18 道のりは遠く険しい

「糞、弾切れとかねえのかよ」


 悪態を吐いた誠の瞼に汗が伝う。既にアークを発ってから一時間が経過した。その間に詰めた距離は僅か百二十キロメートル。本来ならばもっと進んでいてもおかしくは無い。だが断続的に行われる面制圧。それに巻き込まれる事で時間と、そして体力を奪われていた。


「こうもしつこいと、辟易してきますね」


 三重だった追加装甲は一層目が破棄されている。度重なる砲撃によって損傷が限界を超えたのだ。実際は破棄したと言うよりも破棄せざるを得なかったと言う方が正しいレベルで傷だらけになっていた。


 それだけの衝撃を繰り返し受けた事で機体は幾度となく揺さぶられる。いくら覚悟しているとはいえこうも立て続けでは搭乗者の体力も容赦なく削られていく。


 愚直なまでに真っ直ぐ進んでいる結果とも言えるのだが、砲撃を避けようにも相当な広範囲に撒き散らされたクラスター弾を全て避けきるのはヴィクティムと言えども物理的に不可能だった。


《警告。現在の損耗率から計算すると接触前に追加装甲は全て剥離。これ以上進攻した場合撤退が不可能になる可能性あり》

「一度退けって?」

《肯定。当機の予測が短絡的でした。敵機が単独でこれほどの面制圧を行えるとは推定しておりませんでした。故に、現状の装備では対処が難しい物と思われます》


 確かにヴィクティムはその主眼を接近してからの六分に置いているようだった。道中は無視しても良いと言わんばかりの態度。だが冷静に考えれば誠はヴィクティムにその方針を丸投げしていたが……ヴィクティムとてASIDとの実戦経験は記録に無いのだ。有るのは誰が遺したともしれない六百年前の記録。作戦立案能力は別として経験量は誠とそう大差が無い。


 そしてこの場で最も経験豊富なのは――。


「甘いなあ、ヴィクティムは。ASIDとの戦闘何て大体いつも予想外さ」


 機体に乗っている時はその印象を大きく変えるリサだ。彼女は雌豹の如き笑みを浮かべる。


「風は無い。塵も待ってない。視界は良好! だったらボクに任せて貰えるかな。この一時間で相手の弾道とヴィクティムの機動の癖は掴んだ」


 そう言いながら彼女は指鉄砲を作り、真っ直ぐにモニターを超えたその先の空を指す。


「撃ち落としてみせるよ」


 瞬間誠は迷う。ヴィクティムの言っていることは正しい。予想外の事態ならば準備を整えて出直すべきだ。

 だが同時にリサの言う事も正しい。予想外の度に出直していたら何も出来ない。ASIDは予想外の塊とも言えるのだから。


 だから迷う。迷い、そして下した決断は。


「頼む。リサさん」

「うん。任せて。ボクが守ってあげる」

《方針を了解。肩部追加装甲を破棄。エーテルカノン展開》


 騒々しい音を立てて肩から鈍色の装甲が弾け飛び、その下にある純白の装甲が露わになる。そうする事によって背中から伸びるエーテルカノンが干渉を避け機体の前面に展開される。それを握りしめ、走りながら空に向けた。その姿はまるで槍を構えて敵に突撃する騎士の様。


《敵砲弾を捕捉。予想軌道を表示》

「射撃管制をサブドライバーに」

「了解」


 誠がリサの射撃を見るのはこれで二度目になる。だが一度目はどちらかと言えば砲撃だ。狙撃ではない。ここからでは豆粒よりも小さい物体を本当に撃ち抜けるのだろうかという疑問がある。


 仮に自分が撃つならどうだろうと誠は考えた。リサを助けるために出撃した追撃戦の時の様にヴィクティムの補佐ありでの狙撃。多分無理だろう。距離が違いすぎるのだ。あの時は精々が十キロ離れた、極論を言えば平面上での狙撃だ。大きさもヴィクティムと同じくらいにあった。

 対して今度の標的は空から来る。風の流れが高度によって違う。重力の影響がこちらの弾道にも相手の弾道にもある。不利な条件を上げればキリがない。


 更に言えば、リサは機体を止めずに走らせ続けている。それが正気の沙汰でない事は言うまでもない。静止状態でも成功させたら神業である様な難易度。そこに自ら不利な条件を加えるとなれば被虐趣味でも持っているとしか思えない。可能な限り真っ直ぐ、一定の速度で走らせているがそもそも地面が平らではない。凹凸のある場所を走っている以上揺れは避けられない。


 一言で言うのなら、狙撃が成功する要因を探す方が難しいレベルだ。


 だと言うのにリサは。


「…………命中」


 空中に一輪の花を咲かせた。それが子弾をばら撒く前にエーテルカノンから放たれた一筋の光に貫かれたクラスター弾のなれの果てだと気付くのには一瞬以上の時間を必要とした。


 爆炎の絨毯の中に空いた全体からすれば僅かな――しかし回避するには十分な隙間をヴィクティムは駆け抜ける。


《次弾を捕捉。軌道表示》

「大丈夫だよ。ヴィクティム。もう慣れた……良く見える」


 そんな事を言ってリサは再び引き金を引く。そしてまた花が咲く。その光景を見て誠は震える声で尋ねる。


「なあ、これってそんな簡単な事なのか?」

《否定。当機の狙撃補助では到底不可能な領域である。この様な狙撃が可能な人間がいるとは当機の計算では予測不可能》

「文字通り人間業じゃないって事か……」

「酷いですね、二人とも。ボクは普通の可愛い女の子ですよ」

「いや、絶対に普通じゃないって」


 可愛いを否定された無かったことにリサは笑みを浮かべる。それは先ほどの雌豹の如き物ではなく、華がほころんだような愛らしい物。それを見る事は誠には叶わなかったが。


「このまま真っ直ぐに進んでください。ボクが全部撃ち落として見せます」

「ああ、頼むよ。リサさん」

《この調子ならば装甲二層残して接敵が可能と思われる。非常に順調である》


 走る、撃つ。走る、撃つ。


 今誠が注力するのは少しでもリサが狙撃をしやすい環境を作る事。彼女の化け物染みた技量ならばその程度で影響される事はないのかもしれないが、念には念を入れる。


 そして只管に走り続ける事九十分。その間に撃ち落としたクラスター弾の数は四十五発。ついに三十八キロまで近づく。そこまでくれば――見える。


《敵、ジェネラルタイプASIDを有視界にて捕捉!》


 既に地平線の向こう側から砲台の先端が覗いている。それが意味する事は一つ。これまで相手は地平線越しに砲撃を届かせるために大きく空を迂回させていた。だがこうして互いの姿が見える距離になったのならばその様な余分は必要ない。ここからは直接狙ってくる。だから空を警戒する必要はない。


 そんな風に緩む瞬間を狙っていたのか。


 出し惜しみはしないとばかりに空から飛来するのは大量のクラスター弾。


 単調とも思える程に、そして無為に面制圧を繰り返していたのはこの一瞬の為。一度なら受けても大丈夫だと思い込ませるため。


 たった一度。この避けようの無いタイミングで来る多重面制圧。狭い範囲にこれまで以上の数を密集させて行う面制圧。


 気付いた時にはもう遅い。何時から仕込んでいたのだろう。ほぼ直上から塵の幕を突き抜けてきた大量のクラスター弾はどうあがいても回避しきれない。


 誠も、ヴィクティムも虚を突かれた。


 リサだけは平然とそれを受け止めていた。


「読んでいましたよ。きっとこのタイミングで仕掛けてくるって」


 そんな風にリサが呟いたのが誠には聞こえた気がした。有り得ない話である。幕を突破してから子弾をばら撒くまでにかかる時間は一秒未満。その間に言葉を呟く余裕があるはずもない。だからこれは空耳か――或いはヴィクティムを介して繋がっている二人の意識が混線した結果なのかもしれない。


 操作は遅滞なく。狙撃モードだったエーテルカノンが本来の仕様である砲撃仕様に切り替わる。直上に向けられた砲口にエーテルが満ちる。そして発射。蓄えられていたエーテルを一息に解放しヴィクティムの全高を超える程の直径を持つ光の柱を生成した。


 全てのクラスター弾を飲み込み、塵さえも消し飛ばし、そしてその先の青い空にまで柱は伸びて行く。それが消え去った後の空白。そこから見える青空を見てリサは感嘆の息を吐いた。

 美しいと。六百年空を奪われ続け初めて青空を見た少女は呟く。


 惚けていたのは一瞬だ。砲弾が跡形もなく消滅したのを確認してエーテルカノンを格納する。荒い息を吐いたリサが流れ落ちる汗を拭う。


「流石に、ここから先は撃ち落とすのも厳しい……後は任せました」

「ああ。任せてくれ」


 最後の最後までこの有視界距離まで神経を張り詰めさせていたのだろう。リサは出撃前に三十分交代を提案した。その三倍の時間一人に負担を強いる結果となったのだ。婦女子にそこまでさせて、残りを全て引き受けなければ男ではないと誠は思う。


 ああ、本当にどうしたのだろうと彼は口元に獰猛な笑みを浮かべる。


 自分はこんな性格だっただろうか。闘争を好む性格だっただろうか。戦友の挺身に心を震わせるような人間だっただろうか。

 違ったはずだ。違ったはずだが、そこに違和感こそ感じれど、嫌悪感は感じない。むしろそうある事が心地良いとさえ思う。


「行くぞヴィクティム!」

《了解》


 速度を一定にすることに、機体を揺らさない事に気を使う必要はない。ひたすらに前に進むためだけにヴィクティムは一歩を踏み出す。


 敵からの砲撃は――まだない。


 弾頭の交換に手間取っているのだろうか。理由は不明だがこれはチャンスである。この距離を踏破してトータスカタパルトの懐に入り込むのに必要な時間は千五百秒。その貴重な時間を向こうから提供してくれているのだ。ありがたく有効活用させて貰おう。


 更に進む。砲塔が仰角を調整した。砲口が覗けるほど。ヴィクティムとトータスカタパルトの間に遮蔽物は何もない。一本の直線で結ばれて――。


《敵機砲撃を開始!》


 予想外すぎる数の徹甲弾――それも爆発するものではなく只管に貫通力を重視した物――が一挙に迫る。クラスター弾の様に一つの弾が弾けたのではない。だがそれと遜色無い程の数。その理由は非常にシンプルな物。一秒間に50発もの弾を吐き出したに過ぎない。


 砲身がこちらに向いたと思った瞬間にはもう誠はヴィクティムを動かしていた。危ない、そんな漠然としたイメージで最初に回避行動をとってくれたヴィクティムには感謝を捧げるしかない。十秒程経ってヴィクティムがいた辺りの空間を大雑把に弾丸の嵐が削り取っていく。


「何だありゃ!」

《目視によりようやく敵砲塔の構造が解析できました。敵機の砲塔はレールガン。ローレンツ力を利用した電磁加速砲です》


 その名称は誠も聞いた事があった。電流を流したレールの上から磁場を利用して弾丸を加速させる兵器。尤も知る限りでは実用化には程遠い物だったはずだが。その理由は二つ。


「砲身の過熱とか電力とかどうやってんだよ」

《推論。どちらもエーテルによってカバーしているものと思われる。また砲身加熱は複数の砲身を束ねる事でも解決した模様》


 今ヴィクティムの手足を動かしているのはエーテルを動力とするアクチュエータだ。エーテルによって運動エネルギーを取り出せるのならば、それを利用した発電機も十分に可能作ることが可能だ。エーテルコーティングによる物体の強化は物理法則を無視している。熱に耐性を持たせる程度ならば何とでも出来るのだ。


 そして砲身を束ねると言う事。その構造も誠だって知っている物だ。


「ガトリングレールガンとかロマンに溢れてるな、おい」


 先日のロケットパンチと良い、ジェネラルタイプのASIDにはロマン装備が搭載されるのが基本なのだろうかと思わずにはいられない。一度まともに喰らったらその衝撃で足が止まり、釣る瓶打ちに遭う事必至の弾幕を掻い潜りながらそんな事を考えていた。機体を掠めるかの様な至近距離で虫の羽音にも似た風切り音が通り過ぎて行くたびに心臓が止まりそうになる。


 文字通りの綱渡りだ。一瞬でも操作を誤ったらその瞬間にアウト。しかも進めば進むほどにその難易度は上がっていく。まるでゲームの様だと思ってその考えにおかしくなる。そんな事を言えばこんなロボットに乗っていることが既にゲームの様だと言うのに。ヴィクティムに乗る事が完全に自分の一部になっていると気付かされた。


 誠はリサの狙撃を異常だと評した。


 だがリサからすれば誠のこの機動の方がよっぽど異常だ。


 口元に笑みすら浮かべて死の豪雨の中を掻い潜っていくその姿。ヴィクティムの性能もあるだろう。だがそれ以上に誠の操縦技能が――機体との親和性が極まっている。思考から機体の動作に殆どタイムロスが無い。


 通常ならばそうはならない。ヴィクティム、アシッドフレームの操縦系はほぼ同一。基本的には思考を機体側が読み取ってその通りに動かしているのだ。だがそこで面倒なのは機体を動かす、と言う事を強く意識していないと機体は自分への命令だと判断せずに動いてくれない。アークにおいてはその思考方法がアシッドフレーム搭乗者の適性を調べるのに使われている。だがそれを判断するのは乗ってから一年は経ってから。逆に言えばそれ位の期間を置かないと才があるかどうかも判断できないと言う事になる。


 誠の搭乗はこれでようやく三回目。日数に直しても一週間にも満たない。その短期間で明確な成果をあげているというのは天賦の才としか言えない。本来ならば先ほどの様に危ない、と思っただけで機体が動くことは有り得ない。危ない、機体を動かして避けなくてはと言う思考が無意識下で行われた結果だ。


 人間離れした反応速度で弾を躱し、躱し続けて遂にヴィクティムが示した残り十五キロまで接近する。ここまで来ると発射から到達までの時間が4.4秒を切る。それでもまだまだ目で見て避けられる。体感で比較するのならばドッジボールのボールを避けるよりも簡単だ。

 だが更に接近し、五キロを切った辺りから機体を弾丸が掠め始める。発射から着弾まで1.4秒。判断が一瞬でも遅れたら終わりの綱渡りが始まる。


 そんな中避けそこなった一発が機体の中心部に当たる。足が鈍った瞬間を逃さないとばかりに弾幕が集中した。一点に集約した鋼鉄の嵐は容赦なくヴィクティムの装甲を叩き、機体を揺らす。舌を噛みそうになる振動の中、それでも誠は機体を動かしてその暴風圏から脱出する。その僅かな時間の暴虐に耐えかねた装甲が遂に落ちて行く。


《追加装甲第二層を破棄。残り一層》

「問題ない!」


 残り距離が三キロを切った。装甲を落として運動性能が本来の物に近づいたヴィクティムの複雑な回避行動にトータスカタパルトの照準機能は追いついていない。


 二キロまで近寄った。ここまで来ると発射から着弾までの時間は0.58秒。向けられたと思ってからでは間に合わない。ランダムな回避行動で的を絞らせないようにする。


 一キロ地点を過ぎ去る。最早向こうも照準を絞るような事はしない。弾幕を張って手数で圧倒しようとする。乱数回避を行っても何発か被弾するようになる。だが追加装甲は十分に持つ。


 五百メートルに達した。この距離になると砲塔の旋回速度が追いつかなくなる。ヴィクティムは残った最後の装甲を排除して一気に横から回り込む。


 残り、零メートル。


 トータスカタパルトの足元。


「抜刀! ハーモニック、レイザァアッ!」


 遂に380キロを踏破しヴィクティムの間合いに持ち込んだ。

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