73 支配領域
《強襲突入艦の浮遊都市からの切り離しシーケンスを開始。固定アーム解放。ケーブル解除》
六百年振り――いや、建造されてから初めて浮遊都市に存在していた切り札が出港しようとしていた。
強襲突入艦ネイル。クイーンが存在するネストへとヴィクティムを無傷で送り届けるための矢。貯蓄されてきたエーテルを吐き出しながらゆっくりと浮遊都市から離れていく。
居住部にもその振動は伝わってきた。ドーム状のガラスが細かく揺れる。
格納されていた工廠部では一瞬だが立っていられない程の衝撃だった。優美香は咄嗟に手近な柱に捕まって転倒を避ける。
「いやいや……揺れるねえ」
ネイルが切り離されたという事は、いよいよ浮遊都市の最後の作戦が発動しようとしているという事だ。それに失敗したら滅亡と言う二文字が現実の物となる。
「今のは誠君ですか」
「だね。あとミリアっちも」
どうにも今一ミリアに対してはしっくりくる呼び方が見つからないと優美香は場違いな事を考えた。
結局、出撃する前に会う事が出来なかったとリサは気付かれないように溜息を吐く。禁止されていた訳ではない。ただ誠もリサもお互いに忙しくしていたため、時間を合わせることが出来なかったのだ。
反面ミリアとは頻繁に会う事が出来ていたのだが。猫かわいがりを止めたら割となつかれたというのがリサとしては納得がいかない。
「単機でクイーンを倒す。可能なんでしょうか」
「さあ。クイーンとの戦闘データなんて残っていないからね。確実に言えるのはハイロベートを何機つけたとしても邪魔にしかならないってこと位かな」
言ってしまえば、ハイロベートは良く遭遇する人型ASIDと同じだ。それがヴィクティムに鎧袖一触されているのをみれば同格のクイーン相手に役立つ事はないというのは分かる。
「このハーモニアスやノマスカスのどちらかでも一緒に行けば多少は戦力になるのに」
「そりゃなるだろうけど今度は都市側の戦力が激減しちゃうし」
そんなことは整備の人間である優美香よりもフレーム乗りのリサの方がよほど分かっている。それでも口にせずにはいられなかったのは――。
「リサちーはついて行きたかったの?」
「べ、別に誠君について行きたいわけじゃないですよ。ミリアが心配なだけですから」
「私はまこっちに、何て言ってないんだけどなーなんて古典的な突っ込みは置いておこうかな」
珍しい物が見れたと思いながら優美香はふと考えを巡らせる。何だかんだで色んな女性から好意を寄せられている誠ではあるのだが、本人の意思は一体どこにあるのだろうと気になったのだ。
気になったと言えばもう一つある。
「時々まこっちが向けてくる娘に対するような視線は一体何なんだ……」
こればかりは本人が黙して語らないので優美香としては只管居心地の悪さを味わうしかない。
戻ってきたら絶対に問い詰めてやると誓いながら今まさに浮遊都市から離れつつある二人と一機の無事を優美香は祈った。
優美香だけではない。浮遊都市に住む全員がこの作戦の成功を祈っていた。
◆ ◆ ◆
「くしゅん」
ヴィクティムの中でミリアが小さくくしゃみをした。誠が大丈夫かと問いかける前に電子的な音声が響いた。
《メディカルチェック。感冒並びにアレルギーの兆候なし。生理現象と判断》
「大げさですよ」
恥ずかしそうにしながらミリアはそう答える。笑いながら誠はその様子を混ぜっ返す。
「誰か噂でもしていたか」
「噂されるとくしゃみが出るんですか?」
《因果関係が認められません。どのような論理でその結論が導き出されたのでしょうか》
まさかのよく言う迷信、俗説への突っ込みだった。ヴィクティムは兎も角、ミリアが知らないのは浮遊都市にはそんな迷信が存在しないのか或いはミリアが誰からもそんな話を聞いたことが無かったのか。判断に困るところだった。
《ご歓談中失礼いたします。間もなくASIDの支配領域に到達いたします》
誠が適当にくしゃみと噂の迷信を説明し、ヴィクティムがそれはエーテル学理論的にエーテルの伝播によって発生し得る現象と言いだした辺りで別の電子音声がその会話を中断させた。
緩んでいた空気が再び引き締まっていく。いよいよASIDが住まう場所。浮遊都市がこれまでにいたASIDが徘徊している場所ではなく確固たる本拠地が存在している地域へと侵入する。
《現状の当艦の装備でもある程度の対応は可能です。しかしながら当艦が建造された時に想定されていた突破予定領域は拡大していると推定。故に艦載機であるヴィクティムにも戦闘を要請します》
「了解」
「うん。その為にいっぱい準備してきたよ」
ミリアがちらりと右手に視線を向ける。格納庫に固定されたヴィクティムの周囲に並べられているのは大量の武装。それも大型で取り回しに難があるような類の物ばかりが並べられていた。
いずれも破壊力は折り紙つき。RERのリミッターを解除せずに使用が可能な武装の中では最強の威力を持つ。
尤も、威力だけなので平時に使う事は全くなかったのだが今回は別だ。ネイルを移動プラットフォームとしてこれらの大型武装をここぞとばかりに全て使い切るつもりだった。
《ASIDネストを光学観測。距離1300キロメートル》
《ネイルからのデータを受信。メインモニタに表示》
転送されてきた画像を見て誠は呻く。
「何ていう……」
「大きい……」
後部席のミリアも驚愕を隠せない様子だった。歪に天に伸びていく塔。ギリギリ塵の幕を超えてはいないようだが、その縁までに迫っていた。
《当艦のデータには存在しない構造物です。建造目的は不明》
「確か、クイーンは地下にいるって話だったよな」
《肯定。各種センサから推測するに、内部は空洞を思われます》
極論してしまえばただの筒を天に伸ばしている。ASIDの行動に不可解な点が多いのは何時もの事だが今回のは極め付けと言えよう。
そこで深く悩むような愚を犯さず、誠はすぐに思考を切り替えた。
「兎に角まずは侵入口を――」
《敵砲撃来ます》
淡々と告げられたその言葉と同時、ネイルを大きな衝撃を襲う。それも一度や二度ではない。数回続いての断続的な振動。それが一段落ついたところでミリアが警戒の声をあげた。
「誠さん! トータスカタパルト型が!」
「あいつか!」
数か月前に遭遇したジェネラルタイプ。それがネストを守るように多数配置されていた。
《ジェネラルタイプも量産されている。貴重なデータです》
「それを実体験する側としてはたまらないけどな!」
「第二波来ます!」
再びの振動。射撃のインターバルは記憶にある物よりも短い。恐らく複数体がローテーションで砲撃を行っているのだろうと当たりを付ける。
《被弾。損傷は軽微。しかしながらこのまま砲撃を続行された場合、三十分後の撃墜確率は74%》
「迎撃に出るぞ!」
《了解。ハッチを解放》
跪いた姿勢のヴィクティムがゆっくりと上昇していく。ヴィクティムが装備している武装も常とは違う。ネスト――ASIDの巣である地下空間での戦闘を意識した結果、シンボルとも言えるハーモニックレイザーとエーテルカノン、そしてランスは取り外されている。ランスが付いていた腰部には独立して稼働するエーテル短機関砲とでも言うべき装備。エーテルカノンの代わりに短砲身のエーテルガトリングガン。そしてハーモニックレイザーの代わりである近接武装、メルティングインパクター。
いずれも近距離且つ周辺被害を抑えた装備だ。それ故に、1300キロもある状態で有効に使える物は少ない。そこでようやく、今回使い切るつもりの装備が脚光を浴びることになる。
《ウェポンラック1番を上昇》
ヴィクティムに続いて、右手側のエレベータから一基の装備がせり上がる。
《エーテルハイメガカノン。接続。エーテルの供給開始》
ヴィクティムの全長を超える程の長大な砲。両手で腰溜めに構え、更には反動を抑えるために足裏からはエーテルの杭を撃ちだし機体を固定している。エーテルカノンを遥かに超える威力と長大な射程による反動を殺しきるにはそれだけの備えが必要だった。
「えっと……敵座標の取得完了! 優先ターゲット割り振りました」
その言葉を聞いて誠はミリアの設定した最初のターゲットに照準を向ける。緊張で乾いた唇を舌先で湿らせる。
「さあ、まずは挨拶代わりだ。一発受け取れ!」
トリガーを引き絞る。拳銃の撃鉄が落ちる様に砲の後部に取り付けられたシリンダーが砲身に押し込まれる。このシリンダー一つが膨大なエーテルを封じ込めた弾丸とでも言うべき物。通常のエーテルカノン二十発分のエーテル。その全てを瞬間的に開放する。
砲口からエーテルが吐き出された。圧縮され、凝縮されたエーテルは地上に現れたもう一つの太陽の様に輝く。モニターが一瞬閃光で染め上げられ、地上に向けて突き進む。その結果を見ることはしない。即座に第二射の準備を始める。
今しがた押し込まれたシリンダーをヴィクティム自身の手で取り外し、予備のシリンダーを手に取る。これが普段使えなかった最大の理由だ。連射が全く利かない。手動でシリンダーを取り換えるしかなく、その時間は完全に無防備となる。だがその威力は絶大だ。
第二射の準備が整う。二体目のターゲットに照準を合わせ、気負うことなく二発目の発射。それとほぼ同時、一射目が最初のトータスカタパルトに突き刺さる。
二体が共生とも言える関係で一体を形成しているASIDのエーテルコーティングは他の個体と比べると強力だ。だがそれも規格外兵器とも言えるエーテルハイメガカノンの前では何の障害にもなりはしない。
トータスカタパルトが原型を留めていられたのは一瞬。装甲が溶け、泡立ち沸騰して蒸発するように消え去るまで瞬き程の時間もいらない。
第二射。そして第三射の準備。それをしている間にどこからか羽虫の音の様な物が聞こえてくる。
「こいつは……」
「周辺から接近する反応。凄い沢山!」
その正体はそのまま羽虫だった。ただし大きさがヴィクティムの半分ほどもある蜂の様な虫だが。
数もまさに虫の如きとしか言いようがない。気が付けばネイルはそんなASIDに取り囲まれていた。
「何時の間に……」
《砲撃に紛れて下から取りついたようです》
エーテルハイメガカノンで打ち落とそうとするが、数が多過ぎた。更には全方位を囲まれているとなると長大な砲は最早無用の長物だった。即座に切り離し、エーテルガトリングとエーテルバルカン。駄目押しとばかりに腰部の機関砲も起動して打ち落とし始める。幸い一体一体は然程強くはない。だが厄介なのはその針による一撃だった。
「こいつの針、エーテルコーティングを貫通して来るのか!」
《物質その物がエーテルをはじく性質を持っていると推測。恐らく、あらゆるエーテルの影響を受けない物と推測》
厄介な装備だった。ただ強度的には大したことが無いのが救いだった。エーテルコーティングを貫いてきてもその下のヴィクティムの装甲を貫くことが出来ていない。どころか逆に砕けている始末だ。
とは言え油断は出来ない。ヴィクティム本体は無理でもヴィクティムの武装ならば十分に傷を着けられる程度の強度はあった。そして何よりもすばしっこい。乱れ討つように片っ端から打ち落としているが何時まで立っても数が減ったようには見えない。
「くそ、ミリア。二番を使うぞ!」
「分かりました!」
誠の呼びかけと同時、左手のエレベーターが上昇してくる。ミリアが目を閉じて体の力を抜いた。この装備は誠には扱う事が出来なかった。本来ならば一人で扱う様な兵装ではないのだろうと誠はにらんでいる。それは決して自分が扱えなかったからそう思う訳ではなく、事実ヴィクティムや優美香の見立てでもそうなっていた。
二番エレベータに乗っていたのは見た目ただの箱だった。そこにヴィクティムが左腕を突っ込む。半ばまで埋まったところで一気にエーテルを供給することでその箱が一気に展開した。
まるで化粧箱の様に広がりを見せるそれの中身は着飾る為の物ではない。百を超える筒状のそれは、大型化したランスの束。
「ファランクス……機動」
ミリアの呟きと同時。肉食魚の様に無数のランスが牙を剥いた。
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