第三話 欠けた記憶


 ──王都東部貴族街──


 マコトの率いる小隊は、北壁遠征の報告から十日ほどで出発した。どうやら、向こう戦況が良くないらしく、追加の遠征部隊の編成と準備で騎士団内は慌ただしい日々が続いていた。


「それでも、暇はくれるんだよな……」


 そんな中、俺は七日に一度の非番の日、忙しく駆け回っていたユーリアにお使いを頼まれて、とある場所へと向かっている。


 この王都ルクセリアは、中央にそびえる王城を取り囲むようにして拡がっている。王城から、貴族街、品のある店の並ぶ城下街、そこから下は民家が並び、城壁付近では市場が至るところで催されている。


 その貴族街の東側の一角に居を構える屋敷へと赴いていた。

 白い石造りの二階建ての屋敷と広い庭、その庭の手入れをしていた使用人に声をかけて屋敷の中へと入れてもらう。案内された応接室である人を待つ。


「おまたせしました。タクマさん」


 静かに扉が開けられ、この屋敷の主である婦人が中へと入ってくる。その立ち居振る舞いは正しく貴族と言っていいものだが、どこか庶民的な、親しみやすい微笑みを見せてくれる。


「お久しぶりです、プリメーラさん」


 俺はゆっくりと深くお辞儀をする。


「ええ、本当にお久しぶりですね。騎士団の入隊試験の頃以来だもの……さぁ、お掛けになって──」


 嬉しそうな声音に安心しながら、促されるままに椅子に腰掛ける。


【プリメーラ・ディンストン】

 彼女は、リアドの街でロランと共に自警団を率いていた剣士ギャレットの奥さんだ。王都に着いてから、騎士団隊舎に移るまでは此処に身を寄せていた。リアドの街で受け取った手紙には、俺達の面倒を見てやってほしいと書かれていたそうだ。二人は子宝には恵まれはしなかったが、俺達を我が子のように接し、世話を焼いてくれた。


 時折、ユーリアや女性陣は顔を見せに来ているらしいが、生憎と忙しく時間が取れないために俺が代わりに来たという訳だ。


 彼女には、いつも近状を話しているらしいのだが、俺の周りはあまり良い話のものが少ない。とりあえず、心配をかけない程度に中身を省略しながら話をするが、プリメーラはそれを疑うことなく楽しそうな表情で聞いている。


「あの、プリメーラさん。ミラーは元気ですか?」


 訓練と城下の見回りばかりの日常では、話す事などすぐに無くなってしまう。話題を別の事へと変えようとする。


「ええ、相変わらず本ばかり読んでいるけれど……やっぱり心配ね……」


 ユーリアとは別に、戦闘の得意でない仲間がもう一人いる。茶色い癖のある髪が特徴でいつも本を持ち歩いて、暇さえあれば読みふける。名前は【ミラー】彼女はこの屋敷に残っている。


「ユーリアから差し入れがあるので、持っていきますね。二階ですか?」

「あら、ありがとう。夫の書斎にいると思うわ」


 プリメーラは昼食を用意すると言って別の部屋へと向かっていった。俺は一人二階へ上り、ギャレットが使っていたという書斎へと向かう。


「ミラー! 差し入れ持ってきたぞ! ユーリアのプルーマ蒸し!」


 部屋の中から返事は無い。というか人の気配もしない。


「……入るぞ?──」


 一応断りを入れ、恐る恐る扉を開けて、中を見渡す。


 窓際に用意された机と椅子。その椅子の上に膝を抱えながら座っている小柄な少女がそこに居た。足元や机の上には、彼女を取り囲むように本が積まれていた。読み終わったのかこれから読むのかは彼女にしか分からない。


 本を踏まないように、足元を確認しながらミラーの元へと近づいていく。至近距離まで来てようやく人の気配に気がついたのか、ゆっくりと顔を上げてこちらを向いた。


「久しぶり、元気そうだな」

「……うん……」


 短く返事をし、今度は俺の手元に視線を落とした。


「……それ……」

「あ、これなユーリアからの差し入れだよ。そろそろ昼だし、下でみんなで食べないか?」


 ここまで持ってきたはいいが、せっかくならみんなで食べた方が良いのではないかと思ったが、要らぬお節介かもしれない……


「……分かった……」


 また短く答え、するりと椅子から降りて俺の横をすり抜けていった。


「……やっぱり変わったな、ミラー……」


 部屋を後にする彼女の後ろを見ながらそんな言葉が口から漏れた。それも聞こえていたのだろう。ミラーは扉の前で立ち止まり振り返った。


「私は……私……」

「え、あぁまぁ……そうなんだけど……」


 昔なら、食事だとしてもテコでも動かなかったのに、今では素直に聞き入れてくれている。その変化の原因に心当たりが無い訳では無い。


 この屋敷に世話になっていた頃、屋敷にあったある壁掛けの織物タペストリーを見た途端、崩れ落ちる様に倒れて、以降数日目覚めなかった事がある。それを境に、以前とは微妙に雰囲気が変わった気がしている。


「なぁ……ミラーはなんで、そんなに本が好きなんだ?」


 気が付けば、そんなことを口に出してしまっていた。こんな時に聞くようなことでも無いはずなのに、何故か気にかけてしまう自分がいることに、内心驚いていた。


「……」


 しばらくの沈黙の後、ミラーの口が開く。


「本は……ただの知識が記された紙では無い──」


 ミラーは俺から目をそらすことなく静かに語り始めた。そこに立っているのは、今まで目にしてきた小柄な少女とは全く別人の様な雰囲気を感じる。


「そこには……物語がある……歴史が、感情が……それはその本の書き記した者の記憶……私はそれを見ている……ただそれだけ……」

「記憶……──」


 その言葉が、静かに俺の心の内を揺らしてくる。


 俺は、この世界に来る以前の記憶が思い出せない。何度か思い出そうと試みたが、濃い霧にに遮れるように何処かへ消えてしまう。他の皆がどうなのかは知らない。他言はしないだろうが、詮索はしないというのが俺達の中の暗黙の了解となっている。


 だが、俺達の過去に共通するものが一つある。それは──


「……タクマ……」

「え……あ、何?──」


 気が付けば、ミラーは扉の向こう側から覗き込むようにして、俺の顔と手元へと交互に視線を送っていた。どうにもこのプルーマをはやく食べたいらしい。


「……早く……」

「あぁ、ごめん」


 それだけ返してミラーに続く。


 その後は三人で昼食を取った。その後、ユーリアからの用事を済ませるために屋敷を後にする。


 こうして穏やかに日常を過ごしてはいるが、俺達はこの世界に来る前の世界で、一度死んでいる。


 その事すら、俺はぼんやりとしか思い出せないでいる。



 ✱✱✱


 ユーリアから頼まれた買い物を済ませながら、ある場所で一休みしていた。


 見回りの最中に偶然見つけた。城下街の路地をいくつか経由して行き着くことの出来る小さな広場だ。そこからは北西の方角が一望できる。人も滅多に入ってこない、なかなかに良い眺めだ。時々こうして気持ちを落ち着けるために訪れている。


 特に何かが置かれている訳では無い。石畳が綺麗に敷き詰められた小さな広場だ。


「何を……やってるんだろうな……」


 腰ほどまでの高さの塀に腰掛け、眼下に広がる街を見渡す。何も考えず、頬を撫でる冷たい風と柔らかい陽射しをその身に受けながらただひたすらに眺めるだけだ。


 深くゆっくりと息を吸い、身体のうちに溜め込んだ諸々と共に吐き出す。それをもう一度繰り返して、懐から首飾りを取り出す。


 掌に収まる程の大きさの菱形の銀盤の中央に、七色の螺旋の光をその内に秘め、淡く輝く小さな宝石が埋め込まれ、それを咥えるように獅子の意匠が刻まれている。


 命の恩人にして剣の師匠であるロランから、死に際に託された品だ。


「なぁ、ロラン……俺は──」


 そっと掌の上に広げたそれを眺めながら、子の場にいない人物へと語りかける。


「どうすれば良かったんだ……」


 リアドの街では、皆でそれなりに楽しい日々を過ごしていた。王都に着いてプリメーラの世話になっていた頃も──


「どうして……」


 騎士団の入隊試験から、徐々におかしくなってしまった。


「……」


 そのまま何も言うこともなく、首飾りを握りしめる。


 この首飾りも、本来ならば【アルフレイア】という人物に渡すつもりだった。ギャレットも誰かは分からず、どう捜すのか迷っていた時にレインズロットなら何か知っていると思いつき聞きに行った時、彼からこう告げられた。


 ──彼女はもう居ない──


 ロランの望むような騎士にはなれない上に、彼の遺言を果たす事すら叶わない。


「俺は……」


 王都に来てからというもの、中途半端な事ばかりだ。


「どうすればいい……ん?──」


 気が付けば鐘の音が、街中に響いていた。夕暮れを告げるために王城より鳴らさせれてる。


「っ!? しまったっ!?──」


 どうやらかなりの時間をここで過ごしてしまっていたらしい。まだ頼まれた用事は残っている。この鐘の音を合図に、城下の店や市場も店仕舞いを始めてしまう。


 急いで塀から飛び降りて、目当ての店へと向かうため、広場を抜けて路地へと飛び込んだ時だった。曲がり角の向こうから人影が現れた。


「っ!?──くそっ!?」


 咄嗟に壁を手で押し、その反発する力を利用して、激突寸前のところで回避に成功した。だが、狭い路地の反対側など、体勢を整えるような空間はもちろんなく、そのまま反対側の壁へと背中を打ち付ける結果となった。


「痛っ……ごめん、ケガは?……」


 背中に手を当てながら、目の前の人影だった者へと視線を向ける。


 町娘のような身なりをしてはいるが、金色の長い髪とその隙間からちらりと見えた翡翠の瞳は、とても品のあるどこかの貴族令嬢のような雰囲気さへ感じる。


 彼女は無言のまま、首を横に振った。どうやら怪我はないらしい。


「そうか、良かった……ごめんなさい。今急いでて……それじゃ!──」


 短くそれだけを言い残して、その場を全速で立ち去った。今は何としてでもユーリアからの頼まれ事を達成させなければならない。その事しか頭になかった──

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