第二章 浮遊都市

11 二人と一機の旅道中

 機体が揺れる。揺れる。揺れる。揺れる。

 人間の頭は一歩歩くたびに2~3㎝揺れるらしい。人間の身長の十倍であるヴィクティムならば約二メートルか三メートルと言った所だろう、と誠は雑学を思い出しながら計算する。そう考えると結構な揺れだ。

 何故誠がそんな事を思い出したかと言うと。


「あ、無理。もう無理。出ちゃう。本当に出ちゃう。ボクの口から大変な物が出ちゃいますよ」


 リサが後ろで盛大に酔っていた。顔を青ざめさせて口元を抑えながら早口で己の苦境を伝えてくる姿は哀愁すら誘う。


「あーヴィクティム。歩くのを止めて」

《了解》


 後ろの気配がとんでもない事になっているのを察した誠が歩行を停止させる。自然揺れが無くなりコクピット内には二重の意味で平穏が戻る。正面を向いたまま誠はリサに話しかけた。振り向かないのは武士の情けと言うか何というか。そんな姿を他人には見せたくないだろうと言う配慮だ。


「アシッドフレームでもこれくらいは揺れるだろうに……何でそんなに酔ってるんだよ」

「パイロットスーツの慣性緩和機能はもうとっくに終了してるんですよ……うっぷ」


 そう言えばそう言う機能が備わっていたんだなと誠は自分の中に浮かんで来た知識を確認した納得する。薬理的、物理的両面から肉体にかかる負担を軽減する機能だ。そのうちの薬理的――負担軽減の比率が圧倒的に大きい方――が既に薬剤切れで効果を成していないと言うのが現状らしい。

 最初のうちは良かったのだ。だが次第に顔色が悪くなってきたと思ったらこの有様である。どうやらあの逃走劇とジェネラルタイプとの戦闘で殆ど使い切っていたらしい。


 そう、あの日から既に四日が経過していた。


「掃除が大変だから戻す時は袋にお願いな」

「もっといたわりの言葉は無いんですか! うぇ……」


 だが実際密閉空間なのだからそこが一番気になるところではある。せめて少しでも状況を改善できないかと知恵を巡らせるが、乏しい知識で出てくる物は少ない。


「流石にヴィクティムの中にそう言う薬品は無いよな?」

《既に錠剤タイプの酔い止めは支給済み》

「お前時折気が利くよな」


 だがその気遣いも残念ながら然程の効果は無かったようだ。真っ青な顔をしているリサを見るとそう思う。


「えっと乗り物酔いの時の対処は……寝てるとか」

「こんなひどい揺れの中で寝てられる人は人間じゃないと思います」


 仰る通り、と誠は肩を竦める。自分の身長以上の高さを上下して平然と寝ていられる人間は図太いとか以前に生物として危機意識が足りなすぎるとさえ思う。そうなると誠の乏しい知識では二つくらいしか思いつかない。


「衣服を緩める」

「ボクの服を肌蹴させてマコト君は何をするつもりなんですか……うっぷ」

「百年の恋も冷める様な状況で良くそんなこと言えるな……」


 良く考えたら張り付く様なパイロットスーツを緩めると言うのは脱ぐ意外に選択肢が無い。リサの言う事も一理ある。だがこの状況でそんな事を言えるなんて案外まだ余裕があるのかもしれないと思いながらもう一つを提案する。


「涼しい風に当たる」

「コクピットを開けたら大変な事になりますよ……。ボクがではなく塵濃度的な意味で」

「だよね」


 結局のところこうして休憩を挟んでリサが落ち着くまで待つしかないのだ。しかしそうすればそうするほど目的地である浮遊都市は遠ざかって行きリサの苦しみは長引くことになる。如何ともし難いジレンマであった。


「ヴィクティム。あとどれくらいで着くか分かるか?」

《現在のペースだと夜を挟みますので合流まで約二日。既に浮遊都市アークの現在位置は補足している》

「意外と速いな」

「が、頑張ります……」


 ちらりと表示されたマップを見ると大よそ三百キロと言った所だろうか。最大速度で突っ走れば二時間程度しかかからないがその頃にはコクピットは大惨事となっているであろう。その被害をこうむる立場としても、リサの女性的な尊厳の意味でもそれは却下だ。そうなるとゆっくり行くしかない。なるべく揺らさないように摺り足で。そうなると速度は激減だ。浮遊都市の航行速度が遅いので歩けばその内着くと言うのが救いだ。

 別段急ぎの用事があるわけでもない。こうして旅を楽しむのも良いだろう。風景が変わればもっという事は無いのだが。


《報告。間もなく塵濃度安全域地帯に到達》

「お?」

「やった! コクピットを開けられます!」


 ヴィクティムの報告に誠は意外な、リサは歓喜の声をあげる。


「塵濃度低い地帯なんてあるの?」

「ありますよ。全部が全部濃度が高い訳じゃ……おえっ」

「えずく位なら休んでていいから……それでどうなのヴィクティム」

《むしろ施設周辺の様にあそこまで塵濃度が高い例は稀と言えます》

「へーそうなんだ」


 最初に見たのがヘルメット無しでは危険な地帯だったのですっかりそれ規準で考えていたが実際はそうでも無いらしい。その事実に誠はほんの少しだけホッとする。世界中があんな場所ばかりでは気が詰まって仕方がない。四日間も同じ景色を見ていて飽き飽きしていたのだ。


「それじゃあこの殺風景な荒野もおしまいって事か?」

《肯定》

「殺風景なのは変わらないと思いますけどね……」


 だんだん落ち着いてきたのか、リサの口取りがはっきりとしてきた。そろそろ大丈夫だろうと判断した誠は再びヴィクティムを歩かせる。


「とりあえずその濃度が低い地帯まで行ってみよう」

「賛成……」

《了解》


 そうして激しく揺られる事十数分。またぞろリサが乙女的に如何な物かという状態になった所で代わり映えのしない荒野から風景が変わった。


「お?」

《安全地帯に到達》

「コクピットを開けてください。可及的速やかに。ハリーハリー!」


 リサに急かされてヴィクティムはコクピットブロックを解放する。誠の頬を久しく感じていない天然の風が撫でて行った。


「あ~生き返る……」


 まるで湯船に浸かった仕事終わりのサラリーマンの様な事を言いながらリサが全身で風を浴びる。誠自身、その涼風に心を洗われる思いだ。酔いとは無縁だったがやはり地下施設に続いて密閉されたコクピットにずっと閉じ込められていると言うのはストレスが溜まっていたのだろう。実に一週間ぶりの開放感を全身で味わう。

 周囲を見渡しても何も無かった荒野ではない。殺風景な色彩なのは変わらないが、時折崩壊した建造物や瓦礫などが見える。ある意味で退廃さが増したとも言えるが、地平線しか見えない場所よりはマシである。


《周囲にASIDの反応なし》

「しばらくはこの風を独占できますね」


 ふと空を見上げたがそこには変わらず赤い空。どうやら地上の濃度は空とは無関係の様だ。青空が見えない事に少しがっかりする。


「……他の生き物もいないんだな」


 人がいなくなったのならばそこに野生動物が住み着きそうな物だが、その気配も無い。植物が氾濫して侵食しているような事も無い。有るのは無機物だけだ。その事が少々意外と言えば意外だった。


「その疑問に答えるにはどうして人類が滅亡したか、という話に繋がってくるのですが聞きますか?」

「手短にお願い」


 風を浴びる事で復活したリサがやや得意げに指を立てて尋ねてくるので三行で、と言いたい気持ちを堪えて簡潔にまとめる事を求めた。若干不満そうにしていたが笑みを浮かべ直してリサが説明を始めた。


「実はASIDが一度塵の大嵐を巻き起こして地上にいる生物を全滅させてしまいました。生き延びたのは浮遊都市にいた生物だけです。説明終わり」

「まさかの三行未満だと……?」


 本当に簡潔にまとめて来たので驚きを隠せない誠。そのリアクションに満足したようにリサが補足する。


「まあ実際の所当時の記録が残っていないので多分そうなんだろうと言う話です。そうで無くては世界の地上全域が塵に飲み込まれている理由が分からないと言う結果ありきの結論ですが」

「つまり説明するほど何も分かっていないと」

「よくできました、マコト君。褒めてあげますよ」


 後ろからガシガシと頭を撫でてくるリサの手を振り払いながら別の疑問を口にする。


「地上、ってことは海はどうなんだ?」

「不思議な事に海は無傷なんですよね。普通に魚とか泳いでますよ。ASIDも海底歩く以外は何もしていないみたいですし」

「……浮遊都市じゃなくて海上都市にした方が良かったんじゃないか?」


 ぷかぷかと浮いていればASIDが入ってこれない安全地帯が完成するのではないかと誠は真剣に思う。


「実は検討されたらしいのですが大凡三十年で船体が腐食してダメになるとの計算が出ました」

「エーテルでコーティングしても?」

「みたいですよ。あれ衝撃に強いですけどそう言うのには弱いみたいです」


 ヴィクティムに意外な弱点が発覚した瞬間だった。酸を吐くASIDとかいたら大ピンチになるのではないだろうかと誠は危惧する。だが彼も冷静に考えたらそんな強力な酸ならASIDの体内で漏れ出すだろうという結論に達した。心配しなくてもよさそうである。


「それにしても海か……」

「興味ありますか?」

「それなりに」


 興味があるのは海その物と言うよりもそこを泳いでいる生き物だ。肉類が入手しにくい浮遊都市では魚類は貴重な食材だと思うのだ。かまぼこが好きな身としては練り物文化が残っていることを祈らずにはいられない。


「そういえばシーフードカレーって物もあったな」

「それならボク達の都市にもありますよ。というかカレーと言えばそっちでした」

「後は……フィッシュヘッドカレー」

「何ですかそれは!」


 飯の話題になると食いつくなあと思いながら誠は説明しようと口を開きかけて。


「……ん?」


 空を見上げていたら何かが通り過ぎて行った気がした。眼を凝らすが何も見えない。


「何だ今の?」

「どうしましたかマコト君」

「いや、何か今空を通り過ぎたような気がして」

「空?」


 その言葉につられてリサも空を見上げる。変わらず赤い空があるだけだ。


「何も見えませんよ?」

「気のせいかな……? ヴィクティムは何か見えたか?」

《探知範囲内に動体反応なし。尚塵の幕の向こう側は当機の探知範囲外。そこで何かが見えた可能性は有り》


 塵の幕とはいっても光が透過していることから分かるように隙間がある。その隙間から影が見える事は有り得るがそうなると別の疑問が生じる。


「……あの向こうってことはそれは空を飛んでるってことになるんだが」

「有り得ませんよ。それは」

《データ不足。解答不能》


 見間違えだったのだろうと結論付けて誠は正面に視線を戻す。


「もう少しペースを上げよう。早く浮遊都市に着きたい」

《了解》

「う……お、お手柔らかに」


 ペースを速める前から顔色を変えたリサを笑う。そうすると頬を膨らませながらリサが反論してきた。


「マコト君も一度薬剤切れで乗ってみればいいんですよ。笑う事なんて絶対に出来なくなりますから」


 そうご立腹のリサのご機嫌をとるために誠はさっき言い掛けたフィッシュヘッドカレーの説明を始める。


「フィッシュヘッドカレーってのは魚の頭をそのまま入れたカレーだ。……魚っているよな?」

「居ますよ。魚類は捕る人間が少なくなったのでどんどん増えてますね。ちょっと網を出すとあっという間に集まります。それにしても……美味しそうですね」


 やはり食材関係は元の世界とそう変わらないと結論付ける。好物の鯛の若狭焼きはあるだろうかと少しだけ期待をする。


「後は伊勢エビのカレーとか」

「素晴らしいですね!」

《残念ながら当機のレシピにはありません》

「と言うかカレー作った時から疑問だったんだが何でロボットに料理のレシピが記録されてるんだ……」

《不明》


 そんな会話をしながらのんびりと移動は続く。そして一度の野営(ヴィクティムを停止させてそこで仮眠を取っただけだが)を経て、一つの丘――と言うよりも山を越えたところで単調な光景に変化が訪れた。


「あれが……!」

「そう、浮遊都市アークです!」


 山の頂から見えるその大きさに誠は度肝を抜かれる。空に三十立方キロメートルもある物体が浮いているのだ。予め聞いていたとは言えこれほどの物とは思っていなかった。

 その全長は十五キロメートル程。横幅が二キロメートル。後ろ十キロが都市部で前方五キロはまるで空母の様に甲板を晒している。都市とリサは言っていたが、むしろ巨大な船の上に都市部が乗っかっていると言う見た目だ。


「凄いなこれは」

「そうでしょう。そうでしょう。ボク達のご先祖様の英知の結晶ですからね。素晴らしい出来栄えです」


 リサの賛辞を聞きながら誠は良く見ようと目を凝らす。やはり巨大建造物が空を飛ぶと言うのはロマンを刺激される。その意を汲んだヴィクティムが拡大した映像をモニターに映す。若干興奮しながらその映像を見て……疑問符を浮かべた。


「なあリサさん……アークの家庭って煙突ついてて炊事の度に煙を出す感じの家?」

「何を言ってるんですかねマコト君は。全部電気を使ったIHですよ」


 IHって異世界にもあるんだ、やっぱり平行世界なんかなとこの場ではどうでもいい感想を思いながら誠はおのれの疑問を口にした。


「いや、何かアークの都市部から煙が見えてるんだけど」


 そう言った瞬間、アークの後部が爆発した。肉眼でも分かる程の大きな爆炎。そして僅かにだが傾いて行くアーク。


「嘘……」

「おいおい……」


 彼らの目の前で浮遊都市アークは墜落しつつあった。

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