62 鍵を開ける

 最前線で暴れまわるノマスカスの姿を見てリサは小さくない驚きを覚える。

 

「凄まじいですね」


 意識せずに漏れた呟きは単純な感想だった。突然降って沸いた様なヴィクティムとは違う。あの機体は浮遊都市の人間が仕上げたのだ。援護はいらないと言われていたが援護を頼まれていたとしても不要だろう。呼吸が分かっていない相手が縦横無尽に駆け回るところに狙撃など怖くて出来ないという事情もあるが。

 

 戦闘は圧倒的にノマスカス優位。むしろ機体の出来ることを確認していくような戦い方にシフトしている。これが実機初乗りだと聞いていたが、とてもそうには思えない。

 

 カーゴ1が砂煙を上げながら走り続ける。そこから何かの機体が出てくるという様子はない。それがおかしいのだ。カーゴ1にはヴィクティムがいる。にも関わらずあの程度の数のASIDから逃げている。機体も搭乗者もよく知っているリサとしては違和感しか覚えない。

 

「カーゴ1。そちらの艦載機はどうなっている?」

『こちらカーゴ1。現在カーゴ1に稼働可能な艦載機は存在しない! 申し訳ないけどこのままの援護をお願い!』


 その返答にリサは眉を寄せる。

 

「ヴィクティムは? 別の場所で戦闘中?」


 リサにはそれぐらいしかヴィクティムがこの場でカーゴ1を守っていない理由が思いつかなかった。だからこそ次の返答に先ほど感じた驚き以上の衝撃を受けた。

 

『ヴィクティムは大破! 搭乗者は意識不明! 戦闘なんて出来る状態じゃない!』


 息が詰まった。何かを言おうと口を動かすが言葉にならない。リサ自身何を言おうとしているのかが分からない。一体どこから聞けばいいのか。それ以前にヴィクティムが大破しているという報告が信じられない。搭乗者が意識不明と言う報告も冷静さを容赦なく奪っていく。果たして誠とミリアは無事なのか。

 もっとよく分かっている人に聞きたい。そう思ったリサは遠征隊に同行していた友人の名を呼ぶ。奇跡的に声は震えなかった。

 

「山上雫を出して下さい。詳細な報告が聞きたいです」

『山上雫は……KIA――死亡しました』


 今度こそ、リサは一瞬何も考えられなくなった。それはリサにとっては当たり前の事。遠征隊は都市外に行くという性質上消耗率は防衛時の比ではない。全滅することも珍しくは無いという事はリサ自身の身を以て知っていた。遠征隊から死亡者が出たというのは本来ならば驚くには値しない。それが自分の友人という事も確率を考えれば有り得ない話ではない。

 

 だがこの半年と少しの期間はリサからその当たり前を忘れさせるには十分な時間だった。誠とヴィクティムがいる。それは知らぬうちに絶対の信頼感となっていたのだ。それは恐らくリサだけでなく都市でヴィクティムの存在をしる人間ならば一度は考えたこと。

 

 自失は一瞬の事。すぐさまリサは気を取り直す。それは気持ちを切り替えたというよりも生存本能に近い。ここはまだ戦場。そこで何時までも他人の死を引き摺っていたら次に死神に捉えられるというのが本能で悟っていた。

 

 友人を失ったことを嘆き悲しむ暇もなく。リサはカーゴ1の護衛を続けた。

 

 それから約三時間後。アークに遠征隊が帰還する。損失1。過去最大の成果と言う事実だけを持ち帰って。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 顔を思い出せない。

 名前を思い出せない。

 その素性も、声も、何も思い出せない。

 

 存在したかもあやふやな記憶。ただ、そこに彼女はいたという事だけは確かな事実として覚えている。

 

「誠君は強いですね」


 そう、口癖のように言っていたのは覚えている。彼女と交わした言葉で思い出せるものは断片的。ただ彼女は何時も誠の強さを口にしていた事は覚えていた。

 もう一つ覚えているのは、血の味。

 

 唇を重ねた。その前後は思い出せない。ただ誠の記憶の中では口づけの記憶が残っている。二度の愛情表現。そのどちらも血の味がした事を覚えている。そのどちらも涙の味がした事を覚えている。そのどちらも、彼女が謝罪の言葉を繰り返し口にしていたのを覚えている。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。私のせいで、私のせいだ。私が、貴方みたいに強ければ。一人でも大丈夫だったら。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 そう縋り付くように何度も何度も謝ってくる彼女。

 覚えているのは血の味と涙の味。そして――花の香りだった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 頭痛を堪えながら誠は体を起こした。今しがた何かの夢を見ていたような気がしたが思い出せない。呻きながら頭痛に耐えていると自然にそれは和らいでいく。余裕を持つと周囲に意識を配る事も出来る。

 鼻孔を生花の香りがくすぐる。ゆっくりと首を振ると花瓶に活けられた花が見えた。浮遊都市ではただの花でも高級品だ。一体誰から送られてきたのかあまり考えないようにしながら体を起こそうとする。腕に力が入らない。身体を支えようとした腕が力なく折れて誠は無様にベッドから転がり落ちた。

 

「誠様!?」


 驚いた様な声。誠の位置からはベッドの影になって見えない。パタパタとスリッパが床を叩く音がしてその声の主が誠の前に移動した。

 

「る、か?」


 誠の喉から漏れた声は彼自身驚くほどしわがれていた。まるで長いこと声を出していなかったかのよう。

 

「大丈夫ですか?」


 心配そうに見つめながらルカは誠が苦戦しながら体を起こそうとするのを支える。一体何故自分がここにいるのか。現状が全くつかめない。意識を失う前の状況を思い出そうとし――。

 一気に思い出した。

 

 遠征隊としてヴィクティムに残っていた情報を頼りに旧時代の遺跡に辿り着いたこと。

 誠の欲していた情報を得ようとして雫が死んだこと。

 そして、ドッペルと言う過去最強の個体に挑んだこと。

 

 だが、何故ここにいるのか。最後の記憶と現在がどうしてもつながらない。

 

「俺は……死んで……?」


 ドッペルの急激な出力上昇はどう足掻いてもヴィクティムで対処できるレベルではなかった。切り札であるハーモニックレイザーさえ通用せずに追い詰められていたはずだった。あの状況を逆転できるヴィジョンが全く見えてこない。

 何故生きて、そしてここにいるのか。ルカがいるという事はここは浮遊都市なのだろうか。誠の頭の中を疑問が渦巻く。

 

「大丈夫です。誠様は生きてますよ」


 ルカは誠の身体を苦労しながらベッドの上に戻した。体格差もあるが、誠の全身から力が抜けている事も大きいのだろう。ベッドの上に戻った誠は目線だけを動かしてルカの顔を見る。

 どことなく、やつれているように見えた。ほんの少しだけ頬の肉が減っている。久しぶりに顔を合わせたからそう感じるのだろうかと誠は上手く回らない頭で考える。

 

「……ここは、アーク、か」

「はい。医療区画です。誠様一週間も目覚めなかったんですよ」

「一週間……」


 アークにつくまで瞬間移動した訳でもなければ移動時間も必要だろう。そう考えると意識を失っていたのは一週間どころではないはずだ。一体何があったのか。その疑問をもう一度浮かべた時に誠はもっと早くに気付かなければいけないことに気が付いた。

 

「ミリアは……あの子は無事なのか……?」

「大丈夫ですよ。ミリアも隣の病室です。誠様よりも元気ですよ。浮遊都市についてすぐに目覚めましたから」


 もがく様にしてミリアの安否を求めた誠をそっと押し戻しながらルカは穏やかにそう言う。それを聞いて誠もようやく僅かだが安心することが出来た。

 

「よかった。それにしても揺れが全くないな。今は着陸している……?」


 浮遊都市はかなり安定した飛行を行えるが、それでもほんの僅かな揺れがある。それが全くないという事は現在は着陸中という事になるのだが、誠の記憶では浮遊都市は後一月は航行が可能だったはずだ。ドライバー二名が入院中でヴィクティムが行動不能の状態でわざわざ予定を繰り上げて着陸しているのが解せなかった。

 

「防衛線は問題ないんだよな」

「ノマスカスが、嘉納さんの新型アシッドフレームがロールアウトしましたから。彼女たちを主軸に防衛線を張ってます。お姉ちゃんもそこですよ」

「ノマスカス……ジェネラルタイプベースの奴か。ルカはどうしてここに?」


 フレームパイロットを遊ばせておく余裕があるのだろうかと言う疑問だったがルカは小さく肩を竦めた。

 

「私の機体まだ用意されてないんです」

「ああ、一日で二機破壊されたからな……」


 ジェリーフィッシュが都市を襲撃した時の事だ。まだ一月も経っていないのに一年以上も前の事の様に感じられる。

 

「整備班は総出でノマスカスに取り掛かってましたから。ハイロベートの新造は後回しです」

「なるほどな」


 自然に会話が途切れて、二人とも話題を見つけられず黙り込む。時計の秒針が一周したころ、誠が口を開いた。

 

「……雫の、事は」


 恐る恐るの問い掛けにルカは一瞬目を閉じた。

 

「誠様のせいじゃありません。遠征隊ならば……いいえ、防衛軍にいる以上有り得る事です」


 その言葉に誠は安堵する。自分のせいではないと言われてことにではなく、既に誰かが雫の死を伝えていたことに。誠にはそれを自分の口から伝える勇気はなかった。

 誰が何と言おうと、雫の死の原因は自分にあると、そこだけは頑なに信じている。他人から幾らそうではないと言われたとしてもそれを受け入れることは無いだろう。

 

「後こちら、私の方で預かっておきました」


 ふと思い出したように差し出されたのは端末。誠の物ではない。若干黒い染みが付いたそれは雫の物。

 

「中のデータは確認していません――と言うよりもできませんでした。ロックがかかっていましたので」

「ロック、か」


 雫の物なのだからロックくらいはあっても不思議ではない。問題はそのロックを解除する方法が見当たらないことだ。強引な方法だが優美香に頼むのが一番手っ取り早いだろうと誠は判断した。

 

 雫が命を賭して届けてくれたデータ。一刻も早く確認したいという思いがある。

 

「悪い、ルカ。優美香の所に行きたい。連れて行ってくれ」


 そういうとルカは露骨に表情を曇らせる。

 

「誠様。自分の容体分かってます?」

「一週間以上寝込んでたんだろ?」

「そうですよ! それも原因不明ですよ! そんなにホイホイ外出できると思わないでください!」


 口調を強くするルカだが、そこにあるのは誠を案じる気持ちだけだ。それを嬉しくも、同時に申し訳なくも思いながら誠は言う。

 

「それでも、俺はすぐにこの中身を確認したいんだ」


 しばし無言で視線をぶつけ合う。先に折れたのはやはりと言うか、ルカの方だった。

 

「もう、本当に仕方ないですね誠様は」

「迷惑かけてるのは自覚してるよ。体調が戻ったら必ずお返しはする」

「本当ですか? でしたらディナーに招待でもして貰いましょうかね。実は、お姉ちゃんが誠様と食事したというのを聞いてからうらやましくて」


 リサと食事などしただろうかと誠は一瞬首を捻り、それが浮遊都市に来た直後の話だという事に気が付いた。そこには二人以外に安曇もいたのだがそこは伝わっていないらしい。そしてあの時のリサは緊張のあまり何を食べているのかも分からないような状態だったのだがそれでも妹に自慢する事は出来たらしい。

 流石にあの時の希少食材フルコースの料理は難しいが、魚料理主体の店ならば噂で聞いたこともある。そうしたところに招待するのも悪くないアイデアだった。

 

 そんなことを考えていた誠の胸を去来するのはやはり雫の事。一度くらい、こうして感謝の気持ちを形として示せばよかったという後悔。もう伝えることは叶わない想いが澱みの様に心の中に溜まっていく。

 

「分かった。それじゃあ体調が戻って、浮遊都市が次の航行に入ったら一緒に食事に行こう」


 そういう言葉が出てくるのも間違いなくその後悔が影響していた。ルカはほんの少し意外そうな顔をしてそれでもにっこりとほほ笑んだ。

 

「はい。楽しみにしています。それじゃあ外出許可とか取ってきますから支度をお願いします」


 着替えはそこにありますから、と示された場所を見れば誠が普段着ていたような私服が入っていた。と言っても、ティーシャツとジーンズの組み合わせだ。男性用の服などそう多くは無い以上選択肢は限られている。ある事にはあるのだが六百年で大分デザインが変化していたのもあって誠の好みではないという理由もあった。

 着替えようとしたところで入口に立つ影に気付く。

 

「ミリア?」

「ご主人様……目、覚めた?」

「ああ。ミリアにも心配かけたな」


 おずおずと誠の病室に入ってくるミリア。その様子に誠は違和感を覚える。まるで何かに怯えている様だった。振り向くが後ろには誰もいないし、怯えるような物もない。そうなるとミリアの怯えの対象は誠自身という事になる。だが心当たりは彼にはない。

 いや、違うと誠は思い直した。ミリアの顔を見たからか、はたまた別の原因か。フラッシュバックの様に誠の頭を記憶が駆け巡る。

 

 二人の境界が曖昧になっていくかのような感覚。肉を持った身では絶対に不可能と言い切れる相互理解。一つに溶け合う事に対する恐怖と法悦。

 ミリアが怯えを見せるのも当然だ。自覚してしまえば誠でさえそうなる。相手は自覚すらしていなかった心の深いところを覗き込んだのだ。

 

「ご主人様は……帰りたいの?」

「うん。帰りたい」


 誠は誤魔化すことも無く頷いた。誤魔化す意味がないと言った方が正しいだろうか。今のミリアの問い自体質問と言うよりも確認の形だ。

 

「そう、だよね」


 俯いて、納得したような、諦めたような声を出す。これは確認。お互いに知った事を確かめるだけの儀式。

 

「恋人がいるところに戻りたいよね」

「…………いや、ちょっと待て。何の話だそれは」


 唐突に、ミリアは誠の知らないことを口にした。その一言に誠の心臓は面白いくらいに跳ね上がる。

 

 まるで、聞いてはいけない何かを聞いてしまったかのように。

 

「……? だってあの時ご主人様はそう泣いてたよ」


 狼狽する誠をミリアは奇妙な物を見るような目で見つめる。何故自分の事なのに分からないのかと言いたげな顔だ。

 

 断言してもいいが、誠の記憶の中に恋人と称せるような人物はいない。断言できてしまうのが悲しいところではあるが、どう足掻いても恋人と認識できる相手はいなかった。

 だがミリアは、誠の精神の一番深いところを覗いた彼女はその中心にいないはずの誰かがいたと言う。

 

 その矛盾を、深く考えてはいけない気がした。知らず内に激しくなっていた動悸を努めて無視しながら誠は強引に話題を変える。

 

「今から優美香の所に行くんだが、ミリアも来るか?」


 余りに露骨な話題転換にミリアも少しばかり疑問を浮かべていたようだが、拒否する理由もない。小さく頷いた。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 大破したヴィクティムを前に、優美香は深く息を吐いた。

 

 ヴィクティムの状態は嘗てないほどに酷い。四肢は片脚を残して喪われており、もう片方の脚は鉄骨を強引に押し込んで噛ませて機体を支えて来たのだろう。残っていた大腿部のフレームも大きく歪んでいる。まともに直立も出来ないため胴体を鎖で吊し上げている有様だ。

 両腕の損失は言うまでもなく問題だ。人型兵器である以上腕は砲身、武器を支えるための最重要部だ。それが無いというのは戦闘力の喪失に等しい。

 武装的な面を見ても被害は大きい。ハーモニックレイザーは回収する余裕が無く戦闘地に未だ残されている。エーテルカノンは爆散。ランスも落とされた。

 そして特徴的な頭部。それも半壊。

 

 それらの状態は優美香も把握済みだ。もしもこれがハイロベートならば修理ではなく使える部品だけを取って新しい機体を用意した方がいい。そう進言する程の破損度。幸いにも元々アーク内で生産していた予備部品と、今回遠征隊が持ち帰った補修部品を合わせれば修理は十分に可能だろう。

 

 優美香が難儀しているのはそこではない。補修部品と同時に持ち込まれたヴィクティムの強化パーツと思しき物体。それの扱いについてだ。

 間違いなくそれはヴィクティムの戦力向上に繋がるだろう。だがそれ以上に、優美香は今回の戦闘で起こった出来事が気掛かりだった。

 即ち、ヴィクティムの暴走とでも言うべき状態。それはヴィクティム自身の行動ログからも明らかだった。短時間ではあるがヴィクティムは誰からの操作も受けずに戦闘を行っていた。持ち帰られたその事実は優美香の一つの仮説を裏付けることとなってしまった。

 

「やっぱりダーリンはASIDと同じ事が出来る、か……」


 できればその予測は外れていて欲しかったというのが優美香の本音だ。立場上優美香は命じられたらその件についての報告を上げなければいけない。サボタージュを行ったとしてもそう時間を稼げるものではない。偶発的なものであれ、必然的な物であれ、暴走していたという事実は既に観測されているのだ。

 その事実は都市運営に関わる一派の勢いを増させる材料になってしまうだろう。

 

 そんな状況下でヴィクティムの強化計画を上げるというのがどれだけの波紋を呼ぶことになるか。下手に押し進めると最悪今の職を失う事になるかもしれないと優美香は考えていた。それを厭う理由には保身の為と言うのも多分に含まれている。だがそれ以上にここで自分がリタイアしてはヴィクティムの整備をまともに出来る人間がいなくなるという心配の方も強い。

 残念なことに自分には人に教える才能は無かったようだと言うちょっとした愚痴を溜息と共に流す。

 

 そういう教えるという点では今はもういない友人の方が得意だったと思ったところで優美香は胸に微かな痛みを感じる。

 都市外に出る以上別れは済ませたつもりだった。それでも実際に直面すると喪失感を覚えずにはいられない。そういう時、優美香は機械になりたいとよく考える。精密に、想定通りの動作をする機械に。

 

《異常を検出》

「ん。どこかなダーリン」


 ヴィクティムの修理は優美香とヴィクティムの自己診断による二人三脚だ。尤も、今現在ヴィクティムに異常では無い個所の方が少ないのでこの報告も新たに追加程度の意味合いだろうと優美香は思っていた。

 

《解答。バイロン嬢に異常を検出》

「私? 別にどこも悪くないよ。元気元気」


 腕を振って己の健在をアピールする優美香。それに伴ってリサと誠がいたら凝視せざるを得ないような光景が展開されていたのだがそれはさて置き。

 

《肉体的な物ではありません》

「え?」

《落ち込んでいるように見えました。何かありましたか?》


 その言葉。誰かからかけられたのならば何気ない一言。それをヴィクティムから言われたという事に優美香はゾッとした。

 かつてのヴィクティムは、人の感情の機微など掴めなかった。出来ているように見えたとしてもそれは外部観測による心肺機能などと言った肉体的変化からそう推測していただけだったのだ。その機能さえコクピット内限定だ。

 ならば今回はどうなのか。現在ヴィクティムのセンサー類で稼働させているのは外部カメラとスピーカー、マイクのみで他の物は破損しているか診断の為に機能停止させていた。なにより優美香は今ヴィクティムの外にいる。

 

「どうして、そう思ったの?」

《不明です。先日以来当機の演算回路では不明なデータのやり取りが増大。それらの数値が当機のAI部分にも影響を及ぼしていると推測》

「そう……後でそこも確認しないとね」


 そう言いながらも優美香は心臓の鼓動が早鐘の様に早まっていくのを感じた。それは興奮と言うよりも恐怖に近い。

 ヴィクティムが人らしく変化した。そしてそれと同時の暴走。その二つの因果を嫌でも感じずにはいられなかったのだ。

 

 幸いにも、と言うべきか。その優美香の思索は誠たちの来訪によって断ち切られるのだった。

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