12 堕ちる浮遊都市

 地上の反応を探る。どんな些細な物でも見逃さないと言う様に少女は眼を皿にしてレーダーを見つめていた。年は十五、十六辺りだろうか。長い青い髪を後ろで括り、常は明るい表情を浮かべているであろうその顔は、今は焦燥を色濃く映している。

 浮遊都市アークから出立した遠征隊が消息を絶って三日が経過した。最早単なる通信のトラブルと言う可能性は捨て去られ、確実に何かがあったとしてアークは動いている。


 四十八機のアシッドフレームという戦力は浮遊都市の総力の約八分の一だ。それだけの戦力が失われたとあってはその原因も込みで入念な調査が必要となる。その為現在の浮遊都市は常の六百メートルよりも高度を下げて約四百メートルの高さで航行を続けていた。


 その外縁に数機、アシッドフレームが跪き地上を警戒していた。意外な事だが、アシッドフレームの直接視認能力に関して言うのならばアークの物よりもはるかに高い。そしてその目視と言うのは馬鹿に出来ない。アークの各種センサー、レーダー類は塵が濃くなると機能が低下する。そう言った時に哨戒に当たっていたアシッドフレームのお蔭で脅威を早期発見できたと言う例は非常に多い。

 故にこうして哨戒任務にあたるアシッドフレームがいるのだ。その中の一機が熱心に地上を眺めていた頭部を上げて肩を竦める様な動作をした。


「……ダメ。この辺りにも何もない」


 レーダーを初めとする各種データを眺めていた少女――名前をルカ・ウェインと言う――は諦めた様に顔を上げた。返ってくる反応も見える風景もいずれも変わらぬ地上の光景。遠征隊が見つからない代わりに、その残骸や壊滅させたと思われるASIDの姿も見られない。それはある意味で希望を持たせるが、理性はそれを否定する。


 三日間も連絡が途絶えて遠征隊が無事でいるとは思えない。遠征隊の中にはルカの姉も参加していたが、最早生存は絶望的だろう。それでももしかしたらと言う思いを捨てられないのだ。

 そんな彼女の機体の背後に別のアシッドフレームが近寄る。識別信号はルカと同じ部隊に所属している南条薫の機体だと示している。


『ルカちゃん。交代の時間よ』

「あ……ごめん薫。時計見てなかった」


 同僚に言われて時計を見ると確かに交代の時間だ。


「第三機動部隊所属ルカ・ウェイン。マルキュウマルマル、交代します」

『同じく第三機動部隊所属南条薫。マルキュウマルマルより哨戒任務に入ります』


 互いにそう宣言してアークの外縁で機体をしゃがませ固定していたルカ機がゆっくりと立ち上がる。時折吹く突風が機体のバランスを奪っていく。年に一度くらいはそれが原因で落下する機体があるのだ。ある意味でこの交代の瞬間が一番緊張する時間である。それだけに通信も切って操作に全神経を集中しなくてはいけない。

 どうにか安全な場所まで下がるとルカは薫との通信回線を改めて開く。黒い髪を伸ばしたおっとりとした少女が小首を傾げる。


『どうしましたか、ルカちゃん』

「いや……その。何か見つかったらすぐに教えて」


 歯切れ悪く伝えたそのお願い。その意味するところは薫にもすぐに分かったようだ。小さく微笑んで頷く。


『ええ、お姉さんに繋がる情報が見つかったらすぐに教えるわ』

「ありがとう。このお礼は必ず」

『うふふ。それじゃあ今度の休暇、お買い物に付き合ってね?』


 その位なら喜んで。そう答えようとしたところで通信回線が途絶した。マシントラブル? とルカは首を捻る。確かにルカに与えられたアシッドフレームは既にベテランが乗り回した後で多少くたびれている。だが今まで異常が見られなかったのに突然の故障と言うのも考えにくい。

 そして何故、目の前にいた薫の機体が消えているのだろう。


「え……?」


 一拍遅れて衝撃がルカの機体を揺らす。その衝撃が音速を超える物体が通り過ぎた事によって生じた物だと気付くことは出来なかった。まだルカの思考は現実に追いついていない。

 一体何が起きたのか。その答えを頭は必死に探す。センサーもレーダーも何も捉えていない。たった今消え去った薫の機体以外は何も変化が無い。もしかして夢でも見ていたのだろうか。哨戒中にうとうととして薫が来る、そんな夢。だが先ほどから何度も繰り返し繰り返し声を響かせてくる通信機がそれを否定する。


『応答しろ、ルカ・ウェイン! 一体何があったんだっ。南条薫の機体反応が消失した。状況を報告せよ! 無事なら返事位しろ、聞こえていないのか、ルカ・ウェイン』


 漸く少女の思考が現実に追いつく。ふと時計を見ると二分近くも自失していたらしい。その事実に恥じ入る。


「あ……る、ルカ・ウェインです。大丈夫です。聞こえています」


 つっかえながらも答えると通信機の相手は安堵したように口調を緩めた。


『無事だったか……それで、南条機はどうなった? まさか落下したのか?』

「南条機は……」


 そこでルカは通信の相手が自分の上官、即ち第三機動部隊の隊長だと気が付いた。それに気づかないくらいに錯乱していると言う事も。


「南条機とは先ほどまで通信をしていました。その最中に突然通信が途絶し、目の前にいた南条機がいなくなりました」

『いなくなった……』

「はい。その後物凄い衝撃が来て……」


 とそこまで言ったところで足元が大きく揺れた。地震と言う現象はルカも知識として知っている。遠征隊として地上で活動している時に稀に起こる自然現象だ。その知識が頭に浮かんだが、すぐさま有り得ないと否定する。ここは浮遊都市。例え地面が揺れたとしても大地から遠く離れたこの船が揺れるはずもない。

 だが現にこうして揺れている。それは即ち外部からの干渉に他ならず。通信機の向こう側が俄かに騒がしくなった。


『攻撃を受けただと!? ルカ、今すぐ中に戻れ。部隊を召集。出撃準備だ』

「りょ、了解!」


 慌ただしく出された指示に半ば反射的に返事をしたがすぐさまルカは疑問に気付く。


「か、薫はどうするんですか!?」


 咄嗟に出た言葉は上官に向ける物ではなかった。叱責を覚悟したが予想に反してそれは来ない。


『南条は……行方不明者として扱う。第四格納庫に集合だ。急げよ』


 それを最後の言葉として通信は切れた。ルカは今聞いた言葉を噛みしめるように呟く。


「行方、不明者……?」


 この閉鎖された都市で行方不明者が出る事はほぼ有り得ない。つまりこれは隠語だ。確定はしていないが九割がた死亡しただろう、という相手への。


「そんな……」


 つい先ほどまで言葉を交わしていた相手がそうなった。それはルカの心に強い負荷を与える。立ち位置次第では――いや、薫が来るのがもう一分遅ければ恐らくそうなっていたのは自分なのだ。それに気づいた瞬間操縦桿を握る手が小さく震える。


「お姉ちゃん……」


 自分にとっての絶対者を呼ぶ。だがその相手は今ここにはいない。どころか生きてさえいるかどうか怪しい。その事実は更なる負荷を与えたが同時に自分で何とかしなければと言う動く力も与えてくれた。震えながらもルカは機体を翻して都市内部に入り込もうとする。その瞬間に二度目の振動が襲う。咄嗟に機体の膝を着いて転倒を避ける。だが今度の振動は瞬間的な物ではなかった。むしろ徐々に徐々に大きくなって行き――地面が傾いた。


「えええっ!?」


 文字通り驚天動地の出来事だ。驚いている間にも機体は容赦なく滑り落ちていく。外縁からも転がり落ち、地面まで真っ逆さまに落ちそうになった所で漸く側面の出っ張りを掴むことに成功し、どうにか落下は避けられる。そうしている間にも地面が、即ち浮遊都市が傾いて行く。

 それは六百年という浮遊都市の歴史の中でも一度も無い現象だった。永続的な飛行は出来ない。だがその代り飛んでいる時は絶対の安定性を誇っていた。住人のほとんどは空を飛んでいると言う事を日常の中では意識しないのだ。突然の揺れさえも皆無だった都市が傾いでいる。それどころでは無い。


「地面が近づいてる……まさか、落ちてるの!? アークが!」


 先ほどまで観測していた際と比較すると僅かだが、しかし目視で確認できるほど落ちている。斜めに落下しているのでこのままだと側面部から地面に突っ込むことになるだろう。そう、自分がいる側面部から。地面に着地した瞬間ルカの機体は地面と大質量のアークの間に挟まれて粉々になるだろう。


 その事実に気付いたルカは必至で機体を登らせようとする。だがそのルカの前に絶望的な事実が立ち塞がる。無い。アシッドフレームが足場に出来そうな出っ張りはここにしかないのだ。元々アシッドフレームには、と言うよりもその元となった人型タイプのASIDには急斜面を登れるような性能は無い。ましてオーバーハングとなったこの側面を登り切るのは至難を通り越して不可能と言っても良い。


 それだけではない。腕だけで機体を支えている状態。そんな状態が長く続くはずも無かった。機体情報に赤い表示が灯る。灯っているのは両腕の肘と肩。どちらも限界荷重を超えているので至急現状から通常姿勢に移行せよと告げてくる。出来るはずがない。仮にここに足を掛けたとしてもこんな細いどころではまともにバランスも取れない。第一、今掴んでいる出っ張りまで足を上げるには機体を持ち上げる事が必要だ。そんな事をしたら即座に腕が壊れて落下する。


 計算する。今のペースならば浮遊都市が完全に落下するまで三十分。機体が持つのは最大二十分。機体が持つギリギリまで待機して、高度の下がったところで柔らかそうな地面を目掛けて着地する。そして落下してくる前に安全地帯まで退避する。まず地面に着地に適した柔らかい箇所があるかと言うので一つ目の幸運が必要だ。次に落下可能高度まで機体が持つかどうか。これが二つ目の幸運だ。そして最後にその柔らかい箇所に狙って落ちれるほどの機体コンディションが維持できるかどうか。二つ目とやや被るがこれが三つ目の幸運。実に厳しい。だがそれが出来なければ腕がちぎれて落下死か押し潰されての圧死かの二択を迫られる。選択の余地は無い。


 柔らかい地面。まずそれを探す。この位置から落下可能な地点でなくては意味が無い。そしてその捜索方法は、恐ろしい事に目視頼りだ。機体のセンサーに直接触れずに弾性を測る物は無い。完全に経験と勘が物を言う作業だ。その最初の賭けは、ルカの勝ちだった。


「見つけた……水分を含んだ土。あそこなら多少はクッションになるはず」


 雨が降った後乾いていなかったのか地下水が滲み出ているのかは分からない。それでも他よりはマシな場所を見つける事は出来た。

 尤も、機体がどこまで持つかは未知数である。アシッドフレームは約五倍――百メートルの高さが無装備で着地する限界の高さだと言われている。ただしそれはその後の活動も含めてだ。今のルカは着地時に機体が粉々にならなければそれでいい。限界ぎりぎりでの推測される高度は二百メートル。限界の二倍だがまだ可能性はある。


 そして二番目の幸運。機体がそれまで持つかどうか。風に揺らされないように機体をなるべく壁側に近寄せる。つかめない、足場にもならない出っ張りだが脚と脚で挟み込んで機体を固定させることくらいは出来る。僅かではあるが機体の負担を減らす。その積み重ねが最終的に一分、或いは二分の時間を作り出すのだ。


 だがその努力を嘲笑うように三度目の衝撃。それだけでも機体の腕は悲鳴を上げる。そしてダメ押しとばかりに上から落下してくる残骸。その追加質量にルカのアシッドフレームの腕は限界を迎えた。右腕は肘から、左腕は肩口からもげる。そうなれば機体を支えるのは挟み込んでいた脚だけだが到底足りない。一瞬だけ抵抗した後は滑り、今度こそ落下を始めた。まだ足から落ちたのならば可能性はあったが、頭からだ。腕も無い状態では機体バランスを取る事もままならない。


 ああ、ダメだとルカは確信してしまった。ここから生き残るためには予想も出来ない様な奇跡が必要だ。そんな物起きるはずもない。静かに、諦めて目を閉じる。ふとこれで姉に会えるのだろうかと淡い期待を抱いて――。


 その期待は少女が思ったのとは全く違う形で叶う事になる。


 ◆ ◆ ◆


「よっしゃ、間に合った!」


 頭から(頭は無いが)落下してくるアシッドフレームを空中で抱きかかえる事に成功して誠は快哉を叫ぶ。浮遊都市が傾き始めた瞬間からヴィクティムに全力疾走させたが、間に合うかどうかは運次第だった。そう言う意味ではこのパイロットは運が良い――いや、最後まで生きる努力を欠かさなかったからこそ間に合ったのだと誠は思い直す。

 抱えたままの着地。それなりの高度に加え、二機分の荷重だ。機体フレームへの負担はそれなりの物だっただろう。事実ヴィクティムが警告を発した。


《警告。脊椎部フレーム損傷部に軽度の異常発生。この様なアクロバットは今回限りで願います》

「ああ。気を付けるよ。リサは大丈夫か?」


 着地の衝撃で舌でも噛んでいないか心配になり声をかけたが返事が返ってこない。不安になって後ろを振り返ると。


「………………うっぷ」

「頑張って! もう少しだけ頑張って!」


 ちょっと洒落にならない青ざめ方をしているリサの顔が飛び込んできて誠は必死に呼びかける。直上ではこちらに向かって浮遊都市が落下してきているのだ。このままここにいたら幾らヴィクティムと言えどもぺしゃんこになってしまう。動く気配の無いアシッドフレームを引き摺りながら大慌てで浮遊都市の下から離れて行った。


「おい、リサ。大丈夫か?」

「だいじょばない……かなりやばい」


 どうにか安全地帯までたどり着いたが、後ろで真っ青な顔をしているリサはもはや限界と言っていいだろう。肉体的にも、乙女が許容できる顔としても。


《警告。重度の加速度病は死に至る可能性もあります。これ以上の戦闘起動は命に関わる可能性大》

「ああ、そうだな」


 一度嘔吐が始まったら止まらない可能性がある。そうなれば脱水症状、喉で吐瀉物が詰まった事による窒息。最悪の可能性はその辺りか。良くここまで耐えたと言うべきだろう。


「とりあえず……浮遊都市の中に入らないと駄目だよな」


 凄まじい地響きと大気に塵を撒き散らしながら地面に落着した浮遊都市アークを見て誠は呟く様に言う。墜落の理由は遠くから見ていればよく分かった。


「ヴィクティム。計四回の砲撃、弾道予測からの敵地点は掴めたか?」

《肯定。一度映像解析で確認してしまえば予測は容易でした》


 そう、都合四度の砲撃。そのうちの一発がアークの浮遊機関を撃ち抜いたのだ。それも塵の幕を超えての砲撃。そこから予測されるのは長距離からの砲撃。だが少なくともヴィクティムの最大索敵距離である70キロ圏内には影も形も無かった。そうなるとそれよりも遠くと言う事になる。誠がどこかで聞きかじった知識によると所謂大砲と言う物の射程は60キロ前後らしい。つまり、ヴィクティムの索敵範囲外と言う事はそれを超えたと言う事だ。


 ミサイルの様な推力を持った兵器の可能性もあり得ない。塵が薄いとはいえ、それは幕の下の話。幕を突き抜けてきた以上内燃機関の使用はされていないのだ。つまり、純粋な投射能力によって砲撃は行われている。その事から計算は難しくない。


《算出結果は、射撃地点は現地点より約380キロメートル》

「さんびゃっ!?」


 その距離がどれくらいだろうかと想像して誠が真っ先に浮かべたのが東京から名古屋までの距離だ。その距離を飛来して尚破壊力を有している砲撃。その速度はいかほどの物だろうかと計算しようとしたところでヴィクティムが先に応えてくれた。


《砲撃の初速度は推測で秒速約3.4キロメートル。マッハ10と思われます》

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