲愛とてそれは分かっている。だが理解は出来て、更にとっておきが待っていると分かっても目の前の御馳走を前にお預けと言うのは中々に辛い物があった。
玲愛を欠いた浮遊都市側で中核を成すのは、ハイロベートの何倍もの速度で地面を滑る一機。
どこかヴィクティムに似た意匠の造形。ノマスカスには劣るがジェネラルタイプに伍する出力。地下施設から回収した最後の一機。ハーモニアスはリサ・ウェインと言う乗り手を得たことで初めて、この時代で真価を発揮することが出来ていた。
リサが操るハーモニアスはこれまでの二機とは違う。最大の相違点は脚が無い事だ。より正確には折り畳まれてボードの中に格納されていると言うべきだった。
ヴィクティムの機能拡張パッケージナンバー4。チャリオットパッケージと呼ばれたそれが今のハーモニアスの新たな脚だった。
形状は楕円形。フロートボードと呼ばれるユニットがメインだ。その中心にハーモニアスの上半身が収まっている姿は、誠辺りが見ればUFOから人が生えているとでも言うのだろうか。どこか冗談の様な姿形だが、その高速移動は洒落にならない。
地面からは浮いた状態で滑るように移動するハーモニアス・チャリオットは止まる事がない。一秒たりとも立ち止まる事無く動き続けている。そんな状態で果たしてまともに攻撃が出来るのか。
答えは可。リサ・ウェインという一種異能めいた狙撃能力を誇る乗り手を得て、ハーモニアス・チャリオットは戦場を縦横無尽に動き回る移動砲台と化した。
更には、フロートボードの積載量。ヴィクティムであっても持ち運びに難儀するような量の武装を積み込んでもその機動力は変わる事がない。そう、例えばエーテルガトリング、エーテルスナイパーライフル、エーテルミサイルランチャー。そして切り札。
「ボクが使ったことのある武装があるというのは幸いでしたね」
肩部にマウントした砲身を展開する。それはドッペルとの戦いで一度失われた武装。だがこれまでに幾度となく窮地を救い、更にはリサの手助けをしてくれた思い入れのある物だ。
「エーテルカノン。隊列に風穴を開けてやりますよ!」
連発は出来ない。それでも要所要所で使う事で敵の侵攻を押し留めて有利な空間を作り上げる。リサの今の仕事はアシッドフレーム部隊がASIDの大群に飲み込まれないようにすることだ。ジェネラルタイプが出張ってくればなるべく一体、二体だけを残す様にして残りは惹きつける。残されたジェネラルタイプは数の暴力で圧殺する。精鋭ぞろいの第三大隊が中心となって戦果を挙げていた。撃墜王の玲愛の印象の強い隊だがその戦いについてきただけあって何れも腕利きぞろいだ。
出し惜しみはしていない。普段は温存している浮遊都市の迎撃兵装も、エーテル爆雷も、この戦いで使い切って構わないとばかりにばら撒いている。その甲斐あって、当初予想よりも遥かに戦況は好転して推移していた。
行けるかもしれない。と言う思いが全体に広がっていく。士気と言うのは馬鹿に出来ない。人はメンタルで自身の性能を大きく上下させる。俗に言う乗っている状態。その空気が出来てくると更に好転し、士気は上がる。そんな好循環が出来始めていた。
自分たちがこれだけやれているのだから、玲愛ならばクイーンの討伐も可能かもしれない。そんな空気が漂い始めたところで。
後方から金属質の鳴き声が戦場全体に響き渡る。
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