05 リサ先生の歴史講座
「すっごいガチガチですよ……?」
恐る恐る、と言った手つきでリサが誠の身体に触れてくる。おっかなびっくりと言った様子だがその瞳は好奇心に輝いていた。その輝きを直視できずに誠は目をそらす。
触れるか触れないかの手付きはたどたどしさと同時にむずがゆさを感じさせる。その感覚が耐えがたくなってきて誠は懇願するような情けない声を出した。
「そろそろやめにしないか……?」
「ダメですよ。ボクが良いって言うまでじっとしていてください。あ、今ぴくってしましたよ」
「実況するな」
「どうやったらこんなに太くて逞しくなるんですかね……血管も浮き出てますし」
「わざと言ってるんじゃないだろうな」
「何がですか?」
先ほどからリサが触れているのは腹筋、胸筋、そして上腕二頭筋である。誠自身ちょっと惚れ惚れするような鍛え上げ方である。とは言え、ここまで鍛えていただろうかと彼自身疑問に思ったのだが異世界転移の結果だと思っておくことにした。ここに至っては夢の可能性は余りにリアルすぎるので考えない事にした。
先ほどのリサの発言について誠は詳しく聞きたかったのだがまずはちょっとその筋肉触らせてください。触らせてくれないと何もしゃべりませんと言われたので渋々許可したらこれである。一々台詞回しが深読みしてしまうのは自分が不純だからだろうかと誠は少し凹んだ。
「さて、それでは最後にそのバスタオルの下を……」
「却下だ! 何で君そんなにアグレッシブなの!」
ちなみにさっきの悲鳴はシャワールームに男がいたから驚いたのではなく、絶滅危惧種の男がいた事に対する驚きだったらしい。そう考えると今の彼女の行動は珍獣を発見したから観察している様な物なのだろう。
そして無防備さの理由も誠は理解した。要するに、これまで男性と言う物に殆ど触れた事が無いので全くその生態を理解していないのだ。例えば今。バスタオル一枚の格好がどれだけ危険かとか。
「と、とりあえずだ。話は着替えてからにしよう! 風邪ひくかもしれないし!」
このままここで会話を続けていたらその内バスタオルを取られそうである。その未来を回避するためにも必死だ。どうにか宥めて懇願して覗こうとするリサを撃退しながら別々にシャワーを浴びて服を着た時の安堵感は筆舌に尽くし難い。ちなみにリサの着替えはしっかり女性物だった。つまりヴィクティムは最初から分かっていたことになる。教えて欲しかったと思うと同時に気が利かないと言う評価を不動のものとしつつあった。
ヴィクティムが案内した居住区。そこはマンションの様な空間だった。実際、扉を潜って入った部屋はマンションの一室とそう大差が無い。地下のだが窓は圧迫感を避ける為か青空が広がって見えていた。
「何処の豪邸ですかここは」
「そうか? 普通じゃないかと思うけど」
誠の感覚的には少し広めのマンションの一部屋だ。豪華だとは思うが豪邸とは思わない。リサは更に窓に張り付いて興奮気味に叫ぶ。
「見てくださいよ! 空、空が青です!」
「いや、そりゃそうだろ。普通空は青い」
「……カシワギさん。もっと感動を共有しましょうよ」
「と、言われてもなあ……」
彼からすればどちらもそう驚く様な事ではない。その辺りがこの世界の常識とは違うところなのだろうと思う。
「とまあこんな風にボクとカシワギさんの温度差がそのままカシワギさんが生きてきた世界と今の世界の差と言う事です」
事前にリサには知識はあるが、記憶が無いと言う事を説明、でっち上げとも言うがそれを伝えてある。それ故に今の感性がそのまま旧時代の常識だと説いてきた。
「旧時代人、ねえ」
「ボク達からすればもう歴史の向こう側ですからね。そうとしか言えないんですよ」
その呼び名が引っかかったと思ったのかリサはそう釈明してくる。だが誠が考えていたことは違う。単にその旧時代と言うのは自分がいた時代ではないとしか思えないのだ。
一言で言うのなら、ヴィクティムだとかこの地下施設にある格納庫だとかは自分の世界では作れない。イコール旧時代は自分のいた世界ではないと言う理屈が成り立つ。なのでリサの熱弁も今一自分の事とは思えないのだ。
「まあ良いです。それじゃあまず歴史の概略から説明しますよ」
「はい。よろしくお願いします先生」
まず、旧時代からです。今から大凡六百年前の話になります。突然宇宙から飛来した金属生命体が侵攻を開始しました。はい。そうですASIDです。人類側も応戦しましたがASIDのとある特性のせいで大いに苦戦する事になります。何だか分かりますか? まあここで分かったらボクが教えている意味がなくなってしまいますからね。分からないのが普通です。
ASIDの特性。それは金属を吸収すると言う事です。吸収して自分の一部にしちゃうんですね。ですから最初は大変苦戦したみたいです。それでも最初は航空戦力で上から爆撃っていうんでしたっけ。上からの攻撃で倒せていたらしいんですが段々と空が塵に覆われて飛行機のエンジンに塵が入り込んでエンジンを破壊するようになりました。ええ、塵はASIDが放出している物です。そしてその時から空はずっと赤いままです。
そうした中で吸収されない兵器を作り出して……いえ、すみません。それが何なのかは分かっていないんです。その理由は後で説明しますから今は聞いていてください。兎に角、その平気で反撃を開始しました。そして更にASIDはASIDを吸収できないと言う事が判明したのでASIDを利用した兵器を開発します。そう。ボクらが乗っているアシッドフレームです!
ですがそれらの戦力を以てしても戦況は劣勢。人類は世界各地に完全自給型のアーコロジーを作ってそこを守る事でどうにか生き延びていました。
辛うじて保たれていた戦線はとあるウイルスの蔓延で完全に瓦解しました。ボク達はそれをAMウイルスと呼んでいます。アンチマンウイルス。そのままとか言わないで下さいよ? 男性のみを狙い撃ちにしたウイルスだったそうです。それに罹患した男性は例外なく一週間程で死亡。更に胎児の段階でも死亡するという恐ろしいウイルスだったと伝えられています。無事だったのはまだ当時受精卵段階だった人だけですね。ウイルスは一体何だったのかは分かっていないです。ASIDが原因だと言うのが有力な説ですけれども。一度の流行で今に至るまで二度目の流行が無かった理由も不明です。
そんな状態になったので最早人類は絶滅寸前。ですので最後の手段として一つのアーコロジーが技術の粋を結集して都市を空に浮かせます。それがボクらの母船でもあり故郷、浮遊都市アークです! え、だから誰が作ったのかなんて知りませんって。
話続けますよ? 良いですか?
えっとどこまで話しましたっけ……そうそう。浮遊都市が飛んだところですね。空を飛ぶASIDはいませんでしたからね。浮遊都市と言うのはある意味で究極の防壁を持っていた訳なんですよ。ですので幾つかの都市がそれを真似して最終的には五つの浮遊都市が誕生したそうです。
あ、今少ないって顔しましたね?
仕方のない面もあるんです。当時の世界は成人男性がゼロです。多くの研究者技術者も亡くなってしまいました。そんな中で浮遊都市を完成させることが出来るだけの人材を確保できていた都市と言うのは五つしかなかったんです。そうして浮遊都市によってASIDの驚異から身を守る事に成功した人類は航空歴に暦を改めたんです。ちなみに今は航空歴607年です。
「ここまでで何か質問はありますか?」
「えっと……とりあえず五つ浮遊都市が生まれたんだよね。でも今はアーク一つだけ?」
「はい。他の四つは今から五百年前に全て落ちてしまいました」
「五百年って……旧時代が六百年前だから百年しかもたなかったのか」
「ボク達のアークは一番の大本。オリジナルですが他の四都市はそれを元にコピーしたいわば劣化版だったらしいです。だから百年程で限界が来てしまった……との話です」
では航空歴に移りましょう。まず浮遊都市についてですが、実はこれ永遠には飛んでいられません。時折着陸する必要があります。だから着陸時の防衛の為にアシッドフレームは必須でした。と言っても一年の半分以上は飛んでいられますし、着陸時もASIDが少ない場所に着陸する事で戦闘は最小限に抑えていました。
しかし当然ながら段々と人類は先細って行きます。当然ですね。何しろ男性が皆無です。その時都市でAMウイルスを逃れて無事に生まれてきた男子はたったの二人。その二人が成長するまでの間人口増加は見込めません。
そこで一つの浮遊都市がある物を発明しました。女性のDNAを元にそこから精子を作り出す人工精子の精製法です。これによって人口減少にはとりあえずの対策が打てました。
が、それにも欠点があったのです。女性の物を元にしているのでX染色体の精子しか作れない。つまり生まれてくる子供は女の子だけになってしまいました。ええ、もちろんその二人の男の子から人工精子を作ろうとしましたよ? ですがそれでもX染色体の物しか作れない。どうにかY染色体を作ろうとしていたみたいですが結局その研究が実を結ぶ前にその浮遊都市は墜落してしまいました。
そうして成長した男子はもう大人気ですよ。何しろ次代に男を残さないと行けませんから入れ替わり立ち代わりで、まあ全員懐妊したら都市運営が滞ってしまうのでローテーション組みながらですけど。そんな感じで産めや増やせやを合言葉に生殖活動を行っていたみたいです。
「ってどうしたんですか微妙な顔をして」
「いや、何て言うか……」
女性の口から産めや増やせやとか生殖活動とか聞くと何とも言えない気分になっただけである。頭の中では理解している。そう言う事を女性も言うだろうと。だがもう少し幻想を持っていたかったなとちょっぴり悲しい気分になっただけだ。
それはそうと今聞いた話を思い返すと一つ納得できない個所がある。
「そこまでやって何で男の数が未だに三人何だ?」
仮に、絶望的なまでに性別が偏って男子が一年に一人しか生まれないなんてことになったとしても四十年現役だとしたら四十人である。二人いるのだから八十人。それを繰り返していけばある程度は男性の数も戻っているはずである。だがそうなっていない以上考えられる理由はそう多くは無い。
「AMウイルス……か?」
「鋭いですね。その通りです。致死率100%の恐ろしいAMウイルスは流行りませんでしたが、その弱性版は何度か猛威を振るいました。成人男性が罹患しても平気ですが未成年、胎児段階で罹患すると生殖機能を失うと言う。まるで人口を統制するかの様なタイミングでウイルスは発生したようです。それ以前に何故か男子の出生率が大幅に低下していたので……一番多かった時代でも八人だったそうです」
「無菌室に隔離するとかしておけばいいんじゃないのか?」
当事者ではないあくまで部外者だからこそそんな極端な例を口にする誠。その疑問にリサはゆっくり首を横に振って答えた。
「実はウイルスと呼称していますが本当にウイルスなのかもわかっていないんです。普通のウイルスの様に培養が出来ない。そもそも罹患者からもウイルスらしきものが検出されたのは数回だけらしいんです。無菌室を使用した時代もあったそうですが、効果は無かったようです」
「へえ……」
正直、そのウイルスは誠にとって他人事ではない。弱性版の方は直接命に関わる物でないから置いておくとして、男性を駆逐した致死率100%版は万が一次に流行したら自身も危ないと誠は冷や汗を垂らす。
「……いくら異世界でもとんでもない病気過ぎるだろ」
後でヴィクティムにそう言う治療の為の機能があるか聞いておこうと心のメモ帳に書き込んでおく。困った時のヴィクティム頼りだ。戦闘とは関係の無い翻訳も出来るのだからそれも出来そうではある。
「そんな訳で男性は厳重に保護されています。万が一にも死亡する事の無いように戦場に出るなんて持っての他ですね」
「うわ……生まれた時から軟禁生活か」
この時代に生まれた男子の境遇に同情する。殆ど種馬に近い扱いだ。ハーレムと言えば聞こえはいいが、連日連日では気も休まらないだろう。そして誰か一人を好きになったとしても特別扱いは恐らく出来ない。何しろ女性は十万人いるのだ。次代に男子を残す為に流れ作業の様に数をこなしたとしても溢れる人の方が多い計算だ。そんな中で一人に執着する事は不可能だろう。
「……他人事のように言っていますが、カシワギさんも無関係じゃないですよ?」
「え」
「ずっとここにいるつもりなら別ですけど他に人類がいるところはアークしかありません。アークに来たら余程の事情が無い限りそうなると思いますよ」
そう言われて誠は自分の今後の身の振り方に頭を悩ませる。正直に言ってそんな生活は御免こうむりたい。かと言ってずっとここに一人引きこもっているのも現実的ではない。だがまだ望みはある。例外なくとは言っていない。事情があればその生活を回避できると言う事だ。
「余程の事情って例えば……?」
「例えば……生殖機能が無かったりとか?」
「おい、止めてくれ」
例え虚偽だとしてもそんな男性の尊厳に関わる事を口には出来ない。元の世界の女性も蓋を開けたらこんな物だったのだろうかと誠はやっぱり物悲しい気分になる。女性への幻想が崩れていく音が聞こえた気がした。
「とりあえず男についてはある程度分かったから次、お願いします」
「はいはい。ところで喋り通しで喉が渇きました。厚かましいですが何か無いですかね」
そう言いながらキッチンの方へと歩いて行くリサ。その背を見送って誠は呟く。
「ウェインさん馴染みすぎでしょ……」
まだ誠は他人の家の様な感覚が抜けきっていないと言うのに。何も無いなあ、とか言いながら冷蔵庫を漁っているリサを見てふと疑問に思う。この施設、一体食料等はどうなっているのだろうか。
《お茶をお持ちしました》
丁度いいタイミング、というべきだろうか。先ほどと同じロボットが頭の上に湯呑と茶うけのせんべいを乗せてよたよたとやってきた。今にも転びそうで見ていて誠はひやひやする。
「どこから持ってきたんだこれ」
《食糧保管庫です》
「…………賞味期限とか大丈夫なのかな」
せんべいの袋にはでっかくソフトせんべいとプリントされているだけで日付も何も書いていない。ここがリサの言うとおり、旧時代……六百年も前の施設だとしたら腐るを通り越して跡形もなくなっていても不思議ではない。試しに口にしてみるが湿気てすらおらず良い音がした。
「これどうやって保存してるの」
《時間凍結です》
「ごめん。今何て?」
《時間凍結です》
予想以上にとんでもない答えが返ってきた。時間凍結。もっと分かりやすく言うならば時間停止。浮遊都市の話を聞いた時は異世界すげーで済んだが、流石に時間に干渉できるとなると驚くしかない。
「ダメですね、何もありません……ってなんですかそれは。ボクにも下さいよ」
キッチンから戻ってきたリサが呆然としている誠の手からソフトせんべいを奪っていく。そのまま遠慮なく食べ始める。
「何これすごく美味しい! うま、うま」
人として何かダメな感じにがっついてるリサはスルーすることにして誠はヴィクティムに疑問をぶつける。
「時間凍結ってどういう事なの」
《一定範囲内の時間を凍結させることで経年による劣化を防ぎます。それによって食品の鮮度を保っております》
「それすげえ冷蔵庫のキャッチコピーっぽい……」
冗談はさておき、そのお蔭で誠たちは飢え死にする事はなさそうである。
《尚、ドライバーの覚醒に伴って施設内の時間凍結は解除。食糧保管庫は凍結を継続。生命体の場合は入った瞬間に同様に凍結されるため自力での脱出は困難です。注意してください》
「え、大丈夫なのかよそれ」
《十年放置されていても入った時のままですので死亡の心配はありません》
そこを保障されても困る。この世界の一年って一体何日、いや、そもそも一日は何時間なのだろうか。考えても答えは出そうにないのでソフトせんべいを頬張っているリサに聞くことにした。
「なあ、一日は何時間で一年は何日?」
「何ですか急に。旧時代とそこは変わらないと思うのですが……二十四時間三百六十五日です」
「そうなんだ」
ありがたいことに地球と同じらしい。混乱せずに済みそうだ。
「ところでカシワギさん。そちらのロボットを操作している方も一緒に来たらどうですか? 一人だけ仲間外れは可愛そうですよ」
《否定。当機は居住区に侵入不可能》
「何ですかそれは。もしかしてカシワギさんが意地悪してるんですかっ」
《否定。当機のサイズでは侵入不可能》
「え、そんなに大きい方なんですか?」
《肯定。全長約十八メートル》
「凄くおっきいんですね……」
ヴィクティムを人間だと思い込んでいるリサとヴィクティムの微妙にずれた会話をこのまま見ているのも面白いが、話が全く進まない所か全く違う方向へと走り出しているので誠はさっさと種明かしをすることにした。
「ウェインさん。ヴィクティムはさっきまで俺が乗っていた機体だ」
《肯定》
「え? でも喋ってますよ」
「人工知能みたいな物、らしい」
《肯定》
「むむむ……旧文明のテクノロジーはボクの理解を超えてますね……」
「とりあえずお茶でも飲んで歴史の話に戻ろうぜ」
《それでは私は食事の支度をしてきます》
そう言いながらヴィクティムIN作業ロボは足音を立てながら部屋を出て行く。頭の上に何も乗っていないのにふらついているのはもう構造的欠陥なのではないかと疑問に思う。そして食事の支度ってどんなロボットが作っているのかが気になる。だがこの世界の事情を知るためにも誠はリサの授業を今中断するわけには行かない。リサがテーブルに置かれたお茶を一口飲んだタイミングを見計らって誠は口を開く。
「それじゃあ続きを頼む」
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