38 共鳴
敵の目的はさておき、誠にここで正面から戦い撃破すると言う選択肢は無い。ひたすらに逃げの一手である。むしろ向こうが追いかけて来てくれるとなると返って好都合でさえある。少なくともその間はこのASIDを引き付けられるのだから。
ただそれは例えるのならば遺跡の中で背後から大岩が転がってくるアレの様な物。少しでも足が緩んだら終わりのマラソンである。不幸中の幸いは相手が近接武装しか持っていない事だろうか。ほぼ互角の走力である以上向こうは追いつけない。先ほどの追走劇を追う側と追われる側、引っ繰り返してのやり直しだ。
ヴィクティムに並走するのはルカのハイロベートだ。既に右腕がだらりと垂れ下がっている。肩には大きな穴。あの杭打機で貫かれたのは明白だった。
『申し訳ありません誠様。不覚を取りました』
「いや、こっちこそ済まない。いきなり無理を頼んだ」
あの瞬間、誠は明確に優先順位を付けてしまったのだ。ルカよりもミリアを優先すると。それに気づいているのかいないのか。ルカは頭を振る。
『いいえ。誠様の命令でしたら何でも』
その何でも、と言うのには戦闘以外も含まれていると暗に漂わせてくるルカから眼を逸らしながら誠は問いを重ねる。
「そ、それはそうと、俺たちだけであれを倒すのは難しい。増援とかはどうなってるんだ?」
『……恐らくですが、増援は難しいかと思います。現在甲板では第三大隊を中心に別のジェネラルタイプと交戦中。私はそこから姉の命を受けてこちらに来ました。向こうにこれ以上の人数を割く余裕はないかと』
二体目の報告に誠は顔を顰める。甲板で何かが起きているのは予想できていたが想像以上だ。そんな所に後ろのを引き連れて行く訳にもいかない。だがこの終わりのしれない逃走を続けるわけにも行かない。既に後ろに座っているミリアは限界ぎりぎりだ。過呼吸寸前の息遣いをしながら、それでも悲鳴を上げない様に堪えている。その健気さに胸を打たれる。
そもそもがミリアはアシッドフレームの搭乗訓練を受けていないはずだ。フレーム乗りは激しく機体を揺られるため、それに応じた筋肉が鍛えられる。ミリアにはその部位が鍛えられた様子が無かった。どころか全体的に運動不足気味と言うべきか、柔らかそうな肢体と言えば聞こえはいいが、筋肉は然程ついていない。体力も相応だろう。
長時間の搭乗は耐えられない。地下施設を出た後のリサの様にあっと言う間に酔ってしまうだろう。訓練を受けていないのならば尚更。戦闘機動など以ての外だ。本格的な近接格闘を行ったらそのまま吐瀉が止まらず窒息死する恐れすらある。
ふと気が付いた時には足音が聞こえなくなっていた。まさか追跡を諦めたのかと誠は背部カメラで後ろの映像を見る。
このASIDは未だ右腕の装備を使用していない。それが今解放された。
まるで箱の様だった右腕の中から大きなハサミが展開される。ハイロベートならば腰を容易く掴める程のサイズ。見かけ倒しでなければアシッドフレームの装甲でさえアルミホイルの様に押し潰せるだろう。
だがそれも掴めればの話。足を止めた結果距離は見る見る内に開いて行く。本来ならば安心する状況で、誠は背筋に感じる寒気を忘れる事が出来ない。何かを狙っている。
真っ直ぐにこちらに伸ばされた右腕。閉じていたハサミが開く。まるで大口を開ける鰐の様に。何時ぞやのロケットパンチを誠は思い出す。まさかあそこからハサミが飛んでくるのだろうかと身構える。
そんな予想を現実は遥かに凌駕して行った。
ハサミが閉じる。両者の距離は約百メートル。銃火器ならばまだしも十メートルも無いハサミでは絶対に届かない距離。そう、だから届いたのはハサミではない。
そこから出力されたエーテルである。
『なっ!』
「ルカ!」
恐らくはルカ機の足を掴んだのだろう。逆さに吊るす様に、或いは魚を釣り上げるようにウサギ頭のジェネラルタイプは右腕を振り上げた。それに合わせてルカのハイロベートが空を飛ぶ。信じがたい膂力である。
『こいつ!』
ルカの悪態が聞こえてくる。掴まれてるであろう部分と相手のハサミを結ぶ直線状を掴まれていない方の脚で繰り返し蹴っているが手応えは無い様だ。リールを巻き上げるようにルカ機はウサギ耳の元に引き寄せられていく。
狙い――ヴィクティムではない事に気付いたのだろう。手元まで引き寄せたルカ機を吊るしたまま見つめ、徐に宙に放り投げ――その腹部を天に伸びるパイルバンカーで貫いた。
『キャァァアッ!』
「ルカ!」
小さく爆発を起こしてエーテルリアクターを貫かれたハイロベートが地面に落下する。コクピットがある胸部は無傷の筈だ。だから大丈夫と誠は自分に言い聞かせるが不安は消えない。
ウサギ耳が再び右腕を構える。直線に動いていたらいい的である。誠は一瞬ためらって、後ろに声をかける。
「激しく横に揺れる。しっかり捕まってろ!」
サイドステップを織り交ぜての戦闘機動。それが更なる負荷をミリアに掛けると知りながらも誠には他に選択肢が無い。環境保全区を抜けて市街地へ。この辺りは避難が終わっている。建物を盾にするようにして誠は不可視のハサミを避けようと必死に逃げ惑う。
背後に立っていた電信柱が引き抜かれる。幾つかの電線を巻き込みながら宙を舞い、即座に違うと気が付いたのか、途中で推力を失って落下した。その下にあった建物は当然の様に上から降ってきた即席質量兵器に押し潰される。
街が壊されていく。自分の行動の結果なのだからそれにショックを受けるのは間違っていると誠は思ったが、動揺せざるを得なかった。半年だ。それだけ住んでいればそれなりに愛着も沸く。その街が壊されていく。半年の誠でこれだ。生まれてからをズッと過ごしている生粋の浮遊都市人であるミリアの衝撃はそれ以上だった。
「……降ろして下さい」
「悪いな。今は後ろのに追いつかれるからもう少し我慢してくれ。どうにかして――」
「私を降ろせば誠さんは追いかけられなくて済むんでしょう?」
その一言は誠にとって予想外だった。一瞬喉が引き攣ったかのように変な息が漏れた。
「あのASIDは私を狙っているんでしょ? なら私を降ろせば……」
「馬鹿な事を言うな! 俺に子供を囮にして逃げろって!?」
それはリサとルカが囮になると言う事よりも遥かに許せない事だった。
「俺たちは仮にも軍人だ。この都市を、ここに住む人を守るために戦ってるんだよ。なのにその護る対象を餌にするなんて……論外だ!」
それは誠の本心の全てでは無かった。だが嘘偽りは一片たりとも混じっていない。この都市を、住む人を守りたいと。そう思ったのは事実なのだから。
「でも、でも、私いらない子だから! いなくなっても誰も困らないから!」
「……何?」
ミリアの声は既に涙交じりだ。一体誠にはミリアが何を言っているのか分からない。――当然だ。彼に都市の常識を教えてきた女性たちが皆口を噤んだ一つのルール。それはこの危機的状況にある彼女たちを以てしても恥としか言えないたった一つの規則。それを口にして、誠からの軽蔑の視線を受けるのは耐えられなかった。そして幸いにもこのルールは知らなくても問題は無い。誠には一切関係の無い事というのに加え、そのルールが適応される人物と接触する事はほぼ有り得ないからだ。
「この黒いリボン。きっと誠さんは意味は知らないんでしょう……。一体どんな意味があったと思いますか?」
「それは……」
言葉に詰まる。ずっとつけていて不自然だとは思っていた。だからこそ新しい物をプレゼントしようと思い――何だかんだでそれはヴィクティムの中に今もある。
「これは、一つの判断を下された証。不適格者の烙印」
浮遊都市アークは追いつめられている。資源はあらゆる面で限られている。ASIDを鹵獲して手に入る金属類と海から取れる水、塩だけは豊富だが、それ以外の物質は常に枯渇寸前だ。故に浮遊都市では最高効率が常に求められる。
その効率重視な浮遊都市では職業選択の自由は存在しない。各種適性を調べて、最も適した能力を持つ職業に配属されるのだ。勿論、各種産業のバランス調整もあるので必ずそうなるわけではないが、概ね能力に適した職に就く。
ではその適性が全て低い物はどうなるか。あらゆる面が一つ残らず平均以下。勿論滅多にいる物ではない。人間だれしも一つは取り柄があると言う。まさにそのとおりであり、優秀な遺伝子を残す様に人工精子の精製等を統制しているため百年に一人いるかどうかだ。
そしてそんな人物は浮遊都市には不要である。何をやらせても人並み以下なのだ。その一人を維持するのにかかるコストは他の一人と同じ。その様な不良品(・・・)は廃棄するしかない。
もしかしたら、何か芸術分野で一角の才を持っていたのかもしれない。だがそれは浮遊都市では必要とされていない技能だ。
「何をやらせてもダメ。最低限の期待にすら応えられない。そんな私には生きる価値なんて無いんです」
だからあそこにいたのだとミリアは言う。同じ人間から要らないと言われて居なくなるよりもASIDに殺された方が自分も、罪悪感を抱えて同胞殺しをすることになる都市の人にとってもずっと良いと。
「自分で自分の命を絶つのは怖くて、最後の最後まで誰かに迷惑をかけることになるのかとずっと悩んで。ASIDが来た時にこれだと思ったんです。きっとこれなら私は私を殺すことが出来るって」
その悲壮な決意に誠は絶句するしかない。十二歳の少女が他人に迷惑を掛けたくないから自分の死を望む。その在り方は明らかに異常で、そしてこの場においては何よりも正常だった。
「だから、良いんです。もう置いて行ってください」
背後で建物一つが丸ごと宙に浮いた。少しずつだがウサギ耳の飛ばす不可視の何かは精度を上げている。
一刻の猶予も無い状況でミリアのその言葉に誠は――。
「断る」
当然の様に応じない。
「どう、して」
「どうしてもこうしても無い。さっき言った通りだ。ミリアがどんな人間だろうと、浮遊都市内で落第生だろうと俺のやる事は変わらない。俺は」
誠はつい先ほどのルカ機が貫かれた光景を思い出す。
リサとルカがゲートの向こうで見えなくなった瞬間を思い出す。
――が――を――た瞬間を――。
自分の力不足で大事な人を取りこぼす。そんな事誠はもう嫌なのだ。
「っ」
頭痛がした。頭の中で結びつかせるべき情報が上手く結合しなかった感覚。それを振り払って自身の決意を表明する。
「絶対に誰も見捨てない。俺の為に死なせるなんて事は絶対にさせてやらない」
そんな事をされたら誠の寝覚めが悪いのだ。
そんな事をされたら罪悪感が誠に沸くのだ。
そんな事をされたら――誠は浮遊都市に未練を残すことになるのだ。
だから目の前で死なせるなんてことは絶対にさせない。一人だと力不足も良いところでその実現は難しいのだが。その為の努力は惜しむつもりはない。
「それに、俺にとってミリアは要らない子なんかじゃない」
彼女の存在にどれだけ救われているか。それを伝えきれないのがもどかしい。ミリアに出会っていなければここに来る前に精神が追いつめられていたのは間違いない。
「俺にとってミリアは必要だし、わざわざ死なせたいなんて思って無い人だってきっと沢山いる」
誰が好きこんで同胞を殺したいと思うのか。死なせたくないと思う人の方が多数派だと誠は信じている。だからこそそれを恥と感じ、誠に教えなかったのだろうと。
遂にASIDの攻撃がヴィクティムを捉えた。持っていた大鉈が奪われる。今のが本体に当たらなかったのは本当に運でしかない。そして次はもうないだろう。
「それに、あんなに俺の話を楽しそうに聞いてて死にたい? 冗談は止めろよ」
「冗談なんかじゃないですよ。みんなの迷惑になるなら私は――」
「だったら、そう言うの全部抜きで、ミリアは死にたいのか? 死にたくないのか?」
それは詭弁だと言う自覚は誠にもある。そんなのは答えは決まっている。
「死にたくないに決まってます! 理由も無く死にたい人なんている訳が無いでしょう!」
「だったら最初からそう言え! 澄ました顔でみんなの為に何て言い訳してないで。素直に助けてって言えば俺が助けてやる!」
《マッチングテスト完了》
空気を読めと今ほど言いたくなった瞬間は無い。まだ続けるつもりだった熱弁を遮られた誠はこめかみを痙攣させながら声を絞り出す。
「お前、こんな時に何を……」
《こんな時だからこそです。マッチング結果AAA。理論上の最高数値です》
「何?」
一瞬、ヴィクティムの言っている意味が分からなくて操作が乱れた。そのせいか、或いは最早避けようが無かったのか。肩口にASIDのエーテルで構成されたハサミが食らいつく。感じる浮遊感と同時に一気に地表が遠ざかる。このままでは恐らくルカ機と同じようにパイルバンカーの餌食になるだろう。今の出力では如何なる防御も意味を成さない。
疑似的な空中飛行の中で誠は叫ぶ。
「ミリア、操縦桿を掴め!」
きっとヴィクティムの言葉の意味はミリアには分かっていなかっただろう。フレーム乗りでも悲鳴を上げる様な空中浮遊の中、ただただ誠の最後の言葉を信じて、少女は操縦桿を掴む。
《認証。チェッククリア。サブドライバーの搭乗を確認。RER、出力上昇。共鳴最大効率。エーテル精製》
既に位置はウサギ耳のASIDの真上。先ほどのルカ機の焼き直し。天に向けて穿たれるパイルバンカーを――ヴィクティムは拳で迎撃する。
本来ならば相手にもならない一撃だ。そのまま腕毎杭が伸び切るまでにある物体を貫く。そのはずだった。
罅割れたのは杭の方。あらゆるものを貫いてきた運動エネルギーはそのまま杭自体を襲う。砕け散る。ガラスの様に破片が舞い散る。その向こう側で、ヴィクティムが本来の姿を取り戻していた。
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