68 これが彼女の第一歩

 死んでいれば良かったと、その一言を聞いた瞬間、ミリアは弾かれたように叫んだ。

 

「そんなことない!」


 その大音声に誠は驚いたように顔を上げる。実際、その表情には驚きが張り付いている。ミリア自身も驚いた。こんな大声を出せるというのは知らなかった事だ。だがそんな些事に囚われている場合ではないと思い直し、自分の考えを口にする。

 

「ご主人様は、自分の生きてた時代に戻りたかったの?」


 そう思っていた訳ではなかったが、結果としてはそういう事だった。誠は首肯する。

 

「その方法を探すために戦っていた?」

「そうだ」


 ミリアも全てを理解しているわけではない。同一化したとはいえ、全ての記憶を見たわけではないのだ。断片的な情報を自身が見聞きした物と統合して一つの線を作り上げていく。それは今のところ誠の中の真実とは乖離しない。

 

「だから、戻れないなら戦う理由が無い。そういう事ですか?」

「そう、だ」


 再び誠はミリアから目線を逸らす。明確に言葉で表すことで自分の醜悪さを再認識してしまった。どこまでも自分本位。他人の為の様に見せていて全ては自分の為に繋がっている。それを直視するのは誠にとっても辛い物だった。

 

「リサさんやみんなを助けたのはどうして?」

「俺の為だ。助けることで得られる俺のメリットの為だ」


 自覚してしまえばそういう事になる。何から何まで。誰かを助けたのは巡り巡って自分の為。情けは人の為ならずとはよく言った物だと誠は自嘲の笑みを浮かべる。目を閉じた。きっとミリアも呆れて出ていくだろうと思って、一人ここを死に場所に決めた。

 

「だったら、どうして私を助けてくれたんですか?」


 だからこそ、その問いかけは言葉に詰まった。再び顔を上げるとミリアの視線は誠から外されることなく真っ直ぐに誠の方を向いている。

 

「それは……いや、あの時言ったはずだ。俺の為に死なせるなんてことはして欲しくないと。それだって結局は俺の気分が悪いと、いつかここから出ていくのに後引くような事をしないでほしいと思ったからだ」

「違いますよ。それは私を見捨てなかった理由。そうじゃなくて、どうして、ご主人様は……誠さんはあの日、あの花畑で私に声をかけてくれたんですか?」


 今度こそ誠はその問いに答えられなかった。どうして。その問いかけに対する解を誠自身持っていない。精神安定効果、などと言う理由はそれ以降に出来たものだ。あの日、一番最初に声をかけたのはどうしてか。

 

「私には何の価値も無かった。結果としてヴィクティムに乗っているけどあの時の私は無価値だった。なのにどうして?」

「それ、は」


 答えに詰まっているとミリアがふっと微笑んだ。その微笑みの質はどこか、記憶のどこかを刺激する物。目を奪われた。

 

「きっとそれは誠さんの本質なんだと思います。私難しいことはよく分からないけど……帰りたいから戦っていた。それも本当。そうやって何も考えずに助けたいと思うのも本当。それじゃあダメなんですか?」


 分からないと誠は素直に感じた。時折感じるそうしなくてはいけないという思い。それが一体自分のどこから来ているのか分からないのだ。まだ欠けている穴あきの記憶の中にその答えがあるのかもしれないが知る由も無い。


 頭の中でどこかがずっと叫んでいるのだ。都市の人を助けるべきだと。だが同時にこうも言っている。どうして俺がどうでもいい大多数の為に生贄にならないといけないんだと。

 雫の最期を思い出すと二度とあんな思いはしたくないと感じる。それ以上にこうも思ってしまうのだ。自分がいなければ雫は今も生きていたのではないかと。

 

 答えの出ない問いだ。自分の決断によっての変化。そんな物は確認のしようが無い。だがその疑惑が付いて回る。自分がいなければもっとましだったのではないかと。ありていに言ってしまえば誠は現在何よりも自分を信じられなくなっていた。

 それを敏感に察したのだろう。一瞬ミリアの瞳に悲しみが過った。本当に一瞬の後、彼女は誠の手を取る。

 

「誠さんが自分の中で戦う理由を見つけられないのなら、私を手伝ってください」

「手伝う……?」

「はい。私は今からヴィクティムで戦います」


 その宣言は何よりも誠を驚かせた。ミリアが誠の内面を見たように誠もミリアの内面を見ている。彼女は戦う事に怯えていた。だというのに何故。

 

「だって、私この都市のみんなが好きだから」

「どうしてだよ。だってあんな扱いを受けて」


 憎むのなら誠にも分かる。不要だと言われて手のひらを返されて。そんな身勝手な連中を憎むのならば。だがミリアはそんな相手を好きだという。それが全く理解できない。ましてこれまでにずっと戦う事を恐れていた事を覆す理由としては考えられない。

 

「私、帰ってきてから色んな人に心配されたんです。大丈夫か? って」

「それこそ身勝手じゃないか。利用価値が出てきたら気を使うなんて……」

「最初は私もそう思ったんです。今まで散々いらない子扱いして急に優しくされたってと思ったんですけど、ほんの少し前に気付いたんです」


 すごく嬉しそうな笑みを浮かべてミリアは言う。

 

「私が黒いリボンを着けていたときから、同じ様に心配してくれていた人がいたって。ずっとただの同情だと思ってました。それはきっと間違いじゃないんでしょうけど、だけどやっぱり私を気遣ってくれたことも嘘じゃなくて。そう思ったらみんながみんな私の事を疎ましいと思っていた訳じゃない。確かに好いていてくれた人がいたんだって思えたら嬉しくて」


 それが本当なのか。そんなことは誠には確認のしようがない。まして否定する権利など無い。ミリアがそう感じたのならばミリアにとってそれが真実なのだ。

 そして何より、ミリアのこんな影の無い笑顔は初めて見た。都市の人間から不要とされた記憶。それはずっと彼女にとって心を覆う影だったのだろう。だが僅かでもそうではない人がいた。それに気付けただけでこの少女は笑顔を浮かべられるのだ。

 

「それに雫お姉ちゃんが言ってくれたんです。やりたいことがあったらやりたいって言ってくださいって。きっとみんな助けてくれるからって。そう言ってくれた雫お姉ちゃんはもういませんけど……」


 ああ、確かに。と誠は思い返す。彼女との別離が衝撃的過ぎてその前に交わしていた言葉を忘却してしまっていた。彼女はミリアの自主性が妨げられることを危惧していた。ミリア本人にも言っていたのだろう。他人の事など気にしないで良いと。

 

「私が生まれてから初めて、自分でやりたいって決めたんです。誰かからこれをやれ、って言われたのではなく。私がやりたいって思ったんです」


 そうやって胸を張って宣言するミリアの姿は誠には輝いて見えた。無論目の錯覚だ。だが誠は確かにそこに一人の魂の気高さを見た。自分の様に戦いの結末に怯えるのではなく立ち向かう姿。その姿はきっと何よりも尊い。

 

「だから手伝ってほしいんです。私ひとりじゃヴィクティムは動かせません。誠さんの協力が無いとダメなんです」


 脳の奥を刺激する記憶。そう、確か同じ言葉を以前にも聞いたことがある。

 

「ごめんなさい。私一人じゃ駄目でした。強くなったのに。一人でも出来るように頑張ったのに。誠さんの協力が無いとダメなんです」


 何時の事だったかは思い出せない。冠木華が誠に言った言葉だ。そう請われて誠はヴィクティムに乗る事を決意したのだと思い出した。あの時感じていたのはどんな思いだっただろうか。思い出せない。彼女を守りたいと思ったのか。彼女に守られるのが嫌だと思ったのか。彼女を助けたいと思ったのか。彼女に助けられるだけなのは嫌だと思ったのか。

 そのいずれもが正解で、そして不正解な気がした。

 

 誠は己の掌を見つめる。守ろうとしたものは全て手のひらから零れ落ちた。自分が守れるものなどたかが知れている。むしろ悪化するかもしれないという恐れはある。それでも自分よりも一回りも小さい少女が立ち上がろうとしている。それをただ見送る事は出来ない。

 

 帰れない。その挫折はきっとこれからも誠を苦しめる。全てを置き去りにした罪悪感は一生消えることは無い。何をしていても満たされることは無いだろうし、刻み込まれた傷は残り続けるだろう。

 何も考えずに逃避したいという気持ちもある。死んでしまった方がマシだったとミリアに否定された今でも思っている。

 

 それでも座して全て終わるのを眺める。そんなことをする気にはなれなくなっていた。

 

「……分かった。ミリアのやりたいようにやると良い。何をするのでも俺は手伝う」


 それは決して心の底からの欲求ではなかったけれど。誠が前を向こうとしているのがミリアにも分かったのだろう。喜色を浮かべてお礼を言ってくる。

 

「ありがとうございます。誠さん!」

「礼を言われるような事はしていないよ。むしろ――」


 このまま終わりを迎えるのを待つというのもきっとそれはそれで一つの形だっただろうと言う退廃的な欲求は誠の中に残っている。だがきっと土壇場で悔いると思うのだ。どうして何もしなかったのかとその時になって無責任に後悔すると言う予測があった。

 だから本当にお礼を言うのはその底から引っ張り出してくれたミリアにこそ言うべきだと誠は思った。気恥しいのでそれを言葉にすることは無かったけれども。

 

「行きましょう」

「ああ。行こう」


 二人並んでヴィクティムのいる格納庫へと向かう。そこへの道すがらだけでも現在が如何に危機的状況なのか伝わってくる。

 ASIDの戦術は至極シンプル。圧倒的物量による波状攻撃。最前線で第三大隊が督戦しているが、相当数の撃ち漏らしがあるようだった。そしてその撃ち漏らしだけで残りの防衛部隊を半壊させているという有様だ。第一陣は撃退したようだが、観測できる範囲でも第二陣、第三陣が控えているらしい。自然、二人も駆け足になる。

 

「どうする、ミリア?」


 普段ならば方針を決める誠があえてミリアに問いかけた。ミリアを手伝うという発言それを翻すつもりはない。基本的にミリアの意思に任せるつもりだった。

 

「えっと……まず都市の安全を確保します。それから敵の流れをさかのぼって第三大隊と合流。そこで敵主力を撃退……で、大丈夫かな……?」

「ああ。上出来だ」


 以前の雫の言葉に誠は今更ながらに同意する。全く以て大した勤勉さだった。雫がミリアに薫陶を授けていたのは本当に短い期間だ。その僅かな時間で雫や誠と同程度の判断が出来るようになるというのは本人の意欲が無ければ決して不可能だっただろう。

 

「急ごう」


 一際大きな足元からの揺れは浮遊都市にASIDが接触した物によるものだろうか。方針が決まった。ならば後は全力を尽くすだけだ。常以上にミリアは気を張り巡らせてヴィクティムの前に立つ。

 対して誠は若干怯んでいた。最後に乗った時の出来事を今更ながらに思い出したのだ。あの悍ましくも甘美な感覚。思い返すと二重の意味で背筋が震える。

 

「まこっち! ミリア!」


 いつも以上に顔や髪までもを油で汚した優美香が二人の元に駆け寄ってくる。

 

「もうルカちは出撃したよ」


 やはり先に出たのかと誠は僅かな罪悪感を覚える。そんな風に悔いるくらいならば最初から動けばいいとは思うのだが身体がいう事を聞かない。

 

「あの機体が無いな」


 持ち帰った二機のうちの一機。それがおさめられていたハンガーが空になっているのを見て誠が小さく呟く。まさかあれに乗ったのだろうかと思いながらもそれを否定する材料を持たない。ここに至るまで彼が見たのは大破、中破したハイロベートのみ。完全な状態の機体は全くなかった。その事実は短時間にここまで押し込まれたという現実を突き付けてくる。


「ヴィクティムの修理は?」

「感謝してよね? きっちり突貫工事だけど仕上げてある。細かな調整はダーリン任せ。後は実戦で慣らして!」

「ぶっつけ本番か」

「……? 雫お姉ちゃんからはいつもそんな感じだったって聞いているけど」

「そう言われればそうだな」


 誠のぼやきに思わぬ突っ込みが入りわずかに渋面を作った。決して本気では無く冗談の延長だったがそれを見て優美香は軽く表情を変えた。

 

「何かまこっち吹っ切れた?」

「自棄になった、とも言うな。ん……?」


 ふと誠は何かに気付いたように目を細める。じっと優美香を見つめ始める。

 

「な、何さいきなりそんな目で」

「いや、お前よく見ると……」


 今までド派手なピンク色に塗り潰されていて気付かなかったが、今こうして髪が油で汚れまくり黒ずんでいる姿を見ると誠の記憶を刺激する物があった。

 

 誠は頭の中でとある人物を数年ほど年齢を追加してみる。そこに目元の辺りと髪の色を別の人間を混ぜると丁度今目の前で居心地の悪そうな表情をしている人物になるのではないだろうか?

 

「……ああ、そうか。生き延びて、いたのか」


 そう、誠はもう少し早くその可能性に思い当るべきだった。ここが六百年後だというのならば。非常に低い確率ではあるが誠の知っている人間の子孫がいるかもしれなかったのだ。それがかなり誠に近しい人間だったというのは予想外で、嬉しくもあり、腹立たしくもあった。

 

「ああ、畜生。あの野郎。もしも会えることがあったら絶対ぶん殴ってやる」


 そう物騒な事を言いながらも誠の口元は隠しようもなくにやけていた。その百面相を優美香は気味悪そうに見ていた。

 

「何? マジでどうしたのまこっち。あまりにショッキングな出来事におかしくなっちゃった?」

「ショッキング……ショッキングか。ならお前にもそのショッキングを分けてやるよ」


 よく聞けよ、と前置きをすると優美香は逃げ出したいと表情に張り付けながらも聞く姿勢に入る。ミリアも急がなくてはと思いつつも気になるのか。耳を傾ける。

 

「俺はお前の為なら死ねる」

「キモい! 何か背筋ぞわぞわした!」


 そのリアクションが意外な程誠の知る人間と似ていたので口を開けて笑う。

 

「笑いすぎだっての! っていうか本当に頭大丈夫?」

「大丈夫。大丈夫だ」

「そんな涙出るほど笑ってても説得力ないっての……」


 そう言われて誠は己が泣いている事に気付いた。ああそうだ。これは笑いすぎたからに決まっている。こんなロボキチを見てうれし涙なんて有り得ないと自分を笑った。

 

「ああ、笑った笑った……よし、ミリア行こう」

「え? うん」


 憮然とした優美香を置いてヴィクティムのコクピットに入り込む。そこでふとミリアが聞いた。

 

「ところで何であんなに笑ってたの?」

「ん、ああ。別に大した理由じゃないんだが」


 そう、大した理由ではない。


「あいつの気持ち悪がる姿が思いの外妹そっくりで笑えたってだけの話だ」


 現金な物で。自分がここに至るまでの戦い。その中に僅かでも意義があったと知って誠は口元を緩ませる。全くの無駄ではなかったのだと思わせてくれる。

 

《お待ちしておりました。マイドライバー》


 そして。二人にとって最大の不確定要素が言葉を発する。

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