64 記憶遡行:上

 時は僅かに巻き戻る。

 優美香がレオナルドの元に赴く約十二時間前。


 情報系は専門じゃないんだけどね、と文句を言いながらも優美香はきっちりと仕事をしてくれた。ものの一時間程度で雫の端末にかけられていたロックを解除して内部のデータを閲覧可能にする。

 

「結構量あるね。どうする?」

「そう、だな」


 一刻も早く全てを把握したいという思いのあった誠は一つ思いついたアイデアを口にする。

 

「なあヴィクティム。このデータを俺の頭に直接入れる事って出来るか?」

《インストーラーを使えば可能。しかしインストーラーの使用は脳への影響の懸念から緊急時に限定》

「出来るなら構わない。やってくれ」


 その誠の態度に優美香は若干の不安を覚えた様だった。焦り。目を通す時間さえ疎ましいとばかりに誠は焦っている。

 

「ねえ、まこっち。あんまり気にし過ぎない方がいい」

「何が」

「雫っちの事。誰が悪いって訳でもない。これが当たり前なんだって」


 優美香も顛末はある程度聞いている。雫の死は誠の責任ではない。最終的な決断を下したのは雫だ。その責務まで誠が背負う必要は一切ない。そう言いたいのだが果たして今の誠にそれを言って通じるだろうかと言う懸念がある。

 

 こういう時にこそ、雫がいて欲しいと優美香は思う。何だかんだで誠の手綱を一番握れていたのは雫だったのだ。だが今はその雫がいない。

 

「ああ、分かっているよ」


 普段よりも一オクターブは低い誠の声は本調子には程遠いのが明白だ。いっそのこと何も考えずに休めれば良いのだろうにそうすることも出来ない。今の歪な状態のまま突き進むしかないのだ。

 

「AMウイルスのデータはレオナルドに渡してほしい」

「はい。私の方で手配しておきます」


 ルカがそう言いながら端末からデータのコピーを始める。それと並行してヴィクティムへのデータの受け渡しも。

 

《データの変換中……完了。インストーラー起動》

「それじゃあ頼む」


 ヴィクティムのシートに腰掛けて誠は全身の力を抜く。気にするなと言われて気にしないのは無理だった。この喪失感をどうやって誤魔化せばいいのか分からない。いや、誤魔化すという事自体がそもそも不可能なのかもしれない。意識しないようにしていたが、きっと好きだったのだろう、と言う考えが自然に浮かんできた。そんな今更気付いてもどうすることも出来ない自分の気持ちに気付いて誠は己の愚かさに自嘲の笑みを浮かべる。

 

「やってくれ」

《了解。インストーラー起動》


 側頭部から見えないハンマーで殴りつけられたような感覚。まるで脳みそが頭蓋骨を擦り抜けてコクピットの内壁に叩きつけられたのではないかと思うほどだった。こんなものを受けてよくミリアは涙目になるだけで済んだなと感心する。

 そして同時に、こんな痛みを感じたのは少なくとも誠の記憶の上では初めてだという事。地下施設でヴィクティムの操縦方法を知っているのはてっきりこのインストーラーをその時にヴィクティムが使ったからだと思っていた。だがそうではなかったという事だ。

 

 そして頭に一気に展開される情報の奔流。それらは意識しなければ見ることはできない。だが、そうした自分の知識にはなかった記録を見せられた結果、誠の脳内で寸断されていた記憶の網目が繋がる。

 記憶の拡張。一気に推し進められた脳内の出来事に誠は耐えきることが出来ず意識を手放した。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 夢とは記憶を整理するための物だと言う。


 ならばこれはまさしく夢なのだろう。


 彼が覚えていない記憶。索引を無くした事にも気づいていない記憶。断絶していたそれらを整理し、鍵を開け、彼が再び閲覧できるようにするための作業。

 だがそれでも断片的だ。物理的に消えてしまった記憶だけはどうしようもない。鍵の無い箱は開けようがない。だがそれでも、気のせいと断ずることは出来ない程明瞭で場面場面の記憶が蘇る。


 そのきっかけとなるのは一つの日記。索引を外部から与えられることによってようやく彼は思い返すことが出来るようになる。

 

 目を逸らし続けた現実がそこにはあった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 2016年08月12日 仕留めた。休眠中のクイーンのエーテルリアクターを貫いた。これでもう大丈夫。

 2016年09月03日 新学期が始まる。過去に無いほどに晴れやかな気分。部活、今更だけど入ってみようかな。

 2016年10月07日 珍しく朝の登校中に誠君に出会った。将来の進路。どうしよう。

 

 ◆ ◆ ◆


「おはようございます。誠君!」


 その呼びかけに誠はペダルを回していた足を休めて自転車を止めた。そして挨拶に誠は答えようとして、言葉に詰まった。一瞬誰だか分からなくなってしまったのだ。誰か別の人の名前が浮かんだ気もしたがそれは一瞬で溶けて消えていく。代わりに浮かんだのは親近感。どうかしている誠は己の寝ぼけぶりに苦笑いを浮かべる。いくらなんでも五年目になる付き合いの人間の名前を思い出せないというのは薄情にも程があった。

 振り向いて、相手の姿を視界に収める。誠よりも頭二つ分は小さい身長。それに対してボリュームのある三つ編みは伸ばした髪を一本に編み込んでいる。黒い髪はまるで他の色を飲み込むかのように混じりけのない黒。そして何が楽しいのかいつでも笑顔を浮かべている少女だった。

 

「おはよう冠木(かぶき)。今日は早いな?」


 冠木華。中学に上がった時からの付き合いで高校も同じところに進んだ比較的付き合いの長い友人だ。

 部活に入っている誠と帰宅部の彼女では朝の時間帯は大分違う。こうして並んで登校するというのは割と珍しい構図でもあった。ただ単純に高校二年ともなると特に理由もなく女子と一緒に並んで歩くという事に気恥しさを感じていた。

 

「うん。今日当番だから」

「ああ、お疲れ」


 学級当番など誠はそこまで真剣にやった記憶が無いのでわざわざ早出までして備える彼女の姿勢は物珍しく映る。根が真面目なのだろうとも。彼女が学校の活動で手を抜いているという姿を見たことが無い。今時にしては珍しいほどに学習意欲に満ち溢れた女子高生だった。


「ねえねえ。自転車後ろのっけてよ」

「いつも言ってるんだが。ダメだ。二人乗りは道路交通法違反だし、そもそもロードバイクは二人乗りするものじゃない」


 このやり取りも何時もの挨拶の様な物だった。華も既にその答えは暗記できるほどに知っているし、誠が許可しないことも分かっている。それでも口にするのは誠の後ろに乗るという事に強いこだわりがあるのか単にこのやり取りを面白がっているのか。恐らく後者だろうと誠は思う。冠木華と言う少女は男女問わず気安い……と言うよりもあまり男女の区別をしないのだ。その近すぎる態度に何人の男子が勘違いし、玉砕していったかと言うのは正直誠も数えたくない。

 

「けちんぼ」

「言ってろ」


 自転車から降りて華の歩調に誠は合わせる。部活の朝練とはいっても残念なことに自転車部のメンバーは誠一人だ。こちらはどちらかと言うと学校側へのアピールの為に校内で行う基礎トレの様な物なので練習としては然程重要ではない。本命ともいうべき走り込みは既に終えているのだから。多少到着が遅れたところで問題は無かった。

 

「大分涼しくなってきたよね」

「秋だからな。正直風が冷たくなってきた」


 そろそろ真面目に受験を考えなければいけない時期だ。志望校も絞り込みそこに向けた対策。そうしたものが求められてくる時期でもある。

 

「冠木は大学どうするんだ?」

「そうだね。誠君は?」

「質問を質問で返すなよ。まあ多分機械系のどっかに行くことになるかな。親の会社行くにしても最低限の基礎知識は無いと話にならないって言うし」

「あーお坊ちゃまだもんね。誠君」


 世間一般から見れば金持ちの部類である誠の元にはそう多くは無いとはいえそれ目当ての人間が来ることもある。そうした中でも全く気にしていない華の存在と言うのは貴重だった。若干浮世離れしている性格はどうやったらこの現代日本でそんな人格が形成されるのかと気にならなくはない。

 

「それで、改めて聞くけど冠木はどうするんだ?」

「うん、どうしようかなって思って」

「おいおい。二年の秋になってソレは大丈夫なのか……?」


 この時期に最低限の方針も決まっていないというのは若干出遅れているのではないだろうかと友人の進路を心配する。華もそれは分かっているのかちょっと困ったように笑った。

 

「何かこう、普通に大学に行く、っていうのが正しい選択肢なのか分からないんだ」

「……と言うと?」


 珍しくこの天真爛漫な友人は悩んでいるらしいと気付いた誠は慎重に言葉を選びながら問いかける。

 

「何か他にやりたいことがあるとか?」

「やりたいこと。やりたいことなのかな……?」

「よく分からんが、ほら。前絵の賞取ってたじゃんか。美術大学に行くっていうのはどうなんだ?」

「うーん。絵を描くことは嫌いじゃないんだけど」


 少し考え込むようなそぶりを見せた後。華はおずおずと尋ねてきた。

 

「もしも、もしも絶対にやらなくちゃいけないことがあったら誠君はどうする?」

「絶対にやらなくちゃいけないこと? 例えば?」

「それをしないと世界が滅んじゃうレベルの」

「それは――」


 ◆ ◆ ◆

 

 暗転

 

 2017年5月17日 ギガフロート。これ、空を飛べるのだろうかと聞いたら大笑いされた。酷い。

 2017年5月18日 生きていた。仕留めそこなった。誠君を巻き込んでしまった。巻き込みたくなかったのに。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 平和だったはずのギガフロートは戦場と化した。あちらこちらから煙が上がり、時折聞こえてくる爆発音。そして観光客の悲鳴。

 ここでギガフロートと言う海上の孤島である欠点が出た。この場から逃げるためにはフェリーか、飛行機が必要――つまりは人間の脚だけでは絶対に逃げられない。必然空港と港。その二か所に人が集中する。

 そんな中で逃げ惑う人々の中を逆走していく友人の腕をやっとのことで誠は捕まえた。

 

「冠木!」

「誠君!? 何でこっちに来てるんですか! 空港はあっちですよ!」

「そりゃこっちのセリフだ! 方向音痴にも程があるだろうが! 完全に行く方向が違うだろ!」


 今華が向かおうとしていたのは逃げる方向とは真逆。爆撃地の様に更地に変えられていく区画だった。

 

「あんなのがいるところに行こうとするなんて何考えてんだ!」


 そう叫んだ瞬間。誠の言葉を掻き消すように響き渡る甲高い、金属を擦り合わせたような鳴き声。その大音声に誠はびくりとして肩を竦ませる。彼らが立っているビルの合間の道路。そのビルを乗り越えるようにソレが姿を現した。

 

 誠はそれを何と呼ぶのか知らない。外見的な特徴を言うのならば鯨が一番近いだろうか。間違っても誠の知っている鯨には手足など生えておらず、二足歩行が可能な生き物ではなかったが。加えてその体表は一般的なイメージのぬめりのあるゴムの様な物ではなくはた目からでも分かる鈍い金属質の物。そして何よりそのサイズ。ビルは八階建て。その上から頭を出すという事はそれだけの体高を備えた存在と言う事だ。ふと、海からこんな怪獣が来る映画あったよなと場違いな思考が誠の頭を支配する。それは一種の現実逃避。目の前の状況に頭が追いついていなかっただけである。

 

「こっち!」


 力強く引かれる手に誠は正気を取り戻した。慌てて足を動かして手を引いた相手、華と並走する。

 

「だから逃げる方向逆だろ!」

「ごめんなさい! 今は黙ってついてきて!」


 そう言いながら華は手にしていたバッグから何かを取り出す。インカム、ヘッドセットだろうか。それを耳につけるとどこかと会話を始める。

 

「状況は分かってる?」

《肯定。現在自律行動により現場に急行中》

「現在位置をトレース。合流する」

《了解》


 どこかに指示を下すと華は手近なビルの中に飛び込んだ。誠から見てもそれは下策だとすぐに分かる。これが人間の暴徒相手ならば建物に逃げるというのは正解かもしれないが、あのビルよりも大きなサイズの怪獣を相手にして避難所とするには心もとない。

 おまけにそのまま屋上へと向かおうとしているのだ。逃げ場が無くなる。そう考えていることが伝わったのか。華が誠を振り向いた。彼女は――泣きそうな顔をしていた。当然、こんな訳の分からない状況に巻き込まれれば泣きたくなるのも当然と言えば当然だ。誠自身周囲に誰も居なければ泣き叫びたい気分だったのだから。だが華のその表情は外に対する恐怖と言うよりも何かに対する悲しみの様に見えた。

 

「お願い。信じて」


 真摯なその言葉に誠は頷くしかなかった。

 

 屋上に出ると惨状がよく分かる。

 元々高い建築物の少ないギガフロートでは高々八階建てのビルの上からでも全景を一望出来る。あちらこちらから火が上がり、その火元には先ほどの鯨に無理やり手足をくっつけた様な金属の怪獣。

 

「何だよあれ。イェーガーでも呼んで来いよ」


 思わず先ほどまで思い浮かべていた映画のネタを口にすると華は不思議そうに首をかしげた。


「なあ、絶対にやばいって。早く逃げた方がいい」

「大丈夫。あいつらどれも見かけ倒し。ちょっと小突けばやっつけられちゃうから」


 そういう華の視線はこれまで誠が見たこと無いほどに険しい。まるで親の仇の様に次々と上陸してくる怪獣の群れを見つめている。

 

「いやいや。少し小突けばってそれは嘘だろ! 俺がいくら殴ってもあいつら蚊に刺されたくらいに感じてくれるかも怪しいぞ」

「だからそんなに慌てないでも大丈夫だってば……到着予定時刻は?」


 後半は耳につけたヘッドセットの相手に言ったらしい。この状況でここに呼びつけるなんて一体何を考えているんだと思ったがもしかしたら救助の類なのだろうと誠は自分を納得させる。


《後一分十七秒》

「急いでね」


 それだけ言うと通信を終えたようだ。何とも豪胆な事に腕を伸ばしてストレッチなどしている。その視線が誠の顔を捉えた。きっとさぞかし情けない顔をしているのだろうと誠は思う。その顔を見て華は小さく微笑みを浮かべる。そこに込められていた感情を誠は正確に読み取る事は出来ない。複雑すぎるが辛うじて読み取れたのは安堵、だろうか。

 

「大丈夫です。誠君は私が守りますから」


 そんな小さい身体で何言ってんだ、と軽口を返すことは出来なかった。その一言にどれだけの思いが込められているのか。先ほどの笑みを同じく全てを読み取る事は出来なかったがそれでも分かる。

 

「っておいおいおいおい!」


 一体の怪獣がこちらに向かってきていた。誠たちを狙っているのかただたまたま進行方向に誠たちがいただけなのかは分からないがこのままいくとビルは砂糖細工の様に崩されてしまう。

 ここまで終始焦りを見せなかった華の表情も若干眉根を寄せている。

 

「まだ?」

《申し訳ありません。渋滞していたもので》

「空に渋滞があるなんて知らなかったな……やって! ヴィクティム!」

《了解》


 声と同時、空から降り注ぐ光の帯が怪獣を貫いたように誠には見えた。正確なところは把握できていない。ただ目前にまで迫っていた怪獣が背中から煙を上げて倒れていく姿だけが瞼に残り、そして。


《お待たせしましたマイドライバー》

「本当にね」


 軽く肩を竦めながら笑う華の前に舞い降りたのは漆黒の巨人。控えめに言っても満身創痍と言えよう。丁度視線が合う頭部は半壊。配置的に左目のあった辺りは側頭部を抉るように貫かれて無残な傷跡を晒している。本来ならば有るべき四肢すら欠けている有様だ。だがそんな状態でもこれはこの場にいる何よりも強いと、誠はそう直感した。


「全く一体これはどういう事なのかしらね」

《不明。考えられる可能性としては、クイーンは複数この惑星に向かっていたという可能性です》

「そして気を緩めていた私たちはそれを見逃した……? だとしたら首を括りたい程の失態だけど」

《同意。しかしその可能性は低いとみるべきでしょう。当機に気を緩めるという機能は未だ実装されていません》

「あっははは」


 一体今の会話のどこが笑いどころだったのか。場違いな笑い声を響かせる華が途端に遠い人間になってしまった気がした。

 

《周囲に展開中のASIDは二十七》

「多いね」

《数こそそこそこですが質を言うのならば劣悪の一言に尽きます。とは言え生身で相手するのは不可能でしょう……お早く搭乗を》

「うん。分かってる」


 そこでちらりと華は誠の方を伺った。二人の視線が交わる。華の瞳に浮かぶのは逡巡。誠の瞳に浮かぶのは疑問。

 

《そちらの》


 黒き巨人の単眼が誠を捉えた。

 

《民間人、はどうしますか?》


 その極力感情を排したように聞こえるその言葉に誠は身を強張らせた。今彼の頭に浮かんでいるのは口封じ。ドラム缶と言った単語だ。

 

「誠君……」


 そういった華はまるで彼女の方が誠を恐れている様だった。このヴィクティムと呼ばれた黒い巨人を従えている彼女がこの場では誰よりもか細く弱く見えたのは誠の錯覚か。

 誠に差し出された手は細かく震えていた。

 

「今は何も聞かず、私と一緒に来てくれますか?」


 その手のひらを誠は――

 

 ◆ ◆ ◆

 

 暗転

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