65 記憶遡行:中

 知らない。知らない。こんな記憶は知らないと誠は夢の中で絶叫する。

 

 誰だ。誰だ。誰だ。誰だ。誰なんだと頭を疑問が埋め尽くす。高校二年までの記憶。誠にとっての全て。帰りたい場所の記憶。そこに冠木華なんて言う少女の姿は無い。いや、無かった。

 だが思い出してしまう。そう思い出してしまうのだ。書き込まれたわけではない。後から与えられたわけでもない。ただ誠が思い出すことが出来なかった記憶。全てを纏めて封印してしまった少女との想い出。

 

 やめてくれと懇願する。

 思い出させないでくれと泣き付く。

 

 過去と今は断裂していなければいけないのだ。

 点と点で、繋ぐ線は存在してはいけないのだ。

 

 何故ならば、誠の過去と今が地続きならば。それは一つの事実を意味する。それは誠として断固認めるわけには行かない。

 

 ヴィクティムなんて機動兵器は存在していなかったのだ。そんな物を作る素地は無かったのだ。最後の記憶は家で眠りについた物だったのだ。そこからヴィクティムのコクピットに繋がるはずがないのだ。細かな理由は他にもたくさんある。だがその二つが何よりも誠にとっての拠り所だったのだ。

 

 即ち、ここが異世界であるという荒唐無稽な現実逃避のを信じ込むための。

 

 ◆ ◆ ◆


 2018年09月10日 ケイド・バイロンと接触。ピンクの髪……この知識量。どうしても知っている人間を連想してしまう。

 

 ◆ ◆ ◆


「ASIDの目的は不明だが、何をしているのかは分かるよ。あいつらの侵攻した地域のデータを見てくれ……酷いもんだろう?」


 そう言いながら、ケイド・バイロンはコーヒーを口元に運ぶ。その仕草がまたサマになっているものだから誠は少しだけいらっとする。完全な八つ当たりであった。このカフェテリアと言う場所を考えると嫌味な程に似合っていた。その事が更に誠のいら立ちを加速させる。

 イケメン死すべしと呪詛を吐きながら誠は差し出された写真を見る。灰色に染まった大地。横から覗き込んでいた華が痛ましそうに目を伏せた。

 

「あいつらが通った後は全てそうなる。どうも体表からナノマシンを散布しているらしくてね。加速度的にテラフォーミング……とはちょっと違うな。まあ彼らの都合の良い様にフォーミングしていると思われる。それがASID自身の為なのか、それとも後から来る誰かの為なのかまでは分からないけどね」

「誰か?」

「ASIDは遠いどこかの惑星の異星人が作った環境調整マシーンと言う可能性もあるって話さ」

「スケールが大きくなりすぎて分からん」


 宇宙人と言う言葉にはロマンを覚えていたが、こんなはた迷惑な宇宙人がいるとしたら一気にそのロマンも覚める。

 

「侵略兵器として考えた場合これほど効率のいいものは無いね。現地の生物を己の陣営に変換して行き、土地環境を激変させることで兵站を断つ。まあ同種族相手には使えないけど」


 何でこいつは楽しそうなんだこのマッドサイエンティストめ、と誠は思ったが口にはしない。むしろそう呼ばれることを喜んでいる節があるのは既に分かりきっている。だが実際、多少の狂気でもないといくつもの博士号を取った後にこんな極東の地で得体の知れないロボットを弄り回すなんて選択肢は取らないだろう。

 

「そのナノマシン……人体への影響は?」

「無論、ある」


 華の問い掛けにケイドは重々しく頷いた。

 

「そもそもが我々が過去に交戦した」

「我々じゃねえよ。俺たちだよ」


 むしろ過去に交戦していたときは邪魔する側だっただろうと言外に糾弾すると思いのほかケイドはあっさりと引き下がった。何だかんだで負い目に感じているのかもしれないと誠は少し思う。


「君たちが交戦した鯨型、獅子型のいずれも地球上に存在していた鯨、ライオンを改造したものだ。細胞単位で金属に変換し、無機生命体として生まれ変わらせる。その後周囲の金属を取り込んであそこまで巨大化したのだろうね。無論人体にも同じ事が可能だ。ただエーテル、とか言ったか? それのおかげで他の生き物よりも耐性があるというだけの話だよ」

「ってことは、俺や華がいきなりASIDになるってこともあるのか」


 自分の腕をさすりながら誠は顔を顰める。戦う事は覚悟した。その果てに敗れるかもしれないという事も覚悟した。だが自分が守るべき相手の敵になるかもしれないというのは容認し難い。

 

「いや、いきなりという事は無いだろう。何かしらの予兆があるはずだ。……その予兆を感じたら速やかに頭を打ち抜くことをお勧めするよ。最悪のケースは君か華のどちらかがASIDとなってヴィクティムを取り込んだ場合だ。まさしく悪夢だよ。救世主が一転して死を運ぶ者になるんだ」

「気を付けておくよ」


 ふと気が付くと華は難しい顔をして考え込んでいた。

 

「華?」

「あ、ごめん。ちょっと気になる事があって」

「ふむ? 一応私の研究データはヴィクティムにも渡してある。何時でも聞いてくれて構わないよ」

「そんなに大げさな事じゃないんだけど」


 そう前置きして華は問いを口にする。

 

「その予兆ってどんなのなのかなって」

「ああ、そういう事か。概ねまずは脳の浸食を優先する様だからね。激しい頭痛が起こると推測される。その後はその痛みに耐えられず発狂か気絶か……。次の段階は肉体の変異。骨格から徐々に筋肉、体表と言う順に変質していくというのが過去のデータから分かっている。要するに頭痛がしたら要注意という事だ」


 まるで寄生虫だと誠は小さく鼻を鳴らす。そんな物に負けてたまるかと気炎を吐く。だが華はまだ何か気になるのか、一瞬考え込んで。

 

「ちなみに、それに名前を付けるとしたら?」

「そうだね。ASID METAMORPHOSE VIRUS……AMウイルスとでも名付けようか。ナノマシンだから本当はウイルスじゃないけどね」


 ネイティブな発音にそういえばこいつアメリカ人だったかと今更ながら誠は思い出した。そして華はその名称を聞いて更に考え込んでいる様だった。


 ◆ ◆ ◆

 

 2020年02月28日 日記を書くのは久しぶりになる。忙しかった。その甲斐あって今年は少し楽になると思う。

 2020年03月03日 ひな祭り。ひな人形。実の立派な物を見て少しうらやましくなった。しかしこの年になって買うのもどうなのか。

 2020年04月07日 ケイドがAMウイルスについて新たな発見をした。どうやら、私の知っている知識は間違っていたみたい。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「そうそう。AMウイルスについての新しい情報だ」

「ああ。何か分かったの?」

「端的に言えば血中のナノマシン量によって浸食度合いが大きく変化するという事だね。という訳でさっそく検査してみよう」


 採血用の注射器を見せながらケイドは誠を手招きする。誠は小さく息を吐いてケイドの元に歩み寄って腕を捲りあげる。ケイドも手慣れた様子で消毒をし、血管に針を刺してきた。一瞬の痛みに誠は眉を寄せる。

 

「っていうかお前工学の博士じゃないっけ。なんで医療系も手慣れてるんだよ」

「生憎と私は天才だからね。医師としての資格も持ってるのさ」

「うわあ……ハイスペック」

「今度私の経歴を送ろうか? お義兄さん?」

「はったおすぞてめえ」


 一体こいつのどこがいいのやらと誠は妹の男の趣味に溜息を吐く。このショッキングピンクの髪色と性格以外は信用できる男なのだがその二つだけで誠の評価はダダ下がりであった。

 

「さて、採血完了だ。少し待っていてくれたまえ。すぐに結果は出る」


 言いながら血液の入ったケースを何かの装置にセットしていく。あれがそのナノマシン濃度を測る機械なのだろうと見当をつけた。


「ありがとよ。ヴィクティムの新装備の方はどうなってる?」

「順調だよ。今建造中の新筐体が第二に運び込まれている。今華はそっちの最終調整中さ。それが終わり次第中枢ユニットを移し替えて、オービットパッケージを装着していく形になる。間違いなくヴィクティムの戦力はアップするよ」

「期待してる。本当に世話になりっぱなしだな」


 全く持って、ヴィクティムの整備もASIDの解析も殆どすべてをケイド・バイロンと言う天才が担っている。もしも彼がいなかったらどうなっていた事かと誠は背筋が寒くなる物を感じた。

 少なくともヴィクティムはそう遠くないうちに整備不足でスクラップになっていただろう。

 

「礼の必要はない。ASIDを放置しておけば害は結局自分に回ってくるのだからね。まあ少しでも感謝の気持ちがあるのなら……実(みのり)とのデートをセッティングしてくれればそれで」

「黙れロリコン」


 だがそれはそれ。これはこれ。兄として断固、妹との不用意な接触は避けさせてもらう方針だった。その答えは分かっていたのか軽く肩を竦めて笑みを浮かべる。

 

「これはあれだね。実を落とすよりも先に兄である君を落とさなくちゃいけないみたいだ」

「やめろ気持ち悪い……」


 割と本気で誠が嫌そうな顔をすると丁度タイミングよくブザーが鳴る。先ほどセットした血液の検査結果が出たらしい。

 

「どれどれ……ふむ」


 数値を見たケイドの顔は一見すると何時も通りだったがほんのわずか強張っているのを誠は感じた。どうやら、余り良くない結果だったらしいと察する。

 

「正直に言うと、良い数字とは言えない。常に最前線に立ってASIDの側にいるのだから当然と言えば当然なんだが……かなり血中濃度が高い」

「やばいか?」

「そりゃもちろんやばいやばくないで言えばやばいさ。そして何よりも危険なのはまだデータが不十分だからね。どこまでが大丈夫でどこまでが危険か。そのデッドラインが見極められていない。医師としては今すぐにストップをかけたいね」


 その答えに誠は眉根を寄せる。どうやら想像以上にギリギリの状態らしい。だが、残念なことにその忠告には従えない。

 

「つっても今ヴィクティムを降りるわけには行かない。何とか騙し騙しやっていくしかない、か」

「そうだね。恐らく増殖にはリミットが設けられているはずだ。無制限の場合惑星全体をナノマシンで覆い尽くすグレイグーになりかねないからね。その時間を探るのと……後はASIDのナノマシンを解析して対AMウイルスのナノマシンを作れないか試してみるよ」

「ワクチンみたいな物か」


 なるほど確かにと誠は納得する。ナノマシンによって引き起こされた現象ならばナノマシンで阻害、回復も可能なはずだ。ただ問題はそのサイズの物体をどう研究するかだろう。現状人類がナノマシンと言う物体の製造に成功したことは無いのだから完全に未知数だ。

 だというのに、この天才ならば何とかしてくれるのではないかと期待してしまうのだった。

 

「……この結果は冠木には」

「言わないでおくさ。ちなみに華はもう少し軽症だ。もしかしたら男女でナノマシンへの影響が違うのかもしれない」

「それは良いニュースだ」


 少なくとも相棒は無事である。それを聞いて誠は胸を撫で下ろした。


 ◆ ◆ ◆

 

 2022年10月01日 すごい物を見てしまった……

 

 ◆ ◆ ◆

 

《くっくく。よくぞまいったな我が奏者よ。さああの機械人形どもに終焉の歌を奏でてやろうではないか》


 ヴィクティムが壊れた。

 

「ど、どうしましょうか誠君」

「いや、ホントどうしようかこれ。華は原因に心当たりはある?」


 壊れた、と言うのは適切ではないかもしれない。機能自体は正常なのだ。ただインタフェースがおかしい。出力されている言語が日本語なのだが極々一部の界隈で使用されている特殊言語になってしまっていた。

 ヴィクティムのAI部分は自己学習型の人工知能だ。常に新しい情報を仕入れ、己をアップデートしていく。故に今回の此れもそうした物の一つなのだろう。明らかに方向性を間違えているが。

 

《今宵も良い夜である。彼奴らを血祭りにあげ、月を赤く染めようぞ》

 

「……パソコンみたいに前回のアップデート前に戻すって出来ないのかな」

「さらっと酷い事言いますね誠君」


 ヴィクティムは大切な仲間である。それは華も誠も思っている。ただの機械ではないとも思っている。だが一事が万事この調子では誠もついそんな事を感じてしまうのだ。何を言っているのか非常に分かりにくい。古典を訳す方がテキストがある分まだ楽だ。

 

《案ずることは無い我が奏者よ。十四の公転を経て、我は真なる瞳に目覚めたのだ》

「誰か。翻訳お願い」

「一番翻訳が得意なのはヴィクティムですけどね」


 残念なことに、このヴィクティムの謎言語をヴィクティムは翻訳してくれなかった。苦労して誠と華は二人で額を突き合わせてどうにかヴィクティムの言葉を翻訳する。

 

「つまり、十四歳になったからこの言葉遣いに目覚めたと」

《然り。溢れ出る魔力が我を新たな位階へと押し上げたのだ》

「エーテルの過剰供給のせいでこうなった、ってことですかね」

「すげえ責任感じるんだけどそれ」


 エーテルの供給量を決めるのは誠と華だ。そう考えるとこの事態の責任の一端は自分なのではないか……誠としてはそう思えて仕方ない。何故エーテルでAIに異常が生じるのか誠には理解が出来なかったが。

 基本的に二人はドライバー、パイロットだ。機体の操作は熟知しているし、応急修理が出来るだけの知識もあるがAI部分に手を出せるほどじゃない。二人して迷った末、悪いとは思いながらも一人の男を呼び出すことにした。

 

「あーケイド? すまん。ちょっと来てくれ」

『何だい誠? 今日はオフだと記憶しているのだけど』

「生憎、当社にオフと言う物は存在しません」

『とんだ悪徳企業だね。この国の労働基準法はどうなっているのやら』


 ここまでは軽い挨拶の様な物だ。現状ASIDの動きも見られない以上、非戦闘員であり機体とパイロットのメンテナンスを担当しているケイドは完全なオフだ。それでも今回ばかりは急を要する。


「真面目な話、ヴィクティムの調子が悪い。いざと言う時に大問題になっても困るからな……。すまんが診てくれ」

『ヴィクティムの? なら仕方ないね』


 電話口の向こうから微かに苦情を言う声が聞こえてきて誠は少しだけ困ったような笑みを作る。

 

「実にも謝っておいてくれ。折角の時間を邪魔して悪いって」

『本当だよ義兄さん。まあ分かった。すぐに向かう』


 一先ず後はケイドに任せれば何とかなるだろうと誠は通話を切った。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 2023年08月13日 ASIDの大襲撃があった。予想以上に数を増している。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 キリがない。誠は疲れ切った体をソファーに投げ出しす。全身を脱力させながら現在の戦況をそう分析した。

 海岸線から次々に上陸してくるASIDの群れ。一体一体はヴィクティムの敵ではない。だがそれが日本各地で同時に上陸してくるとなると話は別だ。どれだけヴィクティムが強くても他はそうではない。幾らヴィクティムが強くても一体しかいないのだ。一機で太平洋側の海岸線全てを同時に守りきるのは不可能だった。

 

「これ、狙ってやってると思うか?」

《恐らく。現在のクイーンには明確な戦略を感じます。故に今回の広く拡散した襲撃はそれに基づいたものと推測》

「ヴィクティムの予想は?」

《当機の予想ではこれらはあくまでこちらの消耗を誘っていると思われます》


 その言葉に誠は少し考える。消耗、だがヴィクティムはほぼ無傷だ。連続の稼働で関節部などの摩耗箇所はあるが傷を負ってはいない。ヴィクティム自身自分の身体の事はよく分かっているはずだ。それを指摘するとヴィクティムはそうではないと否定する。

 

《消耗を狙っているのは当機ではなくドライバー。つまり華と誠の二名です》

「ああ、なるほどな。嫌らしい戦略だ」


 いくら余裕を持って倒せるとは言え万が一はある。戦場に身を置く以上心身ともに疲弊していく。更には同時に攻め込んでくる為自分たちの中で優先順位を――どこの人を見捨てるかと言う決断を強いられている。これはかなりの負担になる。

 

「っ……」


 小さな頭痛に誠は顔を顰めた。

 

《……当機の推奨としては誠には当機を降りて貰う事です》

「馬鹿を言うな。それで俺は安全なところに隠れて、華を一人戦いに出せって?」

《現状それが最も効果的なプランです。当機の計測では誠の体内ナノマシン量は既に――》

「分かってる。分かってるよ」


 ヴィクティムの言葉を誠は遮る。分かっているのだ。言われるまでもなく、自身の体調の事だ。ケイドからも散々忠告されていただけあってデッドラインは近いという自覚があった。

 

「だけど、俺がまたあいつを一人にするくらいなら俺は死んだ方が良い。俺はあいつと一緒に戦うって決めたんだから」


 例えその先に破滅しかなかったとしても。もう二度とこの手を離さないと、そう誓ったのだから。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 暗転。

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