39 終焉を与えるモノ

 ヴィクティムの動力部が悲鳴を上げていた。

 RER――レゾナンスエーテルリアクター。人から漏れ出る生エーテルを原料とし、均一且つ純粋なエネルギーとしての精製エーテルを生み出す機関がエーテルリアクター。そこに生エーテル同士を共鳴させることで莫大な精製エーテルを生み出すことを可能としたのがレゾナンスエーテルリアクターだ。その原理は実の所、浮遊都市ではほとんど解明できていない。


 そもそもが、エーテルリアクター自体がASIDを鹵獲する事で得られた技術。六百年と言う年月以上に情報的に断絶した過去である旧時代にはある程度の原理解明も出来ていた様だが、今の浮遊都市では原因と結果が分かっているだけでその内部がどうなっているのかは完全なブラックボックス。確かなのは一つだけ。生エーテル――それが人の魂から漏れ出る何かだと言う事。即ちレゾナンスエーテルリアクターは魂の共鳴によってその莫大な出力を支えている。


 今そのRERはかつてない量のエーテルを精製し続けている。共鳴効率が100%となったRERの出力はこれまでの比ではない。一切のロスが無く鳴り響く二人の魂のユニゾンは結果、その溢れ出た奔流だけで浮遊都市を軋ませるほどのエーテルを生み出していた。


 青い帯がたなびく。それが機体に収まりきらずに漏れた物などと誰が信じられるか。ヴィクティムから伸びて行くエーテルの帯一本でハイロベート十機を動かせるほどの出力。それが何十本と機体から伸びている。

 時間と共にそれらの帯は消えて行く。それは出力が落ちたのではない。過剰な程のエーテルを適切に機体に配分する事が可能となっただけ。


 ヴィクティムの装甲に走る回路の様なライン。そこに明かりが灯る。機体を流れる膨大なエーテルが圧縮される事で輝きを増しているのだ。

 雫が乗っていた時には肩から伸びていた一対二枚のエーテルの羽は今や二対四枚。輪郭を青白く輝かせる姿は最早神々しささえ感じさせる。

 その出力。通常のエーテルリアクターの二千倍。

 ただの拳がこれまでの大威力を誇った兵装とほぼ互角。


 これこそがヴィクティム本来の性能。なるほど確かに、これまでに誠達が交戦したジェネラルタイプも一蹴できるまさに決戦兵器と呼ぶにふさわしい威容であろう。


 共鳴が最大効率になった事による結果はそれだけではない。その影響は搭乗者である誠とミリアにも現れていた。


「あ……」

「くっ!?」


 ミリアは惚けた様な声を、誠は苦悶の声を漏らす。その原因は互いの脳裏に流れ込んでくる映像――否、記憶の為。断片的な物だがそれは自分の物ではないと誠は即座に分かった。自分よりも遥かに小さな背丈の視点。見覚えのない制服を着た幼稚園児位の集団の中にいる記憶。


『貴女は何をやってもダメなのね』


 そんな事を誰かから言われて泣きたくなる程の悲しくなった記憶。


『君の職業適性は全てにおいて規定値を満たしていない事が確認された』


 そう言われて黒いリボンを与えられた時の記憶。


『す、すまん。別に驚かせたりするつもりは無かった』


 陶然とした様な表情を浮かべていた自分自身を見ている記憶。


 この記憶はミリアの物だと分からされる。彼女は常に孤独だった。不要と断ぜられたからではなく、自分が不要とされる程度の能力しか持っていない悔しさ。誰かに対して褒めて貰えることが出来ない寂しさ。誰からも必要とされない悲しみ。

 そんな少女を自分は今、必要だと言って戦場へ駆り出そうとしている。そしてそれが分かったとしても、今後もミリアを頼みにするだろう。マッチング適性AAA。それは最高ランクを意味し、浮遊都市で見つけられたのが奇跡の様な人材。本人が嫌がったとしても戦場から遠ざかる事はきっと不可能になる。何より彼女の存在は誠の目的、ASIDを殲滅して世界を越える方法を見つける為には不可欠な要素だ。手放せるはずがない。


 それでも、彼女を戦いに引き込む事は雫を乗せると決まった時よりも遥かに強い抵抗を感じてしまった。


 ミリアの断片的な記憶が過ぎ去っていく。体感的には随分と長い事そうしていたようだったが、実際には一瞬だったのだろう。目の前の状況は何一つ変わっていない。杭を砕かれ、警戒しつつ後ろに下がるウサギ耳のジェネラルタイプ。


《サブドライバーの操縦技術不足を確認。非常事態の為インストーラーを起動。記憶領域に直接転写します》

「え、何? 何するの?」


 淡々としたヴィクティムの言葉が自分に向けられている事に気付いたのだろう。泣きそうな顔と泣きそうな声で何をするつもりなのか問いただすが、ヴィクティムは答えない。ドライバーの質問には基本的に答える、が例外もある。それは既に答えを言っている時だ。


《インストーラー起動。転写》

「痛いっ!」


 とうとうミリアの目尻に涙が滲んでいた。側頭部を抑えている事とその直前の叫びからすると推測は出来る。


「おい、ヴィクティム。もしかして今」

《はい。サブドライバー、ミリア・ガーランドに操縦技術をインストーラーを使用して大脳記憶領域に直接転写しました。その際に痛みが生じますが、緊急事態の為ご容赦を》


 未だ状況を把握しきれていないミリアを誠は気の毒だと思う。だが今のである程度は分かったはずだ。


「ミリア、分かっているかもしれないが、今の君はヴィクティムの副操縦士だ。しばらく我慢してくれ」

「え、は、はい。あの、誠さん。私は……」

「戦闘は俺がやる。君は後ろで見ていればいい」


 ミリアは極々一般的な洋服だ。誠やリサ達ドライバー乗りの様にパイロットスーツを着ている訳では無い。本来ならばそのままでの戦闘は自殺行為だが、今のヴィクティムにとっては事情が違う。


《イナ―シャルキャンセラー起動。エーテルレビテーター、エーテル注入。浮力発生。空間戦闘用意》


 慣性制御。それを用いることによってヴィクティムのコクピットはあらゆるGの影響を受けない。それは重力に対しても有効――つまり逆さまになっても問題が無いと言う事を誠は知っていた。それだけではない。


「武器庫を解放」

《了解。亜空間兵装保管庫を解放。3.5次元空間にアクセス》


 三次元と四次元空間の狭間。XYZ軸、そして時間軸を取る四次元空間には至らず、しかし三次元空間とも別なそこはヴィクティムの常識はずれのエーテル出力で強引に穴を空ける事で干渉が可能になる空間だ。無限に三次元物体が収まる四次元程ではないが、ヴィクティムの武装を格納するには十分すぎる広さの空間。そこからヴィクティム本来の武装を召喚する。

 空間を歪めて出てくる二丁のライフル。その名もエーテルライフルと言う余りにそのままな名前の武装だ。


《エーテル充填。完了》


 召喚されたエーテルライフル二丁を構えて誠はウサギ耳に躍り掛かる。銃口から吐き出されるエーテル弾はジェネラルタイプの頑強なはずの装甲に浅くない傷を刻んでいく。だが相手も案山子ではない。素早く回避行動に移って弾丸を避ける。流れ弾が地面に当たり、深々と抉った。


「……威力が有り過ぎるな」


 分かりやすさを優先して武器を選んだが、百発百中ではない以上浮遊都市を破壊してしまう可能性がある。再び亜空間にライフルを格納し、代わりに取り出したのは一対の短剣。ハーモニックレイザーを小振りにした様な意匠の二本は機能もそれに近い。刀身を高速振動させることで切れ味を増した、それでいてハーモニックレイザーの様に過剰なまでの攻撃力ではないため、使い勝手がいい高周波ナイフと言う武器だ。何故これが武器庫に仕舞い込まれていたのか誠は理解に苦しむ。


 エーテルレビテーターが起動している今、踏み込むと言う動作すら必要が無い。予備動作無しで一気に距離を詰める、と見せかけて急上昇。十分なエーテルの供給を受けているレビテーターは浮遊都市と同じようにヴィクティムにも空を駆ける翼を与えていた。相手の視界から外れ、直上からの強襲。ウサギ耳は伊達ではないのか。倒れ込むようにして回避され、肩口を浅く切り裂いたに留まった。


 倒れ込んだASIDが立ち上がると同時に身体を捻り、右腕のハサミを突き出した。大きく開いた口が閉じる。右腕に何かが当たった感覚がある。掴めた事で優位を得たと思ったのか、ウサギ耳のASIDはにんまりと笑い、先ほどまでと同じように振り回そうと腕を振るう。が、ヴィクティムはピクリとも動かない。

 お返しとばかりにヴィクティムが大きく腕を振るうとそれに合わせてウサギ耳が振り回される。思いっきり振り上げれば都市部を覆うドームにぶち当たりそうになる程の高さまで浮かび上がり、そこから重力とヴィクティムの腕の振りによる加速を受けて地面に叩きつける。途中で不可視のハサミを消したのだろう。もう何度か叩きつけてやろうと思っていた誠は拍子抜けしながら高周波ナイフを構える。


 先ほどまでの狩る側狩られる側は完全に逆転した。鹵獲する余力すらあるのではないかと誠の中で欲が生まれる。過去にジェネラルタイプを鹵獲できた例は無い。原型を留めたまま撃破すると言うのが難しかったからだ。それはこれまでの不完全なヴィクティムでも同様。下手な手加減をすればこちらがやられる可能性が生まれてしまう。

 だが今ならばかなりの余裕を持って鹵獲する事が可能だろう。頭部だけを正確に破壊する。それが出来ればジェネラルタイプの出力が何故あそこまで大きくなっているのかを始め浮遊都市に大きな利益をもたらすはずだ。それはそのままアークの戦力強化に繋がり、延いては誠が都市外遠征に参加する事が容易になると言う事でもある。


 同時に、今は非常事態だ。鹵獲するとなれば普通に撃破するよりも時間がかかるだろう。その僅かな時間の差が他の場所での致命的な出来事に繋がらないかと言う不安がある。


 二つの事を比較検討するのは一瞬。比べるまでも無い。速攻で撃破だ。残骸からだってそれなりに解析できる。戦力的には防衛を考えればヴィクティム一機で事足りるのだ。ジェネラルタイプの遭遇例が少ない事を考えると少々痛いが、そんな事をしていて別の場所で誰かが死ぬような事になったら最悪だ。


《報告。撃墜されたルカ・ウェイン機よりパイロットの脱出を確認。外部メディカルチェック。右肩脱臼》

「生きていてくれたか」


 それは良いニュースだった。ならばこの場はこのASIDを撃破すれば全て終わりだ。武器庫に格納された装備を思い浮かべる。その大半がこれまで同様――いや、それ以上に威力が高すぎて浮遊都市を巻き込みかねない危険な物ばかりだ。都市内ではエーテルバルカンでさえ流れ弾が非常に危険な物になる。やはり堅実に今手にした高周波ナイフで削っていくのが良いだろう。

 地面から起き上がったASIDと向かい合う。相手の選択は――逃走。背を向けての疾走に一瞬あっけに取られ、すぐさま行動に移る。追撃。他に選択肢は無い。

 迂闊だったと誠は自省する。ここ半年程は逃走を許さない程の戦力差で押し潰していたため、ASIDは勝てない敵に遭遇した時はその情報を持ち帰るために逃走すると言う事を忘れていた。


 だが、今の速度差ならば容易に追いつける。無防備な背中、その頸椎の辺りに右手で握った高周波ナイフを突き立てようとして。


《接近警報!》


 上空から振り下ろされた刃にナイフが弾き飛ばされた。そのまま追撃の刺突がヴィクティムのメインカメラを正確に狙って突き出され、大きく後退する。

 細いシルエットだった。全身がまるで返り血を浴びたかのように赤い。無論錯覚だ。ASIDにもアシッドフレームにも血液は存在しない。冷却液などが漏れだして流血しているように見える事はあるが、その物ではない。

 何よりも特徴的なのはその四肢。肘と膝の先からは刃となっている。そしてその足は地面に着かず僅かに浮いていた。エーテルレビテーターを使用しているのは一目でわかる。

 難敵だと誠は警戒を深める。


《敵、ジェネラルタイプ。推定出力800。その全出力を機動力と攻撃力に転換している模様。装甲は非常に脆弱と予想》


 上空の傘型に残っていた最後の一つ。ここまで温存されていただけあって強力な個体だ。

 基本的に、現在のヴィクティムに匹敵する出力を持つのはクイーンASIDだけだと考えられている。それ故に圧倒的な性能差を誇るのだが、あらゆる面でヴィクティムが圧倒する事とイコールではない。

 ある程度の、つまりは今対峙している棒……剣人形めいたジェネラルタイプの様な出力を持っており、その出力を特定の性能に重点的に振り分ければその分野だけでヴィクティムの性能に対して互角、或いは凌駕する事は有り得る。

 例えば、今の剣人形の様に。


 速い。とにかく速い。これまで見た中でも最速。瞬きの間で既に相手の距離に踏み込まれていた。まるでコマ落ちしたかのような映像に、誠は反応が遅れる。辛うじて剣閃と機体の間に高周波ナイフを挟み込むことに成功するが、ナイフの刀身に相手の右腕の刃が食いこむ。鍔迫り合いとなり完全に足が止まった一瞬を狙って相手の左足が振り上げられる。狙いはヴィクティムの膝。全身凶器の特性を最大限に生かして通常の格闘戦が致命的な損傷を与え様としてくる。四肢にエーテルを集中させている為、脆い関節部などに受ければ今のヴィクティムでも損傷を負う可能性がある。

 頭の中に無数の選択肢が生じる。脚を持ち上げて脹脛で受け止めるか。エーテルを集中させて関節部を守るか。空いた右手に新たな武装を取り出しそれで防ぐか。

 だがそれらよりも早く行動に移した者がいた。


「行って、ランス!」


 ミリアの拙い命令に従って、ヴィクティムの腰の横にそれぞれ取り付けられていた装飾品が切り離される。薄く、鋭い形状をしたそれは幅広な槍の穂先に近い。ランス、と呼称されたその兵装は空を飛び、一つは文字通りの左足刀を防ぐ盾となり、もう一つは頭部を両断せんと肉食魚の様に獰猛に食らいつく。

 その光景に誠は驚く。もちろんそんな武装があったのかと驚いている訳では無い。それが動かされていることに驚いたのだ。


「ミリア……?」


 呆然と、その武装を操作した人物の名を誠は呼ぶ。半信半疑だ。自分は操作していない、と言うよりも、ヴィクティムの操縦と並行して遠隔操作兵器を扱う事は誠のキャパシティを越えている。ヴィクティムは原則命令が無い限り自分で機体を動かすことはしない。つまり消去法でミリアしかいないのだが信じがたいと言うのが誠の本音だった。


「すみません、誠さん。勝手な事を」

「いや、助かった。その調子で頼む」


 遠隔操作兵器の利点はそのまま手数が増える事にある。そして何より、相手の死角を攻められる。これは大きい。だが、それを操るのはミリアであり、とうとう直接的な戦闘に彼女を引き込んでしまったと誠は深く悔いる。


 二機のランスが空を奔る。頑強さを生かした突撃戦術。シンプルだが効果は絶大だ。威力的には高周波ナイフと同じかそれ以上にある。更には強度は相手の斬撃を容易く受け止める程。それが死角を狙って飛んでくるのだ。受ける側としては溜まった物ではない。


 足元を掬うような二機の機動。それを嫌って僅かに浮かび上がって回避をしたその瞬間を狙う。高周波ナイフを投げる。見え見えの直線的な一閃だ。避けるのは容易い。悠々と回避をして腕の剣を振るおうとし、動きが縫い止められた。まるで何かが絡んでいるかのようにASIDは動けない。


「お前らに出来て、ヴィクティムに出来ない道理が無いよな?」


 投げられた高周波ナイフの柄尻。そこから不可視のエーテルがエーテルダガーの発信部へと伸びている。ウサギ耳のジェネラルタイプと同じ。不可視のエーテルによる捕縛。ナイフを重りとして十重二十重に縛り上げる。動きを止めたジェネラルタイプにヴィクティムは近づく。もがいているASIDの頭部に再び取り出したエーテルライフルの銃口を押し付け。


「この距離なら流れ弾も心配ない。さようなら」


 トリガーを押し込む。頭部に大穴を空けて、全身が刀剣のジェネラルタイプは頭部以外はほぼ無傷のまま浮遊都市の大地の上に崩れ落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る