17 残り距離380キロメートル

 作業が完了しましたと呼びに来たのは秘書官だった。良くもリサに変な事吹き込んだなと誠は睨みつけたが全く意に介していない。これは難敵だと彼は冷や汗を垂らす。


「っと、すみません。忘れ物しました」


 ブリーフィングルームを出て少し歩いたところで誠がそんな事を言う。それは若干棒読み気味であったが、幸いそれを聞いていた二人は疑問に思わなかったらしい。


「忘れ物……あ、ヴィクティムのヘッドセット?」

「そうそう。ちょっと取ってきますね」

「分かりました。早めにお願いします」

「はい。行ってきます!」


 駆け足で誠はブリーフィングルームに駆け戻る。念のため背後を確認するが誰もいない。それを確認して小さく頷くとヘッドセットを手に取り声をかける。


「ヴィクティム。どうだった?」

《プロジェクターに接続されていた司令室のコンピュータ経由でアークのメインデータベースへのアクセスに成功。必要そうなデータを機体ローカル領域に保存しました》

「よし、よくやったぞ!」


 聞いても素直に教えてくれるとは限らない。それ故に機会があれば直接データベースを閲覧しようと狙っていたのだが、想像以上に早くそのチャンスが巡ってきた。そしてその機会を物に出来た事に誠は快哉を挙げる。


「それにしてもこの短時間で良くできたな」

《当機の性能と比較した場合アーク司令室のセキュリティはザルも同然でした》

「……お前って本当に戦闘以外でも多芸だよな」


 翻訳機能にも驚かされたが、料理も出来るあたり一体何を求めて作られたのか気になって仕方がない。戦闘機でマルチロール、多任務がどうたらこうたらという話を聞いた事はあるが、普通炊事までは含めないだろう。本当に謎である。


「そのデータは後で確認する。そっちの準備は出来てるんだな?」

《肯定。ここのスタッフは想像以上に優秀でした。こちらの要望を見事に叶えています》

「オッケー。すぐに行く」


 そんな短い会話を終えて再び駆け足でリサと秘書官の元に戻る。


「すみません。探すのに手間取っちゃって」

「いえ、構いません。それでは行きましょうか」


 先導する秘書官の姿は鉄柱を仕込んだかの如く伸ばされた背筋と綺麗な歩き方が相乗効果を生み出して如何にも出来る人に見える。そんな人がリサに変な事を吹き込んでいたのだと思うと人は見た目で判断してはいけないと誠に教えてくれた。


 ◆ ◆ ◆


 案内されたのはまた先ほどまでとは違う階層だった。周囲に立ち並んでいるのはアシッドフレーム――ハイロベートだ。つまりここはアシッドフレームの格納庫と言う事になる。とは言えその数は少ない。そのほとんどが既に出撃しているのだ。平時ならばそんな事は有り得ない。だが浮遊都市が撃ち落とされたと言う非常事態では普段通りと言う訳にも行かない。万が一が無いようにほぼ全ての機体は厳戒態勢に入っていた。


 本来ならばその様な状況になったら格納庫は閑散とし、作業する人もほとんどいなくなる。だが今日は例外だった。やや奥まった場所にあるハンガーの一つに多くの整備員が取り付いている。


 最初誠はそこにあるのが何なのか分からなかった。近寄っても分からず、じっくりと一分ほど眺めて漸く口を開く。


「もしかして……ヴィクティムか?」

《肯定》

「お前……太ったな」

《誠に遺憾な感想である》


 だが誠としてはそうとしか言いようが無い。やや細身とも取れる機体だったヴィクティムの姿は二時間程前に降りた時とは大きく様変わりしていた。純白の装甲の上に鈍い輝きを放つ鋼の地肌を覗かせた装甲を三重に取り付けている。ここまで行くとマッシブな体型と言うよりも良く言えば着膨れした、悪く言えば贅肉を纏った姿にしか見えない。急ごしらえのせいもあるが堅牢さよりも鈍重さが目立つ見た目だった。


「……これ動けるのか?」

《速度の低下は約6%。運動性は30%ダウン。その代り砲撃の直撃を80発まで耐えられるという計算結果が出ています》

「運動性30%ダウンってかなり不味い気がするんだけど」


 元々全部避けられないかもしれない、と言う話だった。そこで喰らう事前提に装甲を増やした。そこまでは誠も納得しているがこれは少しやり過ぎじゃないかと思うのだ。


「重すぎて避けきれなくて結局蜂の巣になるなんて俺は嫌だぞ?」

《問題なし。この装甲が重要になってくるのは距離十五キロを切ってからの365秒間です。それ以前は発射から着弾まで五秒以上かかります。的を絞らせなければ回避は容易です》

「……なら良いけど」


 そう言いながらも誠は今のヴィクティムの言葉の意味を反芻する。トータスカタパルトの弾速はマッハ10……秒速3.4キロメートルだ。残り一キロメートルを切った場合発射から着弾までに要する時間は0.3秒。そこまで接近すると生身で銃弾を避けるのと大差のない反応が求められる。誠は自分が銃弾を避けれるような超人だと思ったことは一度も無い。被弾前提の策を立てたヴィクティムは正しいだろう。


 現在の発射間隔は約二分。正確には118秒だ。だがこの数字が敵の連射能力を示している訳ではない。380キロメートル離れたトータスカタパルトからアークにまで対象まで砲撃が届くのは113秒。五秒で照準補正を行い再度発射したと考えると実際の連射可能な間隔はもっと短い可能性がある。ヴィクティムはそれを365秒間で五発以上――即ち一発辺り73秒以上かかる事は無いと判断し、同時に5秒を切る事は出来ないと計算したのだ。


 こうした兵器に関して全く詳しくない誠はヴィクティムのその計算を信じるしかない。


「接敵まで約二時間、ですか。ボクとマコト君交代で動かした方が良さそうですね」

「確かに。二時間もずっと目の前から飛んでくる砲弾に神経割いてるなんて集中力が持ちそうにない。一か所見つめてるだけで目が痛くなる」


 おどける様に掌を上に挙げて肩を竦める。そこでふと表情を消して周囲を見渡した。


「見つめていると言えばやたら視線は感じるのに声かけてくる人はいないんだな」


 別に声をかけて欲しい訳ではないが、こうも遠巻きに危険物でも見るかのような視線にさらされていると誠としても気分が良くない。少し動物園にいる動物の気分が分かった気さえしてくる。


「まあボクみたいに物怖じしない子は余りいませんからね。言いませんでしたっけ? 十年に一度見るかどうかですよ、男性なんて」

「聞いた気がする。それはそうと安曇さんに滅茶苦茶怯えてた気がするんだけど、それでも物怖じしない人?」

「あれは例外で」


 そんな漫談めいた会話をしていても周囲の状況に変化はない。まあいいかと誠は周囲を気にするのを止めた。


「んじゃ今回もよろしく。リサさん」

「任せてください。ボクはやれば出来る子ですよ」

「俺の記憶だとそれって基本的に出来ない子の言い訳だった気がするんだよなあ……」


 ちなみに誠もその一員である。


 入り込んだコクピットの中は外観と違って変化が無い。シートに座ってすぐにモニターが点灯した。


《待機時間中にエーテルカノンの設定を変更。広範囲砲撃仕様から狙撃仕様に。ウェイン嬢の狙撃能力に期待します》

「お? ボクの出番が増えたみたいだね」

「つってもこの重装甲じゃエーテルカノン展開出来ないだろ……多分」


 本来ならば脇の下を通すはずだが、そこには今しがた肩に追加された装甲がある。他の武装も装甲に潰されており外さない限り使用出来る武装はかなり限られるだろう。強いてあげるのならエーテルダガーくらいだろうか。

 用意されていたエーテル爆雷は追加された装甲の下、腰の辺りに取り付けられていた。ヴィクティムの解析によると広範囲に破壊を撒き散らすと言う意味では搭載されている武装以上らしい。使い捨てなのを考慮しても十分過ぎる威力だ。それが二発。


「この状態呼ぶなら何だろう」


 ふと気になった誠がそんな事を尋ねると、リサは顎に手を当てて考える。


「フルアーマー、とかですかね」

《解答。ヴィクティム・ヘヴィアーマー》


 リサの命名にヴィクティムが被せる様に解答した。困惑を浮かべながらも反論を開始する。


「細かいこと気にしますね。フルアーマーでいいんじゃないですか?」

《ヘヴィアーマーである》

「フル――」

《ヘヴィアーマーである》

「…………フ――」

《ヘヴィアーマーである》

「ヘヴィアーマーで良いです……」


 結局リサが根負けした。相変わらずこの一人と一機は面白い会話をするなと誠は思う。


「起動シークエンス。正常に進行中……オールグリーンかな」

《チェック完了。出力異常なし。ヴィクティム戦闘モードで起動》


 停止していたRERが鼓動を再開させる。誠とリサの生エーテルを吸い上げて純エーテルを生成し、機体内の伝導系に血液の様に流れて行く。それが循環して初めてヴィクティムは命を吹き込まれた。


 一歩を踏み出す。その感覚の違いに誠は呻く。搭乗するのはこれで三度目だが、その度に操縦の感覚が違う。最初は比較対象が無いので何も感じなかった。二回目はパワーが有り余っていると感じた。そして三回目の今。今感じるのは只管に重い。無意識の内に誠の全身に力を込めさせる。全身全霊でぶつからないと動かないと錯覚するほどに機体が重くなっていた。


「すげえ重いんだけど。本当にこれ速度少ししか落ちてないのか?」

《肯定。先ほど述べたように6%の減少である》

「信じられないな……」


 機体の感覚を確かめていると通信が入ったことを告げるアイコンが点滅する。一体どこからと疑問に思っているとヴィクティムが発信元を解析してくれた。


《先ほどウェイン嬢が開いた通信回線に通信。繋ぎますか?》

「繋いでくれ」

《了解》

『……こちらアーク作戦司令室。そちらはヴィクティム搭乗員、柏木誠とリサ・ウェインで間違いありませんか?』


 モニターの隅に小さく映ったバストアップ映像。通信相手は切れ長の目をした黒い髪を三つ編みにした女性。年齢は十七、十八辺りだろうか。きつい印象を与える女性だった。


「間違いありません」

『よろしい。作戦内容は既に聞き及んでいると思います。敵の砲撃は今のところ居住区画にまでは被害が及んでいませんが時間の問題です。速やかに行動に移られたし』

「了解です」

『三番ゲートを解放します。御武運を』


 それだけを言い残して通信は切れた。そっけないと言えばそっけない見送りの言葉だが、それだけ状況が切迫していることを示している。


 格納庫から機体を出し、トータスカタパルトがいると思しき方向に身体を向ける。タイミングよくそちらから飛来する弾丸が見えた。終端速度は発射時とほぼ変わらずのマッハ10。その数字は空気抵抗を無視してここまで突き進んできたことを示している。ヴィクティムの観測結果に誠も流石に口を挟んだ。


「空気抵抗を受けてないっておかしいだろ。俺でも分かるぞ」

《エーテルコーティングは単に強度を上げるだけではなく、かかる圧力を後ろに逃すことが可能となっている。それ故に空気抵抗――即ち空気を押しのける事で生じる圧力も同様に後ろに逃がすことが可能となっている》

「それが無かったらアークは飛べませんよね」


 どうやら、それは一般常識レベルの話だったらしい。平然と返されてエーテルの万能さに誠は脱帽するしかない。きっと俺が召喚されたのもエーテルなんだと現実逃避気味に考える。だがいつまでもそうしては居られない。すぐさま気を取り直す。


「……よし、行こう。リサさん」

「うん。行こう」


 言葉少なに意思を確認し合い、純白の巨躯はアークの外縁を蹴って宙を踊った。地面に足を付けると力強く踏み出して歩き出す。それは二歩で踏み込むと言うよりも大地を蹴ると形容した方が相応しい動作になり、その瞬間にはもうヴィクティムは最高速度で走り出していた。


《現在速度。時速147.9キロメートル。到達まで約二時間半》


 まだ敵機の姿は地平線の向こう側だ。ここからではヴィクティムで目視する事もレーダーで観測する事も出来ない。


「……待てよ。そうだとしたら相手は一体どうやってこっちの位置を観測してるんだ?」

「どうしましたかマコト君」

「いや、ここからはトータスカタパルトは影も形も見えない。だったら向こうもそれは同じだろ? なのにどうやってアークを砲撃しているのかと思って」

「それは……確かにそうですね。付近にASIDがいないのは確認していましたがどこかに潜んでいるのかもしれません。注意を促しておきましょう」


 相手の姿見えない以上、発射のタイミングも分からない。高度八百メートル辺りで空を覆い尽くす塵の幕の向こう側はヴィクティムのレーダーでも見通せない領域だ。だがその幕も光を完全に遮断するわけではない。つまり――影が地面に落ちる余地がある。今が昼過ぎで良かったと誠は思う。もしもこれが夕方以降だった場合光学観測で弾道予測も出来なかった。そうなれば夜が明けるまで作戦は延期。それと比較すれば今の状況は最高に近いだろう。


「三十分交代で行こう」

「了解。それじゃあ最初はよろしくお願いしますね」


 だからこそこうして交代で休みながら進むことが出来る。完全に目を塞がれた状態だったら一瞬の兆候を逃すわけには行かない。その眼の数は多ければ多いほどいい。だが二時間半もの道程を終始張りつめていたら潰れる方が早い。


 砲弾が発射されてからアーク墜落地点に着弾するまでに要する時間は117秒。それだけの時間があればヴィクティムは4キロ以上も移動している。それ故に誠もリサも楽観していた。少なくとも最初の内は砲撃が当たる様な事は無いだろうと。距離が近くなればなるほどヴィクティムの移動距離は小さくなる。そうなってからが本番だと思っていた。


 塵によって内燃機関を封じられたのは人類だけではない。ASIDもそれを用いる事が出来ないのだ。だからミサイルの様な誘導兵器の類はない。だから今は向こうに攻撃を当てる手段が無い。二人ともそう思っていた。


 その考えが甘過ぎる物だったと思い知らされるのは出発してから僅か二百十秒の事である。


《砲撃を確認。数20。弾着まで残り十七秒》

「いきなりか!」


 モニターにはまだ何も映っていない。誠の眼には何も見えないがヴィクティムが解析結果を投影する。即ち予想弾道線を。

 破線で描かれたその曲線が狙っているのがヴィクティムであることは間違いない。そしてそれは一本ではない。合計二十本の破線は一つたりとも同じ軌道を描いていない。着弾予想地点はばらけている。同時に軌道予想の初期地点。即ち砲台の仰角も全て変えている。時間差で撃った砲弾を着弾時には同時になるように角度と速度を調節したのだと気付くのには時間がかかった。


 だがそれでも別段の回避行動は必要ないように思われた。着弾地点はかなりの広域をカバーしようとしている。だが広すぎる。これでは一発の砲弾でサッカー場を九つ分は担当しなくてはいけない。その隙間を縫って行けば当たる方が難しい。


 それが二つ目の油断だった。


《子弾分離!》

「っ!」


 幕を突破してきた弾丸が空中で弾ける。あたかも鳳仙花の種が弾けるかの如く。だが撒き散らされるのは綺麗な花を咲かせる種ではない。炎の大輪を咲かせる子弾だ。撒き散らされたそれは隙間なくそれぞれの担当範囲を炎で染め上げる。その数は300を超える。結果、12立方キロメートル近い範囲が焼き払われた。

 それに巻き込まれたヴィクティムは炎を振り払うように突き進む。機体は爆炎で一瞬止まる程。その衝撃は大きく機体を揺さぶりコクピットの中の二人も襲った。


「クラスター弾だと!?」

「とんでもない面制圧ですね。ボク達一機を落とす為だけに……」


 機体の損傷はそれほどでもない。子弾の直撃は一発二発程度だ。その威力も致命的な物ではない。頭部カメラや関節部等の脆弱な個所に直撃しない限りは問題ない。三重の追加装甲は伊達では無かった。予想外の攻撃だろうとキッチリ防ぎ切った。


 この攻撃が一度で終わるのならば何の問題も無い。一度で終わるのならば。


《敵、砲弾を補足! 着弾まで十八秒!》

「どうやら……休んでる暇は無さそうですね」


 残り距離三百六十二キロメートル。目的地は遥か遠い。

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