44 内緒話

 三日目にして屋敷の家事は誠一人では手が回らないと結論付けるしかなかった。リサは挙動不審で完全に戦力外。ルカの固定が取れるまでは約一月。この調子ではその頃には屋敷はゴミ屋敷へと変貌する可能性が高い。悩んだ末にヘルプを頼むことにした。

 昼過ぎ。遂に待望のヘルプ、雫が現れる。


「全く。こんな惨状になる前に呼んで欲しかったですよ。誠さん」

「……すまん」


 返す言葉も無く誠は項垂れる。どうぞ好きにしてくださいとばかりに首を差し出す姿勢だ。それをいつも通りの厳しい表情で、それでいて親しい人には分かる程度に目元を緩めながら誠を見下ろすのは顔色も良くなってきた雫だ。エーテルの不調と言うのが誠には診断できないが倒れた直後の青白い肌とは打って変わった健康的な色であることは彼を安堵させるには十分だった。


「どうしてもっと早くに呼んでくれなかったんですか」


 確かに、あちこち埃が溜まっており在りし日の――つい三日四日前の話だが――屋敷の姿を知っている人間としては一言物申したくなるだろう。指先で三つ編みを弄っている雫に誠は気まずそうに答えた。


「いや、だってさ。こっちの都合でヴィクティムのドライバーになって貰っていたのにまたこっちの都合で首にするような感じになっちゃったから」


 顔を合わせにくかったと言外に告げると雫は呆れたように息を吐いた。何だそんな事かと言わんばかりの態度だ。


「良いですか? 私は私の理由があってヴィクティムに乗っていました。それに関して誠さんが気に病む必要はありません。むしろ、半年もバディを組んでいたのに今更そんな事で遠慮していることを気に病んでください。私はヴィクティムから降りましたがリサやルカの友人であることを止めたつもりはありません」


 友人の中に誠を入れなかったのは雫の細やかな抵抗なのだろう。自分の口で関係を決定するのが怖いと言う臆病な所。それをもっと前面に押し立てる事が出来れば誠をギャップで惹き付けられるかもしれないのにそこには思い至らないらしい。


 ただとりあえず、その言葉は誠に大変な感銘を与えたらしい。感動した様な表情でしきりに礼を言う。


「ありがとう。本当に助かるよ」

「ええ、それはそうと……そこの、物陰に隠れてこちらを窺っているリサさん。貴女は何をしてるんですか?」

「え?」


 言われて誠は雫が自分の肩越しに見ている方向に振り向く。確かにいた。やや離れた位置で、会話をしていると言うには遠く、だがこちらの会話が聞こえるような位置にリサが。


「ぼ、ボクは雫のお迎えに来ただけですよ!」

「ならそんな所にいないでこっち来いよ……」

「いや、それはその……」


 口元で呟かれた言葉は流石に誠の耳までには届かない。ただいつもはっきりと物を言うタイプのリサが言葉を濁しているのは珍しい――事でもないのだ。この三日間は。それは誤魔化しているとかではなく、本人も良く分かっていないからだと言うのが傍目からでも分かるので誠も深く追求しないではいた。


「……何か変な物でも食べたんですか、リサは?」

「俺も同じこと思ったよ」


 その考えは一度は頭を過ぎるらしい。


「まあそもそもが、今回はリサの家事能力が皆無との事でこんな事態を招いたとの事ですし……二人にきっちり家事を仕込めと辞令を受けて来ましたから」

「辞令?」

「秘書官さんから」


 その名前に誠はそこはかとない不安を覚える。優秀な人間なのは間違いない。だがそれ以上に、妙におかしな――誠にとってはある意味でなじみ深い旧時代のサブカルチャーを連想させる事を度々しでかすので苦手なのだ。


「とりあえずこれ、ミリアちゃんとリサにお土産です」

「何ですか?」


 お土産という単語に心惹かれたのか。物陰からリサが出てくる。ただその動きが妙に、誠から可能な限り離れた位置を行こうとしていることに気付いて誠は少なからず凹む。


「服、みたいです。私も中身は見ていませんが」

「服ですか」


 雫の答えにリサは更に興味深そうな顔になった。手渡された紙袋を早速物色している。その姿を見ていると刺さる様な雫の視線を感じた。顔を上げて視線を合わせるとアイコンタクトをしてくる。半年で培った連携は眼と眼による会話を可能にする。


『何をしたんですか誠さん』

『何もしてない。心当たりが無い』

『思いっきり避けられてましたよ』

『言わないでくれ。俺も傷ついている』


 刺さる様な視線が呆れる様な視線に変わった。そこから感情を読み取るのに半年などという時間は必要ない。一瞬で分かる程にあきれ返っていた。


「はあ……」


 その誠の態度を嘆いたのか。隠す気も無い大きなため息を一つ。付き合いの長い誠でさえ心の中で「ちょっと呆れただけ」と繰り返し念じないと胃が痛くなる程の圧力だった。


「誠さん。ちょっとミリアちゃんを呼んできてくれませんか」

「え? ああ。分かった」


 何で急にと思って疑問符を浮かべた瞬間、誠は射殺すかの如き視線で睨まれた。実際には雫的にはちょっと睨んだだけなのだが……元々目つきの悪い彼女がそうするとそれだけで心臓の弱い人は鼓動を止めてしまいそうになる程の殺人的に視線になってしまうのだ。

 久しぶりに雫の(望まない方向な)恐ろしさを味わい尽くした誠はそそくさとミリアを呼びに廊下の向こうへと消える。それを確認して雫はお土産を見て複雑そうな顔をしているリサを見る。


「ん~なんかふりふりしてますね。ボクには余り似合わない気が……」

「リサ」

「ん? どうしましたか雫」


 顔を上げたリサの表情に変わったところは無い。雫からすればいつも通りだ。だが、先の行動が何時も通りではないと雄弁に語っている。


「どうかしましたか、はこっちのセリフですよ。誠さんと喧嘩でもしましたか?」

「なななななんでそこで誠君の名前が出てくるんですかね!」

「……分かりやすいですねえ」


 何時ぞやのお茶会の時は厚い氷におおわれていて見えなかったリサの心情、その底が今は透き通った水面から覗いているかの様に筒抜けだ。一体何があったのかは雫にも興味はあるが、そちらの原因追及は後で良いだろう。


「あれだけ分かりやすく避けておいて察せられない程鈍感だと思われるのは心外ですね」

「別にボクは避けてるわけじゃないですよ。か、風邪です」

「それはまた頓狂な風邪をひいた物ですね」


 エルディナ辺りに見せれば喜んで研究してくれるだろう。そういえば、と雫は誠が診察を受けたのか気になった。後で確認する必要がある事柄だ。


「だってルカもそう言ってますし……」

「ルカが?」


 これを見て何を持ってルカ風邪と判断したのだろうかと雫は首を捻る。自分の三つ編みの先端を弄りながら雫は今のリサの状態を考える。実の所、答えはもう出ているのだ。雫にも覚えのある状態。ただ、それが雫の知るリサ・ウェインという女性像に繋がらないだけで。そこで先ほどの疑問も氷解した。ルカは雫以上にリサと言う人間を知っている。だからこそ、余計に今の状態がそうであるとは思えなかったのだろう。


 リサ・ウェインと言えばちょっとした有名人である。かつて誠が看破したように、リサはモテる。当然、浮遊都市にいるのは女性ばかりなので同性からモテるタイプの人間だった。そして本人の性格もあるのだろうが、エスコート役、男性役が板についていた。そして浮いた話も一つや二つではない。むしろここ半年の彼女の姿の方が珍しいと言っても良いのだ。

 だから良く知るルカには今のリサの姿を見ても結び付けられなかったのだろう。


 一歩はなれた位置にいる雫から見れば、どう見ても初恋に戸惑っている少女なのだが。


「だって、何か熱っぽいし、ドキドキするし……風邪でしょうこれは!」

「……頭痛くなってきました」

「え、大丈夫ですか? ボクの風邪移っちゃいました?」

「そうでは無く……いえ、そうですね。リサの風邪に当てられました」


 とりあえずの理由は分かった。拍子抜けするような理由だが、誠の事を考えるのならば早めに教えるなりすべきなのだろうが……そこで今度は雫の感情が邪魔をする。

 目下、誠と一番親しいのはリサである。そのノリは恋愛云々では無く友人として、になるのだがそこでリサの心境の変化、友情から愛情に変化した事を伝えたらどうなるか。誠が戸惑うのならばいい。だが誠も友情が愛情に変化したら厄介所の話ではない。まさに鳶に油揚げをさらわれた形となるだろう。浮遊都市に鳶はいないので雫がそのことわざを思い浮かべる事は無かったが、それに近い事を考え、決断した。


(黙っていましょう。誠さんには悪いですが私としてはそっちのが好都合ですし)


 流石にそうなって傷心の誠に付け込もうとまでは考えていなかったが、雫はそう結論付ける。わざわざ塩を送る必要はない。聞こえてくるのは足音二つ。やや重い物と軽い物。誠とミリアが戻ってきた以上、この話題は終了だ。

 とりあえず誠の顔を見たらちゃんと診察を受けたのか確認しようと決めながら雫は二つの足音を待つのだった。


 ◆ ◆ ◆


 雫がミリアとリサに家事を叩き込んでいる間、誠は屋敷を追い出された……あくまで彼の主観であるが。ただ雫が。


「誠さんは邪魔なのでどっかで静かにしていてもらえますか? ああ、そう言えば優美香が暇な時に来てくれと言っていたので行けばどうでしょう。それから診察も、ですね。どっちでも良いですけど」


 と露骨なまでの厄介ばらいをしてくれたので静かに屋敷を後にしたのだ。何だか雫からの扱いが雑になってきた気がすると誠は静かに涙する。


 その辺をぶらついていても復興作業中の今は邪魔になるだけなので雫に言われた通り地下区画に足を向ける。その際に上を見上げると急ピッチで塞がれたガラスのドームの大穴が見えた。たったの三日であれを完全に塞いでしまうのだから浮遊都市の建築技術は大したものである。


 エレベーターを降りて地下区画。アシッドフレームの整備現場はまるで戦場の様だった。流石にこちらは三日で終わらせると言う訳にはいかなかったらしい。未だに殺気立った雰囲気で整備兵たちが作業をしている。

 雑然とした中にも秩序のある混沌を抜けながら誠は目当ての人物を探す。人の頭の向こう側に、特徴的な桃色の髪を見つけた。向こうも気づいたらしく、人を掻き分けてこちらに来る。


「や、まこっち。三日ぶり」

「ああ……この人ごみは何なんだ?」

「ん? ああ。今まこっちが取ってきたジェネラルタイプの頭部の解析作業やってるんだ。あそこまで綺麗な状態の物を見るのは私達も初めてだからね。見学」

「なるほど。それで、何か用事だって?」


 そう問いかけると優美香は慎重に周囲を見渡し、人気のいない方に誠を引っ張る。


「お、おい」

「静かに」


 口元に指を立てるジェスチャーを入れて優美香は誠に静粛さを求める。一体何事だと思いつつも口を噤んだ。それを見て満足げに頷くと優美香は屈めと首筋を引っ張る。何かルカにも同じような事されたと思いつつ屈むと優美香が一歩近寄る。そうすると誠の視界に入ってくるのはタンクトップ一枚に包まれただけの優美香の自己主張の激しい胸だけだ。思わずのけぞろうとする誠の頭を優美香は押さえつけてくるので離れる事も出来ない。


「ちょっと、動かないで。そのまま聞いて」

「いや、お前……」

「さっきそこでジェネラルタイプの頭部の解析しているって言ったでしょ? 昨日私もそれに参加してた」


 そう囁いてくる優美香の声は何時もと違ってどこか色気を感じさせる。単純に耳元で囁かれているからそう感じるだけなのだが、今の姿勢も相まって誠から冷静な判断力を奪っていく。


「そこに参加していて、ダーリンの整備に参加した事があるのは私一人。だからまだこの事は私しか知らないのだけど」

「あ、ああ」

「そのジェネラルタイプの中枢ユニット。頭脳の部分だけど……ダーリンと全くの同型だった」

「あ……ああ!?」

「静かに」


 もたらされた余りの情報に思わず誠は驚きの声をあげる。その瞬間、優美香に口を掌で塞がれる。油の味がした。


「それがどういう事なのかは私には分からない。ただ確実に言えるのは、ダーリンは人間が作った物よ」

「……その根拠は?」


 流石の話題に誠も優美香の胸に気を取られている訳にはいかなかった。表情を引き締めて問いかける。


「ASIDは一見すれば機械製品だけど、機械製品とは決定的な違いがある」

「それは?」

「整備する側の事なんて考えてないのよ。中身を見ても注意書きの類は一切なし。アシッドフレームに改装する際に必ずやる事は整備用の注意書きを書き加える事よ。で、ダーリンにはそれがある」

「……ASIDは本当に宇宙から来たんだよな」

「少なくとも浮遊都市の記録にはそう残されている」


 ほんの一瞬。ASIDは元々人が生み出した者なのではないかと言う考えが誠の頭を過ぎった。本来は人の手で管理されるべき無人兵器。その手綱を離してしまったが故の暴走。


「それに、人が作った物ってのは考えにくいよ。人が作ったのならASIDによる環境改変は無駄になる」

「確かにな……」


 優美香が誠の考えを読んだかのようにそう補足する。ASIDには無い注意書きがヴィクティムにあるのなら実はヴィクティムもアシッドフレームだったと言う可能性も低い。


「どうする?」

「何が」

「この事。報告する?」


 その問いかけの意図は明白だ。優美香は堂々とサボタージュを行うと言っているのだ。


「本気か?」


 意図的な情報の隠ぺいは重罪。人類一丸となって戦うべき時にそんな事をする者は不要だと都市は言っている。そんな事は来て半年の誠でさえ知っている。


「うん。だからこうして内緒話してるの」


 笑みを浮かべる気配がした。


「これを報告したら安曇様は兎も角、その下の人達がきっと余計な気を回すよ? ヴィクティムは意思を持っているのは知られている。そんなのがASIDと同じ中枢回路を持っているなんて知られたら……」

「……ヴィクティムをASID扱いする人が出るかもしれないって言うのか? 馬鹿な」


 そんな事をしたら勝ち目は無くなる。そんな単純な事が分からない程馬鹿ではないだろうと誠は吐き捨てるが優美香は耳元で更に笑みを深くしたようだった。


「これは雫っちから聞いた話なんだけど、都市機構のトップ、その下の議会には少なからず浮遊都市の維持だけを考えている人がいる。維持だけを考えればヴィクティムなんて過剰な戦力は不要でしょう?」

「おいおい……一週間前なら兎も角。あの傘型見て同じ事言える奴いるのかよ」

「それがいるみたいなんだよね。その手の人が主張するにはヴィクティムのRER反応がジェネラルタイプASIDを引き寄せているらしいの」


 なるほど確かに。ヴィクティムの前にはジェネラルタイプが幾度となく出現している。半年の間にもそれなりに数を処理してきた。それまでよりも遭遇数が上がっているのは事実だろう。


「それは有り得るのか? 整備兵の視点から見て」

「何とも言えない、ってのが本当の所かな。RERの反応が通常のエーテルリアクターの反応とは少し違う……っていうか周囲のエーテルリアクターを反応させてるんだけど、それを頼りに浮遊都市に来てるって言われたら今の所否定しきれない」


 優美香が言うには浮遊都市のエーテルリアクターも発している残留エーテルの質がレゾナンスエーテルリアクターの場合少し違うらしい。その残滓に触れるだけでも他のエーテルリアクターが反応するほどに。


「だからそれを伝ってきているかもしれないって言う説は一理くらいはあるの」

「……厄介な」

「ホント厄介だよね。まこっちが鹵獲したジェネラルタイプも後押ししているみたい。これをフレームにすればその穴を埋められるって」

「言いたくないけどあれヴィクティムでほぼ瞬殺したやつだぞ……?」

「流石に穴埋めにはならないよねー。十機くらいいれば別だけど」


 優美香はそう愉快そうに笑って身体を離す。密談はこれで終わりと言う事だろう。


「まあそんな訳。正体についてはここで話すよりもダーリンに聞いた方がきっと早いと思うよ。私は整備してるから」

「そうだな……ありがとう。そうするよ」


 優美香に短く礼を言って、誠はヴィクティムが格納されたハンガーへと足を向けた。

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