54 司令室

 堅いブーツがコンクリートの床を打つ。僅かそれだけの動作で大きく埃が舞いあがった。視界が確保できなくなったカーゴ1の調査隊員達は足を止めて視界が確保できるのを待つ。その舞い上げた本人がまるで霧の様に宙を舞う埃を見て悪態を吐く。


「もう、最悪! 何でこんな埃まみれなんですか!」

「ぼやかないぼやかない。埃まみれなのはここの気密が保たれていたって事よ」


 風が通っていたのならば、ここまで埃は堆積しない。それはそのまま空気の流れが無かった……ほぼ密閉状態だったことを示している。諌める隊長らしき女性の言葉に、別の隊員が反応した。


「それってつまり?」

「旧時代からここは手つかずで温存されていた可能性が高いって事」


 言いながら彼女たちは慎重な足取りで先に進む。埃と言うのは舞い上がれば視界を遮る邪魔な物だが、床に堆積している分は自分たちよりも先にここを通った物がいないかと言う一つの目安になる。


「……少なくともここしばらくでここを通ったモノはいないみたいね」

「いやいや、隊長。そりゃ人は通るわけないですって」

「私だって人だなんて考えてはいないわよ。でも、ASIDがここに着た可能性はあるわ」


 とは言え、この隊長も半信半疑だ。六百年前、旧時代における最初期のASIDとの戦争時に人間サイズの小型個体が確認されたと言う断片的な情報しか残っていない。少なくとも浮遊都市でそんな小型を確認した事は無い。だがいるかもしれない。その想定で動いている。だからこそ彼女たちは通常目にするASIDには役立たずの銃器で武装しているのだから。


 更にそのまま光源すら確保できない廃墟を進む事十分。真新しい足跡を残しながら彼女たちは遂に目当ての場所を見つけた。


「こちらA班。施設管理部を発見。ルート確保」

『こちらカーゴ1。良くやってくれました、A班。直ちに調査部隊を送ります。貴女方は引き続きルートの安全確保を』


 A班と呼ばれた彼女たちがいる場所。その扉には司令室と言うプレートが取り付けられていた。


 ◆ ◆ ◆


《各班からの情報を統合し、基地内の3Dマッピングを継続中。現在施設把握率37%。通路に敵影なし》


 ヴィクティムの状態は見た目だけを言うならば先ほどよりも酷くなっていた。幾つかの部分が分解され、部品の交換を行っているのだが、まるでそれが腑分けの様に見えてしまう。だが実際には急速に蘇っているので開腹手術の様な物だろうか。しかしそれだけの療治をしても完治には程遠い。


《機体チェック完了。やはり現在の資材では完全な修復は不可能と断定》

「やっぱりそうか……」


 ヴィクティムの側で端末に表示された機体データを見ながら誠は嘆息する。残念な事に最初の誠の見立ては外れていなかった。不幸中の幸いと言うべきか。直接的な戦闘能力に影響のある物は無い。だが副系統の供給ライン、緊急時のバックアップバッテリー、レビテーターのサブデバイス。これらの欠けは戦闘が長引き、損傷を負ってくれば表面化する重篤な問題だ。

 改めて一時間横になった為良くなった顔色で誠は髪を掻き毟った。


「これ以上は、ここでは無理か」

《肯定。現在の状態を元に、対ドッペルの戦術を固める事を推奨》

「そう、だな」


 幸運にもドッペルと名付けた個体はここまで入り込んでこない。今誠が――と言うよりもカーゴ1がいるのは膨大な地下空間だ。何かのドッグだったのだろうか。天井が開閉し、そのまま地上に抜けられるような構造になっている。その一部が崩れて大穴を開け、そこからカーゴ1は潜り込んだ。更にもう一つ空いた真新しい穴は先ほどヴィクティムが突っ込んで開けた穴だ。崩落も心配されたが見た目以上に頑丈な隔壁は穴を開けても天井として機能している。万が一入り込まれてもこれだけの広さがあれば戦闘は可能だろう。何しろ本当に広いのだ。この広さを例えるならばサッカー場よりも東京ドームが何個分かで答えた方が早い程に。

 これだけの地下空間だと言うのに空っぽだと言うのはスペースの無駄遣いだとも誠は思うが、今はドッペルの対策である。ここを出ればまず間違いなくぶつかることになる相手だ。


「こっちの行動パターンを読まれている理由は分かりそうか?」

《不明。イベントログを参照しましたが、特に癖の様なパターンは見られず。こちらの演算活動、精神活動を正確にトレースしている可能性が最も高いですが、やはり不明です》

「そうなると対策のしようが無いな」


 考えていることを完全に模倣されているとしたら突飛なつもりの行動も相手にとっては予測済みと言う可能性もある。現に相手はこちらの奇襲めいた攻撃を幾度となく躱しているし、逆にこちらの虚は見逃さずについてきた。先の読みあいでは完全に誠達は負けている。それをこの施設跡から出るよりも前にどうにかする。それは言い変えれば戦闘のリズムを完全に変えると言う事だ。


 出来る訳が無いと誠は唸る。まず大前提として今のヴィクティムは誠とミリアで動かしている。漸く二人で連携しての行動が可能になった矢先にリズムを切り替えると言うのは非常に難しい。下手をしたら今できているリズムを崩すだけの結果になる可能性が高い。そして更に奇跡的に新たなリズムでの連携が取れたとして、そんな付け焼刃では限界に近い反射域の行動になればなるほど以前のリズムが見えてしまうだろう。

 少し考えたがやはり使い物にはならないと結論せざるを得なかった。それでは例え動きを先読みされなくとも、地力で負けてしまうだろう。対策としては下策であろう。


「……エーテルコーティング突破の対策は波長の切り替え、か?」

《肯定。被弾時に合わせて0.1秒単位での乱数波長切り替えを行います。また乱数生成アルゴリズムも一秒間に一度更新。ランダム性を高める事で突破はさせません》

「消費エーテルの増大量は?」

《平常時の約3.5倍。火器に回す分が低下します》


 その言葉に誠は小さく舌打ちする。だがヴィクティムの出力が今以上に上がらない事を考えると仕方のない事だ。既に満身創痍。これ以上の被弾は致命傷に繋がってしまう。

 それでも愚痴らずにはいられない。ただでさえ強敵なのだ。それを相手に打撃力を落とす羽目になるなんて、と。


「仕方ない。それで行こう」

《了解》

「お疲れ様です誠さん」


 話が一段落したタイミングで近寄ってきたのは特徴的な三つ編みの髪型、雫だった。彼女の担当は管制官。格納庫は完全な畑違いだ。顔に驚きを乗せつつ誠は尋ねる。


「どうしたんだ雫?」

「少し用事が。ヴィクティムも、大丈夫ですか?」


 擱座した状態のヴィクティムに雫はそう声をかける。普段は首が疲れる程に見上げる必要があるヴィクティムも今は座り込んでいるからか、頭部に視線を向けるのも幾らか楽だ。


《肯定。当機の損傷は戦闘継続可能なレベル》


 そこでふと誠は思った。雫にも先ほどの戦闘の話を聞いてみようと。乗っていた時間で言うのなら、雫はドライバー三人の中で最長なのだ。何か気付けることがあるかもしれないと言う期待がある。


「動きを先読みされた、ですか?」


 先ほどの戦闘の様子を伝えると雫は眉を寄せながらそう言った。誠にとっては見慣れた光景だが慣れていない人が見れば相当に機嫌が悪そうに見えるだろう。誠は軽く自分の眉間を指で突いて雫にそれを伝えると彼女は顔を赤くしながら額を抑えた。


「……寄ってましたか」

「寄ってましたね」

《映像記録を参照しますか?》

「良いです。見せなくていいですから。見せたら怒りますよ」

《了解》


 そのやり取りを経て雫は深くため息を吐いた。再び僅かに眉が寄っているが、同時に困惑したような色も見えた。


「ちょっと見ていない間に何かヴィクティム変になっていませんか?」

「それはまた追々……。それで何か気付いた事は無いか?」

「気付いた事と言われましても……」


 雫はまた気難しそうな表情を披露しながら考え込む。流石にこれだけで何かを察しろと言うのは無理があったかと思った所で雫の視線がヴィクティムに向いた。


「ヴィクティム、戦闘ログはありますか?」

《肯定》

「見せてください」

《了解。サブドライバーシートにどうぞ》

「ありがとう」


 慣れた様子で雫は解放されたままのコクピットブロックへと歩み寄っていく。そこでふと思い出したかのように振り向いて誠に声を投げかけた。


「忘れるところでした。突入していた探索三班の内の一つがこの施設の管理部を見つけたようです。解析班が現在施設内を掌握しようと行動中です。ヴィクティムの演算能力と過去にいたと言う施設のデータを活用したいとの連絡がありました」

「了解だ。じゃあ俺はそっちで……ミリアが起きてきたらちょっと様子見てくれるか?」


 改めて睡眠を取っているミリアはお世辞にも社交的とは言えない。いや、対人スキルは最低値と言っても良いだろう。境遇を考えれば仕方ない事ではあるが、知らない人だらけでは相当に消耗するのは眼に見えている。彼女はまだ、周囲を信じていない。周囲もまた、一度は不用品扱いした彼女にどう接すればいいのか戸惑っている。それはリサやルカでさえ探り探りなところがある。全く気にしていないのは玲愛位であろう。彼女は良い意味でも悪い意味でも力こそが全てな人だ。

 そんな中で雫との相性は家事特訓でそこまで悪くは無いと踏んだ誠はミリアの世話を雫に頼む事にしたのだ。それが分かったのか。小さく頷く。伊達に誠のバディを半年務めていた訳では無い。


「分かりました。引き受けます」

「助かる。頼むな」


 言い残して誠は格納庫を後にする。外部探索用のスーツ――誠の感覚からすれば宇宙服が一番近い――を着込んで同じような服装に銃器で武装した女性十名と合流する。


「B班が護衛に付きます。司令室と書かれた部屋までの通路はA班が、部屋の前はC班が固めています。非常時にはカーゴ1まで迅速に撤退しますのでその際は申し訳ありませんがこちらの指示を優先させていただきます」

「了解だ。頼みにしてる」

「感謝します。こちらです」


 テキパキと話を進めて行くB班の隊長に、誠は好感が持てた。己の職務に忠実な人はどんな場所でも頼もしい。


 厚く埃の積もっていたであろう通路は幾たびか人の集団が通った結果、あちこちに足跡を残していた。通路の分岐点にはA班らしき人物が銃口を構えて待機している。その背を擦り抜けて、問題の部屋に辿りついた。

 既にそこには解析班……この部屋のロックを解除しようと悪戦苦闘している者達がいた。司令室の扉脇に設置された電子ロックの基盤はむき出しになって、そこに直接ケーブルを繋いで介入しようとしているようだった。


「お疲れ様です柏木様」

「お疲れ様。ヴィクティム?」


 早速誠はヘッドセットを解析班の端末に近づける。無線を介してヴィクティムが司令室のシステムにアクセスを開始した。

 そうなってしまえば誠に出来る事は無い。浮遊都市における端末関係はそのほとんどが旧時代から進歩していないと言う。特にハードウェアはずっと同じ設計の物を使い続けているのだ。だが、その一方でソフトウェア側の進歩は目覚ましい物がある。ここにいるのはその系譜を汲む物。この世界における|魔法使い(ウィザード)の称号を欲しいがままにしている才女たちだ。

 手持無沙汰になった誠は基盤がむき出しになった電子ロックに視線をやる。どうやらここでは指紋を認証するようだ。扉を物理的に破るの難しいのだろう。見るからに頑丈そうだった。何気なく誠はその指紋認証のパネルに手を伸ばし。


《警告。認証システムはエラーの度にセキュリティを変更します。迂闊に触るような事はしないで下さい》

「えっ」


 そのヴィクティムの警告が耳に届く僅かに先に、誠の指は指紋認証パネルに触れていた。小さな電子音は認証を開始した証左であろう。

 一瞬、沈黙がその場に降りて。


「な、何をしているんですか柏木様!」

「私達のここまでの苦労が水の泡じゃないですか!」

「これはもう責任とって抱いてもらうしか!」

「すまん! 全面的に俺が悪かった! でも最後のは却下だから!」


 心なしか護衛に入っていたB班とC班の計二十名もあきれ返っているようだった。もう一度頭を下げようとしたタイミングで小さな電子音が再び鳴る。それと同時に機械が稼働する音。先ほどまでは見当たらなかったレンズらしきものが露出している。


《第一認証をクリア。第二認証は虹彩認証の様です》

「え?」


 誠が間の抜けた声をあげている間に先ほどまで姦しく騒いでいた解析班が自分の端末に飛びつく。そのまま機関銃の掃射音にも聞こえる様な速度で打鍵すると小さく息を飲んだ。


「確かに第一認証がクリアされています」

「それは、俺が触るよりも早くそっちが解除していたって事か?」

「違います。私達の解析はまだ後一時間はかかる予定でした。正規の認証でクリア、されています」


 その言葉はある意味で誠が待ち望んでいた物だった。施設に誠のデータが登録されている。間違いないと確信させるには十分すぎる物だ。ここに何かの手掛かりがあると言う一つの道標。


「この虹彩認証の方もやっていいかな?」

「……はい、お願いします。出来るところまでやって見てください」

「了解」


 虹彩、静脈、声紋。それらの認証をすべてクリアして司令室への扉が遂に開いた。

 施設はまだ稼働しているのか。小さな唸りと共に空気の流れを感じる。空気清浄機の様な物だろうか。埃一つ無い室内に廊下からの埃が舞い込んだが急速に床下に吸い込まれていった。


「まさか、旧時代の施設がまだ稼働しているなんて」


 銃を構えて警戒しながら室内に入った一人が呆然としたような言葉を残す。それはここにいる全ての人間の代弁でもあった。小さな声で誠はヴィクティムに尋ねる。


「ここも俺が目覚めた場所と同じか?」

《肯定》


 時間凍結と言う超技術。それがここでも用いられていたらしい。調べた限りではそんな機能があったのは誠が目覚めた地下施設とここだけ。ヴィクティムに残っていた座標と、正規の手続きで施設に登録されている誠のデータ。ここには何かの手掛かりがあると言う期待はますます高まる。


「手早く行きましょう。分散してデータをサルベージします」

「了解」


 慌ただしく散っていく解析班を尻目に、誠は司令室を見渡す。随所随所に生活感のある空間だった。まるでついさっきまで誰かが座っていたようなデスク。飲みかけのコーヒー。少し凹んだ座布団。多くの人がここで何かをしていたのが分かる痕跡だ。その中の一つに近寄る。伏せられていた写真立てを起こす。


「……?」


 映っているのは一組の男女だ。誠よりもやや年上だろうか。二十代後半あたりのショッキングピンクの髪色をした欧米系の顔立ちの男。見覚えがあると誠は思った。考え、繋がる。この髪の色は優美香そっくりだった。それだけでは無く何となく目元の辺りが似ている。もしかすると先祖なのかもしれない。その隣にいるのは黒い髪をした女性。東洋系の顔立ちだ。年齢は二十代前半か十代後半だろう。まだ少し幼さの残った顔立ちだ。こちらも誰かに似ていると思ったが中々出てこない。

 撮影してからそれなりの時間が経っているのだろう。僅かに色あせた写真はノスタルジックな気分にさせてくれる。それを戻そうと思った所で気が付いた。どうやらこの写真、このフォトスタンドに入れるために折り曲げているらしかった。何となく気になって誠はフォトスタンドを分解して折り曲げられていた写真を広げる。


 どうやらコーヒーをこぼしたらしい。誰かもう一人が映っているのだが染み込んだ黒い液体はその人物に関する判別の一切を不可能にしていた。別に誠も深い興味があった訳では無い。ただどんな女性だったのかと思っただけだった。


「施設内のマップ、発見!」


 ここにいる人間全てが最も探し求めていた物。その発見の報を聞いて誠の意識はそちらに向いた。写真立てを戻して誠は足早にそちらに向かった。


「我々が突入し、現在カーゴ1がキャンプを張っている空間はどうやら何かの艦船を建造するドッグだった様です。そこから施設内に続く道とは別に格納庫へと続く道があります」

「格納庫だって?」

「はい。サイズ的にはアシッドフレームを十数機格納できる程の空間です」


 もしかしたらそこに旧時代の対ASID兵器があるかもしれない。そう思ったのは誠だけではないのだろう。皆期待に満ちた目をしていた。


「ヴィクティム。大至急機体を動かせるようにしてくれ」

《了解。エーテルカノンの調整をストップ。本隊調整を開始します》


 それだけの空間となると何かが潜んでいる可能性も否定できない。ヴィクティムならば大丈夫と言う自信の一方、先ほど地を舐める結果となった事での恐れがある。だが藪を突く結果になるかもしれないがここで立ち止まると言う選択肢は誰にも無かった。


「ヴィクティムでその格納庫に突入。安全を確保した後探索を開始する」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る