43 新たな日々
玲愛が立ち去った後は流れ的に解散となった。あくまで一部隊である誠達に決められることはそう多くは無い。とりあえずと言う形でミリアの処遇だけ報告し、許可を求める。形式的な書類手続きを踏んでミリアは柏木邸の――誠が気が付いた時には屋敷がそう呼ばれるようになっていた――一員となった。
浮遊都市内の住宅事情は厳しめだ。個々人に割り当てられた住居のサイズは過不足なくと言った所で、この屋敷の様な過剰なサイズの住宅と言うのは初めて見るのだろう。玲愛から貰ったクマのぬいぐるみ片手に楽しそうな笑みを浮かべながら探検を始めている。その後ろ姿を嫌な感じの笑みを浮かべながらリサが付いて行こうとしたので誠はその首を引っ張って止める。
「どうして止めるんですか!」
「むしろどうしてその顔で止められないと思った」
そんなやり取りをしながらミリアの部屋を用意しようとし――そこで問題になったのは誰が家事をするかと言う事である。
片腕を固定しながらルカが済まなそうに頭を下げる。
「本当に申し訳ございません誠様。しばらく私は家事が出来ません」
「いや、ほんとゆっくり休んでていいから」
恐ろしい事に、ルカはその状態でも最初家事をしようとしていたのだ。それをリサと誠の二人掛かりで押し留めて無理やり椅子に座らせたのがほんの五分前の話だ。ルカがそんな状態でも強行しようとしたのには訳がある。
一言で言うのならば、この屋敷に家事が出来る人間がいないのである。
無論、誠も自分の部屋の掃除を始め幾つか手伝ってはいた。だがそれは手伝いの域を出る事は無く、これだけの屋敷を管理するには程遠い。
リサに至ってはルカに丸投げである。姉としての矜持は無いのか。などなど言いたい事は無数に出てくるが誠はそれを飲み込む。
結果、八割以上の家事がルカの双肩にかかっていたわけだが、今回それが破綻した。
「どうしますか。誠君。多分私が本気を出しても無理だと思うんです」
「最初からリサの本気は当てにしてないからさ。誰かを雇うってのは……無理か」
そんな事をするのは自分で自分の首を絞めるような物である。自宅と言う安息の地にまで狩人を放り込むつもりはない。
「……そんなことしたらその日のうちに誠君は食べられちゃいますね」
リサのぼやきをどう受け取ったのか、ミリアが泣きそうな顔をする。恐らく、誠が頭から丸齧りにされるところでも想像したのだろう。
「とりあえず俺とリサでミリアの部屋は用意して……その後は二人で分担するしかないだろうな」
「お、お姉ちゃんにやって貰う位なら私が……!」
絶望的な状況に身を投じるかの如く声を震わせるルカを見ながら誠は隣のリサに問いかける。思い返せば、地下施設で過ごしていた時は家事らしき物はヴィクティムが全てやってくれていた。残念な事にヴィクティムの手足となる作業用ロボがお茶くみロボ一体しかないのでここでは無理なのだが。
「……なあ、お姉ちゃんや。妹がここまで悲壮な覚悟を固める君の家事能力ってどうなってるんだい?」
「一言で言うなら……ジェネラルタイプASIDが暴れ回った後みたいな感じかな……」
「洒落になってないぞ。二重の意味で」
手を出して貰わない方が良いのではないかと真剣に誠は思う。だが人手が足りないのも事実。少なくとも荷造り関しては問題が無いのは分かっているのだからミリアの部屋の準備だけは手伝ってもらう事にする。
元々空き部屋だった場所から不要な荷物を運び出し、埃を隅々まで取り除いて当座の準備は完了だ。細々とした家具などは後から買い揃えれば良いだろう。
「はい、ミリア。今日からここが君の部屋だ」
と言ってミリアを連れてくると大きく眼を見開いて驚きを表した後、困った様に部屋を見渡す。パッと表情が明るくなったかと思うとベッドとサイドボード隙間に身体を入れ込んで安心したように座り込んでいた。……どうやら広すぎて落ち着かなかったらしい。ますますもって小動物染みてきた。
「とりあえずミリア……そんな所に居なくていいからな? 普通に使ってくれていいから」
「広すぎて落ち着きません」
「ここよりも狭い部屋は無いから慣れてくれ」
大体の部屋が同じ大きさなのでここよりも小さいところとなると後は本当に物置しかない。流石にそこに押し込むのは本人が希望したとしても誠としてもしたくない事だ。頑張ってこの環境に慣れてもらうしかない。
「さて、昼飯食ったら一眠りするか……」
丸一日戦場の緊張の中にいたのだ。リサやルカはもっと長い時間極限状態に身を置いた事もあるので然程疲労の色を見せてはいないが、誠は既に疲労困憊だ。これまでの出撃はいずれも数時間で済んでいた。慣れない長時間の戦闘状態は過度の負荷となるには十分だ。肉体は休息と、カロリー補給を欲している。
キッチンに入り、冷蔵庫の中から使えそうな物を探し出す。
「……ニンニクに唐辛子。ほうれんそうか」
「こっちにパスタありますよ。細長い奴」
そう言えば、元々の予定では昨日買い出しの予定だった。ASIDの襲撃ですっかり忘れていた。今から買いに行くと言うのは面倒、と言うかこの状況では食糧供給所もやっているか怪しい。有る物でどうにかするしかないだろう。キッチンの入り口まで戻りミリアとルカに報告する。
「とりあえず、ニンニクと唐辛子でペペロンチーノでも作って、ほうれんそうは晩飯に残しておこうか」
「はい。それでお願いします。明日以降は……後でメモを書いておくのでそれを買ってきてもらえますか? 私が後ろから指示をして誠様に作って貰う感じで」
「良いですね、ペペロンチーノ。誠君作れるんですか?」
「俺の知ってるペペロンチーノとリサの言ってるペペロンチーノが一緒かどうかは分からないけどな」
一応予防線を張っておく。アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ。和訳するとニンニク! 油! 唐辛子! という余りにそのまんまなネーミングだ。誠の知識にある本場イタリアでは卵かけご飯並に簡単な料理との事なので六百年経ってもそうそう変わる物では無いと思うのだが念のためだ。
「違ったら違ったで良いですよ。食べた事の無い物を食べると言うのも良い物です」
「とりあえず、食べる体勢に入ってないで少しは手伝おうって素振りを見せてくれ」
一番にテーブルについて皿を待つ姿勢になっていたリサの襟首を掴んで立たせようとする――と、意外な程機敏な動きで立ち上がった。心なしか頬が赤い。そこまで過剰な反応をされるとは思わず、誠は一歩引く。リサも何で自分がそんな反応をしたのかよく分かっていないらしく赤い顔をしながら首を捻っている。
だが冷静に考えれば襟首を掴んで立たせると言うのは失礼な話だ。それが許される仲ではあったのだが親しき仲にも礼儀ありと言う。誠は小さく頭を下げた。
「悪い。不躾だった」
「い、いえいえ。ボクの方こそすみません。ちょっとまだ神経が昂ってるのかもしれないですね」
掌で頬を仰ぐ姿はリサの言う昂ぶりとは違うような気がしたが誠はそこは流すことにした。後ろでルカも首を捻っているので同じ感想を持ったのだろうが敢えて本人の前で口に出すような事はしなかった。
「お湯。お湯沸かしておきますね!」
照れ隠しなのか。常よりも早口でそう言うと誠の脇をすり抜けてキッチンの方に入っていく。その背を見送り、リサが鍋に水を注ぎ始めた音を確認しながら誠はルカに近づき小声で話しかける。
「何かあったのか?」
「いえ、私にも心当たりは……撃墜されかけたせいで過敏になっているのかもしれませんが……」
一応ルカが考えられることを挙げてみたが、本人も納得がいっていない様だった。当然と言えば当然だ。結局は本人の主観になってしまうが、誠と出会った時の遠征失敗時にも今回と同じような修羅場を潜り抜けているのだ。その頃は接触もそれほどでは無かったので気付かなかっただけかもしれないが、やはり誠も納得がいかない。
「誠君。油も温めておきますね」
「あ、うん。よろしく! あんまりそう言う感じじゃないよな」
前半はキッチンのリサに向けて、後半はルカの答えに対して誠は応える。そうですよね、とルカも頷く。ミリアは何の話か良く分からずに首を傾げていた。大変可愛らしいと誠は思う。その心境を見抜かれたのか。ルカがジトッとした湿度の高い目で睨んでいた。基本的に誠全肯定のルカとしては非常に珍しい態度だ。
「誠様。以前から色々と気になっていたのですが」
「ん?」
ちょいちょいと指先で屈めと言わんばかりのジェスチャーをしているので素直に誠は屈む。それでもルカには高いのか。目一杯背伸びをして、固定していない方の左腕で誠の左肩を掴んで身体を支えて耳元に唇を寄せる。小さく漏れる息がくすぐったい。その姿勢のままルカは誠の耳元で囁く。
「誠様ってろりこん、と言う人なのですか?」
「はあっ!?」
「ひゃあっ!?」
誠の驚いた声と、一瞬遅れてその声に反応したリサの悲鳴、更には水が零れる音と金属の物体が響かせるやかましい音が不調和な四重奏を奏でる。誠とルカはキッチンから聞こえてきた三種の音に驚いて足早に駆け込む。
そこで見たのは音から推測出来ていたが、床に撒き散らされた水と、ひっくり返った鍋。そしてそれをもろにお腹の辺りからかぶったリサだった。手にはフライパンを持っており、IHの一つが鍋無しを検知して警告を発していた。どうやらお湯を沸かしていた鍋をひっくり返したらしい。
「お姉ちゃん、大丈夫ですか!?」
「火傷とかしてないか?」
もしも熱湯を被ったのだとしたらすぐに適切な処置をする必要がある。だが幸い、この短時間では沸騰には至らなかったらしい。微温湯だと分かりルカと誠は安堵する。
「とりあえずお姉ちゃんは着替えてきてください。ミリアちゃん。ごめんなさい。お昼は少し待っててくださいね。キッチンを先に片付けますから」
「わ、私も手伝う」
ミリアがキッチンの入り口付近に置いてあった雑巾を手に取り、ルカに「これ使っても良い?」と確認していた。それを横目で見ながら誠はリサの様子を確かめる。特にお湯を被った辺りを重点的に。
「本当に大丈夫か? 鍋がぶつかったりしていないか?」
「だ、大丈夫ですよ。そ、それよりも」
リサは誠の視線を居心地悪そうに受けながらぼそぼそと小声で言った。
「濡れてぴったりくっついてて恥ずかしいからあんまりジロジロと見ないでください」
「え? あ、ああ。悪い……?」
今度こそ、誠は驚いた。恥ずかしい、と来た。初めて会った時はバスタオル一枚でも恥ずかしさを覚えていなかったリサが、である。その驚きはリサにも伝わったのだろう。やはり居心地悪そうにしながら、勢いよく立ち上がる。
「き、着替えてきますね!」
そして脱兎のごとく立ち去る。その勢いに誠は反応する事も出来ない。呆然と立ち尽くす。
「あの、誠様? ミリアちゃん一人に押し付けないで働いて貰えますか?」
「なあ、ルカ」
誠はルカの苦情を無視して呆けた表情のまま呟く。
「リサ、変な物でも食ったかもしれない」
「……はあ?」
一部始終を見ていなかったルカは誠の正気を疑うような視線を投げかけるのみだった。
◆ ◆ ◆
逃げるようにして自分の部屋に駆け込んだリサはドアを閉じると同時、ずるずると座り込む。自分のズボンがずぶ濡れなのには頓着しない。かつて感じた事が無い程に熱くなった頬を手で押さえようとして、未だにフライパンを握ったままの自分に気付く。
全く以てリサ自身、自分が分からなくなった。
ついさっき、ルカが誠の耳元で何かを囁いているのを見た瞬間、戦場でASIDに不意打ちされた時以上の感情の動きがあったのだ。その結果は言うまでもない。手にしていたフライパンを強かに鍋にぶつけてしまいひっくり返したのだ。
ルカが誠に好意を持っているのは知っている。その為に(余り効果を上げていない)アプローチを半年近く続けているのも知っているし何度も見てきた。それらに比べれば先ほどの囁きなど可愛い物である。
だと言うのにそれを見た時に動揺してしまった。それは妹が取られると言ったような姉としての誠に対する細やか嫉妬では無い事だけは確かだ。
その前の襟首を掴まれるときに首元に誠の手が触れた瞬間も。
今しがたの濡れた下半身を見られた瞬間も。
これまでに感じた事の無い感情のうねりを覚えて動揺してしまった。
その感情の動きを何というのか、リサは知らない。これまでに一度も――いや、一度だけ。それに近い感情は半日ほど前。誠を逃がしてルカと二人ASIDに包囲されていた時。その最期を覚悟した瞬間に感じたのみだ。
だから、リサはその感情の正体を知らない。知識としては知っていても感覚として理解していない。
ただその未知の感情に困惑するのみだ。
「一体、どうしたんですかボクは」
自分の変化に戸惑いながらリサはしずしずと立ち上がって緩慢な動きで着替えを始めた。
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