EX2 噂話
ひそひそと。
噂話は始まる。
「さっきジェネラルタイプが攻めて来たって本当?」
一つは都市の内部から。整備兵が急ピッチでアシッドフレームの出撃準備を進めている格納庫の中でだ。
「攻めてきた、って言うのとはちょっと違うみたいだよ。確かに取り囲まれていたけど何か中に入っていくのを見たし」
「嘘、鹵獲したの!?」
もしそうならば是非見たいと桃色のショートカットの整備兵は思った。通常タイプのASIDとジェネラルタイプのASID。その二つの違いは良く分かっていない。サンプルとなる個体が少なすぎるのだ。主にジェネラルタイプの。
ジェネラルタイプとの戦いは文字通りやるかやられるか。通常タイプは多少傷つけるのを抑えて部品を取る、と言った方法が取られるがジェネラルタイプ相手ではその様な手加減の余裕はない。
それを証明するのが遠距離武器の無制限解禁だ。
浮遊都市アークにおいて射撃武器は限られた人間にしか持てない。最も弾が安価で構造もシンプルなクロスボウでさえ部隊を率いる隊長クラスにならないと持つことが出来ないのだ。理由は簡単。新兵では無駄弾を撃ってしまうし誤射もあり得る。火薬を使った火器ともなれば持てるのは全部で十人ほどしかいないエリートだ。
そう、実は普段の様子からは全くそうとは思えないがスナイパーライフルを持つ事を許されていたリサはエリートなのである。
だがジェネラルタイプ相手ではそうも言っていられない。まともに近接戦闘を挑んだら出力差にあかせた腕力で叩き潰されてしまう。それ故に囲んで弱らせ、近接戦闘で動きを封じ、切り札であるエーテル爆雷――高濃縮の結晶化エーテルはある刺激を与えると一気に融解し、そのエネルギーを解放する。それを利用した爆弾だ――でトドメを刺す。それで破壊されたジェネラルタイプは跡形も残らないし、それで倒せない個体は浮遊都市の戦力で倒すことは不可能だ。その場合はさっさと逃げる。
それ故に残骸が手に入ると言う事は殆どないのだ。
「良いなあ。分解したい。解体したい。バラバラにしたい」
恍惚とした表情を浮かべ始める同僚の整備兵を若干気味悪げに眺めながらもう一人の整備兵は続ける。
「鹵獲、って言う訳でもないみたいよ。何か自分の意志で着いてきたみたい」
「ASIDが自分の意志で……? そもそもあいつらって意志とかあったの?」
「そりゃああるんじゃない? 人を襲おうって言うのは」
若干投げやりな同僚の解答に桃色の髪の整備兵は頬を膨らませる。
「ぶーぶー。文ちゃんが何かおざなりだ」
「おざなりなのはあんたの手元の方だ!」
隣の同僚に抗議を送っていたら桃色の頭にガツンと拳が振り下ろされた。女性の細腕と侮ることなかれ。整備兵だ。普段から大荷物を抱えて筋力は鍛えられている。まして脳天からの一撃。全身をしびれるような衝撃が走った。
「いたっ、痛いです班長! 私ちゃんと整備しているのに!」
「どこがだ! この機械フェチめ! 撫で回すだけでちっとも作業が進んでねえじゃねえか!」
班長の言葉遣いは荒い。最初は彼女もこうでは無かったのだ。だが気が付いたら――仕事量が増え責任のある立場になったらこうなってしまった。時折本人はその事に気付いて悲しんでいる。
「班長! アシッドフレームちゃんに心を込めて撫でるのは良い性能を発揮するために必要な事です!」
「それ以前にちゃんとした整備が必要な事は分かってるよな、アアン?」
「はい、すみません……」
一瞬は勢いづいた物の、班長に凄まれた瞬間小さくなって首肯する桃色髪。それに鼻を鳴らして「ちゃんとやれよ」と言い残し、班長は別の所に去っていく。
◆ ◆ ◆
ひそひそと、或いは堂々と。
噂は伝達していく。
それを遠くから眺めていた一人のパイロットが今しがた聞いた内容を反芻する。そして彼女と同じように隣で機体の整備が終わるのを待っている同僚に話しかけた。
「ジェネラルタイプが投降してきたらしいね」
「うん、真っ白い個体だったよ」
手元に視線を落としたまま緩いウェーブを描いた金髪を二つに束ねた少女は何気ないようにそう答える。その返事に声を掛けたパイロットの方が驚いた。
「見たの?」
「見たよ。格納庫――第三の方に入っていくのを見た」
へえ、と感嘆の息を漏らした。てっきり無責任な噂だと思っていたが、まさか本当だったとはと言う驚きも入り混じっている。
ASIDとのコミュニケーションが取れた事例は無い。あれだけの集団、複数種による群れ。それらを形成している以上何らかの社会構成があるのは確実だが、その意思疎通方法は解明されていない。あの金属質な鳴き声がそれかと言う説もあったが、そうと分かる程に解析は進んでいない。
それ故に投降してきた、というのは予想外にも程がある事だった。
「大きさは?」
「フレームと同じくらい」
「ってことは通常型と変わらないって事か」
金髪の少女の端的な解答にもう一人は一々大げさに頷く。そこでふと気になって尋ねてみた。
「ねえ、さっきから何やってるの?」
「拾った」
端的にそう言って戦利品の様に少女が持ち上げたのはお茶くみロボット(ヴィクティム専用機)だった。こっそり都市内部を探索しようとしたらあっさりとこの少女に捕まってしまったのだ。
「……なにそれ?」
「分からない。さっきまで動いてた」
「子供用のおもちゃ……にしてはでかいよな」
今は隠密性を少しでも高めるために頭部のお盆は外してある。それ故に余計に何なのか分からないと言う事態を生んでいた。ちなみにこうなった時点でヴィクティムは全ての動作を停止して単なる置物を装っている。
「分解できない」
「継ぎ目も無いしなあ。そこの整備兵に頼むか?」
先ほど殴られた頭を押さえながら作業をしている桃色髪の整備兵を親指で示すと金髪の少女はゆっくりと首を横に振った。
「……良い。忙しそうだし」
「まあそうだな。っと、私たちの機体整備終わったみたいだから行こう」
「うん」
そう言って二人ともアシッドフレームに乗り込む。お茶くみロボットはようやく解放され、そっとその場から立ち去った。
アシッドフレームに乗り込んでも先ほどの会話は続く。
『それで、どんな形してた?』
「人型だったよ。何かおっきな剣と大砲見たいの持ってた」
背中に背負っていた特徴的な二つの装備を挙げると画面の向こうで同僚は顔をしかめた。
『遠近どっちにも対応できるタイプか。暴れ出したら面倒だな』
『何々? 例の機体の話?』
『例の機体?』
通信回線での会話に割り込んできたのは既に搭乗して待機中だった別の同僚だ。金髪の少女がぼんやりとした視線を向けている間に二人は会話を勧める。
『あれ、違ったの? 第三格納庫に入って行った機体の話でしょ?』
『それジェネラルタイプって聞いたんだけど』
『ああ、それ誤報だってよ。あそこに乗っていたのは人間』
『人間!?』
裏返った同僚の声をからかう余裕も無い。あっさりと告げられたその事実は浮遊都市の人間にとっては衝撃的な話だ。
「まだ、どこかに人の生き残りがいたと言う事?」
『その辺は分からないケド……』
でも、と悪戯っぽい笑みを浮かべて同僚は続けた。
『噂じゃパイロットは男の人らしいわよ』
『おいおい……旧時代からタイプスリップでもしてきたのかよ』
冗談めかして言ったその言葉が実はかなり惜しいところを付いているのに少女は気付いていない。この時点で本気でそう考える人がいた場合、それは卓越した先見性と言うよりも単なる夢想家の類になってしまうのだが。
「人……旧時代の」
金髪の少女がそう呟く。茫洋とした瞳に一瞬輝きが宿った。興味がある。旧時代。そこがどんな世界だったのかと言う疑問はこの少女を魅了して離さない。
叶うならば一度話してみたい。そう思った。
通信回線の会話は段々と卑猥な方向にシフトしていく。その内容について行けずに金髪の少女は眼を瞬かせた。その会話は管制室から自制しなさいと言う叱責が飛ぶまで続けられた。
◆ ◆ ◆
ヒソヒソと。
噂話は形を変えて行く。
「まったく……」
黒い長髪を三つ編みにした切れ長の目の少女は管制室の一角で溜息を吐く。今しがた通信回線で行われていた猥談を思い返して頭が痛くなる。そのため息をどのように誤解したのか、隣に座る新人がビクッと背筋を震わせた。
「す、すみません! 何かミスをしていましたか!」
「……いえ、別に貴女に言った訳じゃないわ」
そうフォローする言葉も冷たく感じる。新人はますます萎縮してしまいどうしたものかと三つ編みの少女はもう一度溜息を吐こうとしてそれを堪えた。ここで溜息を吐いたらこの新人の少女はますます震えあがるだろうと言う予感があったからだ。
別に自分は本当に怒っていないのに、と小さく心の中で呟く。昔からそうだと三つ編みの少女は嘆く。自業自得な面もあるとはいえ、このキツメの見た目で大分損をしているのは事実だった。睨んでもいないのに睨んでいる、と言われるのは序の口。やってもいない悪事をやったと言われるのにはいい加減に飽き飽きすると少女は諦観の入り混じった溜息を吐く。それによって新人が背中を震わせていたがもう気にしない。そのうち慣れるだろうと開き直った。
それにしても、と三つ編みの少女は考え込む。
浮遊都市の外に人間がいたなどと言うのは前代未聞だ。一体どんな人なのか。興味は尽きない。しかも男。
浮遊都市の人間が知っている男性と言うのは三人だけである。そしてその三人も年に一度、運が良ければ会えるかどうかだ。毎年新年を祝う祭りに参加しているのだが、彼ら三人が参加するのは厳かな式典のみで大多数の一般市民には縁が無い。他に会う機会と言ったら――離宮を夜に訪れた時のみである。ちなみにその場合は必然的に一対一ということになり、やはりこちらもそうそう有る事ではない。
そこが四人になった所で自分との接点は増える事は無いだろうと少女は思考を切り替えた。今はその様な事を考えている場合ではない。パイロットたちは出撃前の緊張をほぐすために雑談をするのも良いだろう。しかしそのパイロットたちを戦場に案内する管制官が気を抜いていてはいけない。
何故なら彼女たちは文字通りアークの眼だ。各所から送られてくる膨大な情報を分析し、パイロットたちに適切な形で送り届け、戦闘に耐えうる視界を確保する必要があった。
それでも、気の緩みと言うのは存在する。密やかに管制室でも四人目の男についての噂話が広がっていた。
曰く、二メートルを超える大男であった。
曰く、腕が自分たちの胴程も太かった。
曰く、安曇様を射殺さんばかりに睨みつけていた。
などなど……。そのほとんどが背ビレと尾びれがくっ付いて元とはかけ離れた形状になった物だ。だがその中で唯一真実に近い物があった。
曰く、その彼が乗っていた機体は旧時代の産物で全てのASIDを倒すために来たらしい。
むしろそれは誰かが言った願望だ。その願望がいつの間にか事実になってしまっているのが伝言ゲームの怖いところである。
そんな噂を聞いて少女は馬鹿らしいと鼻を鳴らす。そんな凄い機体ならばこんな時まで温存しておかないで六百年前に投入してしまえばいいのだと。
だが同時にそんな噂を話す人の気持ちもわかった。浮遊都市の人間はこの閉塞感をどうにかしたいと思っているのだ。生まれた時から逃げ続け、逃げ続け。されど状況は変わらず。ジリジリと鑢で足先から削られていくかのような錯覚。真綿で絞めると言う言葉があるがまさにそれだ。すぐには影響はない。だが確実に一歩一歩滅びは近づいてきている。
その様な状況から解放されたいのだ。その様な絶望から抜け出したいのだ。
その思いは少女も持っていた。だからこそ、そんな無責任な噂に腹が立つ。どうせそんな事など有り得ない。変な希望を見せないで欲しいと。
そんな事を考えていたら少女の眉間には皺が寄り、更に新人を怖がらせてしまっていた。どうにか宥めて通常業務に復帰させる。
それから一時間ほどたった頃だ。少女はある機体の発進を補佐する事となる。
◆ ◆ ◆
彼女たちはまだ知らない。
桃色のショートカットの少女も。
金髪のツインテールの少女も。
黒い三つ編みの少女も。
それぞれがそれぞれの形で噂話の中心人物と深く関わっていくことになるとは。
今はまだ、知る人はいない。
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