48 お披露目

 突然ではあるが、浮遊都市には男性用の礼服と言う物が存在しない。理由は至ってシンプル。必要が無いからだ。

 男性は生涯を離宮で過ごす。そこで式典を行う事は無いし、普段着として彼らが着る服は全てがオーダーメイドだ。エスコート役を始め男装をする女性もいるが、やはり完全な男物とは言い難い。


 誠が祝勝会と言う名の式典に参加する時にそれが問題となった。何しろ六百年単位で作られた事の無い服だ。デザインでさえ模索する必要のある難問。だが浮遊都市の服飾業に携わる者は喜び勇んでその難問に取りかかったらしい。結果、生み出されたのは良く言えば旧海軍っぽい、悪く言えば詰襟の学生服めいた装いの礼服だった。着替えを手伝おうとするスタッフ達に丁寧に断りの文句を入れて誠は無事その礼服を身に纏う。


「ふむ……」


 誠は自分の姿を鏡に映してみるが中々良いのではないだろうかと自画自賛する。少なくとも全く似合っていないと言う事も無いだろう。男性のファッションなど批評できる人間はいないと割り切って、誠は最低限の身だしなみを整えただけで良しとした。


 生憎と、誠はパーティーに参加した事が無い。親が何度か参加しているのは知っていたが、誠にはまだ早いと言って高校卒業までは参加させるつもりが無かったようだ。お蔭で今の誠は大変心細い。女性陣の着替えを待たずにホールに突入したのだが、居心地が悪い事この上ない。

 こちらに視線を向けられているのは感じるのだ。ひそひそとした噂話がされているのも分かるのだ。なのに誰も近寄ってこない。テーブルには既に料理が並べられ、飲み物を配っているのだが来て早々にそこに向かう人はいない。大抵は知己を見つけて談笑しているか人脈を繋ごうとしているか。十万と言う数は人類全体で見れば少ないが、一つのコミュニティとして見れば膨大だ。この様な機会が無いと会わない様な人物もいるのだろう。そんな訳で一人所在なさげに佇む誠は大変に浮いていた。その浮いているのが浮遊都市で唯一離宮から出ている男となれば注目されない訳が無い。


 ああ、いっその事話しかけてくれればいいのにと誠は思う。別にこっちは取って食おうなどと考えてはいないのだ。浮遊都市の淑女方と違って。話しかけてくれればある程度場をコントロールも出来るが、こうも遠巻きにされてはそうもいかない。かと言って自分から声をかける勇気などありはしない。そんな事をした日には「気がある→お持ち帰り」という短絡的にも程がある一連の動作を決められることは間違いないので気を付けるようにと秘書官はじめ周囲の女性陣に言い含められているのだ。あれだけ脅かされて実行する勇気は二重の意味で無い。


 そうなると誠に出来るのは目立たない様にと祈りながら壁の方に寄って行き、少しでも浴びせられる視線を減らそうとすることだけだった。こう言ったパーティーであぶれた者を壁の花、などと揶揄する事がある。今の誠はまさにそれだった。どうにか辿り付き、壁に背を預けて首元に指を入れる。もう少し緩くして来れば良かったと後悔した。環境のせいもあって息苦しい。来て早々座り込みたい程に体力を消耗している。


「はあ、息苦しい」


 ふと気が付くと隣で同じような事を言っている女性がいた。癖が無造作に放置されている事の多いピンクの髪を今日はアイロンでも掛けたのか真っ直ぐに整えられている。仕事服は汚れた作業着、私服は綺麗な作業着と言う普段とは打って変わって大きく胸元の空いた装い。真っ赤な裾の開いたマーメイドラインのドレスを窮屈そうに着ていた。誠は一瞬余りに普段の装いと違いすぎて誰だか分からなくなった。


「優美香、か?」

「やーまこっち。面倒だね。こういう場は」


 心の底からそう思っているのだろう。渋面を隠しもせずに優美香は吐き捨てた。優美香が招待されているとは知らなかった誠は当然理由が気になる。確かに優美香とはこの様な場は余り繋がらない。


「整備班も色々と面倒でさ……生産系の人と顔繋いでおかないと私らの部署だけ後回しにされたりするんだよね」


 あー、ダーリンが恋しいなどと言いながら自分の身体を抱きしめる優美香から誠はそっと目を逸らす。非常に目に毒だった。ジロジロと見ている所を誰かに見られたらまた面倒な事になる。


「ヴィクティムに見せてくればいいのに」

「この格好で格納庫になんか入ったら次の瞬間にはまだら模様になってるね。油で。弁償代払えなくもないけどわざわざ払いたくは無いかな」

「まだら模様って、おい」

「絶対ダーリンに飛びつくし」


 確かにやりかねないと誠は小さく同意。


「まこっちがいるって事は他のみんなも来てるの?」

「うん、招待された人は全員」

「……そうそう、後でやるパーティーにケーキ持っていくから。生クリームたっぷりの奴」

「お、サンキュー」


 何気ない様子で言われた差し入れの言葉を流しかけて誠は眼を剥く。この半年で浮遊都市の食糧事情は良く分かっている。現にこのパーティー会場に並んでいる料理は殆どが野菜と魚中心だ。後は鶏肉による肉料理。豚は絶滅して久しく、牛は三十七頭のみ。動物性生クリームは相当に貴重だ。バターとはわけが違う。バターは調味料として使うのならば少量で済むが、ケーキに使うような生クリームがそんな量で済むはずがない。だから動物性の筈が無い。そんな物、浮遊都市で一年間に食べれる人数は手の指で足りる様な超が付くほどの貴重品だ。


「植物性、だよな?」

「動物性だよ」


 乾いた笑みを浮かべる優美香に絶句する誠。二人が壁の花となっているのは幸いだった。こんな事を誰かに聞かれていたら冗談抜きで暴動が起こりかねない。美味しい物を食べたいと言う欲求は何処であろうと何時であろうと変わらないものなのだ。


「どこでそんな物を……」

「秘書官さんがね……持って行ってくれって。絶対に崩れないように厳重に梱包して貰ってる」

「是非そうしてくれ」


 万が一転んで崩れたなどと言ったら大ごとだ。地面に落ちた物でも食べる者が出るほどの希少な品。用心に越したことはない。


「主にミリアちゃんへのお詫びだってさ」

「……そうか」


 秘書官一人でそんな物を用意できないだろう。必然的にその上司である安曇が関わっていることになり、少なくともトップは現状のミリアの扱いを申し訳ないと思っている。それが分かるだけでも誠は安堵出来る。ミリアの味方が自分たちだけではないと分かればそれでいい。

 そんな会話をしていると誠は緊張がほぐれているのを感じた。以前から思っていたことをそのまま口に出した。


「何か、優美香と話していると落ち着くんだよな。ホッとする」


 胸元に視線を向けなければと言うのを口にしないだけの配慮はあった。優美香にとっては誠のその発言は予想外だったのだろう。露骨なまでに訝しさを浮かべ一歩下がった。


「言っておくけど、まこっちの事はダーリンの保護者以上には見てないから口説かれても困るよ?」

「違うわ! 誰がお前みたいな機械大好きっこを口説くかよ!」


 余りと言えば余りな勘違いに誠は声を荒げるが優美香はからからと笑いながら冗談だよ、と言った。再び隣に立って優美香は呟く。


「別にこれも口説いている訳じゃないけど」

「うん?」

「私も何故かそうなんだよね。まこっちと話してると落ち着く。母さんと話してる時みたいに」

「俺、そんな年でもないんだけどな……」


 冗談で場を繋ぎながら優美香の表情を窺う。どこか遠くを見ているような視線はその母親の事を思い返しているのだろう。


「何でだろうね」

「何でだろうな」


 間違ってもそれが男女の情でない事は確かだ。その感情の正体を見極めようとして誠は気付いた。懐かしいのだ。ほんの少しだけ優美香には誠の妹と似た所があった。それに気付いてしまえばなんてことは無い。ホームシックみたいなものだ。口元に自らを嘲る様な笑みが浮かぶ。


「っと、目当ての人発見。ちょっと挨拶に行ってくるね」

「おう、行ってら」


 壁から背を離してスカートを揺らしながら優美香がホールの方へと歩いて行く。大きく背中の空いたドレスなので思いの外白い肌が眩しかった。それを見送っていると横合いから誠を呼ぶ声。


「誠様!」

「ルカ」


 顔を見ずとも誰かは分かる。誠も壁から背を離して声の方へと歩いて行く。控えめに手を振っているルカの姿を見つけた。淡いライムグリーンのショートライン。健康的な足を晒している姿は色気よりもまず先に活発さが現れる。青い髪は編み込んでカチューシャの様にしており、可愛らしくまとめていた。ちょっとお転婆なお嬢様と言った見た目だ。ヒールの高い靴は履き慣れていないのかやや歩きにくそうだった。


「どうですか?」


 腕を伸ばしながらちょっと気取ったポーズを付けてルカは自分の格好を誠に見せつけてくる。求められている言葉は分かりやすい。柔らかい笑みを浮かべながら誠はルカの望んでる答えを返す。


「良く似合ってるよ。可愛い」

「ありがとうございます! 誠様もお似合いですよ。とてもかっこいいです」


 ニコッと大きな笑みを浮かべるルカは常以上にテンションが高い。半年も一緒にいればルカの趣味は良く分かる。かつてリサが言っていたように全体的に少女趣味なのだ。こういう格好が嬉しくて仕方ないと全身で表している。


「ところでさっきまでお話していた方はどなたですか? 仲良さそうに見えましたけど」


 どことなく窺うような、警戒しているような目線を向けてくるルカはあれが優美香だと気付けなかったらしい。素直に教えても良いのだが少し誠の中に悪戯心が沸いた。


「大した事じゃないよ。後で会おうって約束しただけ」


 嘘ではない。後で、屋敷でやるパーティで会おうと約束したのだから。だがその勘違いさせる気満々の誠の解答にルカは見事に引っかかったらしい。せっかくの格好が霞むほどに表情を崩して驚きを表している。


「な、なななな」

「一緒に言ると落ち着くんだよ。お互いに」


 両手を頬に当てて衝撃を全身で表現しているルカを見て喉で笑っていると会話に加わる声があった。


「誠さん。あんまりルカをからかわないで上げてください。さっきの、優美香でしょう?」

「や、雫」

「こんばんは。誠さん」


 雫は流石だった。貴族の婦人の様に見せるオーバルライン。そこにパープルと言う高貴さを上乗せする色。楕円形に膨らんでいるスカートや曲線を描く肩口。柔らかな印象を与えるはずのシルエット。それを身に纏っても迫力を感じさせるのは本人の気質か。普段の三つ編みは解かれ、緩いウェーブを描いて背中に流している姿は最早女傑の貫録さえある。一人で屋敷を切り盛りする女主人だ。


「似合ってるなあ……」

「ありがとうございます」


 感嘆の息を漏らす誠に対して雫はクールに一礼。だが喜んでいるのだろう。耳が先ほどよりも赤くなっていた。


「え、優美香さん? 嘘ですよ。ちゃんとした服着てましたよ」

「……否定しようかと思いましたけど否定できませんね」

「否定できないよな。俺も最初分からなかったし」


 そこでようやくルカは誠にからかわれていたことに気付いたのだろう。頬を膨らませながら誠に文句を言う。


「もう! そう言う趣味の悪い冗談はダメですよ!」

「そうだな。次からは気を付ける」


 止める、とは言わない。そうして三人でしばらく雑談をしていてふとまだ一人来ていない事に気が付いた。


「リサはどうしたんだ?」


 もしかして他の女性陣に囲まれて身動きが取れないのだろうかと思う。余り誠はそう言う印象を持っていないが一時期は浮遊都市でも有数のモテ女だったようなのでキッチリと男装でもしていればさぞかし目立つだろうと思ったのだ。


「あーお姉ちゃんは着替えに苦戦中です」

「まあ普段着慣れてないだろうからな……」


 礼服なんて早々着る機会は無い。誠のはシンプルなつくりだが、リサのは違うかもしれないと思っていたらルカが小さく否定をする。


「いえ、まあ確かに着慣れてはいないんですが……多分誠様の想像とは違うかと」


 どういう意味、と聞き返すよりも前に。会場がざわめいた。

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