04 0.003%

 脚部損傷大。自走不可能。


 リサは機体ステータスを見て溜息を吐いた。最後の狼型の一噛みで酷使していた脚部は完全に破壊された。最早這う事しかできない。これが先ほどまでの逃走劇の最中ならばアシッドフレームのパイロットの証兼自決用の拳銃を手に取るか迷うところだったが、幸いにも周囲にいるのは残骸となったASIDだけだ。


 損傷状況は深刻だ。無事な箇所の方が少ない。腹部が無傷なので居住性は確保されているのは不幸中の幸いと言うべきか。これで何も見えない、聞こえないと言う状態だったらパニックになっていたかもしれないとリサは思う。いや、今でもそうなりそうだったのをどうにか独り言で誤魔化しているのだがその自覚は無い。


 一難去ってまた一難だ。いつもの事と言えばいつもの事なのだが、緊張度合いは普段の比ではない。


 純白のASID――ASIDを狩っていた以上そうとは思えないのだが、ヴィクティムをリサはそう呼ぶことにした。人がこんなところにいる筈もないし、同時に人があんなものを作れるはずもない。そして頭が付いている以上アシッドフレームでもない。従ってASIDであると言うリサにとっては不本意な結論しか出ないのだ。


 こちらを攻撃しなかった事。半ば賭けだったがヴィクティムとASID同士の戦闘に介入した事。そしてこちらのハンドサインをある程度とは言え読み取って行動してくれた事を考えるとASIDを優先して敵視していたことは間違いないと彼女は判断したのだ。だが敵の敵は味方、何て言う論法が成立するはずもない。単に脅威度を低く見積もられて他のを始末してからこちらに来るつもりなのかもしれないという疑念を捨てきれないのだ。


「ASID同士の縄張り争いってあるのかな……? 無いと思うんだよなあ」


 疑問が口から零れ出た。ASIDはリサの知識にある限りでは女王――即ちクイーンASIDを頂点とするピラミッド型社会だ。そしてそのクイーンというのは旧時代に飛来した一体しか確認されていない。故に縄張り争いが起こるとしたら別のクイーンが飛来したと言う人類に取っては全く嬉しくない状態になった事となる。怪物同士の内輪もめで共倒れしてくれれば上出来だと若干現実逃避気味にリサは考えた。


「レーダーも完全に死んでるか。しっかしあの純白目立つなあ。」


 生きているカメラでこちらに向かってくるヴィクティムの姿を捉える。遮蔽物は倒れたASIDの残骸位しか無いためその視線を遮る物は何もない。


「……うん。やっぱり見た事ないタイプ。通常型じゃないのは確定……もしもあんな戦闘力のが量産されてたらそろそろ人類もやばいですね」


 人類がやばくなかった時代なんて旧時代にしかないけど、と肩を竦めてリサは機体を無理やりに動かす。別に逃げようと言う訳ではない。この平野に転がる残骸の中で唯一ASIDでは無い物を視界に収めたのだ。


「……エルザ。ごめんね」


 完全に自分のミスが原因だと落ち着いてきたから悔いてしまう。余計な考え事をしていなければあのように不意を突かれる事は無かった。そうなればエルザが決死の体当たりを試みる必要は無く――今も一緒にあのヴィクティムを待つことが出来たかもしれない。

 だが後悔で時間は遡れない。今できる事はそう多くは無い。その中でリサが今一番にやるべきことはヴィクティムと接触を持つ事だ。


 コミュニケーションの可能性はあるとリサは期待している。ハンドサインに反応を示したのだから意思疎通は可能であると言う推測。そこから対話のとっかかりが掴めれば最上である。仮にあれがASIDだったとしても交渉によって共闘という形に持っていけるだけでも良い。あの戦闘能力は魅力だ。苦も無く通常型のASID十三体を駆逐したのだ。そうで無くとも、母船から遠く離れたこの状況では単独で帰還するのは難しい。故に、ヴィクティムを味方に付けるのはリサにとっては生存の為に必要な最低条件だった。


 その事を自覚した途端緊張で喉が渇く。さっきは否定したASIDが苗床云々というのが事実ならば色仕掛けも使えるのに、などと考え始めるあたり冷静の様に思えてパニックになっているようだった。


 そんな脳内コント(本人はいたって真面目である)を繰り広げている間にヴィクティムは目前にまで迫っていた。先ほどまで見ていた機動力を考えればここは既に相手の攻撃範囲だろう。一足飛びであの良く分からない光の槍で貫くことが出来るのだから攻撃する意思は無いのだろうとリサは安堵する。優先度の違いでは無くて本当に良かったと胸を撫で下ろす。

 遠目には気付かなかったがその右腕にリサが投棄したスナイパーライフルを握っている。


「返して、って言えばあれ返してくれるかな。無くすと滅茶苦茶怒られると思うんだよね……」


 無事味方に付けることが出来たら頼んでみようと思えるあたり大物である。


 リサが見ている前でヴィクティムは膝を地面に着く。頭部の高さをリサのアシッドフレームと合わせてそこで完全に停止した。そして胸部がスライドして後方に展開する。その光景を見てリサは緊張を高めた。何かが出てくる。今までのASIDでそんな機構を持つ個体は通常、ジェネラル合わせて存在しなかった。そしてそこから出てきた存在に自分の眼と現実を疑った。手がある足がある。そして頭がある。


「嘘……」


 頭部に手をかけ、バランスを取るその姿はどう見てもリサと同じ人間にしか見えなかった。


 ◆ ◆ ◆


 擱座しているアシッドフレームにヴィクティムが歩いて近寄って行く。走らないのは直前ヴィクティムに言われた一言が理由だ。


《警告。激しい運動は機体フレームに負荷を掛けます。非戦闘時は巡航速度での移動を推奨》


 と最早誠にとっては慣れっこの淡々とした調子で言われたからである。どうもこの機体は自分の事だからか別の理由からか機体が傷つくことを恐れているようだった。誠としても肝心な時に壊れて動けませんと言われては困るのでなるべく大事に使おうと思っている。

 そんな訳で若干時間をかけて誠は彼からすると異世界の人間と初めてのコンタクトを取ろうと試みていた。


「なあヴィクティム」

《イエス、マイドライバー》

「二つほど質問があるのだけど」

《何なりと》

「今俺が外に出ても大丈夫なのかって言うのと未知の言語の翻訳って出来る?」


 そこが誠に取って気になるところだった。彼の知る異世界に飛ばされた物を題材にしたフィクションでは不思議と言語が通じたり、まったく免疫を持っていないウイルス、菌に罹患しても重症化しないスペシャルな肉体を持っていたがここもそうだとは限らない。


《解答1。大気濃度計測の結果現在位置は塵濃度高。気密ヘルメットの着用を。解答2。仮に未知の言語でも十分なサンプルを取れれば同時翻訳も可能》


 解答2は素直に喜ばしいが、解答1は誠にとっては余り嬉しくないニュースだ。


「それって外に出る時は俺は必ずヘルメット着用って事か?」

《肯定。ただしそれはメインドライバーに限らず、人類にとっては例外なくこの塵は有毒です。故に全人類がヘルメットを着用すべきでしょう》

「俺が別段この世界で病弱って訳じゃないのね」

《ドライバーの免疫機構は正常。問題ありません》


 こいつそんな事も調べられるのかと予想外の多芸ぶりに誠は感心する。翻訳機能と良い、まるでこういう状況になる事が分かっているかのように機能が整っている。


「それでそのヘルメットはここにあるのか」

《こちらに》


 軽い空気の音と共にすぐ横の壁だと思っていた箇所がスライドして収納スペースが見えるようになる。そこには確かにヘルメット――フェンシングで付ける面に似ていると彼は思った――があった。

 試しに被ってみるとパイロットスーツの首元とフィットするように作られている。当然と言えば当然なのだがそれによって完全に密閉された。ヘルメットの内側は簡易モニタになっているらしく、酸素残量などが表示されている。


《パイロットスーツと気密ヘルメットでも高濃度の塵領域下で長期滞在をした場合は汚染される可能性があります。可能な限り短時間が望ましいでしょう》

「汚染?」

《対象の精神活動に著しい悪影響を与えるとの報告があります》

「オーケー。短時間で済ませる」


 少なくとも愉快な、もしかしたらそうなってしまったら愉快なのかもしれないが不本意な結果になる事は間違いなさそうなので誠はちゃんと密閉されているか手で触れて確認する。


《マイドライバー。ヘルメットを付ける前にこちらを》


 今度はやや上。また空気の音と共に収納スペースが開く。そこにあったのは手のひらサイズの機械。何となく用途は形から推測できたが一応尋ねる。


「これは?」

《通信端末です。当機から離れていても当機との交信が可能。また当機の方で通信を中継する事で殆どの通信に対応できます。肌身離さず持ち歩いていてください》

「了解。耳に付ければいいのか?」

《肯定》


 ヴィクティムの言うところの通信端末――誠からするとスマートフォンと言った方が通じやすい形状のそれを耳に引っかける。そうするとコクピット内のスピーカーでは無くそちらからヴィクティムの声が聞こえてくる。


《マイクは貴方の声だけを拾う様になっています。意識せずに喋っていただければ問題ありません》

「それはまた便利だな」

《また、相手の言語を翻訳する際もこちらを使用します。連続通話可能時間は72時間。何もしなかった場合は一週間ほどで充填が切れますので当機のコクピット内に入れてください。三分で充填します》


 放置しておいても一週間も持ち、三分でマックスになるという事から超技術の匂いがするが、その辺りを聞くのも後にした方が良いだろう。今はここに来てから初めての人間とのコンタクトに集中すべきだ。


「相手のコクピット位置が分かるか?」

《推測。恐らく胸部であると思われます》

「なら相手の胸部に合わせて跪いてくれ。その後コクピットハッチを解放。言語が通じなかったら翻訳頼む」

《了解。姿勢良し。コクピットハッチを解放》


 姿勢を変えた事による軽い振動とコクピットごと後ろにスライドする感覚。天井が消え、塵に塗れた赤い空が視界に飛び込んでくる。細かい粉じんが舞っている様子は気密されている以上関係ないのだが咳き込みたくなる。

 機体のでっぱりに足を引っかけてよじ登る。丁度良く頭部にあったでっぱりで身体を支えて立つ。

 その時誠は初めてヴィクティムの頭部を見た。人を模したツインカメラに通信用なのか、鶏冠の様に後ろに流れているアンテナ。自分の身長程もあるそれを眺めて呟く。


「中々イケメンじゃないか」

《恐縮です》


 やはり人型ロボットはこうでないと。と誠は満足する。それに対して対面の首無しはダメだ、と彼は心の中でダメ出しをする。文字通りの顔である頭が無い。それだけで人型ロボットの魅力は半減だ。無論、頭部の無いデザインにはそれはそれで渋さがあり、カッコいいとは思うが頭があった方がヒロイックなかっこよさがある。と熱く考えたところで疑問を口にする。


「というか何であいつには頭が無いんだ。正直かっこ悪いんだけど」

《推測。恐らくはASIDの残骸を再利用しているため、頭部は切断せざるを得なかったのかと。その代わりが胸部まで覆う追加装甲で、あれがあらゆるセンサーを兼ねている物と思われます》

「へーってあいつあしっどとか言う奴を材料にしているの!?」


 エコにも程があると誠は驚嘆する。というよりもあの獣っぽい生き物なのか機械なのかよく分からない奴は何なのか分かっていない。ちらりと首無しの方を誠は見るが、まだ相手に動きは無い。その隙にある程度の疑問を解消しておくべきだと判断した。


「結局そのあしっどって言うのは何なんだよ」

《ASID。アルファベットでA,S,I,DでASIDです。正式名称Adversary Superior Infectious of Disorder。無秩序で感染性の敵対的上位種と呼称されています》

「ふむ。分からん」


 ヴィクティムが語るところによると。

 ASIDとは人類を襲う。その目的は一切不明。侵攻した箇所は塵が舞い人が住むのは困難になる。ある日突然出現した。宇宙から飛来したとの説が濃厚。

 ASIDは機械生命体である。鋼の身体を持ち、自らの意思で動く怪物だ。一言にASIDと言っても多くの種類がおり、先ほど交戦した二種を始め地球上の生物を模したのか或いは他の星の生物かは分からないが人型と獣型に大きく分けられる。

 クイーンを頂点とするピラミッド社会で、クイーンを倒せばそこから生まれたASIDは全て活動を停止すると言う。


「つまりヴィクティムはそのクイーンを倒す為の機体だと」

《肯定です。現在のはASIDの極基本的な知識です。今後戦闘をする上で重要な事柄もあるので後ほど詳しく説明いたします》

「ああ。よろしく頼むよ。今は……翻訳の準備を頼む」

《お任せください》


 ヴィクティムの簡単講義が終わったのを見計らっていた訳でもないだろうがアシッドフレームの方に動きがあった。胸部がヴィクティム同様に後部にスライドし、中からパイロット――リサが立ち上がったのだ。


「ボクの名前はリサ・ウェイン。ボクの言葉が理解できるでしょうか?」


 彼女もヘルメットを被っているので誠には容姿は判別できない。だが誠はその言葉遣いと声の感じ、更に分厚いパイロットスーツから体格は分からないが身長から声変わり前の少年だと感じた。名前は女性の様だがこの世界でも命名の基準が自分の物と一緒とは限らないと誠は思っていたが故の結論だ。残念ながらそれは大外れなのだが。


 そして、張り切っていたヴィクティムには残念な事だが誠にも相手の言葉が理解できた。この世界の物であるヴィクティムと会話が成立している時点でこの世界の人間とも会話が成立する可能性が高いと言う事に誠は思い至ったが今更過ぎる話だった。


「ああ。分かる。柏木誠と言う。こちらの言葉も通じているだろうか?」

「問題ない。……念のために確認だけど君は人間、か?」


 また随分と根本的な事を聞いてくると誠はヘルメットの下で眉を顰める。この立ち姿を見てまさか人間かと聞かれるとは思わなかった。会話の相手はこちらがゴリラにでも見えているのだろうかと疑問に思う。だがリサからするとそれは確認したくもなる事だ。こんな場所に人間がいると言うのは彼女の常識の埒外だ。こうして言葉を交わしている今でも疑いを持っている。むしろ人型サイズのASIDであると言われた方が余程納得できる状況なのだ。ヘルメットを被って素顔が見えないと言うのも彼女のその判断を後押しした。


「一応自分では人間のつもりだ。生憎と今この場でヘルメットを外すわけには行かないが」

「……そうだね。変な事を聞いた。何よりもまずボクは命を救われた事に礼を言わなくてはいけなかったのに」


 一先ず誠が人間かどうかを気にするのは止めたらしい。そう言うと不安定な足場ながらリサは綺麗な姿勢で真っ直ぐに頭を下げる。


「こちらの命を救っていただき感謝します。カシワギマコトさん。そちらの救援が無ければボクはここで死を迎えていたでしょう。お礼をしたいのですが生憎と差し出せる物が何もありません」

「いや、別にお礼とかはいらな――そうだな。物はいらない。君の身一つで済む話だ」


 一瞬素でお礼はいらないと言いかけたところで誠は思い直す。ここで礼代わりに色々とこの世界の事を聞こうと。恩があれば多少は口も軽くなるかもしれないと言う打算もあった。


「……塵濃度が高い場所でこうして話すのも何だ。一応こちらがいた場所があるのだがそこへ移動しても構わないかな」

「ええ。構いません。ただこちらの機体はこの有様ですので時間がかかるとは思いますが」

「大丈夫だ。こちらで支える。…………大丈夫だよな?」


 後半はヴィクティムに向けた物だ。請け負っておいて実はダメでしたなんてことになったら恥ずかしいにも程がある。


《問題なし》

「というかさっきの施設って人が座れるような場所とかあるの?」


 最悪無くてもあのがらんとした格納庫みたいな場所に行くだけでもヘルメットを外せそうなのでいいのだが。


《肯定。居住区があります》

「オッケー。着いたら案内してくれ」


 言いながら再びコクピットへ身体を滑り込ませる。シートに着くと同時に胸部がスライドしモニターに光が戻る。それと同時に換気が始まった。


《コクピット内部の塵除去を開始。あくまで簡易的な物ですので本格的な洗浄が完了するまではヘルメットを着用していてください》

「というかヘルメットって普段は着けてなくていいのか?」

《当機の搭乗者保護は万全です。機動中はシートからスーツがドライバーの意思なく離れる事はありません》


 試しに離れるつもりが無いまま誠が立ち上がろうとするとぴったりとくっついたスーツがそれを阻害した。離れようと思うと急に抵抗が無くなりすんなりと立ち上がれる。意識するとその扱い方も頭の中に出てくる。その事から記憶の中に叩き込まれた操作知識は意識しないと思い出せ無いらしいと言う事に誠は気付いた。これは注意すべき必要があるだろう。


 ヴィクティムを立たせてリサのアシッドフレームに手を貸す。向こうもリサが入って起動したのだろう。ぎこちない動きで立ち上がりこちらに体重を預けてきた。そのまま歩き出す。速度は先ほど近寄った時よりも更に遅いが周辺に反応は無い。ゆっくりでも大丈夫だろうと誠は気を軽くした。庇いながら戦うのは出来れば考えたくない。

 そのままヴィクティムが這い出てきた場所に到達する。残骸以外何もない平野でぽっかりと穴が開いているので目立って仕方ない。


「……隠蔽は完璧とか言ってなかったか?」

《言った段階では完璧でした。現状で視認性に早急な対策が必要でしょう》


 まあ確かにここを出る直前はこの上に塵が厚く堆積していたので見た目で判断する事は出来なかったのは間違いない。それ以外は全く問題が無いので偶々この辺りを通りかかる何かがいなければ発見される事は無いとヴィクティムは太鼓判を押す。

 そのままシャフトの中に機体を滑り込ませ、エレベーターで下降する。その間周囲から風やら水を吹き付けられ洗浄を開始しているようだった。気分は洗車中の車の中だ。仕上げとばかりに熱風を吹き付けてその水分も飛ばしている。


《機体洗浄完了。ハッチ解放。誘導に従い機体を固定してください》


 その音声は誠が耳に付けていたヘッドセットからではなく、施設の方から聞こえてきた。恐らくはリサにも聞こえる様にという配慮なのだろう。まずは最初に自走出来ないリサのアシッドフレームをガントリーに固定する。続いてヴィクティム。機体が固定されると同時にコクピットの位置にキャットウォークが伸びてきた。


《機体ロック完了。コクピット内の精密洗浄を開始します。ドライバーは退避してください》

「ピカピカにしておいてくれよな」

《了解。居住区への案内はヘルメット内部に表示します》


 その言葉と同時にまるで交通標識の様な表示がヘルメット内部に投影される。頭を動かすとそれに合わせて表示も変わる。非常に分かりやすい。コクピットからキャットウォークに飛び移ると同じようにリサも出て来ていた。


《提案。シャワールームで着替えを行ってから会談を行うのはどうでしょう》

「そうだな……うん。確かにそうだ」


 確かにこの格好のままでは話もし辛いのは確かだ。それに誠は三十分程度だったとはいえ戦闘の緊張で汗もかいていた。そうした事を考えて居住区に行く前にシャワールームへ行くことを勧めたのだろう。融通が利かないと思ったが意外と気が利くじゃないかと誠はヴィクティムのAIに対する評価を上方修正する。


「よろしければあちらにシャワールームがありますが使いますか?」


 その誠の申し出にリサは僅かに困惑したようなそぶりを見せた。だが自分の格好をヘルメット越しに見てそれを綺麗にしたいと思ったのか、或いは純粋に汗を流したいと思ったのかそこは不明だが首を縦に振った。


「是非お願いします。長時間緊張を強いられていたので正直汗だくで……着替えはありますか?」


 言われてみれば誠は三十分程度だがリサはそれ以上だ。何時からあの逃走劇を繰り広げていたのかは分からないがこの口ぶりだと相当長そうであると誠は感じた。実際、あの逃避行は五時間ほど続いていた。

 着替えはありますかの下りで誠は軽くヘルメット越しにヘッドセットの辺りを叩く。だが残念ながらヴィクティムはこちらの行動の意思を汲んではくれなかったらしい。先ほど上がった評価がまた下がった。


「着替えはあるか?」

《保管庫に各種サイズが取り揃えられております。ドライバーの分も含めて後ほど搬送します》


 あのデカい図体でどうやって搬送するのかという疑問が生じた。まさかロボットも入れるような馬鹿広いシャワールームではないだろうかと一瞬不安になる。そんな妄想を軽く頭を振って打ち消す。


「大丈夫です。行きましょうか」

「はいっ」


 心なしか弾んだ声を出すリサを従えて誠はヘルメット内側の案内に従って歩を進める。興味深そうにリサの頭が動いているのには気づいていたが誠としても何も解説は出来ない。何しろ彼自身ここを歩くのは初めてなのだ。


 シャワールームに辿り付いてそのサイズが普通の人間サイズであることに安堵して先に入る。中は別段特筆すべきことはなさそうだった。それぞれロッカーとその対面にカプセル型のシャワールームがあるようだった。試しに一つ捻るとすぐにお湯が溢れだしてきた。


「……広いですね。これだけの数を使用するだけの人間がいるんですか?」


 どこか探る様な、やや硬質さを増した声でリサが尋ねてくるが誠にもどうなのだろうかと聞き返す事しか出来ない。どうなんでしょうね、と率直に答えたがはぐらかされたと感じたのか不満げな気配を感じる。だが湯気を噴き出すお湯を見て機嫌も直ったのだろう。スキップしそうな足取りでロッカーの一つを陣取る。そのタイミングでヘッドセットに通信が入った


《ドライバー。着替え等とお持ちしました。取りに来てください》

「分かった。ちょっと荷物を取ってきますので先にどうぞ」

「ええ、では遠慮なく。先にお湯を頂くことにします」


 その返事を背中で聞きながらシャワールームから出るとまるで一昔前のSFに出て来そうな如何にも作業用ロボットです。みたいな外見をしたロボットがよたよたとこちらに歩いてきていた。二本の足に胴体。その上に物を乗せるトレイ。そこには計四つのパッケージが積んであった。手が無いのにどうやって乗せたのかが気になる。そのロボットを見て誠は恐る恐る声をかける。


「ヴィクティム……か?」

《肯定。厳密には当機が遠隔操作で操っている作業用ロボットですが》


 返答は目の前のロボットからではなくヘッドセットから聞こえてきた。あくまで作業用なので会話するような機能は付いていないらしい。とりあえず重そうにしているので頭の上に乗せられているパッケージを手に取る。


《保管されていた着替えとアメニティグッズです》


 言われて開けてみるとそのうちの一つはボディーソープやシャンプー類だった。誠にも覚えのある形状だ。何か手掛かりは無いかとそのボトルを見つめてみるが文字一つ書かれていない無地だ。


「こういうのどこへ行っても変わらないんだな……」

《宇宙でも行けば流石に形状が変わるでしょう。しかし重力下ではその形がベストだと推測》

「そんなもんかね……」

《ドライバーが右手に持っているのがドライバー用。左手が客人用です。ご注意を》

「サイズとか違うもんな。ありがとよ」

《何かありましたらいつでもお呼びください》


 立ち去って行くロボットを見送りながらふと先ほど疑問に思ったことを口にしてみる。


「ところでそいつ手が無いのにどうやって上に物乗せたんだ?」

《別のロボットを使いました》


 特に面白くもなんともない答えだった。


 シャワールームに戻ると既にリサはシャワーを浴びているようだった。一番奥のボックスから水音が聞こえてくる。わざわざ近くに行くことも無いのでそのまま一番手前のロッカーでパイロットスーツを脱ぐ。ロッカーの中にはバスタオル等が畳んでおいてある。ためしに手に取ってみると洗いたての様にふかふかしていた

。どんな柔軟剤を使っているのか気になる。とりあえずタオルを巻いておく。ボックスに入る前に着替え等を届けようとリサが使用しているボックスの方に歩いて行く。


 誠に取って不幸だったのは、リサが持つ常識を一切理解できていなかったと言うところだろう。誠はどう見ても女性の体格ではない。声も低い。だからリサの性別がどうであれ、こちらの性別を察してそれに応じた対応をしてくれると思っていたのだ。そして特に意識することなくシャワールームに同伴した時点で誠はやはり命名ルールが違うだけでリサは少年という見立てに間違いは無かったのだと判断してしまったのだ。

 誠の言い訳はまだいくらでも続くことが出来るのだが、話が進まないので割愛しよう。


「すみません、カシワギさん。シャンプーもボディーソープも無くて……そちらにはありませんか?」


 水音が止んだと思ったら一番奥のボックスが開いてリサが出てきた。不幸中の幸いと言うべきか、バスタオルを巻いていたので辛うじて重要な個所は隠されている。だがそれでもその華奢だが丸みを帯びたシルエットと男性にしては長めのショートカットの髪型は女性以外の何物でもないと主張する。


 対して誠もバスタオル一枚巻いただけの格好だ。片手にはリサの分の着替えとアメニティグッズ。だがそこを見なければ婦女子が入浴している所にバスタオル一枚で近寄ってきた男――即ち変質者である。

 時が止まったかのような静寂。両者が動き出したのはシャワーから零れた水滴が音を立てた瞬間だ。


「キャアアアアア!」

「ええええええええ!」


 両者から悲鳴があがる。ちなみに前者が誠で後者がリサである。若干誠の方が女性らしいリアクションを取っていた気がするがそれは恐らく気のせいである。


「男!? 何で男なんですかカシワギさん!」

「そっちこそ女!? 危機感とか自己防衛意識が低すぎるでしょ! もっと自分を大切にしてよ! というか男とか見れば分かるでしょう!」

「男……男って言う事はさっきの身一つで済む話ってまさか……」

「誤解! それは深読みしすぎ! さっきまで俺君の事少年だと思ってたから!」


 パニックになったままお互い言いたいことを言いたいだけ言って漸く落ち着く。と言っても格好はバスタオル一枚のままなのだが。


「すみません。ボクには余りに想定外の出来事でしたので取り乱しました」

「いえいえ……こちらこそ。見れば分かると思って説明を怠りました」


 興味深そうに誠の方を見るリサに対して誠の視線は明後日の方向を向きっ放しである。こうして男だと分かった今でもリサのガードは妙に薄くてバスタオルが若干はだけていたりだとかこちらの視線を全く意識していない。それを見るのが罪深い事の様な気がして自主的に視線を逸らしているのだ。


「見ればわかる、と仰りますがそもそも男性なんてボクが見たことあるのは精々三回くらいですよ」

「え、何で。箱入りなの」


 仮にびっくりするほどの箱入り娘だとしても生涯三度しか男性と会ったことないと言うのは最早引きこもっていないと難しいだろうと誠は思う。或いは異世界にありがちな深窓の令嬢なのだろうかとも思うが令嬢はあんなロボットに乗って棍棒なのか刃物なのか分からない剣を振り回したりはしないだろう。そもそもその理屈だと父親さえ碌に見た事が無いと言う事になってしまう。


「……ずっと気になっていたのですが、カシワギさんは一体何なんですか?」


 鋭い目つきで、リサはそう尋ねる。いや、これは最早詰問に近いだろう。恩はある。だがそれ以上にこの不可解な状況を見過ごすわけには行かなかった。誠は気付けなかったが、ゆっくりと四肢に力を……いつでも飛びかかれるように準備をしている。


「分からないんだ……」


 どう答えようか誠は迷っていたが、出てきたのは自分でも情けなく感じる様な声音の言葉だった。


「分からないんだ。本当に。どうして俺がこんなところにいるのか」


 その声が余りに泣きそうに聞こえたからか、リサは僅かだが気を緩める。この辺りが彼女らしさと言えるだろう。誰であろうと泣きそうな顔をしていたらつい優しくしてしまいたくなるのだ。それは美点でもあり欠点でもある。これが演技だった場合リサは窮地に立たされていたはずだ。

 やや語調を和らげてリサは別の質問を口にする。


「アークの住人では無いですよね」

「アーク?」


 誠には全く聞き覚えの無い単語である。オウムの様に聞き返したところでやっぱりとリサが息を吐いた。


「あの純白の機体と良い、この施設と良い、もしかしてと思っていましたが……カシワギさんはもしかして旧文明人ですか?」


 すみません、その旧文明が何なのか分からないですとは言いにくい雰囲気だった。誠としては予定が大幅に狂ったが、ここでこちらの事を言うべきだろうと判断。


「いや、実は記憶が無いんだ。気が付いたらここにいた」


 直前まで誠は異世界人なんですと迷ったがまだ通りのよさそうな記憶喪失で行くことにした。というかいきなり異世界人などと言ったら引かれる事は間違いない。


「記憶喪失……ですか?」


 そう確認するように言ったリサの声音は疑惑二割、納得三割、心配五割だった。表情に関して言えば心配七割越えである。誠は罪悪感でますますリサの顔を見る事が出来なくなって行く。


「なるほど。では現在の人間の状況も全く知らない?」

「分からない。さっきだって人が襲われてるって聞いたから良く分からないままに出ただけだし」

「そうですか。ではカシワギさんに貴方の特異的な立ち位置を説明します」


 そりゃあんなロボットに乗ってるんだから特異的な立ち位置って言われてもおかしくないだろうな、と苦笑気味の笑顔を浮かべようとした誠の表情筋がリサの次の言葉で固まった。


「現在の人類総人口は浮遊都市アークの中にいる十万千百十七人。そして男性はその内三名。つまり貴方は都市外にいて、且つ比率0.003%以下しかいない男性という非常に希少な立場の人間です」


 総人口10万1118人。それが今彼らがいる世界の人間の総数だった。

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