75 ぼくじょう
「……静かだな」
ネストに突入して早一時間。誠は怪訝そうにつぶやいた。
ヴィクティムが通ってもまだ余裕のある天井。流石にギガンテスギアは収まりきらないが、トータスカタパルトならば十分に通れそうなほどの直径。それが蟻の巣の様に縦横無尽に地下に伸びている。それがASIDの巣だった。
てっきり熾烈な突破戦が行われる物だと身構えていたが、蓋を開けてみればあったのは散発的な遭遇戦とも呼べないような戦闘のみ。何れも通常型でヴィクティムにとっては敵ではない。
《センサに反応なし。尤も周囲の構造体のエーテル反応が濃く、一定以下の反応は検知できませんが》
驚くべきことに、このネスト全体がエーテルで包まれている。一種の超巨大ASIDと言えるのかもしれない。流石にこんな巨大な地下構造物を旧時代の人間が用意できたとは思えないのでギガンテスギアやジェリーフィッシュなどと違ってASIDが元々持っていた種なのだろうが、スケールが違いすぎる。
だがそのせいで、それよりも小さい――大概のジェネラルタイプを含む個体のエーテル反応がつかめないでいた。流石に地下深くにクイーンの反応がある事は分かっていたがそれ以外は目視で捉えるしかない。言い換えればASIDもそれは同じなのでその結果のこの散発的な遭遇戦なのかもしれなかった。
そんな状況なので、全体像の把握も出来ない。ジェリーフィッシュの頭部から回収したデータに、内部構造も含まれていたがそれとて現在位置が明確になっていてこそ役立つものだ。緩やかな傾斜によって登っているのか下っているのか。右に曲がっているのか左に曲がっているのか。そんな事さえ曖昧になってしまう状況ではふとした拍子で自分の位置を喪失してしまう。
今回のマッピング役がヴィクティムである事は誠たちにとって幸いだった。仮に、通常編成の部隊で突入した場合そこまで正確なマッピングが行えたかどうかは疑問だ。
今更突っ込んでも仕方がない事だが、何故ヴィクティムにその様な機能がついているのか誠は疑問に思う。ここに至るまで見てきた機能の数々。それに助けられたことは一度や二度ではないが、どう考えても戦闘兵器が持つべき機能ではない。むしろ、それらが必要になる状況。列挙していくと一つの予測が立てられる。
《間もなくポイントW-9に到達。データ上では最深部に次いで広大な空間です。多数のASIDを展開可能と推測》
自分の思考に没頭しかけていた誠は小さく首を振る。今その事を気にする必要はない。この戦いが終わったら幾らでも調べることは出来る。
どのルートを通っても最深部に行くためにはこのホールを通る事になる。ここまでの道のりが間違っていなかったことを証明してくれる場所だ。言い換えれば、侵入者も巣の住人も地上と最深部を行き来するときには必ずここを通るという事。最も遭遇が予想されるエリアだった。
「……ミリア。ランスを偵察に使えるか?」
小型で自在に動けるランスは忍び込むという用途にも使える。普段は殆ど使う機会がないが最低限――本当にホームビデオのカメラ程度の性能だがセンサが付いている。まずは内部の状況を把握するべきだろうと誠は判断した。
ファランクスに内蔵されていたランスの一基をヴィクティムのハードポイントに取り付けてここまで持ち込んだのはそのためだ。エーテルの補充が出来ないためそう長い時間を経ずに使用不可能になるが、短時間の偵察任務に使う程度ならば問題ない。
取り外したランスを起動させる。静かに浮き上がったそれをそっと前に押し出す。何時もの獰猛さを抑え込み、どこか蝶の様な危うさでゆっくりと床すれすれを移動していく。
ミリアが目を閉じてランスの操作に意識を集中させる。壁に機体を張り付けて息を呑むこと数分。ミリアが困惑した声を上げる。
「え、何、これ……」
「ミリア?」
「嘘……嘘……」
ランスの映像は誠の元には届いていない。ランスの操作をしているミリアにしかランスからの映像は見れないのだ。だから誠にはミリアが一体何に慄いているのか分からない。
「敵か? 敵がいたのか?」
「違う……これは……」
引き攣るように息を呑んだ後、眼球が零れ落ちそうなほどに目を見開いて絶叫する。
「いやあああああああああああああ!」
「ミリア!? ヴィクティム! 何があった!」
「ポイントW-9内に敵影なし。――要救助者多数と推定」
敵がいない。ならばミリアは何に怯えているのか。そして誠の意識を引いたのはもう一つの言葉の方だった。
「要救助者……人間がいるのか?」
「――当機には解答不能」
「ヴィクティム?」
「申し訳ございませんマイドライバー。当機には解答が出来ません」
どの道、ここを通らないと最深部へは行くことが出来ない。ミリアが固く目を閉じて耳を塞いでいる。そうする事で今しがた見聞きした物が消えてなくなるとでも言うように。
一体この先に何が待ち構えているのか。何が来ても驚いたりしないと覚悟を決めてヴィクティムをホールの中に踏み込ませる。
誠のその覚悟は五秒ともたなかった。
◆ ◆ ◆
ひとがいた。
それを人と呼ぶべきなのか。一瞬誠は躊躇した。震える唇から単語が漏れる。
「ぼく、じょう」
体感的には十年ほど前。実際の時間にすれば六百年以上前の話となるが、小学校で行った社会見学を思い出した。
そこで行ったのはプロイラーの飼育場。品種改良で短時間で育ち、加工され食肉となる為だけに生まれてきた鶏。その生涯をほぼ工場内で終える哀れな生き物。
ここはその人間版だった。効率よく、数を増やすためだけの牧場。
ざっと見渡せば数は千人と言ったところだろう。パッと見でその数が出せたのは綺麗に並べられているからだった。例外なく、フルフェイスヘルメットの様な形状の物体を頭に取り付けられてゲームセンターにある景品を取るゲームの様にクレーンめいた装置で吊り下げられている。それが並べられているのだ。
それが死者ならば誠は怒りを覚えるだけだった。だが生きている。微かに胸が上下しているのが分かる。――そしてそれが分かるというのはそのまま布きれ一つ身に着けていないことを指す。異様な装置に繋がれた千人近い全裸の女性。そこに、人間としての尊厳など無い。
更に恐ろしいことにその千人に共通して四肢は無い。それが余計に恐ろしい。身動ぎ一つしないのがマネキンめいた印象を補強している。
泣き声が聞こえた。自失していた誠が視線を巡らせるとそこでは"出産"が行われていた。だがそれはとても誠がその単語に持っていた命を育むというイメージとは反する物だった。
腹部を切り開いて赤子を取り出す。機械的に縫合され、母親は放置されている。その後赤子に何か注射した後、淡々と"加工"されていく。四肢を落とされ、頭部を開いて電極の様な何かを頭部に突き刺し、口へチューブを突き刺す。その後大分サイズに余裕のあるヘルメットの様な物体を装着し、新たなクレーンに取り付けられた。
「うぐ……」
その命を何とも思っていないような光景に誠は吐き気を堪えられなかった。パイロットスーツについていた吸引器が吐しゃ物を回収する。
別の一角に並んでいるのは今度は男性だった。女性と比べると数が少ない。百人弱と言ったところか。それでも浮遊都市よりも男性比が高いという事に誠は何か皮肉めいた物を感じる。
クレーンが動いた。男を吊り下げたクレーンが女性の方に向かっていく。まさか、と言う思いと有り得るという思いが誠の中で入り混じる。
次に行われた事は誠の予想通りだった。淡々と、行われていく生殖行為。殆ど瞬間的に行われていくそれはどこまでもシステマチックだった。先ほど見た電極が肉体へ何か信号を出しているのか。ただその行為をさせるためだけにこんな大仰な仕組みが作られている。
ただ生殖だけを目的とするならば幾らでも他に方法はあるはずだった。それこそこんな設備を作れるだけの技術が、知能があるのならばもっと別の方法があった。
にもかかわらずこの残酷で悍ましい牧場の手法を取っている。誠は初めてASIDを恐ろしいと思った。
「ヴィクティム……ここに、生存者はいるのか?」
ミリアはこの地獄を見たのだ。目を塞ぎたくなるのも無理はなかった。誠とて、ミリアの前だからやせ我慢が出来ているだけだ。そうでなかったら恥も外聞も無く喚いて何も見なかったことにしたかった。
《解答。千百人程存在します》
「この、クレーンで吊り下げられている人間以外で、だ」
《解答。ゼロ人です》
◆ ◆ ◆
いつからこんなことをしていたのだろうか。この地にネストと言うASIDの巣が誕生して以来だとしたら六百年もこの牧場は動いていたことになる。
何の為に。それは更に奥に進んだことで明らかになる。
「そうか……。そういう事か」
そこは廃棄場だった。人ではない。ASIDでもない。そのどちらでもあり、どちらにもなれなかったなれの果てがそこにはあった。
金属と生物の融合。半人半機とでも言うべき状態の男性が数えきれないほど撃ち捨てられている。
ASID化。しかし適合できずに半ばで命を落とした者たちの墓標だった。
「番を、探しているのか。こんなことをしてまで……!」
操縦桿を握る手に力が籠った。
ここはクイーンが己の伴侶を求めて人間の男を生み出し、そしてASIDへと変貌させるための工場だった。確かに地上にはもう人間はほとんどいない。男など希少種だ。それを求めるならばこうするしかない。理屈の上では理解できる。感情面では全く理解が出来ない。
そこで誠ははっと気が付いた。雫の死因。それはこの空間に何らかの関係があったのではないかと。最期の別れが思い出される。
「雫……」
ならば、この後に控える戦いは世界の為であり、誠の個人的な復讐の為でもある。戦意を高めながらホールの出口に辿り着き、もう一度その牧場を視界に収める。
映像等は全て保管してある。ASIDの生態を調べるという意味ではこの空間は保全するべきだった。だが、これ以上ここの人たちを無残な姿で生き長らえさせることを誠は許容できなかった。
「ヴィクティム。ここにいる人たちを元に戻すことは、可能か?」
《解答。浮遊都市の技術では肉体損傷の回復は人工義肢以外の選択肢はありません。その性能も極めて劣悪と断定。また、ここにいる人間はいずれも生誕後から命尽きるまであの状態のままだと推察。仮に浮遊都市に連れ帰ったとしても浮遊都市住人の平均的な生活を営ませる事は極めて困難。故に、二重の観点から元に戻す、と言うのは不可能です》
「そう、か」
分かっていた事だった。ここにいる人間はずっとこうして吊り下げられているのだ。電極を刺されていた事を抜きにしても、真っ当な知性を持っているとは思えない。外部からの刺激の無い人間が成長できるかと言えば否だ。
もう、ここにいる人たちには帰る場所などどこにもないのだ。
だから。
「ヴィクティム全兵装アクティブ。全ターゲットを照準に」
《――了解。エーテルバルカン、エーテルガトリング、エーテルマシンガン起動。ターゲット、ロック》
唇を噛み締める。端が切れて血の味がした。
「すまない」
エーテルの弾丸がホール内に吹き荒れた。
その光景を誠は目に焼き付ける。自分の行った結果だ。そうする事が彼らの為になるという誠の価値観だけで行った虐殺だった。
そしてこの光景は、六百年前に誠が辿るべきはずだった道でった。そうなっていればここにいる人たちはこんな哀れな生涯を送る必要はなかった。
自分のせいだと、罪を刻み付ける様に目をそらさずに、一部始終を見届けた。
「ミリア。もう大丈夫だ。先に進むぞ」
しっかりと耳も塞いでいたため誠の声も聞こえていなかったらしい。一時制御をヴィクティムに預け、操縦桿から手を放してミリアの肩を優しく叩く。そうして恐る恐るとミリアは目を開けた。
「誠さん。あれ、は。さっきのあれは」
「忘れるんだ。あれはミリアが覚えている必要がない」
「でも……」
「忘れるんだ」
忘れてしまった方が良い。そんな想いをこめて誠は少し強く言う。あんな地獄を、何の関係も無い人間が覚えている必要などは無い。覚えているのはそのきっかけを作った当事者だけで十分だった。
「わかり、ました」
とは言え忘れろと言われて忘れられたら苦労はない。まだ青い顔をしながらもミリアは頷いた。
《最深部まで残り二百メートル。クイーンの物と思しき高出力エーテルリアクターの反応を確認。恐らく、既に向こうにも捕捉されていると思われます》
「こっちが見つけられたって事は向こうも見つけているってことだもんね」
「出力は……通常型の約千八百倍。ヴィクティムとほぼ互角か」
決して油断できる相手ではない。だがこちらには切り札があった。
「コードトリプリシックス。現状で最小レベルなら何秒持つ?」
《再計算――現在のドライバーステータスからは約17秒が安全圏。トーチャーペネトゥレイト、使用不可。ディストリオンコア。使用可能》
「行けそうだね」
ミリアの言葉に誠は小さく頷く。一度は生命の危機に瀕したコードトリプルシックス。RERの軛を解き放つ搭乗者を生贄とする状態。最大レベルでの使用は命に関わる。が、最小レベル。それも短時間ならば使用に問題はない。終焉兵装の一つも使用できる。それが誠たちの切り札だった。
「……静かだな」
突入後に発した言葉をもう一度発する。
既にクイーンもこちらを補足しているはず。だが動きが見えない。疑問を覚えながらもヴィクティムは遂に最深部へとたどり着いてしまう。
「……本当に中にクイーンがいるのか?」
《肯定。このエーテルリアクター出力はクイーン以外にありえません》
妙な違和感を覚えながらも悩んでいても仕方ないと割り切る。再度ランスで偵察を試みるとミリアが困惑した声を上げる。
「変です誠さん」
「何がだ?」
しばしミリアはどう説明すべきか悩むように口を二度三度と開きかけて、首を振った。
「いえ、これは見て貰った方が早いと思います。中へ」
「何?」
首を傾げながらも誠はヴィクティムを最深部――恐らくはクイーンの寝床に入り込ませた。そこで目にしたのは予想外に過ぎる光景だった。
「これは、どういう事だ?」
クイーンがいた。いたのだが、その頭部は切り離されて存在していない。かつて映像で見た西洋の龍めいた躯体を床に投げ出して。完璧なまでに破壊されていた。
「ヴィクティム。これは、クイーンだよな?」
《肯定。出力、過去のデータと照らし合わせてもこのASIDがクイーンASIDである確率は98%》
それが既に破壊されている。本来喜ぶべき事だ。だが素直に喜ぶことなど出来ない。まず一つ目の問題。
「一体誰が……」
自滅は考えられない。ならば破壊した何者かがいるはずなのだが、ASIDにはそれは不可能。
「ど、ドッペルが破壊していったんだったりして」
ミリアが冗談とも本気ともつかないことを口にする。だが実際、ドッペル程の戦闘力が無いとクイーンの撃破は出来ないだろう。
だがそれには時系列の狂いがある。既にドッペルはヴィクティムが撃破したのだ。撃破。それがそのまま二つ目の問題につながる。
「何で、クイーンが倒されているのにASIDが活動しているんだ……?」
それを言っていたのは誰だったか。ヴィクティムだ。そもそも、今まで一度も撃破したことの無いクイーンを撃破した時の現象を何故ヴィクティムは知っていたのか。
《不明。当機に登録されたデータが誤りだった可能性があり》
そして問題点三つ目。
《エーテルリアクター出力は変わらず》
撃破されたAISDのエーテルリアクターが活きている。それも不可解の一つだった。
「とりあえず……調べてみよう。何かわかるかもしれない」
そう口にして誠はヴィクティムをクイーンの腹部、エーテルリアクターの辺りに近づける。エーテルリアクターはむき出しになっていた。乱雑に、失われていたと思われたクイーンの頭部を半ば食い込ませて、そして――どこか兎を感じさせる刻印を見せつける様に。
「まさか!」
己の軽率な行動を悔やむ暇も無く、ヴィクティムのモニタを閃光が埋め尽くす。
次の瞬間、ネストがあった周囲の空間がエーテルの爆発で覆い尽くされた。
◆ ◆ ◆
「緊急事態発令! ASIDの大群が浮遊都市に接近中! 数――大凡千!」
「最後方に高出力のエーテルリアクター反応! これは……通常型の二千倍近くあります!」
浮遊都市アークに迫るASIDの群れ。その最後方に。
吊り上った三日月の様な笑みを浮かべ、ウサギ耳を模したアンテナを持つ漆黒のASIDの姿があった。
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