42 解いて結んで

 今後の事、と言っても今の段階で決められることはそう多くは無い。


「一先ず」


 リサがゆっくりとミリアに歩み寄る。先ほど散々弄ばれてすっかり苦手意識を植え付けられてしまったのか。眼を閉じてぷるぷると震えている。小動物じみていて可愛らしいと誠は思う。そしてリサの方もその姿を見て若干仕事用の仮面が剥がれて肉食獣じみた気配を漂わせていた。誠としてはあまりミリアを怖がらせて欲しくないので自嘲して欲しいと切に願う。無駄だと言うのも分かっているのだが。


 リサの手がミリアの手首に結われたリボンに触れた。黒いリボンを指先に絡ませて痛ましそうな顔をしている。それを緩やかに引っ張り解いて行く。何をされるのかと怯えていたミリアが手首から消えた感覚に眼を開いて困惑の表情を浮かべる。

 そのままリサは黒いリボンを丸めてしまうとゴミ箱に投げ込んだ。


「これはぽいっ、です」


 事態が呑み込めずに眼を白黒させるミリアに誠は声をかける。


「もうあんなものを付ける必要はないよ、ミリア」

「でも、だって私あれを付けてろって言われて、私要らない子だから……」


 俯きながらそう言うミリアを卑屈、などと誠は言えない。誠は自分自身が恵まれている側の人間だと自覚している。周囲の期待にはそれなりに応えてきたつもりだし、誠が出してきた結果に満足させてきたと言う自信がある。そんな人間が面と向かって不要と言われてきた彼女の気持ちを完全に理解する事は出来ない。

 それでも、ずっとこうだと言われ続けて急にやっぱり違ったと言われても納得がいかないと言うことくらいは分かる。もっと俗な言葉で言うのならば、ぬか喜びはしたくない、だろうか。


 誠とのマッチングが理論値最高を叩きだした時点でミリアの価値と言うのは跳ね上がったと言えよう。替えの利かない人材。だが唐突にそんな事を言われてもすんなりと受け入れられることではないだろう。文字通りの棚からぼた餅だ。自分自身が何かをした訳ではないと言うのがそれを助長させる。一朝一夕でその意識が変わるはずもない。

 だから誠は繰り返し言うのだ。ミリアがその言葉を受け入れられるように。


「ミリアは要らない子なんかじゃないよ」

「でも……」

「要らない子なんかじゃない。さっきも言っただろ?」


 ヴィクティムの搭乗者云々を抜きで、必要だと思ってくれた人が一人でもいる。その事を思い出したのか、少しだけミリアの表情が明るくなった。

 そのタイミングを見計らってリサが口を開く。


「それでミリアちゃんの今後についてなんですが、単刀直入にボク達と一緒に暮らすのと今まで通りとどっちが良いですか?」


 ボク達、というかボクの発音の辺りでミリアの表情が強張っていた。どうやら本格的にリサに苦手意識を持ってしまったようだ。可愛がりたいリサとしては不本意だろう。ルカがリサの説明不足を補足する。


「お姉ちゃんの言うボク達というのはお姉ちゃん、私、誠様の三人ですね」


 その言葉にミリアは非常に困った顔をしていた。リサは嫌だけど、誠と一緒にはいたい。と言った所だろうか。伺いを立てるように誠の顔を見上げてくるので誠はしっかりと突き放す。


「ミリアが決めて良い事だよ。好きにしていい」


 何でもかんでも人の顔色を窺う必要はないのだ。だがミリアは自分で好きなようにやっていいと言われて却って困った様な顔をしてしまった。しばらく考え込んで、小さな声で。


「誠さんと一緒が良いです」


 と答える。それに一番喜んだのはリサだ。その喜色満面の顔を見てミリアが再び身体を震わせるが、ルカがにっこり笑う。


「大丈夫ですよ。お姉ちゃんが変な事をしない様にちゃんと見張ってますから」


 その言葉にミリアが見せた露骨なまでの安堵はリサの胸を相当に貫いたらしい。一瞬よろめいてどうにか踏みとどまる。


「で、そうなるとミリアちゃんは私達と一緒に普段の訓練も受けることになるんですが。そうすると雫さんは半年前と同じ管制官の業務に戻る形で良いですかね?」

「……残念ですが、仕方ありませんね」


 当然と言えば当然だろう。ミリアと言うよりマッチング指数の高い人間が見つかったならば、雫は本来の業務に戻るべきである。だが誠は二人のその判断に待ったをかけた。


「いや、それなんだけど雫にはまだしばらくヴィクティムに乗って欲しい」


 その言葉は予想外だったのだろう。雫は大きく眼を見開く。


「それはまた、どうしてでしょう?」

「いや、何て言うか……ミリアにはあまり戦わせたくないなって」


 誠は隣に座るミリアにちらりと視線を向ける。彼女は確かに切り札足り得る。誠の目的である帰還手段の模索という点でも重要な人物だ。だがそれでも感情が否定する。ミリアを戦わせてはいけない、戦わせたくないと。

 感情論でしかない。それが誠にも分かっているから咄嗟にそれ以上の言葉が出ない。答えに窮しているとミリアが小さく手を挙げた。


「はい、ミリアちゃん」

「あの……私頑張ります」


 控えめに、だが拳を握ってミリアは自身のやる気を――誠の意志とは反して戦いに対する意欲を表明する。


「私、役立たずでしたけど、やれることがあるなら、やります。やりたいです」


 それを聞いたリサはどうします? と言いたげな視線を向けてくる。元々反対しているのは根拠に乏しい誠だけだ。本人にやる気がある以上、誠の戦わせたくないと言う言葉はエゴでしかない。


 だけど本当は、と誠の思考が|覚えていない(・・・・・・)記憶を読み込もうとした瞬間、


「ぐっ!?」


 側頭部を金づちで殴りつけたかのような衝撃受け、思わず頭を押さえる。これまでに感じた事の無い激痛。余りの痛みに言葉がつまり、汗が滲み出る。


「誠様!?」

「大丈夫ですか、誠さん」


 尋常ではない様子にルカは立ち上がり誠に駆け寄る。雫も隣に座ったまま労わるように手を添えてくる。二人の気遣いに感謝しながら誠は心配いらないと手を振った。


「ただの偏頭痛だよ。気にしないで良い」

「ただの、と言うのは誠君が判断する事ではないですよ。……ヴィクティム?」

《簡易モニタリングは常に行っています。現状メインドライバーの健康状態は正常》


 リサの呼びかけにヴィクティムが阿吽の呼吸で応じる。それを聞いて誠は場違いながら驚きを覚えていた。ヴィクティムが成長している。これが出会ったばかりの頃ならば、


《呼びましたか? ウェイン嬢》


 と、あくまで呼ばれた事に対しての応答のみでここから更にリサが誠の健康状態を教えてください、と言わなければ先ほどの報告は来なかっただろう。そのワンクッションなしに応答したと言うのは些細な事の様で大きい。ヴィクティムが周囲の会話の流れを理解し、自分への呼びかけがそれに関わる事だと察した――連想性を獲得したと言う事であるからだ。


 だが、疑問は残る。ヴィクティムはつい半日前こう言ったのだ。


《当機はAI。人間と同じ柔軟性を持った返答を期待されても限度があります》


 少なくとも、その段階ではヴィクティムはこんな返答をすることは出来なかった。言い換えれば言われた事に応じるしか出来なかった。一体この半日で起こった出来事の何がヴィクティムに影響を与えたのか。最も可能性が高い要素は、と誠は隣の少女に眼を向ける。

 幼い瞳に心配の色を浮かべているミリア・ガーランド。彼女がヴィクティムに登場した事が影響を与えたのではないか。だがそうだとすると一体この少女の何がそうさせたのか。雫にもリサにもない何かがミリアにはあるのか。


 リサと雫はヴィクティムの変化に気付いていない様だった。対して優美香は僅かに眉を寄せて考え込むような表情をしている。ある意味でヴィクティムにもっとも詳しいのは彼女だ。些細な、だが重大な変化に即座に気付いたらしい。


「まあ一応後で診て貰いましょう。ヴィクティムのチェックも完璧ではないと思いますし」

《異議を呈する。当機の診断は浮遊都市内の医師の診断と比較しても劣る物ではない》

「確かに肉体的にはそうかもしれませんが、精神面だったらどうですか?」

《……ウェイン嬢の見解を受け入れる。当機のメンタルモニタリング機能は不完全である》


 ヴィクティムの変化について考察している間に話は進んで行く。勝手に病院に行くことが決められてしまったが、どの道体内の塵濃度を調べてもらうためにエルディナの所に行く必要がある。そのついでに見て貰えばいいだろうと誠は考えた。


「……本当に良いのか? 戦って、怖くなかったのか?」


 頭を切り替えて誠はミリアに問いかける。相当怖かったはずだ。なのに戦うと言うミリアの意志を改めて確認する。


「怖かったです。でも、みんな怖いの我慢して戦ってるから」


 それに、と言葉を継ぐ。


「私にしか出来ない事があるって言うのは私にとっては本当に嬉しいんです。幸せなんです。だから誠さん。私からその幸せを奪わないでください。私を、見捨てないでください」


 そう言われてしまえば誠もそれ以上強くミリアの搭乗を拒否する事は出来ない。……どちらにせよ、絶対にあと一回はミリアがヴィクティムに乗る必要がある。対クイーン。それに備えて実戦経験を積むことは必要だと誠は自分を納得させた。


「分かったよ。一緒に頑張ろう。ミリア」

「はいっ!」


 戦場に行けと言われて満面の笑みを浮かべる少女。浮遊都市に慣れてきた誠でもそれは格別の違和感を覚える光景だった。


「じゃあミリアちゃんの方はまとまったとして……嘉納さんの用件は何なんでしょう」


 それまで黙って部屋の隅に座っていた玲愛にリサは話を振った。余りに静かだったので誠も忘れかけていたが、何か用事があるのだった。


「うん。私の用件は至ってシンプルだ。誠」


 誠の名前を呼び捨てにした瞬間に室内の複数人から不穏な空気が放たれたが、それを無視して玲愛は続ける。


「貴方が鹵獲したジェネラルタイプを私に譲って欲しい」


 言葉の意味が分からず誠は答えに詰まる。助け船を出す様に雫が言った。


「ジェネラルタイプに関しては鹵獲者に優先権が与えられるんですよ」

「優先権?」

「はい。まあ要するにそれを使うかどうか、と言う事ですね」

「実質ワンオフのアシッドフレームを作るかどうか、ってことになるかな。まあ今までアシッドフレームに出来る程損傷の少ないジェネラルタイプはいなかったのだけど」


 雫の言葉を優美香が更に補足する。それで漸く誠にも分かった。


「つまり、自分のアシッドフレームの素体にしたいから優先権を譲ってほしいって事か?」

「うん」


 こくりと玲愛は頷く。本来ならば一考する余地も無い請願だ。もしもそんな幸運に恵まれたのならば鹵獲者本人が使うだろう。強い機体はそのまま生存率に繋がる。引退を考える年でもない限り他人に譲ると言うのは有り得ないと言って良い。

 だが誠の場合は別だ。ヴィクティムと言う専用の乗機があるのを考えれば交渉の余地がある。


「ちなみに俺がその権利を誰にも譲らずに放棄したらどうなるんだ?」

「都市の方で選んだ人に渡される事になります」


 ルカが記憶を辿るようにしながら思い出してそう言った。滅多にある事ではないので思い出せただけでも凄いのだろう。雫は素直に感嘆の視線を向けていた。


「それだったら何もしなくても嘉納さんに行きそうだけど」


 トップエースに良い機体を与えると言うのはかなり高い確率だろう。だが誠のその言葉に玲愛は首を振る。


「確実じゃない。指揮官機として運用される可能性もある。自分で言うのも何だが……私が一番上手く使えると言う自信がある」


 誠が視線で優美香に問いかけると小さく頷いた。その可能性は十分にあるらしい。そうなってしまえば玲愛がいくら要望を出したところで通らない。そうなる前に直接交渉に来たのだろう。

 優先権の遣り取りにも都市側の許可が必要だが、鹵獲者がトップエースにより良い機体を与えたいと言えば拒否できる人間はいない。要は誠のゴーサインがあれば良いのだ。


「お礼ならする。……恥ずかしいが私を好きにしていい」

「いえ、結構です」


 不穏な事を言い出した玲愛に対して誠は即答する。ほとんど被せるように放たれた言葉に玲愛は少しだけ不満そうな顔をした。


「別にそう言う事をされたかった訳ではないがこうも即答だとそれはそれで腹立たしい」

「割と洒落にならんからやめてくれ。いや、ホントに。機体の方は構わないよ。どうせ俺には使い道が無いし」


 もしかしたら、分解してヴィクティムの強化に使えるかもしれないが、不要だろう。ならば最大限活用できる人の元に送るのは理にかなっている。


「感謝する」


 玲愛は安心したように表情を緩めると小さく一礼した。何だかんだで緊張していたのだろう。力強く抱きしめられていたクマのぬいぐるみが歪みから解放されて心なしかほっとしたようにさえ見える。周りを見る余裕も出来たのだろう。じっと玲愛を、正確にはその抱えているクマのぬいぐるみを見つめる視線に気づいたらしい。


「……興味がある?」


 玲愛の直球とも言える問いにミリアは小さく首を縦に振る。


「はい」


 しばし玲愛は黙ってミリアを見つめる。感情の見えない眼で真っ直ぐに眼を合わせられたミリアは徐々に、目尻から涙をあふれさせていく。何という打たれ弱さ。

 そして唐突に。


「あげる」


 と言ってミリアの手に自分が抱きしめていたクマのぬいぐるみを押し付けて行く。相変わらず次の行動が予測できないと誠は思った。


「それじゃあ誠。権利移譲の手続きをよろしく」


 困惑する誠達を置いて、玲愛は我関せずとばかりに退室して行った。

 ある意味で、最もペースを崩されると誠はその背を見送りながら思うのだった。

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