20 躍進

 行きと同じく二時間程かけて浮遊都市に戻ったころには既に日が沈みかけていた。

 ただでさえ赤い空が更に赤く染まり、夕日の色が地面にも映りまるで世界が燃えているかのよう。地獄の中を歩んでいるかのようにさえ錯覚してしまう。

 そんな不吉な想像を振り払おうと誠は努めて明るい声で後ろのリサに話しかけた。


「上手く倒せてよかったよな。浮遊都市の修理ってどうなってんのかな?」

「多分まだやっていないと思います。ボク達が帰還して安全が確認できてからじゃないと修理する人たちが危険ですから」


 会話は成立している。だがリサの返事がどこか上の空と言うか、耳に入ってきた質問に自分の知識で半ば無意識に答えているような口調だ。

 はて、と誠は首を捻る。少し気になって操縦をヴィクティムに任せ、振り向く。意図せずに僅かに開いた口。目線は焦点があっておらず虚空を見つめている。非常に教育上よろしくない絵面一歩手前である。


「リサ?」

「…………」

「リサー?」


 目の前で手を振ってようやく意識が舞い戻ったらしい。リサの目の焦点が振られている手に合い、瞬かせる。


「あ、えっとどうしましたかマコト君」

「いや、どうしましたはこっちのセリフなんだけど。何かぼんやりしてたけど大丈夫? 疲れたなら寝てても良いよ」


 過去の経験――悲しい事に妹一人だが――から女性がぼんやりしている時に有りそうな事を挙げてみる。よくよく考えると二つ下の妹は相当に単純だったのではないだろうか。ぼんやりしているイコール眠いしかパターンが無いと言うのはいかがな物だろうと遠く離れた今頃になって誠は心配になる。だが今は目の前にいない妹よりも目の前にいるリサだ。

 誠の問いかけにゆっくりと首を振る。


「いえ。確かに疲れてはいますが問題はありません。むしろマコト君の方こそ休んでいても良いんですよ? 慣れない事ばかりで疲れたでしょう」

「俺もそんなに疲れてないから大丈夫だよ」


 そこで会話が途切れてしまった。やはりどうにも様子がおかしいと誠は確信する。そう長い付き合いではないが、この一週間こんな風にぼんやりとしている姿は見たことが無い。それこそ疲れが出たのかと思ったがそれも否定された。数分頭を悩ませるが結局思い当たる事は無い。素直に聞くことにしようと誠は白旗を上げる。


「なあ、さっきから様子がおかしいぞ」

「そんなことありませんよ」

《否定。搭乗時の表情サンプルから平時と比べて口が約八ミリ大きく開いており、眼の焦点が連続して合っていない時間が30秒以上継続する事が増えています。いつも通りには程遠いかと》


 そんな物取ってたのかヴィクティム、と突っ込みながらナイス援護と褒め称える。ある意味でヴィクティムは究極の中立者だ。誤魔化しの利かない人工知能にそう言われたらそれはほぼ確定と言えよう。リサもそれが分かったのか、ため息を吐いて重い口を開いた。


「別に、大したことじゃありませんよ。ただ、これで浮遊都市に戻ったらボク達もお別れだと思ってただけで」

「え、何で」


 唐突にされた別れの宣言に誠は目覚めてから一番に狼狽する。誠にとってリサはここに来てからほぼ共に過ごしてきた相手だ。どういう形にせよ良い関係を築けていると思っていたのは自分だけだったのだろうかと誠はちょっとだけ泣きそうになる。


「だってマコト君の立ち位置がどうなるにしろ、重要人物には変わりありません。離宮に入るにせよ、ヴィクティムで戦い続けるにせよ。そうした場合ここに座る人も改めて選出する事になるでしょうし。そうしたらボクらの接点は無くなってしまいます。それが残念で寂しいな、と」

「……? ごめん。ちょっと良く分かんない」

「ですから、マコト君の立場が――」

「いや、そうじゃなくてさ。別に俺の立場がどうなろうと俺とリサの接点が無くなるなんてことは無いだろう。別に部署が違ったりしたって偶に会って話す位は出来るだろう。友達だし」


 愛想を尽かされた訳ではないと分かり、少しだけほっとする。そして先ほど泣きそうになった気恥ずかしさを誤魔化すようにやや早口で誠はリサの考え違いを否定する。誠としてはそれほど変な事を言ったつもりはないのだが、リサが呆然とした顔をしているのが意外だった。


「友、達」

「え、もしかして違った? そう思ってたの俺だけ?」


 そうだとしたらものすごく恥ずかしいと同時に切ない。だがそうではなかったらしくリサは嬉しそうに笑う。


「そうですよね。うん、そうでした。友達、ですよね」

「お? おおう。もちろんだ」


 途端に上機嫌になったリサを見てこれ以上は言う必要は無いとも思ったが、その勢いのまま言おうと思っていたことを口にする。


「それにサブドライバーがリサじゃなくなったとしても俺はリサに後ろを守って欲しいと思うけど。一番信頼できる人だし」

「……マコト君。さっきから結構恥ずかしいと言うか気障と言うか、そんな感じのこと言ってるの分かってます?」

「分かってるよ。分かってるから触れないでくれると助かる!」


 さあどうしましょうかと笑うリサの表情にはもう陰りは無い。どうやら本気でそこを心配していたらしい。


「しょうがないですねマコト君は。そこまで言われたのならボクもそれに応えないといけませんね。……ええ、約束します。マコト君の背中はボクが守るって」

「…………ありがとう」


 そう真っ直ぐに言われてしまうと誠もふざける事も出来ず、逸らしたくなる視線を固定しながらそう言うしかできない。僅かばかりの時間お互いの視線が交錯し合い、逸らすタイミングを失った所で。


《警告。自立行動時間が五分を経過しました。周辺状況確認の為メインドライバーの判断を求みます》

「あ、ああ。悪かったヴィクティム!」

「浮遊都市に着くまでが戦いですからね。油断してはいけませんよ!」


 一瞬前の空気を振り払うようにことさらに二人は大きな声を出してヴィクティムに応じる。


 既にここからでも地面に半ばめり込んだ状態の浮遊都市は見えてきている。最初に見た時にあがっていた黒煙は既にない事から大きな被害は出ていないのだろうと思われる。更に近付くと周囲を警戒しているアシッドフレームの部隊の姿も見え、誠達が大本を叩いている間に不測の事態が起こっていなかったのだと言う事が分かり安堵の息を吐く。


「無事みたいだな」

「ですね。本当によかった」


 互いに口にしたのは浮遊都市の現状を喜ぶ言葉だったが、そこには明白な温度差がある。即ち、あくまで仮宿としてしか見ていない誠と故郷であるが故の愛着を持つリサ。幸いと言うべきか、或いは不運にもと言うべきか。判断はここでは付かないがその温度差に気づく人間はここにはいなかった。その為何事も無く話は進む。


 立ち並ぶアシッドフレームの数々を見て、そしてその全てが陣形を整える様に整然と並んでいるのが見えてくると不安が舞い戻ってくる。あれではまるで何かを待ち構えているようだ。


「ヴィクティム。周辺にASIDの反応はあるか?」

《当機の索敵範囲内に敵性反応は無し》


 一瞬、ASIDの群れでも見つけたのかと思ったがそうでもないらしい。理由が分からず困惑する誠にリサは納得の声を漏らした。


「ああ、そう言う事ですか」

「つまり、どういう事なんだリサ」

「そう言えばいつの間にかボクの事呼び捨てになっていますね……まあ良いですけど。すぐに分かりますよ」


 言われて敬称がいつの間にか抜けていることに誠も気付いた。年上を呼び捨てにすると言う事は今までした事が無かったので自分の無意識に驚く。少し悩んだが相手が良いと言っているのだから呼び捨てで良いだろうと判断する。正直に言うと「さ」が重なって言い難かったのだ。それに何より、音が二つだけと言うのが何故か妙に綺麗な響きに思えてしまう。


 更にヴィクティムを歩かせ、アシッドフレームの隊列に近寄ると全機が一斉に膝を着き、例の鈍器とも刃物ともつかない長剣を掲げた。一糸乱れぬその動きに誠は圧倒される。そして一斉に響く通信の声。


『ありがとう!』『アンタのお蔭で助かったよ』『ここからでも光の柱見えてたよ!』『ようこそアークへ!』『すっごいんです』『かっこよかったよ』


 誰一人として聞いた事の無い声だ。だがその全てが好意的な物――彼を新たな住人として歓迎する声だった。出撃前に遠巻きにされていた事との差異。急変した状況が掴めずに呆然とする彼にリサが答えを教えてくれた。


「今回の相手がどれだけの難敵か。フレーム乗りなら誰にだってわかります。ボク達はある意味とても単純ですからね。強い人なら大歓迎ですよ」

「……すげえ野性的な論理だな」


 だけど、と彼は言葉を続ける。


「悪くない気分だ」

「そうでしょう? ボクもこんな風にみんなからちやほやされるのが快感です」

「そう言う意味じゃないよ!?」


 段々と、リサが思っていた以上に突っ込みどころの多い人間だと分かってきたことに誠は悲しいような嬉しいような何とも言えない気分になる。より素を見せてくれていると思えば良いのだが。

 そんな事で悩む誠に後ろからリサは声をかける。


「ようこそアークへ。そしてお帰りなさい」

「……ただいま」


 ◆ ◆ ◆


 ヴィクティムから降りてからも抱き着かれたり背中を叩かれたりと盛大に歓迎された後は行政局の人達との会食。更に都市内部の軽い案内と当面の住処に案内される。それらをこなして再びヴィクティムのコクピットに戻ってきた時には既に丸一日近くが経過していた。


「……さあ、ヴィクティム。見せてくれ。この都市で得られた情報を」

《了解。モニターに投影します》


 映し出されたのは大量の文字、映像、音声、動画。人間が情報として保存できる様々な形が一斉に誠に叩きつけられる。その全てに目を通して、彼が望む情報を探し出していく。既にここにあるのはヴィクティムが選別した後の情報だ。探すのは比較的容易い。


「遠征隊の成果記録……これか。過去六百年の物が欠損無しで存在している何てな」

《歴史的資料の大半が消失していたことを考えると奇跡的とも言える状態の良さです》

「そうだな」


 六百年と言うと膨大な量を想像してしまうが、遠征隊が出る頻度は年に三度程度。そして首尾よく旧時代の施設を見つけて探索できるとなると十年に一度と言った程度になる。大小さまざまな六十個程の成果が並べられるが、そこに誠が求めていた物は無い。


「遠征隊が旧時代の人間を見つけた、って言う話は無いんだな。その辺りの資料が丸ごと消失した可能性は?」

《悪魔の証明となります。望む情報が消失していないと断言は出来ませんが、他の資料から類推するにその可能性は低いかと》

「だよな……」


 旧時代の遺跡から見つかった人間がいるのならば同じような境遇かもしれないと期待したがどうやらそんな都合のいい結論は無い様だ。ほんのわずかに失望の色を混ぜた息を吐きながら次の情報を探す。


 元の世界に戻る方法。自分がここにいる以上、世界を移動する方法がどこかで見つかったはずだと言う彼の予想。ここはファンタジーな魔法が溢れる世界ではない。そうでない以上純然たる技術、理屈さえ分かれば万人に再現できる法則があるはず。そんな縋る様な彼の希望は叶えられることは無い。


「ワームホールを利用した空間転送に関する研究……ミクロン単位未満の話じゃないか」

《しかしながら浮遊都市のデータベースに存在する中で最も近いのはそれでした》

「って事はこの都市には俺が戻る方法は無いって事か」


 或いは、完全にネットワークから切り離されたデータベースなどがあるのかもしれないが、その可能性は低いだろうと誠は考えていた。理由としては至極シンプル。この都市には情報に関してセキュリティの概念が存在しない。人類は十万人と少し。そんな中で情報テロ活動は文字通り自分の首を絞める。同時に情報分野の知識は失われて久しい。今ある物を維持するので手一杯なのだ。それ故にヴィクティムは容易く情報を抜き取る事が出来たし、同様の理由でそんな厳重なセキュリティを施しているとは思えない。


 やはり、旧時代の施設――叶うならば転移そのものが可能となる施設を発見する事が望ましい。それを探すためにはASIDの殲滅という命題が立ちはだかる事になる。

 クイーンASID。未だ姿を見た事さえ無い最大の障害。


 ヴィクティムが全性能を発揮できれば討伐は可能だと言った。しかし現状ではその配下であるジェネラルタイプ一体にさえ梃子摺る有様。その様な無様を晒している様ではクイーンを倒すなど夢のまた夢だろう。


「そもそもクイーンASIDってどんな奴なんだ」

《都市の記録に映像があります》

「見せてくれ」

《了解》


 映し出された映像は一言で言うのならば酷い映像だった。撮影者の手が震えているのだろう。画面全体が揺れていて見難い。そもそもカメラが真っ直ぐに構えられていないらしく大本からして斜めになっている。


『他の浮遊都市に住む人類の同胞たちにこの映像を残す』


 撮影者の声なのだろう。ナレーションの様に吹き込まれたそれは意外な事に男性の物だった。声の感じからすると二十歳か、もう少し上位に感じられる声。彼は淡々と言葉を続けた。


『現在我々の浮遊都市はASIDの攻撃を受けている。確認できた敵戦力はジェネラルタイプが十二体。通常タイプは数えるのが馬鹿らしくなる程の数。そして――クイーンタイプと思われる個体がいる』


 歩いているのだろう。規則的に上下する画面はそうとしか思えない。その歩調には絶望的な状況に対する焦りや恐怖そう言った物が一切見られないのが誠には不思議だった。


『当都市の離宮は中央深くに存在する。それ故に堅牢。私が死ぬのも恐らくは都市の中で最後になろう。だがここで死を待つくらいならば何かを人類に残したいと考える』


 声の主はそう自分の決意を表明する。そうしてエレベーターらしきところに乗り込み更に歩いている様子が映し出されて、その最中パニックになっている都市の様子が一瞬映された。だがそれも本当に一瞬。すぐさまカメラは別の場所を向き、上下の揺れが止まった。強化ガラスで覆われた都市部の外縁。そのどこか高い建物の上らしい。


『あれが、クイーンタイプだ』


 そう言って映し出されたのは――空を飛んでいた。爪があった、牙があった、翼が、尾があった。その姿は伝説の中にいるドラゴンその物。荒唐無稽とも言えるその姿に誠は絶句する。大きさは全長は兎も角全高はトータスカタパルトよりは小さいだろう。三十メートルと言った所か。だが頭から尾までの長さ。それに加えて翼を広げた時の大きさは亀とは比較にならない程大きい。


『既に我が都市のアシッドフレームが三十機近く食われている』


 その姿はこの映像からも見て取れた。地面に急降下し、その爪で機体を掴んで上昇。まるで遊ぶように宙に放り投げた後尾で叩いて都市にぶつけている。


『私の命の続く限りこの映像を残そう。この映像からクイーンを倒す手掛かり、その僅かな手助けとなれば本懐である。だからどうか――』


 映像はそこで途切れた。何が起きたのかは明白だ。その直前、画面に映っていたのは大写しになった強化ガラスを突き破って来たアシッドフレームの姿だったのだから。


《映像は以上です》


 恐らくはこの後この都市は落とされたのだろうと誠は見当を付ける。だがそうなるとリサからの説明に矛盾が生じる。飛行するASIDはおらず、他の浮遊都市は全て墜落したとの話だったはずだ。そこから想像できるのは、この映像は秘匿されていると言う事。


「これが表に出たとしたら……」

《恐らくはパニックになるでしょう》


 都市防衛の要であるアシッドフレームが歯も立たず、浮遊都市が空を飛んでいようが関係なく向こうも飛んでくるASID。そんな存在が明らかになったら短絡的な行動に走る者がいてもおかしくは無い。唯一の安全地帯だと信じられていた空がそうでは無かったと分かった時にどういう行動に出るか。それを正確に予想する事は出来ない。


 とは言え、これを見て新たな疑問が生じる。


「……こうしてクイーンが空を飛べるのならどうしてアークはまだ落とされていないんだ?」


 何か理由があるはずである。その理由こそが対クイーン戦でも重要になる。そんな気がした。


「まあとりあえず……今日は休むか。いい加減に疲れたよ」


 地下施設で目覚めてからようやく訪れる事が出来た人里だ。一日くらい休んでも罰は当たらないだろうと彼は思う。


 この街で暮らしていく。恐らく面倒事は多い。今まで彼が暮らしてきた世界とは文字通り常識が違う。なまじ自分の中の常識がある分軋轢は大きくなる。そうだとしても、


「俺はここで暮らすしかないんだ……元の世界に帰る日まで」


 自分に言い聞かせるように誠はそう呟く。


 ――元の世界に帰って「 」に会いたい。


 無意識でそう考えて彼は困惑する。一体今自分は誰の事を思い浮かべたのだろうか、と。誰かに会いたいと思ったはずだ。だがそれがパッと出てこない。もちろん両親妹、友人たち。会いたい人はいる。だがその中の誰かだったか。


「一瞬前に考えてることが分からなくなるなんて……疲れてるのかな」


 そう言って誠はヴィクティムのコクピットから這い出て自分の部屋へと歩いて行った。明日からの生活に僅かな期待と不安を等分に感じながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る