第五章 最後の平穏

41 嵐の過ぎた後

 まとめられた報告を見て安曇は深くため息を吐いた。


「これで全部?」

「取り急ぎまとめた物になりますが、概ねこれで確定かと」


 打てば響く様に答えるのは公務中は常に安曇の側に控えている本名不詳の秘書官だ。緊急の資料の為、プリントアウトはせずに端末で表示している。


「都市内部の被害は比較的軽微です。建物倒壊十七。倒壊の危険あり、三十四。電線の断線による停電地域。それらは全てASIDが侵入し、戦闘が行われた地域の物です」

「環境保全区近くの住宅地は一度均してから立て直すのが良さそうね」

「はい。幸い貯蓄資材で何とかなるレベルです。一度予定を前倒して“鉱山”に向かう必要があるとは思いますが」


 頭が痛いと安曇は頭を押さえる。本来ならば今回立て直す建物は後五年は使えた。その予定が前倒しになると言うのは致命的ではないが、後々の資材運用計画を見直す必要があるだろう。


「それから、環境保全区に関してだけど」

「ASIDとヴィクティムの侵入により、約三割の地帯が踏み荒らされています。内三種の植物に関しては植樹が上手く行かなければ絶滅リストに乗る事になるかもしれません」

「DNAサンプルは保管していないの?」

「残念ながら」


 またもや頭の痛い話だった。短期的にみれば大きな影響は出ない。だが将来、それもASID殲滅と言う大きなハードルを越えた後、地上に帰還した際には問題となるだろう。地上に植生が残っている箇所は僅か。他の箇所は人の手で植えて行く必要があるのだが、地質や気候との適応を考えると種類が大いに越したことはない。

 この後も確実に頭が痛くなる話しかないと思うと安曇は泣きたくなってくるが、そんな姿を例え腹心相手でも見せるわけには行かない。毅然とした態度を崩さずに続きを促す。


「都市内の被害は概ね把握したわ」

「都市内の人的被害が非常に軽微だったのは不幸中の幸いでした。死者二十三名。いずれも都市部ドームの破片によるものです」

「ええ、本当にね……」


 その百倍、千倍の被害が出てもおかしくは無かった状況だ。それを食い止めてくれた者には只管感謝するしかない。ドームの修復は何よりも最優先、急ピッチで続けられている。少なくない量の塵が流入してしまった。それを完全に取り除くには半年は覚悟するべきだろう。


「軍の状況は?」

「最悪です」


 この秘書官が最悪と言い切る程の事態だ。聞きたくないと切実に安曇は思うが聞かない訳にもいかない。どうして私はこんな地位になってしまったのだろうと心の底から悔いたくなる。


「アシッドフレームが七十三機全壊。フレーム乗りが五十二名死亡。十八名が重傷です。十八名の内フレーム乗りとして復帰が出来るのは五名程度でしょう。フレーム部隊は戦力の約二割を損耗したと考えて貰って構いません」


 つまり、単純な算数で考えるとあと四回今回の様な戦闘を行ったら浮遊都市を守る部隊はいなくなると言う事である。全く持って笑えない。


「……でも、朗報もあるのでしょう?」


 当然だが、既に安曇も見て、耳にしている。その危機的状況を押し返した存在を。


「はい。まず第三大隊を中心にジェネラルタイプを一体撃破。機体本体はほぼ全壊していますが、エーテルリアクターは無傷です。既に研究班に回しています」

「流石ね」

「彼女たちの部隊の損耗率は全部隊の中でも断トツの低さです。錬度と良い規模と良い、浮遊都市内で最強の部隊と言っても過言ではないでしょう。その外新たな人型のASIDを三十七体鹵獲。ハイロベートと同様アシッドフレームへの転用試験を実施する予定ですが、こちらは望み薄でしょう」

「そうね。ハイロベートベースとは違って継続的に調達できるとは限らないものね」


 今回初めて出現したタイプだ。今後も現れるとは限らない。ジェネラルタイプの様な数の限られた個体の可能性もある。そうなると繰り返しの使用で消耗する事になる部品の調達が困難となり、最終的には整備もままならなくなる恐れがある。そんな不確定な機体を計算の中に入れる訳にもいかない。


「……ですが何より特筆すべきは柏木誠とミリア・ガーランドの操縦するヴィクティムの戦果です」

「信じがたいわね。自分の眼で見ておいて言うのも何だけど」

「私も同意見です。完全な状態のジェネラルタイプ一機の鹵獲。大型ASIDの頭部――つまり情報処理装置を回収。どちらもデータを解析できれば戦局を変え得る戦果です」


 まず当然だが、ジェネラルタイプ一機をほぼ無傷での鹵獲。これは大きい。先ほどの人型をアシッドフレームにするのと同様、これをアシッドフレームとして使うにも消耗部品の問題があるが、ジェネラルタイプはそこを無理してでも運用する価値がある。極論を言えばリサが乗っていた時のヴィクティムよりも強いのだ。それを使わない手は無い。

 そして頭部を回収できたと言うのも大戦果だ。通常型の頭部は何度か回収できているが、重要な情報は然程得られていない。だがジェネラルタイプ――それもあの移動要塞染みた個体の物ならば貴重な情報、例えばASIDの巣であるネストの正確な位置などが掴めるかもしれない。


「あの傘型の本体も鹵獲できたら良かったのですけどね」

「恐れながら。あの巨体です。墜落の際にアークが巻き込まれればアークその物が墜落していた可能性もあります」

「分かってるわ。言ってみただけよ」


 それこそ贅沢と言う物だ。安曇は眼を閉じ、これまで以上に深いため息を吐いて口を開く。


「……生産区画の被害は?」

「こちらも甚大です。食糧生産プラントは幸い無傷でしたが、金属部品加工ラインの一部が損傷。現在使用されている端末などの部品供給不足が一年後に予測されます」

「生産ラインの再構築は?」

「一時的に生産ラインをストップさせ、生産ラインの再構築用の部品を生産させる必要があります。時間はかかりますが可能かと」


 もしもこれが全ての生産ラインが破壊されていた場合、浮遊都市の文明レベルは大きく後退する事になっただろう。機械部品を加工するための機械が無くなってしまうのだ。それを作り出すには手作業で部品を作るしかなく、その専門家がいない以上出来上がる品は不出来な物だろう。その繰り返しで徐々に精度を上げて行くしかない。元となる設計図があるだけまだましだろうが、元の状態に戻すには人の人生よりも長い年月がかかることになる。

 もちろん、そんな悠長な事を言っている時間は無い。


「ならばすぐに手配を」

「かしこまりました」


 安曇は頭の中の対応リストを思い浮かべ、とりあえずは一通りの報告は聞いたと判断し肩の力を抜いた。半分以上愚痴交じりの言葉が漏れる。


「でもまさか、黒リボンの子に救われるなんてね」

「全く以て予想も出来ませんでした」


 予想できる人間がいたらそれはもう予言者以外の何物でもないだろう。是非ともこの浮遊都市の未来を決めるためにその力を振るって貰いたいと安曇は思う。


「彼女の処置については?」

「このままヴィクティムの副操縦士として扱うのがよろしいかと。現状彼女の代わりはいません。柏木誠と同等の扱いをすべきかと」


 要するに浮遊都市で最高待遇と言う事だ。その変わり身に我が事ながら安曇は失笑を禁じ得ない。幼い日の自分ならば間違いなく唾棄していたような政治その物の行為に安曇は悲しくなる。より良い為政者を目指しているつもりだったが、結局のところ自分もこれまでと大差が無いと気付かされた。

 そんな心情を察したのか分からないが秘書官がフォローするかのような言葉を挟んでくる。


「浮遊都市の現状を考えれば安曇様の判断に間違いは無かったかと」

「そうだと良いのだけど。それで、今彼女は何をしているのかしら?」

「ミリア・ガーランドでしたら――」


 ◆ ◆ ◆


 追いつめられていた。ミリアは眼前に迫る影から逃れようと必死で逃げ惑い、結果部屋の隅にまで追い詰められていた。既に逃げ場はない。今最もミリアが頼りにしている誠は既に敗れ去った。唯一の味方である彼が陥落した以上味方はいない。退路を封じられ、援軍も望めない今、この影から逃れるためには影自身を突破するしかない。

 影はまるで無力なミリアを嘲笑う様に涎を垂らしかねない表情でじわじわと距離を詰めてくる。それが弄んでいるかのようでミリアの恐怖を煽る。これに捕まったら一体何をされてしまうのか。その未知がミリアに更なる恐怖を与え、身体の震えとなる。その反応でさえ向こうには極上の餌となるのだろう。口元が笑みの形を作る。

 意を決して、ミリアは影の脇を抜けて部屋を脱出する逃走経路を考える。果たして自分の鈍足で逃げ切れるのかは分からないがやるしかないと悲壮な覚悟を固めて。

 スタートを切る。だがその動きは相手にとっては容易に見破れる物だったのだろう。三歩目を踏み出すよりも早くミリアの細い腰は相手の腕に抱きかかえられ持ち上げられる。パニックになって足をばたつかせるが、腕の主はそれに対して何の痛痒も感じていないのだろう。そのままミリアの頭が相手の口元にまで運ばれて――。


「ああ、もう可愛い! 本当に可愛いですねこの子は! ボクの理性を壊すつもりですか!」


 既に壊れている、という突っ込みを誠は放棄した。既に十数分、この状態のリサに待てを命じ続けていたのだ。戦闘後の疲労もあって誠は既に限界だった。ミリアは捨てられた子犬の様な目で誠に助けを求めているのに誠には成す術が無い。罪悪感をチクチクと刺激されるが努めてそれを無視する。

 文字通りの可愛がりを全身で受けているミリアは困惑とリサの必死さに軽い恐怖を感じているようだったが、まあその内慣れるだろうと誠は思う。話を聞く限りと、ヴィクティムに乗った際に見えた光景から人との接触に慣れていないと言うのもあるはずだ。少々荒っぽいがリハビリだと思えばいい。と、誠は今助けに入らない理由を正当化する。

 助けに入る気力が無いと言うのもあるが、単純に見目麗しい少女二人が抱きしめていると言うのは眼の保養にもなる。そんな事を考えている自分に気付いて誠は深く凹む。リサは兎も角、ミリアの年齢と容姿は眼の保養にするには少々幼すぎる。自分の性癖に自信が持てなくなって誠は頭を抱えて言い訳をぶつぶつと始める。


「違う。違うんだ……。俺はノーマル。俺は同年代が好みだから。ほら、あれだし……多分マッチング結果が良いからそれを本能的に察してただけだし……」

「肌ぷにぷにしてますね……これが若さなんでしょうか」

「誰か助けて……」


 そんな状況は片腕を固定したルカとまだ青い顔をした雫が来るまで続いた。


「お姉ちゃん……何やってるんですか」


 撃墜時の怪我の治療は済んだのだろう。動かせない様にしっかりと固定された左腕。ルカは片手で苦労しながらリサをミリアから引きはがす。まだおびえた様子のミリアに雫は何か声をかけようと片膝を突いた。だが眼と眼があった瞬間に更に身体を震わせた少女を見て黙って立ち上がりやや落ち込んだ様子で誠の隣に座る。確かに子供受けする顔つきではなく、その自覚も雫にはあるのだがこうも避けられると流石に凹むのだろう。誠は彼女の肩を叩いて慰める。

 ルカがリサに相手が嫌がっていることをしてはいけないと説教を始め、それに対して最終的には同意を取ると言うリサの反論に更にヒートアップした。どう考えても姉と妹が逆だと思うが誠は黙っておく。今更な話だ。

 解放されたミリアはビクビクしながら誠の横に座り、挟んで反対側にいる雫に恐る恐る視線を向ける。雫もミリアを気にしているのか恐る恐る視線を向けて、それが誠を挟んでバッティングし慌てて眼を逸らす。何というか、小動物チックだと誠は思う。


 最後に来たのは優美香と、そして玲愛だった。優美香は兎も角玲愛がこの場に来るのが意外で誠は少し眼を見開いた。堂々と片手にぬいぐるみを抱えているのはこれまた今更な話だと思い突っ込みは控える。ミリアがそのぬいぐるみを羨ましそうに視線を向けていたのが少しだけ気になった。


「お邪魔する」

「嘉納さん? 何でここに」


 一応今は誠達特第一小隊のデブリーフィングという名目でこの場に集まっている。別に部外者は立ち入り禁止と言う訳では無いが、特に用事もなく来るような集まりでもない。何かしらの用件があると見る方が自然だ。


「少し誠にお願いがあって来た」

「お願い? ……ああ。そう言えば申し訳ない。結局以前の約束も守れてないですね」

「それも後日お願いするが、今日は別件。そちらの話が終わってからで良い」


 てっきり以前の約束の催促かと思ったが、そうではないらしい事に軽く驚く。そうなると誠には心当たりが無い。まさかこの少女に限って子供が云々の話ではないだろう、と。


「やっほーまこっち。大活躍だったね」

「そっちはこれから大活躍じゃないのか?」

「ダーリンが殆ど無傷だからね……やる事ないの」 


 本来ならば見た目の損傷が無くても整備を行うべきなのだが、ヴィクティムの場合その程度の損傷ならば近くに素材を置いておけばナノマシンで勝手に自己修復する。別の意味で整備兵泣かせな機体である。

 全員が揃ったのを確認したところで説教を途中で切り上げさせたリサが口を開いた。


「それじゃ、始めましょうか。今後の事についた話し合いを」

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