50 離宮

 勲章授与を受けて翌日。

 浮遊都市地下区画。最奥部。幾層もの防壁に囲まれ徹底的に外敵を排除された空間。そこに踏み入るためには評議会の許可を受けた印が必要だった。


 離宮。この世界に生きるたった三人の男性が暮らす場所。その存在位置を聞いた時誠は牢獄だと思った。厳重に守ると言うのは間違いないだろう。同時に決して逃がさぬと言う檻にも見える。まるで刑務所の様な場所を連想してしまった。地下区画と聞いてその連想はあながち間違っていないだろう。だが現実はそれを遥かに上回る。


「空が、見える……?」

「ホログラムです。この限られた区画だけは旧時代の空と言う物を再現しています」


 青空だった。大凡半年ぶりに眺める塵に覆われていない空。それが作り物だと種明かしをされても感動が薄れる事は無い。


「これ都市のドームにもやればいいのに」

「一時期やっていたこともありましたが、精神衛生上あまり良くなかった様です。例え灰色でも本物の空の方が良いとの結論が出て以来使われていません」


 維持コストもかかりますから、と付け加えて秘書官は誠の先を歩いた。数歩遅れて誠は周囲を興味深げに眺めながら歩く。

 まるで楽園の様な環境だった。穏やかな日差し。柔らかな新緑を付ける木々。色とりどりの花。小鳥のさえずり。だがしばらく観察していると気付いた。

 穏やかな日差しは電子制御のライト。柔らかな新緑を付ける木々は人工樹。色とりどりの花はアーティフィシャルフラワー。小鳥のさえずりはそう再現された電子音声。何一つ本物が無い。


「……当然です。自然の物を置いてそれらがたった三人の男性を害する事があったらどうするのですか」


 誠の疑問を表情から察したのか。秘書官がそう教えてくれた。余りに過保護な姿勢だが、その気持ちは分からないでもない。人工精子による種の存続が可能になっているとはいえ、生まれてくるの女性だけ。男性が生まれる為には自然受胎に賭けるしかない。

 エルディナから聞いた話によれば体外受精などの技術は失伝していると言う。辛うじて人工精子に連なる技術として人工授精の技術が残っているが、自然の精液が無ければその技術も意味が無い。故に、大本である男性は死守すべき存在だ。たった三人しかいない。

 その話を聞くたびに誠は既に人間はポイントオブノーリターンを越えてしまったのではないかと思うのだ。仮に今この場でASIDが綺麗さっぱり無くなったとしても、変わらず男性は今の軟禁状態だろう。AMウイルス。男性だけを狙い撃ちにした致死性の病。その対策も立てられていない。果たして、今後も生きて行くことが出来るのか。


「こちらです」


 そんな思索に耽る誠を秘書官の言葉が現実に引き戻した。気が付けば目の前には立派な門構えの屋敷。どことなく、誠が住んでいる屋敷に似ていると思った。


「ここから先は私も入れません。そう複雑にはなっていませんので、素直に進んで行けばよろしいかと」

「分かりました。ありがとうございます」

「……いえ、ではお気を付けて」


 一礼して秘書官は立ち去って行く。物言いたげな視線が誠の右頬に突き刺さっていたのは自覚していたが誠は努めて無視させて貰った。

 重厚な扉を開く。艶のある光沢を放つ床張りの廊下。初老の女性が掃除をしている姿があった。誠を見つけると黙礼を捧げてくる。ここで働く女性はいずれも同じような年代だと聞いている。滅多な事では離宮の外に出ないと言う話も。

 その脇をすり抜けて大広間らしき部屋に入る。三人が生活するには過剰な空間に――彼はいた。


 ぼんやりと、天井を眺めている二十代前半の男性。柔らかそうな金髪と、穏やかな表情。半年ぶりに目にする自分以外の男性の姿に誠は意外な程の感慨と、安堵を覚える。何だかんだで女性に囲まれた生活と言うのはストレスだったのだろうかと自分に苦笑する。

 部屋に入ってきた気配が分かったのだろう。ゆっくりと男性が誠の方を振り向いた。そして表情に似合った柔和そうな笑みを浮かべる。


「やあ、初めまして」

「初めまして。貴方が?」

「うん。僕がここに住む男性の一人、レオナルド・クルーズ。待っていたよ。柏木誠さん」


 腰かけていた椅子から立ち上がってレオナルドは誠を迎え入れる。


「さあ、座ってくれよ。今お茶を用意して貰う」


 そう言って側に控えていた侍女に手を振って指示を出していた。今この大広間にいるのはレオナルドただ一人だ。他に二人はどこにいるのかと周囲を見渡す。


「君は運が良い。今日のお茶当番は清水さんだ。誰が淹れても美味しいのだけど清水さんのは別格だよ」

「それは楽しみだ。あんまり、味の良しあしが分かる舌じゃないけどね」

「また謙遜を。旧時代の食糧事情は浮遊都市よりも遥かに水準が高いと聞いているよ。是非とも違いを聞かせて欲しいな」


 笑みを絶やさない人だと誠は思った。作り笑いでは無く、本当に楽しそうに笑うのだ。彼は。見ているだけでこちらの気分も和らいでくる。

 清水さんと言う侍女が淹れてくれたお茶は確かに美味しかった。残念な事に誠にはやはりその良し悪しについてはさっぱりなのだと伝えるとまたレオナルドは楽しそうに笑う。


「他の男性の方は?」

「コウタは……弟は昨日の夜はしゃぎすぎてね。あの子は君の大ファンなんだ」

「ファン?」

「そう。ファン。浮遊都市のトップエースに会えるって楽しみにしてたよ。アシッドフレームに憧れてるんだ。コウタは」


 男の子がロボットに憧れるのはどこでもいっしょなのかと誠は少しおかしい気持ちになる。そしてそのコウタと言う恐らくは少年の事を話すレオナルドの姿が妙に可笑しい。


「早く寝ないと起きれなくなると言ったのだけど寝付けなかったみたいでね。今もまだ夢の中だ」

「可愛い物じゃないか。もう一人の方は?」

「御爺様、錬蔵様は……正直分からない。柏木さんが来ることは伝えてあるのだけど……気紛れな方だから」


 思ったよりも離宮の人は自由があるようだと誠は思った。最低限の義務さえ果たしてくれればそれでいいと言う事なのだろう。とは言え、事前に通達しておいて一人としか会えないと言うのは誠としても予想外だ。想像以上に自由な生活を送っているらしい。


「普段は何をしてるんだ?」

「昼間は基本的に自由さ。コウタは良く御爺様と遊んでいる。僕は――そうだね。見て貰った方が早い」


 そう言ってレオナルドはゆっくりと立ち上がる。そのまま先導するように歩き出す。慌ててお茶を飲み干し、誠はその背を追う。


「基本的に僕達は一人で一フロア与えられているんだ」

「……贅沢な使い方してるんだな」

「僕もそう思うよ。コウタはそこにアスレチックを持ち込んで遊んでいる。御爺様の部屋は見事な庭園になっているよ。そして僕の部屋は……」


 言いながら扉を開く。誠の視界に飛び込んできたのは白を基調とした清潔感のある機器の山。


「医療の研究、AMウイルスと呼ばれている病の研究をしている」

「AM、ウイルス」


 このタイミングで聞くとは思っていなかった単語だった。男性を保護するうえで一番のネックになる存在。致死率100%という常識はずれの病。その対策を打たなければ種の存続が危うい。だから研究はしているとは思っていたが、まさか当の男性本人がしているとは思わなかった。


「あ、危なくないのか?」

「残念な事にウイルスそのものを研究している訳じゃないからね。ただ過去の症例から対策を幾つか用意しておいて……実際に発症したらそれを全て片っ端から試していくって事になりそうかな」


 そう言いながら誠には全く用途の分からない機械を操作していく。


「これが最新の症例。……十年前、僕とコウタの父を奪った時の物だ」


 ちょっとグロテスクだから気を付けて。と言いながら彼はモニターにその映像を表示した。なるほど、確かに。これはグロテスクだと言えよう。人間の身体から金属片が生えているような光景。そうとしか言いようが無い。


「これは何でこんな風になっているんだ?」

「原理は不明な所も多いけど体内の金属成分……カルシウムを始めとした素材が一斉に隆起して体内から突き破った、と言う事みたいだ」

「意味が分からん」


 どう考えても人の骨が金属片の様になって中から突き破るなど想像も出来ない。似た症例の病気があったかと誠は記憶を浚うが、思い当たる物は無い。


「これは僕の仮説……と言っても恐らく他にも考えている人はいるだろうけど。これはASID由来の病気だと思っている」

「まあそうだろうな。こんな病気が昔からあったらとっくに人類は絶滅だ」

「元々の宿主には無害でも人に移ったら害を及ぼす物なんて言うのは過去に幾らでも例がある。ただ厄介なのはそのウイルスらしき物を確認できないという点にある。父の身体を調べてみたがやはり過去の様に見つからなかった」

「それってウイルスなのか……?」


 ウイルスの定義は色々とあるが、そもそも見つける事の出来ていない物をウイルスと名付けるのはどうなのだろうかと言う疑問を感じる。


「分からない。何故そう呼ばれるようになったのか。理由があったのかもしれないが都市からその記録は失われている」


 ここでもそれかと誠は違和感めいた物を覚える。旧時代に積み重ねてきた研究などの成果。その尽くが失われていると言うのは単なる偶然とは思えない。情報をどのように保管していたのかは分からないが、一つのノートに綴っていた訳でもないだろう。バックアップも存在しなかったと言うのだろうか。


「だから僕は今回期待しているんだ。君が行く遠征。そこで何か旧時代の研究の手掛かりが掴めるんじゃないかって」

「今までの遠征では見つからなかったんだな」

「と、言うよりも探していたかどうかも怪しいね。どうしてわざわざ僕がここで研究をしていると思う?」


 柔らかな笑顔の中に、誰か――不特定多数に向けられた棘を感じて誠はやや怯む。この短い時間でもレオナルドと言う青年が柔らかな人物だと認識するには十分だ。その彼がやや皮肉めいた事を口にすると言うのは誠の観察眼が間違っていたか。或いは柔和な彼をしてもそんな態度を取らざるを得ない様な理由があるのか。少し思案して、外れていてくれればいいと思いながらも答えを口にした。


「もしかして誰も研究していないのか?」

「半分正解。都市としては少なくないリソースを割いてAMウイルスの研究をしている。だが肝心の研究者がそろいもそろって真面目にやる気が無くてね……彼女たちはこの病によって死ぬことは無い。人工精子によって歪とは言え種の存続は可能。危機感が薄いのも仕方のない事だとは思うけどね」


 そう言いながらもレオナルドは憤りを感じているのだろう。恐らくその姿勢は昨日今日で始まった事ではない。十年百年。それ以上の時間をかけて醸成されて来た無自覚の悪意だ。


「だから自分でやるしかないと思って始めたのさ。そんな訳だから遠征隊も真剣に探していたかも分からない。でも今回は君がいる」

「見つからないかもしれないぞ?」

「それでもいいさ。探した結果見つからなかったのなら納得できる」


 何ともちぐはぐな話だと誠は思った。男性は貴重だ、大事だと言いつつもやっている事は鳥籠の鳥の様に閉じ込めて外敵を防ぐだけ。都市の人間よりも贅沢な暮らしをしてはいるようだが、その一方で男性の致命的弱点であるAMウイルスへの対処は真剣に取り組まない。どうにもその扱いの差は違和感を感じる。まるで、現状を維持し続ける事に固執しているかのようだ。


「堅い話はこの辺にしておこう。誠さんは外で何をしているんだい?」

「基本的には都市の防衛だな。それをする事でここに住むことが許可されているような物だし」


 そう言った所で室外から軽い足音が聞こえてきた。音の間隔からやや駆け足気味。音の大きさから小柄な人物の物だろう。住み込みの使用人がそんな慌ただしく走るとは思えない。レオナルドも気が付いたのか、楽しそうに笑みを深める。


「どうやらこの屋敷の王子様が御目覚めみたいだ」

「お兄様。いますか?」


 レオナルドが言うと同時、しずしずと開けられたドアから顔を覗かせていたのはまだ十歳にも満たない少年だった。その柔らかな風貌はレオナルドに共通するところがあるが、こちらの少年の方が日本人顔だと誠は思った。髪の色も黒に近い。


「コウタ、こっちにおいで。ご挨拶しなさい」

「ご挨拶?」


 そう言われてコウタという少年はこの部屋に兄以外の人物がいる事に気付いたのだろう。それが誠であると認めた途端、柔らかな頬を興奮で赤く染めた。


「あ、あの。柏木誠さん、ですか?」


 真っ直ぐに向けられる尊敬のまなざしは誠にとっても面映ゆい物だ。そうだと答えると更に興奮し、レオナルドが戦いの話を聞かせてくれと話を振ると今にも飛び上がりそうなほど大興奮だ。それを微笑ましく見守りながら誠は当たり障りのない内容をコウタに話していく。

 それも一段落したところでコウタが誠に質問した。


「あの、誠さん。僕も大きくなったら誠さんと一緒にアシッドフレームでASIDと戦えますか?」

「コウタ、それは……」


 レオナルドがやんわりとその質問を誤魔化そうと口を挟みかける。当たり前に考えれば、それは絶対にありえない。例えとして誠が死亡し、コウタと他の誰かのマッチングが最高値を示せばヴィクティムに乗れる可能性はある。だがその場合誠と一緒に戦うと言うのは絶対にありえない。だがまだ一桁の年齢の子供の夢を壊したくないのだろう。レオナルドはそう考えて話を切り替えようとしたがそれよりも早く誠が答えてしまった。


「いや、それは無理だ」

「誠さん」


 やや表情を険しくしてレオナルドが声をかけてくる。何故そんな事を子供に突き付けるのかと言いたげ――コウタの視線が無ければ実際にそう言っていただろ。

 誠は膝を突いてコウタに視線を合わせて笑いながら言う。


「コウタが大きくなる前に俺が全部倒しちゃうから一緒に戦うのは無理だよ」

「え……?」

「一緒に乗ってどこか行くならその頃には出来るようになるかもな」

「本当ですか?」

「本当本当」


 その後も誠の体験を話したり、コウタの部屋にあるアスレチックで遊んだりしているとコウタは遊び疲れて寝てしまった。彼の寝室に寝かしつけて再びレオナルドと二人だけになる。


「御爺様はどうやらお会いになるつもりはない様だ。済まない」

「そっか……まあ仕方ないか」


 無理やりに押しかけても実りのある話が出来るとは思えない。いや、そもそもこれ、と言う明確に話したい事があるわけではないのだ。縁が無かったと思ってあきらめるしかない。


「しかしさっきは焦ったよ」


 それがコウタとのやり取りだと言うのはすぐに分かった。


「レオナルド凄い怖い顔してたぞ」

「そうだったかい? でも上手く誤魔化してくれて助かったよ。……まだずっとここから出られないなんて事を知って欲しくは無いからね」

「いや、誤魔化したつもりはないぞ」


 あれは誠の本心、本気だ。コウタが大きくなる頃……そんな時までASIDの殲滅に手間取っている訳にはいかない。誠にとってASIDを倒すと言うのは帰還方法を探るためのワンステップでしかないのだ。


「数年以内にASIDは殲滅する。俺が、俺とミリアとヴィクティムで」

「……そうか。応援しているよ。心の底から」


 その後他愛の無い雑談……主に離宮での食事の話をして時間が着た為誠は離宮を辞する。


「また会えることを願うよ」

「次は速くても半年後、かな。一度都市の外に出ちゃうから」

「ああ。それじゃあまた半年後に」


 そう握手して、誠は離宮を後にした。敷地から出た瞬間に秘書官が音も無く近寄ってくる。


「それでは柏木さん。遠征隊の準備は完了しています。18時間後に出発予定です」

「分かりました。ありがとうございます」


 誠の初めての都市外探査。それが出発してから百三十七時間後。


 遠征隊との交信が途絶した。

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