57 三月ウサギ

 司令室で収集された戦闘の痕跡を見た誠は短時間で結論を出すことになった。

 

「これは、ドッペルが戦闘した痕跡だな」

《当機の解析結果も同様。最新の痕跡に残留したエーテル反応からドッペルのRERの反応を検出》


 この施設近辺での戦闘となればドッペルが関わってくるのは想定内だ。だがその相手までは予想外だったと言える。

 

「残っている残骸から撃破されたのはいずれもASIDの物と断定。頭部らしきものの残骸も数多く見られます。まず間違いないかと」


 解析官がそう報告してくる。だがそういっている彼女自身が自分の見立てを疑っている様だった。それも当然だろう。

 

「ドッペルが、ASIDがASIDを刈っている、か」


 ASIDは同族を襲わない。それが定説だった。と言うよりも世界の常識だったといってもいい。経験則からも一度たりとも共食いを見た者はいないのだ。どころか真面目にその可能性を考えた人間さえいない。ここにいる人間は与り知らぬ事ではあるが、かつてリサがヴィクティムを見てその可能性を頭の片隅で、それも冗談交じりに考えた程度だ。

 つまりそれだけ有り得ないと思われていた事象だった。

 

「有り得るのか?」

《全てのASIDはクイーンによる命令系統に組み込まれています。故に同一命令系統内での共食いは有り得ないと断言できます》


 さらっとこれまで推定だった事を事実として認める発言をしながらヴィクティムは一つの可能性を示唆する。

 

《故に、可能性としては別の命令系統の個体が争っているという物があります》

「それもそれでゾッとしない話だな」


 その想定が正しかった場合。敵が内輪揉めしていると言えば好機の様にも思えるが、クイーンが二体存在するという事になる。果たしてヴィクティムと言う脅威を前にして一致団結しないと誰が言えようか。

 

「……いえ、その可能性は低いと思います」


 ヴィクティムの提示した可能性を否定したのは解析官の一人だった。彼女たちは浮遊都市における対ASID解析のエキスパートだ。ヴィクティムとはまた違った視点での意見が出てくる。

 

「浮遊都市の航路はかなりの広範囲です。基本的に空は安全でしたので上から地上を観測し、安全地帯を探しています。その為ASIDの痕跡は私たちが注意深く探しますが、過去にASID同士で争ったという痕跡は一度たりとも見つけたことがありません」


 それは少なくとも一度記録が途絶えて以降の話となるのだろうが、それでも結構な期間になる。その間一度たりとも確認されていないというのならば、複数のクイーンによるASIDの群れが存在するという可能性は低いのだろう。

 

「私の意見としてはあれはクイーンに近い、近衛的な立場の個体なのでは無いかと感じているのですが」


 なるほど確かに一理あると誠は心中で頷く。ヴィクティムを圧倒する戦闘能力。そして同族であるはずのASIDを襲う事。そのどちらもクイーンならば有り得る事だろう。その直援の個体というのは可能性としては十分だ。

 

《クイーン直援個体の場合、長期間クイーンの側を離れることは稀である。仮にドッペルが直援個体の場合、それはこの近辺にクイーンが潜伏していることになるがその兆候は見えない。故に、クイーン直援個体である可能性は低いと思われる》

「それもそうですね」


 結局、これと言って決め手となる情報はない。ただ新たに判明した事実を心に留めるだけだ。もしかしたらそれが突破の鍵になるかもしれないからだ。

 

 そんなことを考えた瞬間、大きな揺れが施設を襲った。

 下から突き上げるような揺れではない。震源は上。地上からだ。

 

「なん、だ!」

《警告。上空より多量の飛来物。推定。先日の大型飛行ASIDが散布したASID搭載カプセルと同様の物と思われます》

「同じ個体がもう一体いたってことか?」

《不明。塵の幕の上からの投下の為、正確な情報は掴めません。地表、ASID反応。数――六百七十三。尚も増加中》


 舌打ちしたい気持ちを堪える。あの時の個体、ジェリーフィッシュと呼ばれていたそれの搭載数は千近い。ならば今回もそれと同数いると考えるべきだろう。

 

「施設内の人間全てをカーゴ1に収容。ヴィクティムで防衛する。至急退避を」


 最低限とは言え防護装備の整っているカーゴ1に人は集めた方がいい。誠はそう判断した。その判断は間違っていない。小さく解析官は頷くと声を張り上げる。

 

「全作業中止! 各員至急カーゴ1に退避せよ!」


 とは言え、広大な施設を探索するために人は散らばっている。誠がいる司令室からカーゴ1に、ヴィクティムに戻るにもそれなりに時間がかかる。その間にASIDに侵入されたら大惨事になるのは疑いようもない。皮肉なことに、ドッペルの奮戦に期待するしかない状況だ。

 それだけではない。格納庫側にも多くの人員が残っている。研究資料などは格納庫側の資料室に多く収められていた関係だが、そちらから人を移動させるのにも相当な時間が必要だ。現状でカーゴ1に収容されていない資料や物資は諦めるしかないだろう。

 その事実に思い当り誠は舌打ちする。自分たちの命運が敵に預けられているというのは忌々しいどころの話ではない。

 

◆ ◆ ◆


 千を超える軍勢にそれは猛った。

 あれは怨敵だ。あれは仇敵だ。自分から総てを奪った憎きガラクタ共だ。溢れ出る憎悪は形となるかのように次々とエーテルに変換されていく。

 守らなくては。それが最後に与えられた、たった一つの大事な物。絶対にここを通さない。ただその一念でそれはある。

 

 ドッペルと呼ばれる個体。それは厳密にはASIDではない。だが今のそれは紛れもなくASID。意思を持って動く機械をASIDと呼ぶのなら、ASIDと呼称する外ない。

 

 ドッペルのRERがエーテルを戦いに備えて生み出し始める。エーテルリアクター。生エーテルを燃料とし、攻防にも使えるエネルギーを生み出す機関。その動力源の生エーテルとは人の魂に近い物だとヴィクティムは言った。即ち、ASIDにも魂らしき何かがあるという事だ。されど工業製品の様に同じ個体が複数存在するASID。その生エーテルも判で押したように全て単一の雌性体――即ち、クイーンのコピーでしかないのだ。

 RERは雌雄そろって初めて機能する。故に雌雄と言う概念の無いASIDにRERは絶対に動かせない。そのはずだったのだ。

 

 だが現にRER以外では有り得ない莫大なエーテルを生み出している。ヴィクティムよりはやや劣るが、それでも恐らくはこの地上にいるクイーンを凌ぐほどの出力。もしも、この個体にその気があればクイーンに取って代わることが可能な程の戦力。

 

 だからだろうか。今こうして展開しているASIDの群れ。それらの敵意はごく至近距離にいる誠たちを完全に無視して全てドッペルに向いている。ドッペルもまた、その戦意を隠そうともせず迎え撃つ構え。

 無地の鉄球に入り混じって、血色の鉄球が降り注ぐ。その数は全体の10%程――即ち百弱のジェネラルタイプだ。中には以前ヴィクティムが交戦した巨大な拳を持つ個体、両手両足が刃となっている個体、そしてウサギの耳の様なアンテナを付けた個体が存在していた。

 

 それを見てドッペルは更に猛る。上等だと。まとめて鉄くずに変えてやると在りし日の思念、その残滓を張り付かせて。その僅かな感情を塗り潰すのはASIDの根源たる狩猟本能。この星の生物を狩れと言う何よりも優先される事項。

 ASIDとしての本能。個体としての最優先事項。その相反する二つがぶつかり合った結果、狂乱とでもいうべき思考が存在する。機械の回路を奔る電気信号が意思を生み出す。

 

 甲高い金属質な雄叫びを上げるとドッペルは真正面から群れに突っ込んでいく。通常型のASIDなど足止めにもならない。まるで消しゴムで削り取ったかのようにASIDの群れの一角に穴が開いた。それを成したのがドッペルの素手による攻撃などと言うのは最早悪い冗談だ。

 ヴィクティムと明確に違う両腕には鋭く伸びた爪、ASIDらしい肉体を武器とする為の物がある。そこにRERの莫大なエーテルを纏わせることで戯画めいた光景を実現させている。

 

 だがそれも道理。ドッペルがヴィクティムと同等――特定条件下では上回る以上、この程度の事は出来て当たり前。この戦場において地上を支配している通常型は僅かな時間、それもコンマゼロ何秒と言うレベルの足止めにしかならない。だが刹那にも満たない時間であっても確かに足止めにはなっている。

 もとより、通常型は捨石なのだろう。本命は百のジェネラルタイプ。遠近に特化した個体をそれぞれ用意し、ドッペルを包囲する。

 

 ASIDの最大の強みは物量、ではない。最も恐ろしいのはその連携である。全ての個体がまるで一個の生き物のように有機的に連携して獲物を追い詰めていくのだ。過去、ヴィクティムもその連携に煮え湯を飲まされてきた。

 

 ジェネラルタイプと言う強大な個体が百も投入された戦場と言うのは浮遊都市の歴史を紐解いても存在しない。言い換えれば、今回ここに来たASID。その全体意識はドッペルをそれほどまでに脅威に感じている。

 

 ヴィクティムであってもこの数のジェネラルタイプが連携を取ってくるのならば突破は容易ではないだろう。エーテルコーティングも無限ではない。連続で攻撃を受ければエーテル生産量を上回る可能性もある。そしてこの数はそれが十分に可能な戦力だ。

 

 その障害を前にドッペルが選んだ選択肢は。

 

 正面突破。

 

 元より、彼の個体に取れる選択肢は他に無いのだ。半包囲陣形を敷かれており、この場の突破を許すことができない以上、ドッペルには後退も転進も許されない。ただ目の前の敵を殲滅する以外に無い。

 

 漆黒の装甲を持つ左右非対称の個体。極端に肥大化した左腕部は振動させることで破壊力を増し、八百メートルの岩盤も貫く拳。轟音と共に振るわれるそれに対してドッペルは臆せず拳を打ち合わせる。サイズを比すると三倍近い体積の差。爆発したかのような破砕音はぶつかり合った拳によって悲鳴を上げた大気によるもの。それだけの衝撃の結果砕かれたのは、サイズを上回るジェネラルタイプの拳。

 己の拳が砕かれた事も意に介さず、右掌のエーテルダガーで腹部を貫こうと掌底の様に突き出された右腕。ドッペルはそれを体捌きで拳を起点に軸をずらし躱す。何もない空間に無防備に突き出された敵手の腕を左膝と左肘で挟み込み叩き潰す。瞬間、ドッペルの動きが止まった。

 その隙を逃さずに四肢が刃となっている個体三体による同時攻撃。両腕を潰されたジェネラルタイプは最早数にもならないとしたのか。両腕が破壊された時点でその個体はエーテルコーティングを消失していた。それが意味するのはエーテルが全てを支配している戦場において紙にも等しい防御力しか持たなくなったという事。そして悪魔の様な連携。その個体を目くらましとして、味方ごとドッペルを刃で貫こうとする。

 

 両腕を失ったASIDの胸部から生える凶刃。斜め下から突き出された刀身は真っ直ぐにドッペルの頭部を狙う。防ぐ物は何もない。刀身の先端がドッペルの頭部に埋まる。だが決して貫通しない。何かに縫いとめられたように刃はそれ以上先にも進まず、引き戻すこともできない。誰が信じられるだろうか。己の歯を以て刃を噛み留めたなどと言う戯画めいた光景を。

 残り二体の攻撃。何れも四角を狙ったもの。一瞬ドッペルの左足が翻った。体勢は不十分。その姿勢から放つ蹴りは通常型ならともかくジェネラルタイプを撃破するには到底足りない。ドッペルが蹴り上げたのは先ほど自身の手で砕いた拳の残骸。羽の様な軽い動きで宙に浮いたそれは一瞬敵の視界を眩ませ、太刀筋を鈍らせる。

 

 そこからの出来事はまるで詰将棋を見ているかのよう。まず歯で止めた刃を噛み砕いた。次にその噛み砕いた刃を首の動きだけで正確に右から迫る敵の眼前に投げつけて、動作を一瞬止める。その一瞬遅滞。一秒にも満たない時間でドッペルは機体の自由を取り戻していた。両手から伸びたエーテルダガーが左右から迫る二体の急所、即ちエーテルリアクターの存在する腹部を貫いた。再利用を考えなければ動力部を潰すのが一番効率的なのだ。頭部だけだと他の致命傷を負ったASIDがその残骸を取り込んで再生する可能性がある。

 ドッペルの動きはそこで止まらない。正面の最早壁でしかない個体と、その胸部を貫いた個体をまとめて空に向けて放り投げる。一見意味のないその行為は数秒後にこれ以上ない布石として機能する。

 

 一瞬遅れて降り注ぐのは無数の弾頭。三体すらも囮。ASIDの狙いはドッペルをここに足止めしつつ周辺の地形ごと飽和砲撃による物力で押しつぶす事。打ち上げられた二体はその砲撃に巻き込まれて瞬時に破片へと姿を変える。ドッペルの盾として機能していたのは一瞬の事。だがドッペルにはその一瞬が欲しかった。爆散した二機の炎の中から無数のエーテル弾が空に放たれる。両手に握るのはヴィクティムと全く同型のエーテルライフル。そして上腕部に積載されたエーテルバルカン。その計六つの砲口が空から降り注ぐ砲撃を打ち落としていく。

 

 ASIDの攻め手はまだ終わらない。その広範囲攻撃の中、砲撃を掻い潜るようにして複数体のジェネラルタイプがドッペルに肉薄する。完全に使い捨て前提の投入だ。ドッペルを倒せなければドッペル自身にやられる。ドッペルを倒せれば砲撃を打ち落とす者がいなくなりASIDにやられる。

 

 最初の一体がドッペルに迫った。ウサギ耳の様なアンテナを付けたASID。その右腕にはパイルバンカーがあったはずなのだが、それは失われている。装甲にも損傷が目立ち、既に満身創痍と言った有様だった。ドッペルの意識は頭上に向いている。それを好機と捉えたのかその個体は近寄り、腹部を強かに蹴りつけられる。その足裏からはエーテルの杭のオマケつきだ。ヴィクティムの防御も突破した攻撃を受けて並みのジェネラルタイプが耐えられるはずもない。エーテルリアクターを破壊されながら一撃で戦域から遠く離れた位置まで蹴り飛ばされた。

 

 今しがた一機を行動不能にした事も気に留めず、ドッペルは次に迫る個体と間断なく撃ち込まれる砲撃を捌くことに集中している。

 

 故に、気づかなかった。

 

 その個体は上空から投下された物ではないことを。たまたま始まったこの戦闘を利用していただけに過ぎないことを。

 

 確かにエーテルリアクターは破壊した。だが、機体に貯蔵されたエーテルが残っている限り、短時間ならば活動が可能であることを。

 

 その個体、浮遊都市名称『マーチヘア』は、己の狙い通り、半死半生となりながらもドッペルが守っていた旧時代の施設、その真上に到達できたことに吊り上るような笑みを浮かべた。

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