37 都市内の攻防

 ASIDが降り立ったのは都市の中心部。中央シェルターがある付近で、一時帰宅中の市民が最も多くいる場所だった。そしてそこに誠もいる。

 通りを数本挟んだ程度の距離しかない場所にASIDがいる。その状況で自分は生身。その事実は想像以上の恐怖を彼に与えた。


 最初に市民を襲ったのはASIDの攻撃ではない。頭上から降り注ぐ大量のガラスの破片だ。遠目には幻想的な物体も、間近で見ればかなり大きい。元々のドームのサイズが極大なのだ。その破片は人を押し潰すには十分だ。そして恐ろしい事に、透明なガラスは押し潰した下の光景さえも鮮明に見せつける。接近しつつあるASIDとガラス片に押し潰される恐怖から闇雲に逃げ出す人と、シェルターに逃げ込もうとする人、更に呆然と事態を飲み込めずに立ちすくむ人がひしめき合いまともな避難はもはや不可能な状態になっていた。


 当然、誠もそれらの驚異に巻き込まれている。自身の身体の倍近いサイズのあるガラス片、ガラス塊と言った方が正確かもしれないそれが誠を押し潰す位置に落下してくる。が、群衆の流れに巻き込まれて誠は碌に身動きも取れない。咄嗟に浮かんだのは一時間程前に見たヴィクティムのデータ。それに賭けて声を張り上げる。


「来い、ヴィクティム!」


 彼の乗機はその呼び声に応えた。


《機体の存在レベル規定値に。量子転送を完了》


 落ち着いた男性の電子音声。膝を突いて、かざした手でガラス塊を弾いたままの姿勢でヴィクティムが誠の目の前に現れていた。その様子をどう表せばいいのか誠には分からない。確かに先ほどまでは何も無かったはずの空間に当然の様に巨体が存在しているのを見ると自分の頭がおかしくなったのかと疑いたくなる。群衆がヴィクティムを避ける様に群がっていれば尚の事その印象は強い。


 そんな今の状況では害悪にしかならない脇道に逸れた思考は一瞬で切り上げ、誠はヴィクティムのコクピットの中に入り込む。


「あそこのASIDを増援が来るまで引き付けるぞ」

《警告。当該ジェネラルタイプの推定出力は約二百。現在の当機では撃破は困難。撤退を推奨》

「ダメだ。ここであいつを放置したら中央シェルターがやばい。二万人近くが犠牲になったら都市の運営に支障が出る」

《その見解に同意します。その上で再度撤退を推奨。現状では時間稼ぎすらままなりません》

「…………ダメだ!」


 ヴィクティムの判断は正しい。普段のヴィクティムとは逆だ。普段のヴィクティムが草を刈るかの如く通常タイプを撃破する様に、あのジェネラルタイプは赤子の手を捻るよりも容易くヴィクティムを撃破出来るだろう。

 ここでそんなリスクを冒すことはリサとルカが自分の命を捨てるつもりで逃がしてくれた、その決意を踏みにじるに等しい。それは誠にも分かっている。


 だが、だがそれでも。もしかしたらその二万の中にミリアがいると。そう思ったら逃げる事は出来なかった。

 誠は本当に自分でも自分の事が分からない。何故あの少女に自分はそこまで執着しているのか。理由が一切見当たらない。間違いなく癒しになってはいるが、それは自分を犠牲にする覚悟で守る程の理由にはならない。


《ドライバーの要求を了承。最大限敵を引き付ける方針で戦闘行動を検討》

「頼む。どうにかしてリサと合流できれば……」


 リサが搭乗すれば十二分に勝ち目がある。少なくともこの個体ならば、だが。

 相手は既にこちらを捕捉している。ゆっくりと首がこちらを向いた。薄気味悪い事に、首だけだ。胴体は未だ背中を向けたまま。その眼は複眼めいた――人型なのに人らしくない、有り体に言えば文字通りの化け物染みた風貌を晒している。更に頭部についているアンテナがウサギの耳の様に見えるのは悪い冗談としか思えない。


 その口らしきところがつり上がった。人から離れつつあるにもかかわらずそこだけは人そっくりの三日月の様な笑みは怖気を走らせる。


《回避行動!》


 ヴィクティムの警告が無ければその瞬間に終わっていた、と誠は一瞬遅れて思う。

 気が付いたら杭がモニター全面にドアップで映っていた。それが真っ直ぐに頭部を貫こうと狙ってくるパイルバンカーの先端だと気付くよりも早く身体が染みついた動作をこなしていた。敢えてバランスを崩すことで位置エネルギーを運動エネルギーに変える緊急回避。咄嗟についた掌の下に人がいたかどうかは考えない事にした。そのまま運動エネルギーを生かして円を描く様にして再びヴィクティムは立ち上がる。


 心臓が五月蠅い程に鼓動を刻んでいた。今のが避けられたのは運が良かったと誠は思う。敵の奇襲に誠は完全に反応できていなかった。

 向き合った敵機は未だこちらに背を向けている。つまり、先ほどまでと同じ、首を百八十度回した状態で相手は攻撃してきたのだ。ASIDにまともな精神を求めても仕方のない事だとは思うが、明らかにこの個体はこれまでの個体と違ってイカレている。


 笑い声が聞こえてきそうなほど口元を笑みの形にしたまま。頭は動かさずに身体だけを回転させて向き合う姿は怖気しか誘わない。


「とりあえず、こっちを見てくれたみたいだけど」

《首ったけになられても困ると言うのが本音です》


 甲高い金属音と共にASIDが左腕のパイルバンカーを振り回して来る。その大振りな一撃は本来ならば躱すのは容易い。しかし常識外の速度で振るわれていると言うだけで回避を困難にする。速さこそが力と言う好例だ。それを身を持って実証させられる誠としては溜まった物ではない。


 二撃目をどうにか回避して誠は早口にヴィクティムに尋ねる。


「避難状況は!」

《推定収容率78%》

「リサ、聞こえるか!?」


 今の調子ではそう長くは持ちこたえられない。リサとの合流を急ごうと通信を送るが返って来たのは非常に不明瞭な音声だ。


『……と君ですか!? こ……は今……ルタイプのASIDとこ……ですっ! ……く、……らに――』

「何だ?」

《通信が妨害されている模様。浮遊都市管制室との連絡途絶》

「あいつの仕業か?」

《不明。発信源は甲板の模様》


 この時の誠は気付けなかったが、頭上に浮かんでいる大型ASIDについていた最後の二つの鉄球。その一つが既に投下されていた。だがそれは今この場において何の価値も持たない情報である。

 ただ甲板でも何か起こっていると言うのは誠にも分かった。それは翻って――増援が絶望的と言う事。


 拙い所の話ではない。恐らく、地下施設を通ってリサと合流しようとすればこのASIDは追跡してくるだろう。都市のエーテルコーティングを突破できるほどの威力を持った武器をぶら下げて。

 逆にリサがこちらにきて合流すると言うのも難しいのだろう。向こうで何か起きていることは確実だ。加えてこの通信状況で向こうがこちらの状況を把握しているかどうか。


 そこでふと、眼前のASIDが何かに気を取られたように首を回した。余りに大きくさらけ出された隙に誠は一瞬躊躇するが大鉈を抜いて切りかかる。予想外なほど簡単にその一撃は相手の頭部に命中する。出力差でむしろ鉈の方がダメージが大きく、ヴィクティムのフレームも軋んだ音を挙げるが相手もその衝撃でよろめいた。

 罠かとも疑ったがその様子も無くまともに攻撃を受けている。理由はさっぱり分からないが誠はここがチャンスと連撃を加える――が、全く歯が立たない。


「硬っ!」

《現在のエーテルコーティングの収束では敵のエーテルコーティングを突破できない模様》


 もしかしてこうも隙を晒しているのはそもそもが敵として認識されていないからではないかと言う気が誠にはしてきた。彼自身何度か同じ事をした記憶がある。

 だがそれも意味なくそんな事をした訳では無い。理由があった。ならば、今こうして隙を晒すのは一体如何なる理由か。


 クルクルと首は回る。まるでその動作がレーダーの様に見えて可笑しさを覚えると同時に、誠は自分の思考に戦慄する。何かを探している。言い換えるならば何か標的がある。何かを狙っている。ASIDが、である。

 その何かを見つけさせてはいけない。そう思い誠は更に鉈を振りかぶる。


「収束率を上げられないのかっ」

《現在防御能力を優先してエーテルを配分しているためこれ以上は不可能》


 余計な事を、と言う訳にはいかない。全ては誠を守るために行っている事なのだから。だがそれでもこうもあからさまに眼中にないとばかりに放置されると怒りを覚えずにはいられない。これまで以上に不気味なこのジェネラルタイプを一秒でも早く撃破したいのだが誠にはその手段が無い。


 そして、またも三日月の様な笑みを見せつけて来たかと思うと急に走り出す。突然の遁走に一瞬呆然として見送ってしまう。気を取り直した時には既に大きく距離を開けられていた。


「あいつ、どこへっ?」

《推定目的地、環境保全区》


 ヴィクティムの返事は非常にシンプル。まさか、と言う思いが誠にある。だがそこは誠にとってもここ最近縁のある場所であり、そこに彼の主観で特別な何かがあるとしたら心当たりは一つしかない。


「……ミリア?」


 あそこに特別何か施設があるとは聞いていない。有るのは種の保全を目的とした樹木だけだ。人でさえミリアと誠位しか立ち入っているのを見た事が無い。

 常識的に考えればそこにミリア・ラングレイがいるはずがないのだ。先ほどまで浮遊都市全体で避難をしていた。今外に出ている人も一時帰宅だけで、寄り道をする余裕などない。

 いるはずがない。状況的には間違いなくそうであろう。

 だと言うのに誠の口は全く別の事を口走る。


「追うぞ!」

《了解》


 ナンセンス。不条理極まりない。行動に整合性が無い。何故自分がこんな行動をとるのかが全く分からない。だが何故だか誠はそこにミリアがいると言う確信があった。


 スタートの遅れは致命的だ。どんなに誠が気合を入れても、ヴィクティムの速度は変わらない。引き離される事こそないが、追いつく気配も無い。

 都市内にいるのがヴィクティムだけである以上、妨害者はいない。このままではASIDはヴィクティムに先んじて環境保全区に辿り付く。そこで何をするつもりかは推測の域を出ないが、ヴィクティムが追いつくまでに何かをするには十分な時間が得られるだろう。


 脇目も振らずに走っているASIDの背中を追いかける。不思議な事に、誠はその背中からASIDの感情を読み取れた気がした。喜び。今この個体は喜んでいる。そんな不思議な確信。もちろん誠にはその理由までは分からない。もしかしたら優美香なら理解とまでは言わなくても分析位は出来るかもしれない。或いはヴィクティムなら。


《センサに感あり。環境保全区に熱源反応一確認》


 有り得ないはずの熱源反応。確実にそこに誰かいる。正体不明の確信がミリアがそこにいると告げてくる。

 間に合わないのか。そう思った瞬間。ASIDが大きく仰け反る。衝撃で一歩下がって倒れ込むのを防ぐほど勢いのある打撃を加えたのは変哲もないハイロベート一機。


『……無事ですか! 誠様!』


 注意深く構える機体から届く通信は彼にとっても馴染のある声。その名を誠は呼ぶ。


「ルカ!」


 どうしてここに、など聞きたい事は幾らでもある。その全てを飲み込み、非常に身勝手なお願いをした。


「すまん、そいつを足止めしてくれ!」


 理由も言わない勝手な言葉にルカはむしろ嬉しそうに応えた。


『喜んで!』


 その隙にASIDを追い越して環境保全区に突っ込む。腰のあたりまである木を押し潰すようにしながら掻き分け、予想地点――あの花畑に最短距離で辿り付く。そこに彼女はいた。

 花畑の中で、驚いたようにヴィクティムを見上げている銀色の髪の少女。その無事な姿を見て誠は強張っていた表情が僅かに緩むのを感じた。


 ドームに空いた大穴の影響で浮遊都市内にも塵が流入している。ヴィクティムの警告を無視して誠はコクピットハッチを開き飛び降りた。


「ミリア、俺だ!」

「誠、さん?」


 ヴィクティムの中から降りてくる誠を見てミリアは目を丸くしている。当然である。頭部が付いているのはASIDという常識がある以上、パッと見でヴィクティムがそうではないと判断するのは難しい。一般人ではヴィクティムの情報を知ることが出来ない以上尚更だ。そこから人が、知人が降りてくると言うのは衝撃的だろう。


「どうしてこんなところに……いや、それはいい。とにかく危ない。避難するぞ」


 手を差し出すもミリアは石像になったかのように動かない。小さく唇がどうして、と動いた気がした。


『……と様、すみません! ……っぱされました!』


 不明瞭な通信。それでも緊急事態を告げていることは読み取れた。ここまで響いてくる足音。足元を揺らす振動。それらを合わせれば推測は容易だ。議論をしている時間は無い。誠は差し出していた手をひっこめ、代わりにミリアを抱きかかえる。思ったよりも軽かった。


「え、ちょっと。待って!」

「悪いけど少し我慢してくれ!」


 扱いについての苦情は後日受け入れるとばかりに誠は叫び返してヴィクティムの差し出した掌に乗り、コクピットまで運ばれる。ハッチを閉鎖。そして即座に戦闘機動。一瞬前までコクピットがあった空間を杭が貫いて行く。機体の表面を掠めて浅い傷を付けて行った。あと一秒動くのが遅ければそれによって誠とミリアは非常に風通しの良い身体になっていただろう。


 先ほどまでとは違い、このASIDは明確にヴィクティムを敵とみなしている。その理由、ここへ向かっていたことを考えると予想は出来る。


「ミリアを、狙っている……?」


 知らず呟きが口から漏れた。後部座席に乱暴に放り込んだミリアが息を飲む音がした。

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