66 記憶遡行:下

 どことも知れぬ場所で誠は頭を抱えた。

 耳を塞ぎ、目を閉じて。聞かず、見ず。そうしなければ耐えられなかった。

 

 誠が異世界と言う判断をしたのには理由がある。繰り返し考えていた事だ。

 

 異世界に来てしまったのならば帰還方法がある筈。その一念だけが誠を支えて来たと言ってもいい。

 

 だがここまで来てしまうと分かってしまう。誠がこれまで人伝に聞いてきた知識には誤りがある。それは意図的なのか情報の継承が滞った結果なのか。それは誠には分からない。だが全てが全て間違いだったとは思えない。

 半ば本能的な直観と今新たに得た知識で誠はこれまで得た情報を選別し、更新する。

 そうすると、見えてくるものがあった。

 

 どうして今ここに自分がいるのか。

 

 今から始まるのはそこの答え合わせ。

 

 『柏木誠』にとって既に迎えたバッドエンドの話だ。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 2024年02月01日 おやすみなさい。もう誠君は戦わなくていい。もう会えなくてもいい。貴方の未来は私が作るから。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 後一手。

 クイーンASID。宇宙を食い荒らす害虫。それをあと一歩のところまで追いつめた。

 周囲にはこの作戦の為に捨石にせざるを得なかった仲間たちの躯が転がっている。屍で作られた道を踏みしめてヴィクティムは吶喊する。

 

 対するクイーンは最早満身創痍だ。爬虫類を模した頭部だけは奇跡的に無傷だが、他の箇所は余すところなく切り刻まれていた。全ASIDの頂点に立つ存在とは言え、フルスペックを発揮したヴィクティムに対抗できるだけの進化をこの短時間で成し遂げるのは不可能だろう。だからこそ誠は急がなければいけない。相手が対応するよりも早く。相手が逃げ出す前に早く。自分の身体が限界を迎える前に早く。

 

「止めだ、華!」

「ハーモニックレイザー使用承認!」

《抜刀》


 最後の切り札を切る。これまで使ってこなかったハーモニックレイザー。高速振動で切り裂く最強の刃。それへの対抗策だけは決して練らせなかった。この一瞬。対処不能な初太刀で仕留めるために。

 悪あがきとばかりに鉤爪が突き出された。僅かに装甲を掠める。だが機体機能には影響なし。あったのは気密性が保たれなくなりコクピットが外気に触れてしまったという事。

 

 ASIDの総大将がおり、周囲には体表から散布された環境変異ナノマシン――塵と呼ばれる物が高濃度で存在する外気と。

 

 通常ならば問題は無い。高濃度の塵と言えども短時間では致命的な結果を及ぼさない。五分以内に退避すれば十分に間に合う計算だった。ハーモニックレイザーを振るって終わるこの状況。お釣りがくる。通常ならば、問題は無い。

 

 だが誠は通常ではなかった。ここまで戦い続けて戦い続けて戦ってきた彼の身体を蝕むナノマシンは既にギリギリのところで誠の体内で抑え込まれていた。そこに呼気を介して大量の塵が加えられたらどうなるか。答えは明白である。

 

「あああああああああああ!」


 自分のどこからこんな声が出ているのかと思うほどの身を引き裂くような絶叫。操縦桿からも手を放し頭を抱えてのた打ち回る誠の姿に華が息を飲む音が聞こえてくる。激しい頭痛の中でも周囲の状況は驚くほど、本当に驚くほどクリアに誠の頭には入ってくる。

 即座に分かった。これが塵中毒。体内のナノマシンが身体をASIDに作り変えようとする痛み。ケイドからはこうなったら頭を打ち抜けと言われたが無理だった。こんな状態では指先一本自由に動かせない。

 

「誠君!?」


 その一瞬は何よりも高い代償となった。クイーンはコクピットの中の状態まで把握した訳ではないだろう。ただ動きが鈍った。その一瞬で逃亡を選択したのだ。こちらに背を向けての全力の逃走。ここで逃げられたら至るまでの犠牲が無駄になる――どころかヴィクティムの全容を知られた。それは何よりも致命的な事態だ。

 追撃しなくてはいけないと苦しみながらも誠は考えた。当然の事である。今ならばまだ追いつける。最初に稼がれた距離を埋めるのには少々手間がかかるだろう。速力はほぼ同等、僅差で上回ってさえいるのだ。僅かだがヴィクティムが上回っている以上いずれは追いつける。あれだけの損傷をその短時間で修復するのは不可能。三十分もあれば全て終わる。

 だがその三十分が経過したときにこの状態の誠は無事なのか。その不安が華の決断を阻害するのだろう。後部座席で迷いの表情を見せている姿さえ、どうやってか誠は視認していた。

 

《華――こちらを》


 そして収納スペースからヴィクティムが取り出した拳銃に目を見開く姿も。

 

《塵中毒――ASID化の初期症状です。既に進行度は不可逆段階。治療の方法はありません》

「嘘、どうして……? だって検査結果は」

《申し訳ありません。誠とケイド、そして私で数値を改竄しました》

「どう、して。何で」

《貴女を、一人にさせたくなかったからです華。私も、誠も。ケイドはそれを知って協力してくれました》


 二人の会話がクリアに聞こえる。身体は全身苦痛を訴える。だがその中で誠は別の声を聴き始めていた。

 

(さあ彼女に会いに行こう)


 それは声。本能がささやく声。狂おしい程に一つの念を囁きかけてくる。

 

(彼女は立派な体が好きなんだ。彼女は固い甲殻が好きなんだ。彼女は鋭いまなざしが好きなんだ)


 ただただ純粋な、生殖本能。

 

(彼女に相応しい身体を手に入れなくては。彼女の伴侶たるに相応しい身体を作らなくては)


 それと同時に膨れ上がる捕食本能。周囲の無機物を食らえと出来もしないことを要求してくる。

 

《華。急いでください。クイーンの速度が速いです。このままでは逃げられます》

(ああ、大変だ。彼女が行ってしまう。暴漢に襲われて、怯えて。かわいそうな彼女! 早く助けに行ってあげなくては)


 その為には――。

 

(さあ、この暴漢の身体を食らって僕たちの身体にしようじゃないか)

「だま、れ……!」


 好き勝手なことを言うなと思いっきり誠は頭をコクピットに叩きつける。モニターにひびが入ったが知る物か。それを二度三度と繰り返し頭の中の声を掻き消そうとする。

 

(何をしているんだ。さあ早く。僕たちは彼女と子を成すために存在する。そうだろう?)

「五月蠅い。五月蠅い。五月蠅い黙れ……! 俺はそんな事、望んでいない」

「誠君!」

《幻覚を見始めています。塵中毒の重篤症状。もう時間がありません》

「出来ない。出来ないよヴィクティム! だって、だって私は、私は。この人を救いたくて」


 華の泣き声が聞こえる。聞きたくないと思っていたのに。そんな顔をしてほしくないと思っていたのに。結局泣かせてしまっていると誠は後悔した。だがそれよりも浮かび上がるのは誠にとって直視したくない欲望。そんな華の顔が最もそそられるという彼の願いとは相反する欲求だった。

 

(さあ早く。彼女と一つになろう。彼女と子を作ろう。僕と彼女の子供たちをこの世界に解き放とう)


 何なんだと誠は思う。この声は一体何なのか。恐ろしいのはこの声は誠の本能と一致し始めているのだ。生殖本能――突き詰めれば性欲。捕食本能――突き詰めれば食欲。三大欲求と呼ばれる内の二つの欲求が暴走し高まる。

 そして唐突に気が付いた。きっとこれがASIDの本能。存在しないと言われていた雄性体のASID。その本能。それは麻薬に近い。本能の赴くままに生きろと言われて、人間の理性は素直に納得できない。その理性を形無しになるまで溶かしていくのだ。

 

 半ば無意識の中で、彼は悟った。これこそがASIDの目的なのだと。惑星環境を作り変える。それ自体は手段に過ぎない。あれはただ、巣を作っていただけだ。巣とは即ち繁殖の場。身一つで来た女王は、その惑星に住む生命体を己の番に作り変えるのだと。

 

 だが自覚したところで止められない。誠に出来たのはただその欲求対象をASIDの物から必死に自分自身の物にずらすだけ。振り向いて、華を視界に入れる。

 

 血走った誠の眼が華を捉えた。そこに込められた情欲の念に華も気付いたのだろう。身を固くしたのが誠にも分かる。当然だと思う。だがそんな恐怖の入り混じった顔をさせてしまったのが悲しく同時に興奮する。そんな自分に自己嫌悪。だがそうしていると僅かだが頭の中の声は聞こえなくなる。ASIDの本能が弱まる。頭痛も和らいだ。

 

 大きく息を吸って次はこの昂ぶった性欲を静めようとした途端、再び頭痛が遅い本能の声も大きくなる。慌ててまた華に意識を集中させた。そうする事で再びの小康状態。代償として人間としての生殖本能が際限なく高まって行く。それを堪えるのもまた結構な苦行だった。

 

《華!》

「ヴィクティム。第二ベースに引き返して」


 それはダメだと誠は叫ぼうとした。華のその言葉はここまでの全てを無駄にする物だ。誠としては到底容認できるものではない。

 

《ここまでの全てが無駄になります。よろしいのでしょうか》

「私は、私にとっては誠君の命以上に大事な物はありません」

《了解》

「オートパイロットでお願い。私はやることがあるから」

《了解》


 本当に、ヴィクティムは引き返し始めた。逃亡中のクイーンを放置して。これがどんな事態を招くか。それを誰よりも理解しているはずなのに。理性が、本能を凌駕した。息も絶え絶えになりながら声を張り上げる。

 

「止めろ、ヴィクティム……! クイーンを追え。追うんだ……!」

《申し訳ありません。命令のプライオリティは華の方が上です》

「華……!」

「言ったはずです。私は誠君の命以上に大事な物はありません。それよりも……」


 首元のジッパーに手をかける。躊躇うことなく華はそれを引き下ろした。白い肌が誠の網膜に焼付く。

 

「辛い、んですよね?」


 彼女には誠の抱えている情欲が見抜けたらしい。病的と形容される一歩手前のギリギリの白色。透き通るような肌に誠の劣情は更に掻き立てられる。それが一度ならず味わった物であれば尚の事。その感触を想起して、更に欲望が加速して。最早転がり落ちるように彼の本能は暴走を始める。

 誠の理性が保たれていたのはその時まで。何かが切れるような音がしたと思うと同時、誠は我を忘れて華に覆いかぶさっていた。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 気が付くと誠はコクピットの中で座り込んでいた。僅かな気怠さと疲労感。その原因が何なのか。不幸なのか幸運なのか。余すことなく誠は覚えていた。

 新品同様のコクピット。それが先ほどまで乗っていたヴィクティムの物ではなくロールアウト直前の二号機の物だというのはすぐに分かった。

 

「華……」

「目が覚めましたか?」


 そう答える少女の姿はコクピットの外側にあった。それを冷静に考えることが出来る程度には誠の症状は緩和していた。

 既に着替えていたのだろう。先ほどまでの交情を伺わせることの無い完全装備だった。

 

「俺は、どうなった……? クイーンは?」

「クイーンは現在追跡中です。まだ位置は見失っていません。これから追撃予定です」


 淡々とした声音からは感情を読み取る事が出来ない。能面の様な無表情からは彼女が何を思っているのか察することが出来ない。怒っているのだろうかと誠は思った。少なくともこの数時間で怒らせるには十分な事をしてきたという自覚はある。

 そして現況を聞いてホッとした。どうやらまだ最悪は免れているようだ。二十四時間以内ならばクイーンの対応よりも先手を取れる。身体を起こそうとする。が力が入らない。それでも無理やりに動こうとすると華が手のひらで誠の身体を押し戻した。

 

「何を、するつもりですか?」

「決まっている。クイーンを倒すんだろう……? 俺も行く」

「ふざけないでください!」


 目覚めてから華が見せる初めての感情。それは怒り。これまで見たことが無い程の。文字通り烈火の如き怒気に誠は気圧される。

 

「自分の状態が分かっているんですか!? 塵中毒のフェイズ3……不可逆状態にナノマシンが変化している。ナノマシンの増殖限界が来るまで周囲を作り変え続ける末期状態なんですよ!? 今はケイドのナノマシンと原因不明の鎮静で持ち直していますが、少ししたらまた……!」


 なるほど、と誠は納得した。この快復は奇跡的な要因の積み重ねによる綱渡りに近い物だという事が分かった。だとしたら。

 

「なら、俺がASIDになる残り僅かな時間を有効に使わないと……」

「どうして……どうしてそこまでするんですか。何で私の言う事聞いてくれないんですか」


 どうして、と言われると誠も困ってしまう。だが確かに彼女の言うとおり。余り華の言う事を守ったことが無いかもしれない。その結果が今こうして華の隣にいる事に繋がっているのだからこれまでの選択に間違いは無かったと信じている。だがその理由は。果たして何だったのか。

 

「私は、誠君に平和に暮らしてもらえればそれだけで良かったのに」

「華はそれでいいかもしれないけど……俺は嫌だ」


 結局はそれなのだろう。自分が嫌だから。これまでの誠の行動は全てそれに尽きる。

 

「色んな物背負い込んで、泣いている華を一人にするなんて俺は嫌だったんだ」


 見てしまったから。笑顔の裏に多くの責任を勝手に背負い込んで押しつぶされそうになっている少女の姿を知ってしまった。それを見なかったことにして一人のうのうと生きている事など自分で自分を許せない。

 

「俺の隣で華が笑っていないと俺の人生輝きが半減するんだよ」


 そう言うと、華は静かに涙を流した。

 

「やっぱり、私は間違えました。遠くから、見守るべきだったんです……いいえ違う。目につく範囲にいるべきじゃなかった。貴方の眼が届かない場所で戦って貴方を巻き込まないようにするべきだったんです」


 それはこれまで出会ってからの全てを否定するような言葉。それだけ華は今の現状を悔いているのだろう。だがそれは華のせいではない。ここに至るまでの決断の責任。それは誠の物だ。きっかけは華と出会ったこととはいえ、その道程に華が責任を感じる必要など微塵もないし、背負わせなどしない。

 それを言葉にしようとしたところで――奇跡は終わった。

 

「ぐあああああああっ!?」


 先と同じ、それ以上の頭痛が誠を襲う。僅かな時間の取り立てをするかのように頭痛を際限なく強まっていく。

 

「誠君!」


 跳ね上がりめちゃくちゃに暴れそうになる誠の身体を華が押さえつける。手にしているのはナノマシンを入れたカプセル。経口摂取だが今の状態の誠の口の中に放り込むのは困難。そう判断した華は唇にカプセルを挟む。そのまま両手で誠の顔を固定して唇を押し当てた。口移しでカプセルを誠の咥内に押し込む。苦痛で喰いしばりを繰り返す歯が華の舌先を切る。

 

 僅かな血の味と共にカプセルは誠の体内に入り、内部のナノマシンが症状を緩和させる。だがそのナノマシンも入れた側からASIDのナノマシンに分解、改造されていってしまうのだ。それが完了するまでの僅かな時間が誠にとっての最後の安息。

 

 もう駄目だと分かってしまった。こんな状態ではヴィクティムに乗っていても役には立てない。足を引っ張る事しかできない。こうなってしまっては誠に許されるのは頭を拳銃で打ち抜くことくらいだろう。

 

「すま、ない。華……」

「謝るのは私の方です。誠君。私が、巻き込んでしまった。こうはしたくなかったのに。結局私は貴方を、救えなかった」


 その独白にも近い謝罪。その意味するところは誠には分からない。ただ華は誠に抱きついたまま、祈るようにささやく。

 

「貴方は強い人。貴方は優しい人。きっと真実に気付けば貴方は絶望する。それでも、負けないで。立ち上がって。貴方を支えてくれる人がきっといるから」


 まるでそれは別れの言葉。そう思うのだが誠は上手く声を出せない。いやそれどころか意識が段々とぼやけてくる。今がどこなのか。一体何をしようとしていたのか。それが思い出せなくなってくる。

 知る由も無いことだがそれはASID化の最終段階。脳が金属細胞に置き換わり始めているのだ。その結果彼の記憶が次々と失われていく。例え金属細胞を生体細胞に再変換したとしても完全な復元は不可能。

 

「心配しないで。貴方は一人じゃない。六百年先でも貴方は大切な人を見つけられる」


 六百年。その単語で華が何をしようとしているのか。誠は分かってしまった。

 

「ま、て。華……」

「ヴィクティム。時間凍結準備」

《了解》


 エーテルの循環を完全に停止させ、有機物の時間を止め不変の物とする時間凍結。それを使えば誠の現状を打開できる。六百年。それはASIDのナノマシンの分裂限界が確実に訪れる時間。その間誠の肉体を時間から切り離してしまえば幾らナノマシンが増殖しようと誠の身体はASIDに変化しない。

 その間、誠は眠り続けることになるのだ。時間を止めるというのはそういう事だ。

 

「お前を置いて、俺一人で逃げろと……?」

「言ったはずですよ誠君。私は貴方に生きていて欲しいんです。例えどんな形でも」


 瞼が重い。既に誠の時間は止まり始めているからか、ナノマシンの浸食が進行しているからか。徐々に意識が薄れていく。


「大丈夫です。六百年後でも私に会えますよ」


 そう微笑む姿はもうかすかにしか見えない。

 

「貴方の目覚める未来を良いものにするために私も頑張りますから」


 瞼が完全に落ちた。視界が失われる。全身を預けているシートの感触が消えた。触覚が失われる。

 

「おやすみなさい。誠君」


 その言葉を最後に何も聞こえなくなった。聴覚が失われる。

 口の中に感じていた血の味。最後に交わした口付の残滓を感じられなくなった。味覚が失われる。

 

 そして最後に嗅覚が失われる。

 

 彼が最後に覚えた感覚。それは華の匂い。彼女の身体からは、

 

 花の香りがした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る