56 山上雫

 何かを見落としていたのだろうかと誠はここ数日付きまとう頭痛を堪えて己の行動を振り返る。

 現状、何もない。彼が求めていた情報は一つたりとも見つからない。


(帰る方法、というのは見つからないかもしれないと思っていたが、あの座標発信者の痕跡も見当たらないってのは予想外だな)


 これまでの調査でわかったのはここが旧時代における対ASID戦線の拠点であり、ヴィクティムかその同型機がここで運用されていたこと。そして同時にASIDの研究も行われていた事。それらが一定の成果を挙げていたこと、だ。少なくとも浮遊都市の遠征隊としては大金星といえる成果だ。かつてこれほどまでの情報を持ち帰ることに成功した隊は無い。そこだけ見るならば喜ばしい。誠が望んでいるASIDの殲滅、その目的に大きく近づいたのだから。

 だが落胆は隠せない。ここに来れば誠は自分がここにいる理由、その一端がわかると思っていたのだ。それが空振りとなると今後の調査にも暗雲が立ち込める。

 

(最有力候補だったヴィクティムに残されていた座標の施設。そこがだめならどこに手がかりがある? 俺は、どうやったら帰ることができるんだ?)


 その煩悶が誠の気を重くする。雫に注意されてからは注意しているが元々取り繕うのが上手いほうではない。不自然さが見え隠れし、それが却って周囲の不安を煽る結果になっているというのも自覚していた。


 誠の感情を除けば調査は順調。むしろ問題となっているのは帰り道の方だ。


「ヴィクティムの修復はほぼ完了。用途不明の追加パーツは装着せずに、従来の仕様のまま仕上げた、ということですね?」


 ブリーフィングルームへと向かう道すがら、確認するように尋ねて来る雫に誠は首肯で答える。


「そうなる」

「まあ順当な判断ですね。一応装着箇所は推測できますが、何が起こるかわからない部品は危なっかしくて使えません」

「あのパーツは優美香にでも見て貰ってからだな。ヴィクティムも接続してみないことには解析できないって言ってるし」


 とは言え、既に形状と装着位置から推測は出来ている。本音を言えばこの後に待ち構えている戦いに使用したいのだがやはりテストも無しに時間凍結されていたとはいえ六百年も昔の装置を使いたくはない。

 

「そういえば、最近ミリアに色々と教えてくれてるみたいだけど」

「ええ。私もあの子も時間に余裕がありますから。この機会に私の経験を伝えておこうかと思いまして」


 その言葉に誠は苦笑を漏らす。その結果が覗き見たスパルタめいた教育となればひきつった笑いの一つも出てくる。

 

「何か?」

「少しは手加減してあげて欲しいなと思っただけだよ」

「……浮遊都市にいる時から誠さんだけでなくあの屋敷に暮らす人に言おうと思っていたのですが」


 そう前置きしたうえで雫はやや険しい視線を向けてくる。

 

「貴方達はミリアを甘やかしすぎです」

「そうかあ?」


 雫が断言する以上、何となくではなく明確な根拠はあるのだろう。誠としても自覚がないとは口が裂けても言えない。リサもルカも確かにミリアに対しては甘いところがある。が、甘やかしすぎとまで言われるほどだろうかと首をひねるのも事実だ。

 会話を続けながら誠は部屋の扉を開けて雫を中に招き入れる。机と椅子がそろっており、端末の映像をプロジェクターで拡大出来る関係、話し合いには打って付けの部屋だ。

 

「私から見ると、みなさんミリアは何も出来ないからやってあげようと思っているように感じてしまいます」

「それは」


 その糾弾に誠はこれまでの言動を思い返す。違う、と言い切れる材料を誠は持っていなかった。確かに、何かをするたびに大丈夫だろうかと思ったのは事実だ。明確にそれと自覚したことはなかったが、心のどこかで感じていた。それは一度は黒いリボンを、浮遊都市においてあらゆる職業に適性がないと判断された事が引っかかっていたのは否定できない要素だ。

 

「ミリアは非常に学習意欲の高い子です。そして私の見立てでは特別理解力が低いとも思えません。現状私が教えたヴィクティムのサブドライバーとしての心得はしっかりと覚えてきています」

「そう、なのか?」

「貴方達はミリアを見くびりすぎです。もう少しあの子を信じてあげてもいいと思いますよ」


 その言葉は誠を考え込ませるには十分な物だった。笑顔の裏で、どれだけミリアは忸怩たる思いを抱えていたのだろう。やれることをやらせてもらえない歯がゆさを覚えたのは一度や二度ではないはずだ。ここで指摘されなければ気づくことなく、ミリアの心に静かな負荷をかけ続けていたかもしれないと思うとゾッとする物を誠は感じた。

 

「ありがとう。本当なら俺たちが最初に気づかないといけないことだったのに」


 誠は特にそうであろう。ヴィクティムを操るドライバーとして、相棒の変化には敏感でないといけない。だがミリアはその経緯もあって非常に自己主張が控えめだ。それを言い訳にする訳ではないが、リサや雫とはまた違った対応を求められるというのが分かっていなかった。

 

「気にしないでください。誠さんが抜けているのはよく知ってますから」


 少しだけ楽しげに。雫はそう笑う。何時もの様な威圧感のある笑みではなく、はしゃぎまわる子供を見守るかの様な微笑み。珍しいものを見たとばかりに目を丸くする誠を見咎めて雫は忽ち何時もの厳しさの宿る表情になった。

 

「なんですか、今の顔は」

「いや。その何だ」


 まさか似つかわしくない優しげな笑みを浮かべていたのが意外だった、などと正直に告白するわけにもいかない。射抜くような視線が射殺すような視線に変わるのは間違いない。視線を泳がせ、言葉を濁してどうにか取り繕う。

 

「そうだ。なんで雫は今回の遠征隊に志願したんだ?」


 人伝――といっても優美香経由なのだが――に今回の遠征隊に雫は志願したという話を聞いたのを思い出して誠は話題を逸らすためにそれを尋ねた。実際、聞くタイミングを逃していただけで気になっていたことではあったので丁度いいという思いもあった。

 

「理由ですか? 誠さんがいたからですね」

「え?」


 一瞬、雫の発言の意味を捉えかねた。誠から見た雫というのは強い責任感を持った女性だ。それはヴィクティムが過剰にエーテルを吸い上げてその負荷で倒れた後の様子からも感じていた。彼女は己がやれる事を個人的事情で放棄することは許せない性質だ。言い換えればあらゆる事象に対して私情を挟まず、やり遂げるという鉄の様な意思を持っている。その姿勢を誠はひそかに尊敬していた。

 だからそんな色恋の様な理由で本来の職務を放棄してここに来たというのは誠の中の雫像とはつながらない。その困惑の気配が雫にも伝わったらしい。何故困惑しているのかという雫の疑惑。そして理解。さらに羞恥。一瞬で切り替わった表情は見ているだけで誠の受け取り方が彼女の真意ではなかった事が分かる。真っ赤になった顔のまま立ち上がりかける。

 

「べ、別に誠さんが好きだからここまで追いかけてきたわけじゃにゃいですよ!?」

「お、落ち着け」


 珍しく――ヴィクティムで無茶な機動を取ったとき以上に慌てている雫を誠は手のひらを向けて落ち着け、とジェスチャーをする。その効果があったのか分からないが浮かせかけていた腰を椅子に落ちつける。

 

「誠さん一人を都市の監視がないところに放り込んだら最悪集団としての統制が利かなくなる可能性がありました。それを抑えるために私みたいな強面が一人は必要かと。それからミリアにトラブルが発生した時の予備ドライバーとしてとかそういう理由です」

「あ、ああ。だよね」


 自分の貞操が危険だからと理由は誠にとっては情けないものだ。それでもやはり雫は雫らしく、己の責務を果たすためにここにいたということが分かり安心する。それと同時に先ほどの邪推を誠は恥じた。あれは雫という女性を汚すような考えだった。深々と頭を下げる。

 

「ごめん。雫の事を勝手な想像で貶した」

「いえ……」


 いつもなら気になさらず、と続く言葉が途中で途切れた。誠も無条件に許してもらえると思ったわけではない。だがその途切れ方がやや不自然だったため気になって視線を上げる。

 

「雫?」

「……今言ったのは嘘ではありませんが、後付です。本当は、誠さんを一人で都市の外に出すのが不安だったんです」

「不安?」


 どういう意味で不安だったのかと誠は首を捻る。生活能力と言われたら返す言葉がない。その場合同僚に母親みたいな心配をされている自分が悲しくなってくるのだが。

 

「都市内では私やリサ、ルカの目があるからほかの人たちも遠慮していました。ですがそう言った眼がなく一人誠さんがここに放り込まれたら誠さんが襲われている可能性がありました」


 飢えた狼の群れに放り込まれた羊のように例えられたことに誠はやはり悲しくなる。


「いや、だからそれはさっきの統制が、って話じゃないのか?」

「それは後付です。私はただ……誠さんがほかの人とそういう事をするのが嫌だったんです」


 その言葉に誠は口を噤んだ。雫からそういう事を直接言葉にされたのは初めてだった。態度などから好かれているのではないかと思ったことも多々あるが、自意識過剰だろうと思ってきた。思い込ませてきたのだが、この発言は誠のそのスタンスをも覆す物だ。

 知らず内に口がカラカラに乾く。

 

「ごめんなさい。こんな時にいうべきことじゃないと思いますし、他の人たちにはフェアじゃないと思います。でも……」


 言葉を濁して雫は唇を噛み締める。僅かに潤んだ声で己の心情を吐露した。

 

「あの黒いヴィクティム……ドッペルとの戦闘でヴィクティムが落とされて、その瞬間に思ったんです。ヴィクティムは無敵じゃない。万が一はあり得ると。現に今回だって運よくコクピットを外れていただけで下手をしてたら――」


 死んでいた、と声にならない言葉が誠の耳を打つ。

 それを見て不安になったのだと雫は言う。

 

「もしかしたら今言わないと言う機会が得られないかもしれないと思ったら……」

「それは」


 あり得ない、などとは言えない。間違いなく誠自身があの瞬間に強く感じたことだ。今自分は生と死の境界線に立っていると。もう少し当たる位置がずれていたら。いや、昏倒しているときに追撃を受けたら。笑い飛ばすことなど誠にはできない。

 

「不安なんです。もう会えなくなるかと思うと」


 胸元で拳を握りしめて、顔を俯かせる雫の姿を見て誠は何かをしなくてはと言う義務感にも近い感覚に襲われる。頭の中で考えもまとまらないまま、兎に角行動をと手を伸ばしかけて。

 

 その手が止まった。何故止まったのか誠にも分からない。だが、一瞬誰かの顔が浮かんだ気がしたのだ。そしてその誰かに対して悪いと感じてしまった。

 その逡巡を見透かした訳でもないだろうが、雫は静かに立ち上がった。

 

「すみません。取り乱しました。今の話は忘れてください」

「それは、ダメだな。ちょっと簡単には忘れられそうにもない」

「……意地の悪い人ですね。そこは嘘でも忘れようって言ってください」


 どことなく寂しげに、だが納得の色を漂わせながら笑う雫の言葉に誠は短く告げる。

 

「雫が本音を話してくれたんだ。忘れられるわけがない」


 そういうと雫は笑みを苦笑めいたものに変えた。

 

「そうやって、特別扱いを期待させるような事他の人に言っちゃだめですよ? 誤解されますからね」


 そう言ったタイミングで雫の端末が鳴った。ほぼ同時に誠の端末も。

 目線で確認してくる雫に頷いてほぼ同時に二人が端末を手にした。

 

「何かあったのか?」

『はい。外部に設置したセンサー類が戦闘の痕跡を捉えました』

「痕跡?」

『古い物は推定で十数年前。新しい物は数日以内です』

「それがどうかしたのか?」


 わざわざ通信してまで報告する程の内容とは思えない。まして数日以内の戦闘の痕跡など残っていて当たり前だ。ヴィクティムが戦っているのだから。

 そこまで誠は考えたところで己の頭の巡りの悪さを罵った。即座に相手へと確認を取る。

 

「その新しい方はヴィクティムとの戦闘以外、という事だな?」

『はい。位置が全く違います』

「そしてその古い方は……六百年前のではなく、十数年前の物なんだな?」

『解析官が言うにはどんなに古くとも二十年はいかないとの事です。残されていたASIDの残骸からそう判断しました』


 それらの事実は一つの可能性を誠たちに告げている。

 

「浮遊都市以外に、ASIDと戦っている勢力があるという事か?」

『断定はできません。現に残骸として残っていたのはASIDの物だけです』

「だがアシッドフレームが破壊されても同じようになる。違うか?」

『その通りです』


 その言葉に誠は少し考え込んで応答した。

 

「すぐにそちらに向かう。詳しいデータを見せてくれ。ヴィクティムにも解析させよう」

『了解』


 通信を終えると雫も丁度通信を終えるところだった。

 

「何やら旧時代のデータで興味深い物が出たとの事で」

「こっちは外で戦闘の痕跡が見つかったらしい」


 それだけで雫はその意味するところを察したのだろう。懐疑的な声を発する。

 

「私たち浮遊都市以外に人類の生き残りがいると?」

「その可能性もある、って所だな」


 とは言え誠も雫も無邪気にそうだとは信じられない。仮にいるとしたら、いったい今までどうやって生きて来てどうやって血脈をつないできたのかという話になる。そして何故一度たりとも痕跡を見つけられなかったのか。

 

「一先ずお互いの用事を片付けよう。後で全体にも情報の共有をするはずだ」

「そうですね。それでは」


 そう言って誠が先にブリーフィングルームを退室する。その背中を雫は背筋をまっすぐに伸ばした状態で見送る。そして扉に誠の姿が隠されたところで崩れ落ちるように机に突っ伏した。

 

「ああああ……」


 彼女の口から漏れるのは彼女を知る人ならば耳を疑うような声だ。後悔、その二文字をありったけに詰め込んだような溜息。

 

「何をやっているんですか、私は」


 言うまでもなくほんの数分前の自分の失態を――少なくとも雫は失態だと思っている行動を思い返しての発言だ。あんな事を言うつもりは全くなかった。言ったことは紛れもない本音だが、それを誰かにまして誠に言うなど断じて有り得ないと思っていた言葉だ。

 だが現実には一番言うつもりのなかった人に言ってしまった。それを失態と言わず何を言うのか。

 

「何でこんなタイミングで、ああもう……」


 基本的に山上雫という人間は真面目だ。それは己の職務に対してでもそうであるし、人間関係に関しても、もっと言ってしまえば恋愛がらみになってもそうだ。公正さを心掛けているだけあって私情を挟むべきではない任務中であったこと、おそらく同じ思いを抱いていると雫が確信しているルカを出し抜いた形になったことへの罪悪感。

 

 己の心情を伝えたことに後悔はない。その経緯に関しては後悔しかないというのが今の雫の心情だった。

 

 そうなるに至った経緯。即ち抱いた漠然とした不安について雫は思いを馳せる。

 

 誠との別離を予感したのは果たしてどのタイミングだったか。

 ヴィクティムの損傷を見た時だっただろうか。或いは戦闘記録を見た時だっただろうか。はたまた、ヴィクティムに乗った瞬間突発的に感じた一瞬の頭痛の後だっただろうか。

 

 確かなのはただ一つ。その辺りの時間軸で雫の中に誠とはもう会えなくなるという漠然とした直観、予感めいた物が芽生えたのだ。

 その予感は染み付いたように雫の頭の中から消えてはくれない。どれだけ大丈夫だと思おうとしても予感は消えないどころか強くなっていく。

 そんなあやふやな物に急かされてしまったというのが既に雫にとっては消し去りたい過去だ。頭を抱えて呻く。

 

 もしもこれで思いっきり迷惑そうな顔をされたら立ち直れなかったと雫は思う。さすがにそこまで嫌われてはいないと思いたいが、彼女に自信はない。何しろこれまでの人生顔付きの鋭さで老若の隔たりなく怖がられてきた実績がある。早々人に好かれることはないと思い込んでいるのだ。

 そういう意味ではまあ悪くない反応だったといえよう。と努めて雫はポジティブに考える。考えないとやっていけない。

 

 それでもしばらくは顔を合わせにくいな、と雫は思いながらデータの整理を手伝うために司令室へ向かう。

 

 彼女のそんな想いに反して、誠とは数時間後に顔を合わせることになる。

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