52 黒いヴィクティム

 考えている間にも戦闘は続く。エーテルライフル同士の撃ち合いは一定のリズムが出来つつあった。ヴィクティムが撃つとポジションを変えるために移動する。ドッペルがそれを躱しざま脆弱な部分を的確に狙っていく。


 距離を取っての撃ち合いは徐々にその距離を狭めて行く。そして、額を打ち合わせての近接射撃戦に移行する。

 密着距離(クロスレンジ)と言っても良い距離で二体の巨人が銃を互いに向け合う。照準から発砲までにタイムラグがあると言うのがその理由だ。無差別に弾をばら撒いても有効打にはなりえない。そもそも両者ともに射線上には入っていない。そうなってくると、この距離の射撃戦は格闘戦とはまた違う様相を見せる。より意識されるのは陣取りの概念だ。如何に相手の有利な射撃位置を潰すか。相手の銃身を自分の銃身で払う。そうする事で防御をしながら攻撃ポジションを確保する。

 その攻防に打ち勝って銃弾を撃ち掛ける。その攻防に競り負けて銃弾を浴びせられる。だがヴィクティムも、ドッペルも。自らに飛んでくる全ての弾丸はまさに紙一重で躱していた。誠は刹那の見切りで。ドッペルは最早予知に近い予測で。互いに決定打を与える事は無い戦況は消耗戦の様相を見せてくる。だがここで不利になるのは言うまでもない。誠の方だ。

 ASIDは疲労しない。常にそのパフォーマンスを発揮してくる以上、長期戦は人類側に不利である。この高速の近接射撃戦による疲労は生半可なのもではない。


 右手で構えたエーテルライフルが弾かれた。逸らされていく銃身。見当違いの方向に向けられる腕。その勢いに逆らわずに誠はヴィクティムを機体毎一回転させる。高速でスピンした機体の勢いそのままの上段回し蹴り。射撃戦からのテンポが乱れた。ドッペルも虚を突かれたのか右手がグリップしたライフルを弾かれる。勢いを殺しきれずにこちらも一回転。振り向いた時には既に右手に新たな武装が握られている。高速振動刀身の長刀。ヴィクティムの左腰下から右肩にかけて抜けて行く軌道のそれは受けたらコクピットを切り裂き戦闘を終わらせるだろう。


「シールド!」


 咄嗟に、と言うよりもほぼ直感に身を任せて誠は新しい装備を取り出す。左腕にマウントするのは多重装甲の物理シールド。厚さは大したことが無い。それに比例した重量もまた運動に支障のないレベルだ。だがその装甲一層一層にエーテルコーティングが施されている。積層エーテルコーティングの強固さはトータスカタパルト戦時のヘヴィ―アーマーで実証済み……と言うかこのシールドを元に考案された物だ。

 しかし相手はヴィクティムのコーティング波長をどういう理屈か完璧に把握している。故にその堅牢なはずの装甲も切り裂かれる。僅かに引っかかるのか

、それでもドッペルが力を込める度に刀身はシールドに食いこんで行き、半ばまで断ち切る。

 それこそが誠の狙いだった。


 シールドを捩じり上げる。中途まで切り裂かれた装甲と長刀の刃を噛ませた。この瞬間、互いの動きが一瞬停滞した。刃とシールドを起点にバランスのせめぎ合いが始まる。それを制した物がこの後の流れを取ると言っても良い。それが最後まで続けばの話だが。

 空いた右腕の銃口を相手の顎下に捩じり込む。誠にはその力比べに付き合う義理は無い。そしてミリアにはここで躊躇う必要性も全くない。容赦なく引かれたトリガーは無数の弾丸を吐き出す。その全てが密着状態にあるドッペルの首元に浴びせられていく。流石に溜まらないのか。相手は長刀を手放して距離を取る。油断せずに弾幕を張っているミリアといつでも動けるように構えながらデッドウェイトとなったシールドを廃棄する誠。これだけ弾幕を浴びせていれば容易く武装を呼び出す事も出来ない。

 武器庫から取り出した瞬間の武装は酷く無防備だ。一度握れば武装にもエーテルコーティングが適応されるが、その前はそうではない。エーテルコーティングの施されていない状態では薄い装甲しか持たない大半の武装は簡単に破壊されてしまう。この間断のない弾幕を前にしてはうかつに武装を取り出してもその無防備な瞬間を突かれる可能性はある。ならばどうするか。答えは簡単だ。最初からある物を使えばいい。


 ミリアのエーテルライフルを超える数の弾幕。それが相手の上腕部から覗く左右合わせて四門の砲口から湧き出てくる毎分四千発のエーテル弾頭である事は疑う余地も無い。全く同じ装備がヴィクティムにも存在しているのだ。性能は良く理解していた。エーテルバルカン。敵に回すと厄介な装備だ。一発一発は大したことが無い。だがエーテルコーティングを無効化された今、その暴風雨の如き弾幕はヴィクティムには十分な損害を与えられる。


 その弾幕を避けて誠は一気に上空――塵の幕ギリギリまで上昇する。流石に地上からでは射撃が届かない。相手も機体を浮かび上がらせた。やはりレビテーターを搭載している。更に相手は腰回りのパーツを分離させた。それを認めたミリアが素早く叫ぶ。


「ランス!」


 ヴィクティムも同様に二つの穂先を切り離す。獰猛な肉食魚の様に迫ってくるのはヴィクティムのランスと全く同じ物。白と黒のランスが互いに食い合いながら低い空を泳いでいく。その攻防を背景に黒いヴィクティムとも言えるドッペルは両掌から黒く輝くエーテルの刃を伸ばしてくる。


 間違いない。相手の固定武装はヴィクティムと同様だ。そうなると気になるのはヴィクティムの持つ二つの強力な武器。ハーモニックレイザーとエーテルカノン。その二つらしき武装も相手の背にはマウントされていた。それらを使われた場合……こちらも同じ力で対処するしかないだろう。


「ヴィクティム。火器制御をこっちに回せ!」

《了解》


 ミリアがランスの制御に手いっぱいなのを察して誠は機体の制御を一時的にすべて預かる。対抗するようにヴィクティムも両手から青いエーテルの輝きを伸ばす。ハーモニックレイザーは使えない。この位置ではまだカーゴ1を巻き込む可能性がある。本当に使い勝手の悪い兵器だ。


「エーテルダガー!」


 叫ぶと同時。地上から上がってくるドッペルに向けてヴィクティムは上空から降下する。これまでになかった空間格闘。人間の格闘技はいずれも地面に足を付けた事を想定している。最も近い環境としては水中が挙げられるが、そこでさえ体系化し且つ広まった格闘技は存在しない。ましてや生身で行くことの出来ない空など想定すらされていないだろう。それは例え生身では無くASIDとアシッドフレームの格闘戦となっても同じ事だ。今まで空を飛べるそれらは存在していないのだから。


 それでも誠は殆ど本能的に察していた。上を取った方が有利だと。結局のところ機動兵器は常に運動エネルギーの取り合いだ。極論を言えば、速い方が勝つ。ヴィクティムとドッペルの推力はほぼ互角。だとすればこのポジション、言い変えれば位置エネルギーこそが勝敗を別つ鍵となる。

 空から降下するヴィクティムと、地面から上がるドッペル。そこにあるのは重力を味方に付けているか否かと言う単純にして明快な差。味方に付けているのはヴィクティム。敵に回しているのがドッペルだ。その差は速度と言う目に見える形として現れる。と言っても、それはお互いの速度の話ではない。向かい合っての格闘戦である以上どちらが速かろうが、遅かろうが相対速度言う物理法則が均一にしてくれる。ボクシングのクロスカウンターの様な物だ。現れるのはもっと細かい部分。四肢の運用だ。

 ヴィクティムは地面に向けて切り下ろす。ドッペルは空に向けて切り上げる。ヴィクティムは自身の力プラス重力。ドッペルは自身の力マイナス重力。そこに差が生まれる。腕を振るう速度の差はそのまま破壊力の差になり、精密さの差になり、命中率の差になる。迅ければ避けにくい。至極当然のことだ。

 何をするにしても下にいる側が不利なのだ。これはエーテルレビテーターを使っていようがいまいが変わらない絶対の法則である。


 尤も誠はそこまで一々考えていない。ただただ直感で上が有利と悟っただけだ。そしてそれを実行した。


 ヴィクティムの方が速い。それは紛れもない事実。覆しようのない現実。

 だが、それがそのままヴィクティムが先手を打てるかと言えばそうではない。


 ヴィクティムが振るった右エーテルダガーの一閃は寸でのところでドッペルのエーテルダガーが受け止めた。青い光と黒い光が交錯する。追撃の足元からの左エーテルダガーによる切り上げはやはりドッペルの左エーテルダガーで押さえられた。至近で睨みあう二機。だがその瞬間は長くは続かない。ここでも運動エネルギーの違いだ。一度接触してしまえば後は推力勝負。だが両者の速度の伸びには重力加速度の倍、違いが出る。結果として出てくるのはヴィクティムに両断されるドッペルと言う図の筈、なのだが。


 ヴィクティムの両腕が跳ね上がる。それは誠が意図した動きではない。ドッペルの放った神速の足刀が一瞬で両腕を蹴りあげたのだ。そんな動作を予想もしていなかった誠は全く反応が出来ていない。ヴィクティムの刃先は思いがけぬ攻撃で遥か頭上を向いている。対してドッペルの刃は未だ彼の機体の制御下にある。

 ドッペルがこちらに背中を向けたかと思った瞬間、過去最大の衝撃がヴィクティムを襲った。


《被弾。腹部装甲損傷大。メインエーテル伝達系に異常発生。サブに切り替え》


 コマの様に一回転して腹部を切りつけられたのだと理解したのは一瞬後。上下は入れ替わった。天から黒い光を背負ってドッペルが舞い降りてくる。その姿に誠は一瞬見惚れてしまった。まるで神話に出てくる天使、いや堕天使の様に見えたのだ。

 呆けるなどと言う贅沢は許されない。即座に振り下ろされるエーテルダガーを誠もエーテルダガーで捌く。今度は足にも注意を払うのを忘れない。コクピットのモニターの隅から伸びてくる黒い刃を誠は必至で弾き続ける。そしてその黒い刃が大写しとなった。手の平からエーテルダガーを生やしたままヴィクティムの頭部を掴もうとしていると気付いて誠は首を傾ける。スレスレの位置をエーテルダガーが駆けて行った。

 傾けた首を反対に倒す。伸び切ったドッペルの腕がヴィクティムの頭部で固定された。首の関節にそれほどのパワーは無い。だが一瞬でも動きを止める事が出来る。その隙を逃さずに誠は交差させた両腕を左右に広げる。腹部を狙った二本のエーテルダガーによる斬撃は、恐ろしい事にエーテルコーティングで受け止められた。これほどの出力。一か所に集中させてもこれまでのジェネラルタイプが防げるような攻撃では無かった。


「何だこのでたらめな出力は!」

《これがRERが可能にする出力です》


 敵に回すとこれほど厄介な物なのかと誠は戦慄する。自分が与えられてきたアドバンテージがどれだけ凄いのかと言うのも身に染みた。必殺を企図した一撃が防がれた。カウンターとばかりに空いた手でコクピットを串刺しにしようとしてくる。首で極めていた腕を離し、丹田の辺りで一回転するようにサマーソルトキックをしながらその突きを避けた。だがその攻撃も読まれていたのか。蹴り足をドッペルの蹴りで迎撃され、二機は弾かれるようにして離れる。

 そしてまたすぐさまお互いに向かって行った。


「う……ぐ……」


 後ろからミリアの苦しそうな声が聞こえる。今がどういう状況なのかは思考を共有している誠にも分かる。ランス同士の戦いも既にミリアが不利となっていた。二機ずつのランス。だが相手のランスの機動性はヴィクティムの物よりも鋭く思えた。的確にこちらの死角に回り込み致命的な一撃を加えようとしてくる。ミリアはそれを防ぐので手一杯になっていた。

 防戦一方の遠隔誘導兵器同士の戦いはそう長引かなかった。ドッペルの黒い穂先が、ヴィクティムのランスの一つを貫いたのだ。二機で防戦一方だったのが一機減れば均衡は完全に崩れる。二対一となったランスも程無く僚機の後を追った。そして残されたのは獰猛なニードルフィッシュ二匹。


「駄目! 逃げて!」


 ミリアが警告を発するが悲しい事にそれは無意味だ。ここで逃げ出すと言うのは断頭台と言っても差支えの無いドッペルのエーテルダガーに身を晒すと言う事だ。それとランス。そのどちらが生存確率が高いか考え、決断する。エーテルダガーを受け止めている間に忍び寄った二機のランスが一気に加速した。そしてそれは狙い違わずヴィクティムの腹部を再び食い破った。


《サブエーテル伝達系に損傷。機体循環エーテルに異常発生》


 レビテーターの浮力が失われて機体が錐もみしながら落下を始める。高度が見る見る下がっていくのが計器から分かった。だがそれが分かってもどうしようもない。動力系に深刻な損傷を受けたヴィクティムはあらゆる機能を失い――。

 斬り付けたまま後ろに抜けていったドッペルの強烈な蹴り。それもただの蹴りではない。背部カメラに大写しになった足裏にはエーテルで作られた鋭いスパイク。それを背中に受けた。コクピットブロックの真横にまで深々と突き刺さったそれに耐えきれずヴィクティムは墜落する。エーテルコーティングの存在しない今、それは内部への衝撃も相当な物だった。一切の減衰なく穿たれた一撃はドライバー二人の意識を悲鳴を上げる間もなく刈り取るには十分。

 両者の共有された思考で最後に流れたのはあっ、と言う軽い驚き。そして意識を失ったことでそのリンクは途切れた。それは即ち共振が途絶えたと言う事。RERが完全に沈黙し、ヴィクティムは完全に無防備になる。

 それでもヴィクティムは諦めない。例えドライバーが意識を失ったとしても、ヴィクティムは己の躯体を動かすことは出来る。ドライバーの保護と戦場からの離脱を最優先に。演算回路が最適な解を導き出そうと全力で駆動する。


《機体フレームに損傷。レビテーター停止。耐衝撃吸収装置機能不全。コクピットブロック保護機構最大》


 ささやかな抵抗。機体で運用可能なエーテルを全てコクピットブロックの保護に回す。長時間は持たないが、消耗を何も考えないコンマ秒単位での乱数波長切り替え。これならば相手がこちらの波長を読んだとしても即座に対応は出来ない。乗り手を守ることが出来ると確信しての事だった。

 ヴィクティムがギリギリその操作を終えた瞬間、ダメ押しとばかりそのスパイクが爆散する。機体内部からの爆発に対して有効な防御手段は無い。通常の物理法則から外れた力場がヴィクティムの血管であるエーテル伝達系に、神経である光ファイバーケーブルに、臓器である冷却装置やコンデンサーに破壊を撒き散らしていく。断末魔の様なノイズを残してヴィクティムは完全に沈黙する。それは不安定だったヴィクティムの状態にトドメを刺すには十分。それでもヴィクティムはコクピットブロックの保護を継続する。僅かに残ったサブの演算回路を全てコクピットブロックのエーテルコーティング制御に回す。自身の思考エミュレーターは完全に封鎖。単なる演算機械となってもドライバーを守るために。

 僅かな減速も無いままヴィクティムは先ほどカーゴ1を逃がした施設入口を突き破るようにして地の底に落ちて行く。多量の粉塵を巻き上げてその姿を覆い隠す。そして、そのままそこから這い出てくる事は無い。


 それを追って地上に着陸したドッペルは何故か追撃する事も無くヴィクティム達と接敵した位置に戻り、また静かにそこに佇んでいた。その在り方はまるで彫像。たった今人類の最高戦力を苦も無くあしらった事など微塵も感じさせない姿だった。

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