49 剣の無い戦場

 そのざわめきの中心に誠は視線を飛ばす。

 一人の少女、いや女性だった。淡いブルーに染め上げられた細いシルエットのスレンダーラインのドレス。余計な装いは着いていないシンプルな物だが、だからこそ一層着ている人物の魅力を引き立てる。背筋を伸ばして歩く姿は堂々としているように見えて、その実羞恥を堪えているようにやや俯き加減だった。


 誠はそれが誰だか分からなかった。遠目に見ていた彼女が自分の方に歩いてきて。自分の目の前で止まって。やや恨めしそうな視線で見上げてきて。


「何ですか。ボクの顔に何かついていますか」


 と、拗ねたように口を開いたところで漸くその女性が誰なのか気が付いた。


「リサ、だよな?」

「そうですよ。ボクですよ。何か文句でもありますか?」


 やさぐれていた。何故来て早々こんなに機嫌が悪いのだろうと誠は首を捻るが、一瞬で疑問は氷解した。彼女の背後。ここに来るまでに通って来たであろう道筋にいる人は一人残らず口元に手を当てて噂話をしていた。その好奇の視線の先はリサだ。ここに至るまで皆同じような反応をしたのだろう。

 実際、彼女を知っている人間ならば誰だって驚くだろう。誠はこの半年間、彼女がスカートを履いている姿を見た事が無い。そのリサがドレス姿だ。注目を集めるのも仕方がない。


「気紛れを起こすんじゃありませんでした」

「気紛れ、なのか?」

「気紛れです。気の迷いです。もう絶対、二度とやりません!」


 確かにただ注目を浴びるのではなく、周囲が好き勝手に憶測を離す様な状態は不快だろう。リサがどんな気紛れを起こして今の格好を選択したのかは誠には分からないが一つ確かな事がある。


「そうか。残念だ」

「何がです」

「とても良く似合っていると思ったのに」


 溜息混じりに呟いた言葉は不純物無しの褒め言葉だった。余りにストレートすぎて誤解のしようも無い。リサの頬が赤く染まった。その様子をやや遠巻きに眺めているルカと雫は声量を抑えて声を交わす。


「何というか、お姉ちゃんが非常に可愛いです」

「ええ、本当に。分かりやすい位分かりやすいですね。一体何があったのか」

「あれじゃないでしょうか。死にかけて思いを自覚したとか」

「どう見てもあれは自覚できていない様に見えるんですよね……」


 そんな会話を背後でしているとも気付かず、リサと誠の遣り取りは続いている。


「ま、またそんな見え見えのお世辞を」

「確かにお世辞を言う事はあるけど今日は楽だったな。世辞を言うまでも無くみんな似合ってたし」


 そう言うとリサは面白い位に表情を変える。一瞬、歯を食いしばって憤りを堪える様な表情になったかと思うと、先ほど以上に――まるでリンゴの様に顔を真っ赤にして頬を緩めて、その後何かに気付いたように表情を引き締める。やや挙動がおかしいようにも感じられるが、久しぶりに真面にリサと話せた事で誠は少しだけ安心した。

 これが似合っていない――と言うよりも場にそぐわない格好だったりすると困るのだ。本人に自覚が無い場合は本当に正真正銘の世辞で済ませられるのだが、本人に似合っていない自覚があった場合迂闊な世辞も言えない。そしてその自覚の有無は時に外からは判別が難しい事がある。酔った父親の愚痴をふと思い出し懐かしい気持ちになった。

 懐かしいのだ。誠が帰りたいと思っている空間は最早郷愁を感じさせる。これが親元を離れて一人暮らしなどだった場合、誠もそこまでの気持ちは抱かなかっただろう。だが訳も分からずに親兄弟から引き離され、見知らぬ土地に放り込まれた。二度と会えないかもしれないと言うのは必要以上に彼の中の帰巣意識をかき立てる。


「まあとりあえず……何か食べる? 色々とあるし」


 ここでこうしてリサの反応を見ているだけでも中々楽しいのだが折角のパーティである。楽しまなければ勿体ない。


「はい、誠様。私あの辺のフルーツとかデザート食べたいです」

「私は……そうですね、あの辺りの野菜。美味しそうですよね」

「ボクは……肉を」


 何故だろうか。和気藹々とした場の筈なのに、誠には一瞬火花が見えた気がした。そして三者三様気ままに自分の望む物を取りに行く。あっと言う間に散会した三人の背に力なく声をかける。


「この後ミリアともパーティやるんだからほどほどにな……」


 多分聞いていないだろうと思いながらも誠も軽く腹ごしらえをしに行く。狙うはリサと同じく肉だ。純粋に肉を食べたいと言う気分だったのもあるし、リサともう少し話をしたかったと言うのもある。


「何かある?」

「鶏のカツレツ。……この前の戦闘で食糧生産区画が無傷だったのは幸いでしたね。もう少しで偉大なお肉様が食べられなくなるところでした」

「だなあ。黒酢あんかけとは珍しい物があるな」


 ひょいひょいと二人して並べられた皿から肉料理を取っていく。十分な量を確保してから再び端の方に寄って口に運び始める。


「にしても凄いですね。勲章何て。まあ今回の戦果を考えれば当然ですけど」

「リサにはそう言う話無かったの? ジェネラルタイプ倒したって聞いたけど」


 先日のシミュレータで交戦したジェネラルタイプは誠が都市内で戦っている間にリサが撃破した個体のデータを用いた物だと聞いていた。故に勲章と言うのならばリサも結構な戦果を挙げている。そう尋ねると小さく首を振った。


「ボクはあくまで第三大隊にくっついて倒しただけですから。単独撃破の誠君とは違いますよ」

「つっても俺の場合完全にヴィクティムのお蔭だしな。ハイロベートで倒したって言うのはまた凄いと思うんだ」


 仮に自分がハイロベートに乗っていたとして、果たしてジェネラルタイプを打倒せるかと言えば答えは否だと彼は思う。それなりに使えるようにはなってきているが、やはりヴィクティムの性能と言う面は無視出来ない大きな要素だ。

 そして何よりそんな機体でジェネラルタイプと正面切って戦うなど。ヴィクティムに一人で乗っていた時に交戦したジェネラルタイプの事を思い出すと今更足が震えてくる程だ。一度落ち着いてしまったらとても戦うなどと言う選択肢は取れなかっただろう。


「リサは強いよ。本当に」

「ふぁい?」


 丁度物を口に入れたタイミングだったのだろう。間の抜けた返事をするリサ。誠は飲み込むのをゆっくり待つ。


「何ですか、いきなり」

「何時だったか話したよな。戦うのが怖くないのかって」

「……しましたね。あれは確かボク達が出会ってすぐでしたね」


 撃墜されたリサの同僚の埋葬。その時に交わした言葉だ。半年前の出来事が、異様に遠く感じる。


「ヴィクティムに、一番強い機体に乗っていられるからマシなだけで、ハイロベートで戦う事を考えたらやっぱり俺は怖いよ」

「前にも言いましたけど、ボクだって怖いですよ」

「それでも乗って戦えるから強いって話。俺にはきっと無理だ」


 そんな弱音めいた言葉をリサは怪訝そうに聞いていた。誠がそんな内心を吐露するのは珍しい。それ故にどういう意図なのか測りかねているようだった。

 少し躊躇うように唇を震わせた後、リサは恐る恐る尋ねる。


「誠君は、戦いたくないですか?」

「それは――」


 その問いかけに誠は応えようと口を開きかけて。そのタイミングで横合いから声をかけてくる者がいた。


「柏木さん。そろそろこちらに」

「秘書官さん」

「申し訳ありませんウェインさん。柏木さんを借りて行きます」

「あ、はい。どうぞどうぞ」


 まるで物をやり取りするかのようだと誠は苦笑しながら秘書官の後について行く。その途中で、ふと思い出したように振り返り。


「やっぱり、そう言う格好も似合ってるよ」


 とリサに言い残して行った。一瞬、リサはどういう意味かと首を捻り――それがトータスカタパルトを倒す前に交わした雑談に帰するものだと気付いて小さく微笑んだ。細かいところを覚えている人だと。


 ◆ ◆ ◆


 勲章授与の式典と言うのは至極あっさりと進んで行った。

 功績を挙げた者が安曇から勲章を渡されると言う儀式。そこには嘉納玲愛の姿もあった。そして一番最後に誠の番が回ってきた時に、安曇はふと思いついたように口を開いた。


「柏木殿はこれほどの功績を挙げながらこちらから提供しているのは最低限の衣食住のみ。何か他に欲しい物はありますか?」


 これは遠回しに今を維持して自分の代を終える事しか考えずにいる評議会の面々に向けられた皮肉だった。それが分かったのだろう。数名が顔色を変えていたが誠には関係の無い話だ。また別の人間は誠に希望を聞いている事で顔を顰めていた。元々の予定にそんな言葉は入っていない。そして誠にとってはこれは予定通り。最初からこうして公に自分の目的を表明する事は合意の事だった。


「私が望むのはただ一つです」

「申してみなさい。我らに叶えられることならば何でも叶えよう。何しろ貴方がいなければこの都市は既に滅びているのだから」


 どことなく楽しげに安曇はそう言う。足の引っ張り合いに注力している評議会の人間が慌てふためいているのが面白いのだろう。或いはこんな芝居めいたやり取りが気に入っているのか。こうして笑っていると彼女の娘であるリサとルカに良く似ていると誠は思った。


「都市外探査の許可を。他に求める物はありません」


 それを告げた瞬間に会場は静まり返った。僅かなざわめきすら許さない静寂。それはそのままヴィクティムと言う守りがアークの守りから外れる事を意味する。


「……都市外探査は定期的に我らの方でも出しています。柏木殿が直接行く必要はないのでは?」


 それは予定にはない言葉だった。確かに正論と言えば正論だろう。誠は探査の専門家ではない。誠が都市外に出たとしても戦闘以外で役立てるとは思えず、その役割は他の誰かが背負える物だ。実利面で言えば必須とは言えない。だから誠は情に訴える事にした。


「私は私が何故ヴィクティムと共にあそこにいたのかを知りたいのです。何故、故郷を離れてこのアークに来ることになったのか。その無くしてしまった記憶を探したい」


 最後は記憶喪失、という設定を皆に思い出してもらうために付け加えた一言だ。あらゆる意味で誠はたった一人の異邦人だ。その彼が己のルーツを知りたいと言った。本来ならそれを積極的に止める理由など無い。


「ふざけないで頂戴」


 声をあげたのは初老の女性だった。五十代半ばと言った所か。周囲がざわめく。都市を運営する評議会の一名だと言うのはよほど幼い子供で無ければ知っている。誠も頭の片隅に顔だけは残っていた。名前は覚えていない。


「そんな身勝手が許されると思っているの? あなたがいなくてどうやって都市を守ればいいの。またこの前みたいのが来たらどうするつもり!」


 その叫びには一定数の賛同の声が上がっていた。あの大型ASIDの恐怖は記憶に新しい。対抗戦力がヴィクティムしか無い以上それが離れると言う事には恐怖を覚えずにはいられないだろう。


「貴方は都市十万人の命を背負っているのよ! そんな行為許可できるわけがありません!」


 一方的な、だが一面の事実に反論しようと誠は口を開きかけた。が、それよりも前に彼女に問いを投げかける女性がいた。


「身勝手を言っているのはどっち?」

「……嘉納さん」


 小さく口の中で誠はその相手の名前を呼ぶ。その声が聞こえたのか小さく頷いて一歩前に出た。自然視線を集める結果となる。今日の彼女は軍の礼装だった。いつも以上に服に着られている感じが強いがその胸元に光る勲章が静かな威圧感を与えている。その数は既に四つ。今回のリサの戦績でも貰えないと言う事を考えると相当な修羅場を潜ってきていると言うのが傍目にも分かる。


「貴女は……」


 誠が来るまでは浮遊都市のトップエースだった玲愛の姿を知らない者はいない。初老の評議員もやや気圧されている様だった。


「彼は元々この都市の住人では無い。その彼に都市の全てを守らせる何て」

「何を言っているの嘉納さん! ここは人類最後の都市! 守るのは全人類の義務でしょう!?」

「そう思えるのは私たちがここに住んで、ここに守りたい物があるからだ。だが彼が戦う事を決意させた物はこのアークには無い。地上のどこかで眠りについている。それを探したいと言う気持ちを無視なんて出来ない」


 そのやり取りを誠はやや呆然として見ていた。意外だったのだ。玲愛がこうして誠を援護してくれると言うのは。都市の常識で考えれば誠の願いなど論外だ。こう言っては何だが然程深い付き合いではない。こんな上から睨まれるのを承知で異議を申し立てる様な関係では無かったはずだ。だと言うのに何故……?


「た、確かに彼の境遇は気の毒に思います。ですがだからと言って都市住民の命を守る責務を放棄するのは――」

「その責務は私達軍が背負い、貴女たち行政府が背負うべき物だ! 本来無関係の彼に背負わせるものじゃない!」


 良く通る一喝に再び会場は静まり返る。その静寂の理由の何割かは玲愛が声を荒げたと言う物が占めていただろう。

 その迫力に圧倒されたのか、その内容に言い返せなかったのか。評議員は口を噤む。それを見計らって安曇が口を開いた。


「次の遠征隊を早急に組織しましょう。……フレーム部隊は随伴させられません。万が一の時の防衛力が落ちてしまいますから」

「安曇様!」

「嘉納殿の言うとおりですよ、森評議員。彼は本来アークには関係の無い身。僅かな対価で都市を守る戦いに身を投じていたのは偏に彼の厚意に因るもの。その厚意に甘えてこれまで自由を大きく阻害していました。その彼に感謝こそすれ、それ以上を強要する事は我々にはできません」


 滔々と諭され、森と呼ばれた評議員は言葉を詰まらせた。そして小さく抑えた声で語気を強めながら囁くと言う器用な事をする。 


「しかし、それでは今回の規模のASIDの襲撃があった時に!」

「どの道、今回の規模の襲撃が続くようでしたら浮遊都市は終わりです。今回の戦闘でどれだけの被害が出たかご存知ですか? そうなる前に、何か策を講じないといけません。身動きが取れなくなる前に」


 それに対して森の耳元で安曇は囁く。ヴィクティムがいくら勝利しても、その被害をゼロに抑えるのは難しい。それを示唆すると森は今度こそ押し黙った。


「納得して頂けたようですね。ではこの場において任命します。柏木誠殿。次期遠征隊を率い、旧時代の情報を持ち帰ってください」


 それが、この式典の締めとなった。

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